☆ザンジバルへ
ナイロビに2泊したあと、今回の旅行の最終目的地であるザンジバルに航空機で向かいました。
利用したのはFly 540というケニアのLCCの便。
LCCといっても料金はそれほど安くはなく、往きの飛行時間2時間のナイロビ・ザンジバル間のチケットが日本円で2万円近く、帰りの飛行時間40分のザンジバル・モンバサ間のチケットが1万5000円近くしました。
出発時間は朝の9時半ということで早起きして空港に向かいましたが、ターミナルを間違えて空港に着いてからまた別のターミナルに移動するためにタクシーに乗る羽目に。
Fly540のカウンタ―でチェックインして搭乗ゲートの待合室へ。しかし出発予定時間の9時半の30分前にFly 540のザンジバル行きの便が2時間遅れるとのアナウンスが。
待合室には15人ほどの乗客がいましたが出発遅延のアナウンスを聴いても平然としていて誰も文句を言いません。
と思ったら、次のジュバ行きの搭乗アナウンスがあったら、彼らの殆どがそれに乗って行ってしまいました。
残ったのは、わたしと若い白人女性の二人だけ。彼女はさすがに心細くなったのか、わたしのところに寄ってきて、
「あなたもザンジバルに行かれるの?」
と訊いてきました。
そうだと答えると、「ザンジバル行きのフライトに関する情報は何かお持ち?」
「いや、2時間遅れるということ以外、何も聞いてないけど」
彼女の英語に訛りがあったので、どこから来たのかと訊くとフランスから来たといいます。
それでフランス語に切り替えて話したら、「あなたはフランス語が上手だ」と褒めてくれました。
「なぜそんなにフランス語が上手なの?」と訊くので、「若い頃、フランスに住んでたから」と答えると、納得した顔になりました。
彼女は、ザンジバルで三日間休暇を過ごしてからダルエルサラームで働くことになっているとか。
しばらくするとFly 540の女性職員2人がやってきて、わたしとフランス人の女の子に飛行機が遅れたお詫びにスナックを提供するといいました。
それでいったん通過したパスポートコントロールのブースにパスポートを預けて外に出たところにあるカフェで、フランス人の女の子はアップルパイにコーヒー、わたしはサモサにミルクティーを注文しました。
軽食を食べ終わって登場ゲートの待合室に戻ってくると、いつの間にか、待合室は迷彩服を着た白人兵士の一団でいっぱいになっています。
肩に着けている国旗のワッペンを見るとイギリスやドイツなどの多国籍部隊のようです。女性兵士もいます。
多分、現在紛争中の隣国ソマリアのモガディシオか、南スーダンのジュバに行くのでしょう。
ザンジバル行きのフライトは、2時間遅れるとのことでしたが、2時間経っても呼び出しがありません。
すると11時半頃にまたFly 540の女性職員がやってきて、飛行機はエルドレッドを出発したけれど、離陸後30分で燃料漏れが見つかり、またエルドレッドに引き返したといいます。
エルドレッドってどこや?と思ったけど、帰国後ネットで調べたらナイロビの北300キロのところにあるマラソン選手を多数輩出していることで知られる町だそうです。
ザンジバル行きの飛行機はそのエルドレッドを出発して、ナイロビ、モンバサを経由してザンジバルに行く飛行ルートになっているそうで、当初の2時間の遅れはエルドレッドを出発するとき機体に故障が見つかったからだといいます。
その故障を2時間で修理し、いったんエルドレッドを飛び立ったものの離陸後30分で燃料漏れが見つかったので、またエルドレッドの空港に引き返し、現在、エルドレッドの空港で修理中だといいます。
予定では、ナイロビには1時半から2時の間に着くとか。
ほかの航空会社のザンジバル行きの便に振り替えてもらえないかと訊くと、2時にケニア航空のザンジバル行きの便があるけれど、2時にはFly 540の飛行機がエルドレッドから着いているだろうからその必要はないといいます。
「で、もし2時に着かなかったら?」
苦笑して、
「そんなことは絶対、ありません」
ホンマかいな?
