☆ ナイロビ到着
ボロい空港ビルに入って、まず最初にアライバルビザの申請をしました。
申請用紙が置いてある台で用紙に必要事項を記入したものの、その用紙をどこに提出すればよいかわからない。
やれ向こうに持って行け、いや、あっちだ、と散々、たらいまわしされてやっとE VISAと表示されているブースに並んで50ドル払ってビザのスタンプをパスポートに押してもらいました。
パスポートコントロールを終えて両替し、税関を通って到着ラウンジに出ると、おねえちゃんの2人組が寄ってきて「タクシー?」と訊きます。
イエスと答えたら、市内まで2000シリングだといいます。
事前に調べておいた相場の価格は1200シリングだったので、そういうと、「ノー、ノー、ツーサウザンド」と譲りません。
そして「20ユーロでもかまわないわ」と訳の分からないことを言い出します。
20ユーロやったら、2000シリングよりもだいぶ高なるやろが!
ひとりのおねえちゃんがもうひとりのおねえちゃんを指さして、
「彼女がタクシードライバーなの。ケニアにはまだ女性ドライバーが少ないから、女性の雇用促進に協力してよ」といいます。
ケニア女性の雇用促進のために2000シリング払えというのか。誰が払うか、そんなもん!
彼女たちを振り切って出口に向かって歩いて行くと今度は中年のおっさんが声をかけてきましたが、言い値はやっぱり2000シリング。
高いというとすぐに1500に下げましたが、1200にしろというと、そんな低い価格でOKするとボスにクビにされるといいます。
知るか、そんなこと!
彼を振り切って歩いていくと、次に現れた中年男は1200シリングでOKだといい、わたしを道路の反対側の駐車場に連れて行き、若い男性ドライバーを紹介しました。
その若い男に目当てのホテルの名前をいって知ってるかと訊くと知っているといいます。
1200シリングでOKかと訊くと無言です。1200で行けないならほかのタクシーを探すといったら、渋々、小さな声でOKと答えました。
かってナイロビの空港からナイロビ市内に行く道路の両側には草原が広がっていて、キリンやシマウマ、ダチョウなどがフツーに見られたのですが、今は道路の両側には工場などの建物が建ち並び、
道路には信号やロータリー、歩道橋などが作られていて、車の渋滞が酷く、排気ガスの臭いも充満していて、キリンやシマウマはとっくの昔に逃げ出したのでしょう、まったく姿を見かけませんでした。
渋滞でしょちゅう車を停めるので、昔はいなかった物売りが寄ってきます。バナナを売っているオバサン、花束を売っている少年、ケニアの地図を大きく引き伸ばしたものや壁に掛けるような大きな鏡を売っている若者もいます。
空港からダウンタウンまで距離にして17キロくらいですが、渋滞のお陰でたっぷり一時間かかりました。
目指すホテルのある下町のリバーロードまで行くと渋滞はますます酷くなり、車がびっしり詰まって身動きとれなくなっている信号のない交差点にウチの運転手が無理やり突っ込んでいくと、
横からきた車のドライバーが大声で抗議し、それに運転手が言い返し、交通整理の女警官まで寄ってきて運転手に注意する始末。
多いのは車だけではありません。人間もうじゃうじゃいて、歩道から車道に溢れて、車の間を縫って歩いてます。
わたしが前回、ナイロビにいたときの70年代初めのナイロビの人口は70万人ほどで、現在は441万人! およそ半世紀の間に6倍に増えた勘定で、アフリカの人口爆発の凄さを目のあたりにする思いです。
リバーロード界隈は、治安が悪い物騒なところなので近づいてはいけないと某地球の歩き方に書いてありましたが、安宿が集中しているのがこの地区なので、宿泊費を安くあげたいと思うならここに行くしかありません。
わたしが目指すホテルはNawas Hotelという安宿で、日本人バックパッカーの若者が集まるというNewKenya Lodgeという安宿の向かいにあります。
NewKenya Lodgeにはドミトリー(大部屋)しかないけど、Nawas Hotelには個室があると聞いて行ったのですが、入り口のところで警備員に止められて荷物のチェックをされました。
さらに1階(日本式の2階)のホテルのフロントまで階段を上って行くと、鉄格子のドアがあって、その奥のやはり窓に鉄格子のはまった受付の女性がロックを解除しないと開かない仕組みになっていました。
