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Channel: ジャックの談話室
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エチオピア周遊(10)

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☆ラリベラの岩窟教会

ホテルに戻るたびに毎回、こんなしんどい思いをするのは真っ平だと思い、翌日、朝一番に坂の上のホテルからもっと坂を下ったところにあるゲストハウスに移動しました。

このゲストハウスは前日、ラリベラで会った日本人に教えてもらったのですが、開業してまもない新築のゲストハウスで、建物は新しく、部屋は広くて綺麗、

シャワーは熱いお湯がふんだんに出て、それでいて宿泊料金はAホテルと同じ300ブルと中々コスパの良いところでした。
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ゲストハウスの部屋
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ゲストハウスの前の通り


その後、岩窟教会を見物しに行きました。

ラリベラの岩窟教会群は、12世紀から13世紀にかけてザグウェ朝のラリベラ王によって建造されたといわれています。

かってこの地はロハと呼ばれていましたが、エチオピアの周辺の国々がイスラム化した結果、聖地エルサレムに巡礼できなくなったことから、

ラリベラ王がこの地に新しいエルサレムを建設することに決め、エルサレムの教会を模した岩窟教会を建造し、この地に遷都して、町の名前をロハからラリベラと改めたといわれています。

岩窟教会は、第1グループの6つの教会と第2グループの5つの教会、そしていずれのグループにも属さず、孤立して建っている聖ゲオルギウス教会の合計12の教会があります。

チケットオフィスで12の教会すべてに入場できる共通チケットを購入して見物することになっているのですが、共通チケットの価格は50ドル。

エチオピアの物価を考えると、かなりのボッタクリ料金ですが、最近は世界遺産はどこでもこれくらいの入場料は取るみたいです。

チケットオフィスでチケットを購入したあと、まず最初に一ケ所だけ孤立して建っている聖ゲオルギウス教会を見に行きました。

なぜこの教会だけがほかの教会から離れて建っているかというと、この教会がエチオピア正教会の守護聖人である聖ゲオルギウスに捧げられた教会であることから、特別扱いされているのだと思われます。

聖ゲオルギウス教会の方に歩いていくと特徴のある十字架の形をした教会の上面が見えてきます。

ラリベラの岩窟教会は、岩盤を垂直に掘って地下に建造されているので、教会の上面と周囲の地面の高さが同じなのです。

教会の建物は一つの岩をくり貫いて彫られているのですが、どのような工法を使ったのかいまだに判っていないそうです。

ツルハシとノミだけ使って造ったとしたら、膨大な労力と時間がかかったと思いますが。

いずれにせよ、すべてが完成するのに23年ほどかかったそうです。
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聖ゲオルギウス教会を見物したあと、聖ゲオルギウス教会から少し離れたところに建っている第1グループの6つの教会を見て回りました。
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第1グループの聖マリア教会。教会の建物を風雨から守るために仮設の屋根が設置されていました。
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隣の教会に通じる抜け穴
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岩窟教会に通じる道はどこも狭くて急こう配で、そこら中に岩の塊がゴロゴロ転がっていて歩きにくいことこの上ない。

もたもた歩いていたら、見知らぬ観光客が手を貸してくれたり、励ましてくれたり。。。

去年、マチュピチュ遺跡に行ったときと同じような展開になってしまいました (^^;

ラリベラは、現在もなおエチオピア正教会の聖地になっていて、毎年1月に催されるキリストの洗礼を祝うティムカットの祭りのときは、エチオピア各地から多数の巡礼が集まってくるそうです。
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教会の前に集まっていた信者たち

エチオピア正教会=コプト教会は、カトリックやプロテスタントなどの西欧の教会とは様々な面で異なります。

エチオピアにいた間、毎日夕方と早朝、イスラム教のアザーンのような祈りの声がマイクを通して聞こえてきました。

最初はモスクから聞こえてくるのかと思ったのですが、よくよく聴くとアラビア語ではありません。

エチオピア人に尋ねたら、エチオピア政教会の僧侶がマイクに向かって聖書を朗読している声だそうで、詳しいことは判りませんが、イスラムのアザーンの影響を受けているのは確かでしょう。

しかし、モスクから聞こえてくるアザーンがアラビア語の理解できない人間でも、魂が揺さぶられるような美しい朗読であるのに対して、

エチオピアで聞いたエチオピア正教会のアムハラ語の朗読はアザーンのような美しさはなく、私にはただうるさいだけの騒音にしか感じられませんでした。

続く

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