やがて兵士たちの一行もチャーター便で出発し、わたしとフランス人の女の子がまた二人だけ取り残されました。
そしてタイムリミットの2時になると、女性職員がやってきて、
「飛行機は1時半にエルドレッドを出発したそうです。もうじきナイロビに着く予定で、ナイロビ出発は2時20分になります」
と告げました。
どうやら今日中にザンジバルに到着できそうです。
2時30分を過ぎてやっと搭乗アナウンスがあり、わたしとフランス人の女の子を乗せたバスは駐機しているFly 540の飛行機に向かいました。
飛行機はBombardier CRJというカナダ製の小型ジェット機で、機内に入るとエルドレッドからやって来た乗客が10人くらいいて、CAは自由席だから好きなところに座ってくださいといいます。
座席は通路を挟んで両側に一列ずつ。一列が9席あるので全部で18席。
このフライトを予約したとき、通路側の座席を指定したんだけど、なんのことはない。全席通路側です。
愈々、離陸かと思ったら、飛行機はエンジンを吹かすばかりでいっこうにかかりません。
そのうち、エンジンが不調なのでいったん飛行機から降りてください、というアナウンスがありました。
乗客はみんな呆れて笑っています。
ところが乗客が座席を立って降りかけたところにまたアナウンスがあって「故障が直ったのでまた座席に戻ってください」
その後、飛行機はヨタヨタしながらもなんとか離陸し、途中、失速して墜落するのではないかと心配しましたが、なんとかモンバサ空港に到着。
乗客の3分の2が降り、新たな乗客が5人ほど乗ってきました。
モンバサから乗ってきた乗客は全員、白人でしたが、彼らも5時間以上、待たされたのでしょうか。
モンバサを出発した飛行機は小一時間でザンジバルに到着。上空から見えるザンジバルはけっこう大きな島で(沖縄ほどの大きさだそうです)、マンゴーや椰子の林に囲まれた土地に小さな家がびっしりと建ち並んでいるのが見えます。
ザンジバルの空港に降り立った途端、南の島に特有の何とも言えないのんびりした空気に包まれ、ホッとしました。
この島では絶対に癒されるという確信みたいのが湧いてきて、すぐにここが好きになりました。
ちっぽけな空港ビルで50ドル払ってアライバルビザを取得し、両替してから空港の建物の外に出ると「タクシー、タクシー?」と客引きが寄ってきます。
実はザンジバルのホテルは日本から予約してあって、空港への出迎えを頼んでいたのですが、5時間以上、遅れたから誰も待っていないだろうと思っていました。
ところが、わたしの名前を書いた紙をもって立っているタクシーの運転手がいるではありませんか。
彼の名前はムスターファ、後でわかったのですが、彼はホテルから送られてきた運転手ではなく、
ホテルから送られてきた運転手はいくら待っても飛行機が到着しないのでウンザリして帰ることに決め、そのときわたしの名前を書いた紙をムスターファに譲ったのだそうです。
いずれにせよ、わたしとしては払う金額には変わりがないので、問題はなかったのです。
空港からザンジバルの町の中心のストーンタウンまでの道の両側は、こんもりと葉が生い茂ったマンゴーの木と椰子の木が並んでいて、それがなんとなく南インドを思い出させました。
わたしが予約したのはストーンタウンの北端の港の近くのPrincess Salme Innという一泊4500円ほどのホテル。
ホテル代の高いザンジバルでは下の上か、中の下クラスですが、HPに掲載されているホテルの内装や部屋の調度品がザンジバル風というかスワヒリ風のテイストが溢れるもので、値段のわりに雰囲気があると思って予約したのです。
実際にホテルに着いて見てみると、写真と違ってかなり古ぼけているというか、劣化していましたが、エアコンとホットシャワー、セーフティボックスなどの最低限の設備が付いて、
部屋代に含まれている朝食のブッフェがかなり充実していたので、まあいいかなと思いました。
この程度の値段のホテルでも若いバックパッカーには手が出ないようで、宿泊客が落ち着いた感じの欧米人の中年カップルが多かったのも良かったです。
続き