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イスタンブールの休日(2)

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エミノーニュ波止場

☆ ウシュクダラ&シルケジ

翌日、時差の関係か午前2時というとんでもない時間に目が覚めてしまい、もっと寝るために睡眠薬を飲んだら、今度は睡眠薬が効きすぎて、目が覚めたのは10時ちょっと前。

この日はボスフォラス海峡クルーズに乗る予定だったのですが、出航時刻は10時15分で到底、間に合いません。

ただ夏季は午後1時15分にもう一回、フェリーが出るそうで、この午後に出発するフェリーに乗ることに決めました。

ホテルからフェリーが出るエミノーニュ波止場まで地図でみると近そうだったので、徒歩で30分も歩けば行けるだろうと軽く考えて、午後12時半にホテルをでました。

急な坂を下りていくと、新市街と旧市街を結ぶ金角湾に架かるガラタ橋に出ました。

しかしガラタ橋は昔のイメージとは異なっていました。
昔からあるガラタ橋の隣に新しいガラタ橋が架かっていて、新旧ガラタ橋の中間には線路が敷設されて電車が走れるようになっていたのです。

ガラタ橋名物の橋の上から釣り糸を垂らしている人の姿は相変わらず見かけましたが、昔のような独特の旅情を誘う雰囲気はなくなっていました。

背のびして見る海峡を、今日も汽笛が遠ざかる♪

以前は、ガラタ橋のたもとに立つと、必ずこの森進一の『港町ブルース』の歌詞が蘇ってきたけれど、そんな情緒がなくなっているのです。

あれほど沢山、飛んでいたカモメも消えています。

多分、自動車の大気汚染で、カモメは寄りつかなくなったのでしょう。

そのガラタ橋を渡って対岸のエミノーニュ波止場に出て、ボスフォラスクルーズのフェリー乗り場を探したのですが、エミノーニュ波止場は非常に広く、

多くの路線のフェリー乗り場の中からボスフォラス海峡クルーズのフェリー乗り場を見つけるのに時間がかかり、切符売り場にたどりついたのは午後1時20分。フェリーは出航したあとでした。

それでしょうがなく、ボスフォラス海峡クルーズは翌日にすることにして、アジア側のウシュクダラの波止場に行くフェリーに乗ることにしました。

このイスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶフェリーは主として通勤に利用されているそうですが、

50年前、ウシュクダルからエミノーニュまでフェリーに乗ってヨーロッパに上陸したときの思い出の波止場であるウシュクダルに行ってみようと考えたのです。「昨日の旅(35)」を参照。

昔、江利チエミという歌手が日本で「ウスクダラ」というトルコの歌を唄ってヒットしたことがあり、ウシュクダルの名前は年配の日本人には馴染みがあります。

わたしもまだ子供でしたが、ウシュクダーラー・ギーレギッチェン・アウドロミリアンブー♪という歌詞は覚えています。

江利チエミは、高倉健の奥さんだった人で、若い頃、二丁目のバーで居合わせてビールを奢ってもらったことがあります。

ウシュクダル行きのフェリーは昔、私が乗ったフェリーと較べて大型になっていました。

ウシュクダルに着いてみると、フェリー乗り場の前の広場で、大音量の音楽を流し、選挙の演説会みたいなものをやっていました。

トルコでは、6月24日に大統領選挙があるそうで、そのためかイスタンブールの街の至るところで、エルドアン現大統領の巨大な選挙用ポスターを目にしました。

しかし、なぜかエルドアン大統領の対立候補のポスターは殆ど見かけませんでした。

ウシュクダルには30分ほどいただけで、すぐにまたフェリーに乗ってエミノーニュに戻り、エミノーニュから近いシルケジ駅に向かいました。

シルケジ駅はオリエント急行の終着駅で、かっては多くのヨーロッパの貴賓客を乗せた豪華寝台列車がヨーロッパ各地とイスタンブールを結んでいましたが、

第二次大戦後は、飛行機に客を取られ、ヨーロッパに出稼ぎに行くトルコ人やバルカン半島の出稼ぎ労働者が利用する移民列車になり、

最後のオリエント急行であったパリ・イスタンブール間を結ぶシンプロン急行も1977年5月に運行を終えました。

わたしはその直前の1977年3月にこのシンプロン急行に乗ってパリからイスタンブールまで3泊4日の旅をしたのですが、その頃のシンプロン急行は食堂車も寝台車もない二等客車だけのみすぼらしい列車に成り果てていました。

