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カンボジアで「性奴隷」をねつ造した人権活動家(1)

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ソマリー・マム(Somaly Mam)は、少女のときに売春宿に売られて性奴隷にされた経験を持つと主張するカンボジアの人権活動家で、
その壮絶な体験とその後の活動家としての闘いを描いた自伝『幼い娼婦だった私へ』(原題:The Road of Lost Innocence)は、世界的なベストセラーになりました。


彼女の自伝によると、カンボジアの農村に生まれたソマリーは幼いときに孤児になり、彼女が「おじいさん」と呼ぶ男に引き取られて育てられるものの、この養父から日常的に虐待を受けたといいます。
養父は、彼女が12歳のときに借金のカタに彼女の「処女」を中国人商人に売り、14歳のときにやはり借金のカタに兵士と強制結婚させます。
この兵士の夫が死んだあと、彼女は養父によってプノンペンの売春宿に売られ、そこで毎日、多くの客の相手をさせられ、反抗すると拷問され、性奴隷として酷使されたといいます。
そんな彼女を救ったのは、カンボジアで援助関係の仕事をしていたフランス人の男性でした。
ソマリーはこのフランス人男性と結婚して1993年、23歳のときにフランスに渡ります。
その後、彼女は1996年、26歳のときにフランス人の夫と共にカンボジアに戻り、人身売買の被害者の救済を目的としたNGO団体、AFESIP(Agir pour les Femmes En Situation Précaire-困難な状況に置かれた女性のための活動) を立ち上げます。
カンボジア警察と協力して売春の温床となっていたプノンペン市内のホテルを急襲し、そこで働かされていた多数の売春婦を救出するなどの派手な活動によって、
彼女は、児童買春・人身売買組織と果敢に戦う人権活動家として国際的に名前が知られるようになり、
2007年には活動資金を集めるためにニューヨークに自らの名を冠したソマリー・マム財団を設立し、
ハリウッド女優のメグ・ライアンやスーザン・サランドン、アンジェリーナ・ジョリー、フェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグ、
元国務長官のヒラリー・クリントン、スペインのソフィア王妃などの著名人やセレブたちからの支持を取り付け、順調に活動を拡大していきます。
ソマリー自身、「チャリティー界のセレブ」と呼ばれるようになり、欧米メディアに頻繁に登場してカンボジアにおける児童売春や人身売買の悲惨さを訴え
潘基文国連総長に呼ばれて国連で演説したり、ホワイトハウスに招かれてミシェル・オバマ大統領夫人と面会したり、ローマ法王と面会したりします。
2006年に開催されたトリノ・オリンピックの開会式では、五輪旗を掲げて行進する8人の女性の内の唯一のアジア代表に選ばれ、
2009年にはタイム・マガジンによって「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれています。
しかし彼女にたいする批判もありました。
彼女は売春組織から何千人もの少女を救出したと主張していたのですが、その数字には誇張があるのではないか、
また彼女が売春宿に売られた年齢についても、インタビューや講演のたびにころころ変わるといわれていました。
これらの指摘は主としてカンボジアの新聞によってなされていたので、国外に知られることはなかったのですが、
2014年5月、アメリカ人ジャーナリストのサイモン・マークスがニューズウィーク誌に『ソマリー・マム:児童売春・人身売買の聖女あるいは罪人』(Somaly Mam: The Holy Saint (and Sinner) of Sex Trafficking)という記事を寄稿して、
ソマリー・マムが行った数々の虚偽やねつ造を告発すると、人権活動家や援助関係者の間で大きな衝撃が広がり、一大スキャンダルに発展します。
上記の記事が指摘したソマリー・マムの嘘とねつ造は次のとおりです。
●経歴の嘘
ソマリー・マムは孤児で、彼女が「おじいさん」と呼ぶ養父に育てられたと自伝に書いているが、彼女の故郷の村で聞き取り調査を行ったところ、彼女は孤児ではなく、両親が揃った比較的裕福な家庭で育ち、高校を卒業していた。
●児童売春被害者のねつ造
1998年にソマリー・マムは、プノンペンの売春宿に売られて児童売春を強要されたという14歳のカンボジア人少女を伴ってフランスのテレビ番組に出演し、カンボジアにおける児童売春の悲惨さを訴えて大きな反響を呼んだが、
後にその少女は売春の経験はなく、女優志願で「オーディション」によって選ばれ、ソマリーが書いたシナリオに従って演技したと告白。
●殺人被害に関する偽証
2004年、プノンペン警察はAFESIPの情報に基づいて、売春の温床となっていたプノンペン市内のホテルに踏み込み、84名の少女や女性を救出した。
ソマリーは、2012年に国連で行ったスピーチで、このとき救出した女性たちを収容していたAFESIPの施設が人身売買組織に襲撃され、8人の女性が殺害されたと供述。
しかしプノンペン警察にはそのような殺人の記録はなく、被害者の名前も判明していない。
●人身売買組織による報復誘拐事件のねつ造
ソマリーは、前述の2004年の84人の売春婦救出事件の報復として、人身売買組織が彼女の娘を誘拐し、集団暴行してその場面をビデオに撮影したと主張。
しかしソマリーの前夫は、娘はボーイフレンドと駆け落ちしただけで、誘拐話はソマリー・マム財団の資金集めのための作り話であると証言。
●児童売春・失明被害のねつ造
ソマリーは、「幼くしてプノンペンの売春宿で売春を強いられ、抵抗したところ片眼をえぐり取られた」という凄惨な体験をした少女を何度もメディアに登場させ、その無残な姿が人々の同情を買ったが、
少女の両親は、娘は幼い頃から目に腫瘍があり、その手術のために眼球を摘出しただけで、売春婦として働いた経験はないと証言。
少女の手術記録も病院で発見された。

『ハーフ・ザ・スカイ』 (2009) ソマリー・マムのドキュメンタリー番組http://www.nicovideo.jp/watch/sm24819413
上の動画で、その片目の少女が自分が受けた虐待について涙まじりに語っているのですが、もしこれが演技だとしたら、相当入念な演技指導を受けたに違いありません。
上記のニューズウィーク誌の記事が発表されてから一週間後、ソマリー・マムは、ソマリー・マム財団を辞職、同財団は2014年10月に活動を停止します。
ソマリー・マムは全世界から15億円を超える寄付金を集めたそうですが、その使途は不明だといいます。
ソマリーが運営するNGOの元職員によると、ソマリーは年間12万5000ドルの報酬を受け取っていたそうですが、それとは別に寄付金でカンボジア各地の土地や家屋を買い漁っていたといいます。
2014年10月にカンボジア政府は、ソマリー・マムに今後NGO活動を行うことを禁止する命令を出しますが、その後、なぜか撤回。
ソマリー・マムはアメリカにわたって、新たに「ニュー・ソマリー・マム財団」を設立、活動を続けているそうです。
乞食と人権ビジネスは三日やったら辞められないのでしょう。
人権活動家ソマリー・マムの壮絶人生http://www.nicovideo.jp/watch/sm24821333
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ソマリー・マムの熱烈な支持者であるハリウッド女優、スーザン・サランドンと
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カンボジアのソマリーの施設を訪れたヒラリー・クリントン。ヒラリーの右にいる眼鏡をかけた少女が、売春業者に片目をえぐられたと主張する少女
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スペインのソフィア王妃と
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講演のために世界を飛び回る日々
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ホワイトハウスでミシェル・オバマ夫人と会見

参照ウェブサイト:ティミル・ティミル
続く

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