フランスのパリには、昔の映画を低料金で上映するシネマテークという文化施設があります。
私がパリにいたときは、16区のシャイヨー宮と5区のウルム通りの2ヶ所にあって、世界各国の映画を安く観られるので、毎日のように通ってました。
日本映画もけっこう上映していて、小津や溝口などの名匠の作品だけでなく、藤純子の『緋牡丹お竜』など娯楽映画もかかっていました。
シネマテークで上映される日本映画をこまめに観ていたら、わざわざ日本に行かなくとも、いっぱしの日本映画通になれるのではないかと思ったほどです。
シネマテークで日本映画を観ていて面白かったのはフランス人の観客の反応です。
学生など若い観客が多かったのですが、日本人であればなにげなく見過ごしてしまうシーンに敏感に反応するのです。
たとえば、成瀬巳喜男の監督作品『浮雲』(1955)を観たときのフランス人の反応はよく覚えています。
『浮雲』は林芙美子原作の小説を成瀬己喜男が映画化したもので、フランス領インドシナで恋に落ちた若い女と妻子持ちの男が、
終戦後、日本に引き揚げてから再会し、別れようと何度も思いながらも、ずるずると関係を続けていくという話なのですが、
高峰秀子扮するヒロインのゆき子が闇市で久しぶりに従兄と再会して二人で食堂に入り、うどんを食べるシーンで、フランス人の観客が居心地の悪さのようなものを感じている様子が伝わってきました。
その場面では高峰秀子は普通の日本人がやるようにうどんをずるずると音を立ててすすっていたのですが、フランスを含む欧米では、音を立ててモノを食べるのは行儀が悪いこととされているのですね。
下品な登場人物がうどんを音を立ててすすっても、そういう設定だと考えて気にならなかったかもしれませんが、
ヒロインである高峰秀子がそういう行儀の悪いことをやったので、観ているフランス人は困ってしまったのです。
ヒロインのゆき子は外地から引き揚げてからゆくあてがなく、生活に困窮して、当時、オンリーと呼ばれたアメリカ兵の愛人になります。
アメリカ兵の役はロイ・ジェームスがやっていましたが、彼が制服姿で高峰秀子の住むブラックに訪れるシーンでも、観客が気まずさというか居心地の悪さを感じているのが分かりました。
シネマテークの観客は若い人が多かったので、自分たちと同じ白人であるアメリカ兵が貧しいアジアの女性を金で買う場面を見て恥ずかしさというか、罪の意識みたいなものを感じていたのではないかと思います。
あと『浮雲』で印象に残っているのは、伊香保温泉の食堂のおかみの岡田茉莉子が登場するシーンでのフランス人観客が示した反応です。
初めて登場する場面で、彼女は食堂の暖簾かなにかを手でかきわけて、ひょいと顔をのぞかせるのですが、
そのとき観客がいっせいに「は~~~」と大きなため息をもらしたのです。
この映画の岡田茉莉子は本当に綺麗で、フランス人はその美しさに感嘆したのです。
私はこのときのことをよく覚えていたので、『マルサの女』(1987)で監督の伊丹十三が岡田茉莉子の目の下の袋をわざと目立つように撮って、その美貌の衰えを強調したのが許せなかったです。
大体、伊丹十三という監督は女優を汚く撮るのが趣味みたいなところがあって、そのため、私は彼の作品がどうしても好きになれませんでした。
次にフランス人の観客の反応が面白かったのは熊井啓監督の『日本列島』(1965)です。
これは1959年に東京で実際に起こった国際線スチュワーデス殺人事件を題材にした映画なのですが、
スチュワーデスの死体が発見されたことを聞きつけた新聞記者が捜査中の刑事のところにやってきて、
「事件は痴情関係のもつれですか」と訊くと、
刑事は「違うよ、彼女は敬虔なカトリック信者だ」と答えます。
そこで観客はドッと笑います。
フランス人の大半はカトリックなのです。
最初は笑っていたフランス人の観客ですが、その後、映画が進むにつれて、殺されたスチュワーデスが通っていた教会の白人神父と肉体関係を持っていたこと、
その神父は麻薬の密輸組織に関係していて、愛人であるスチュワーデスの彼女を麻薬の運び屋として利用していたことが判ってきて、観客がだんだんと深刻な気持ちになっていくのがわかりました。
警察はスチュワーデス殺しの犯人として、この白人神父を疑いはじめるのですが、神父は警察の捜査の手が自分に迫ってきているのに気がついて、
教会の外の公衆電話から麻薬組織のボスに電話して、「私はどうすればよいのでしょうか」とおろおろした口調で相談します。
そのとき神父が電話で話していた言葉がフランス語だったのです!
実際の神父はベルギー人だったのですが、神父がフランス語を話したことで、フランス人の観客はスチュワーデス殺しの犯人はフランス人神父だと思いこんだみたいで、
みんな可哀想なほどしょげこんでしまい、館内は重苦しい雰囲気に包まれました。
麻薬組織のボスは、神父にすぐに日本を離れるように指示し、神父は帰国の準備を始めるのですが、神父が海外逃亡を計っていることに気付いた警察は大急ぎで逮捕令状を取ります。
ちょうどそのとき神父が羽田空港に向かっているという情報が入り、逮捕令状を手にした刑事と新聞記者は大急ぎで空港にかけつけます。
しかし刑事と新聞記者が空港に着いたとき、間一髪の差で神父を乗せた飛行機は飛び立ってしまうのです。
飛び立っていく飛行機を地団太踏んで悔しがりながら見送る刑事と新聞記者。
そのとき飛び去って行く飛行機の機体が大うつしになるのですが、そこにはくっきりとAIR FRANCEの文字。
それを見たフランス人たちは、ピーピー口笛を吹いたり、床をドンドン踏み鳴らしたりして、大変な騒ぎになりました。
彼らは口笛を吹いたり、床を踏み鳴らすことで、逃亡したカトリック神父に対してせいいっぱいの抗議の意を示してくれたのです。