「オリエント急行の美女」を参照。

というわけでシルケジ駅は40年ぶりだったのですが、駅舎は改修工事が行われているらしく、すっぽりとカバーに覆われ、その宮殿のような優美な外観を拝むことはできませんでした。

駅の中に入ると、内部は記憶していたよりもずっと狭く、ターミナル駅と呼ぶにはあまりに小さい印象を受けました。

帰りは、シルケジからカバタシュという駅まで路面電車に乗って、カバタシュから地下鉄でタクシムまで出て、そこでまた地下鉄を乗り換えてホテルの近くのシシャネまで行きましたが、

随分と遠回りになり、また乗り換えのたびに5リラかかるので、合計15リラになってしまい、タクシーを使った場合と大して変わりませんでした。

イスタンブールでは、バスや路面電車、地下鉄などの交通機関などのチケットは統一されていて、

同一のチケットで各種交通期間に乗車できるようになっているのは便利なのですが、券売機の表示はトルコ語だけで、外国人が購入するのはムツカシイです。

それでシルケジでは券売機でチケットを購入するのを諦め。近くのキオスクで2回分のチケットを10リラで購入しました。

しかしその2回分のチケットはタクシムまで行ったところで使い果たしてしまい、そこから先は若いトルコ人の青年に頼んで券売機で買って貰いましたが、かなり面倒でした。

ガイドブックにはアクビルという割引料金のチケットもあると書いてありましたが、そのアクビルもトルコ語表示の券売機で購入しなければならないわけで、外国人にとって買いにくいことに変わりはありません。


☆ ヌール・ハマム(Nur Hamam)

ホテルに戻って一休みしてから、ホテルから歩いてすぐのヌール・ハマムというトルコ風呂に行きました。

ここはGay Friendly Sauna and Turkish Baths in Istanbulというサイトに記載されているイスタンブールのゲイ・ハマムの一軒です。
わたしはあっちの方は完全にあがっていて、現役引退している身なので、ハマムに行ってなんかしたいという気はないのですが、

一応、「同性愛研究家」の肩書きをもっているので(笑)、トルコのゲイ事情の視察に赴いたのです。

実際に行ってみると、ヌール・ハマムはとても小さなハマムで、平日の午後のせいか、客は老人がひとりいるだけです。

真ん中に大理石に台が置かれた浴室にしばらくいたら、30代半ばくらいの青年が入ってきました。

浴室には出入り口とは別に2箇所、ドアが付いていて、青年はそのうちのひとつのドアを開けて中に消えて行きました。

別室でもあるのかと思って、そのドアを開けて中を除くとそこはトイレ&シャワー室になっていて、右側のトイレと左側のシャワーは壁で仕切られていて、シャワーの前はビニールのカーテンがかかっていました。

青年はシャワー室の中で自分のモノをしごいていましたが、わたしが覗いているのに気がつくと止めてしまいました。

「どうも失礼!」といって浴室に戻り、大理石の台に座ってぼんやりしていたら、青年がシャワーから出てきて、そのまま浴室を出て行きました。

いつの間にか、老人の姿も消えていて、わたしひとりになって、しばらく浴室にいましたが、誰も入ってこないので、わたしも外に出て身支度をして帰りました。

ハマムの入場料は30リラ(約750円)でした。

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ガラタ橋

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ウシュクダラに向かうフェリー

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シルケジ駅

続く

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