ロックを解除してもらってフロアに入り、フロントの女性に泊まりたいというと、別の女性が現れて部屋まで案内してくれましたが、まるで独房のような酷い部屋で、
一泊1300シリングと安いのですが、いくら安くてもこんなところで寝る気にはなれないのでフロントの女性にほかのホテルを探すと断って外に出ました。
ホテルを出ると警備員の制服を着た知らない男が待ち構えていて、「良いホテルに案内する」といってわたしの承諾も得ず、勝手にわたしのキャリーバッグを手にとって歩きだします。
彼に案内されたホテルは、この界隈の安宿の中ではましな感じでしたが、フロントの女性に部屋代を訊くと一泊4000シリングとのこと。
「ちょっと高い」と案内役の警備員にいうと、「じゃあ、別のホテルを案内する」といってまたキャリーバッグをもって歩きだしました。
次に連れて行かれたのは、INKS HOTELという安宿。建物の1階(日本式の2階)にバー、2階にホテルのフロントとレストランがあって、3階と4階が客室フロアになっています。
案内されたのは狭いけれど小奇麗な部屋で、ホットシャワー、セーフティボックス、テレビが付いていて一泊2000シリング。
リーズナブルな価格だったのでここに泊まることにしました。
あとでわかったのですが、この宿はスタッフがとてもフレンドリーで、ザンジバルからナイロビに戻って一泊したときもこのホテルにとまりました。
夕食は下の階のレストランで取りました。この辺の安宿は表にBar & Restaurnt & Accomodationという表示が出ているバーとレストランが同じ建物にあることが多く、夜は危険な町に出ることなしに食事を取ることができるので安心です。
レストランではまずTuskerビールを注文。このビールは昔からありました。
料理はフライドチキンにビリヤニを注文して食べたけど、チキンはブロイラーではなく地鶏というやつらしく、意外と旨かった。
その後、Tuskerを二本空けて部屋に戻って、旅の疲れもあって爆睡したのでした。
ホテルの窓から下の通りを覗く
続く
ボロい空港ビルに入って、まず最初にアライバルビザの申請をしました。
申請用紙が置いてある台で用紙に必要事項を記入したものの、その用紙をどこに提出すればよいかわからない。
やれ向こうに持って行け、いや、あっちだ、と散々、たらいまわしされてやっとE VISAと表示されているブースに並んで50ドル払ってビザのスタンプをパスポートに押してもらいました。
パスポートコントロールを終えて両替し、税関を通って到着ラウンジに出ると、おねえちゃんの2人組が寄ってきて「タクシー?」と訊きます。
イエスと答えたら、市内まで2000シリングだといいます。
事前に調べておいた相場の価格は1200シリングだったので、そういうと、「ノー、ノー、ツーサウザンド」と譲りません。
そして「20ユーロでもかまわないわ」と訳の分からないことを言い出します。
20ユーロやったら、2000シリングよりもだいぶ高なるやろが!
ひとりのおねえちゃんがもうひとりのおねえちゃんを指さして、
「彼女がタクシードライバーなの。ケニアにはまだ女性ドライバーが少ないから、女性の雇用促進に協力してよ」といいます。
ケニア女性の雇用促進のために2000シリング払えというのか。誰が払うか、そんなもん!
彼女たちを振り切って出口に向かって歩いて行くと今度は中年のおっさんが声をかけてきましたが、言い値はやっぱり2000シリング。
高いというとすぐに1500に下げましたが、1200にしろというと、そんな低い価格でOKするとボスにクビにされるといいます。
知るか、そんなこと!
彼を振り切って歩いていくと、次に現れた中年男は1200シリングでOKだといい、わたしを道路の反対側の駐車場に連れて行き、若い男性ドライバーを紹介しました。
その若い男に目当てのホテルの名前をいって知ってるかと訊くと知っているといいます。
1200シリングでOKかと訊くと無言です。1200で行けないならほかのタクシーを探すといったら、渋々、小さな声でOKと答えました。
かってナイロビの空港からナイロビ市内に行く道路の両側には草原が広がっていて、キリンやシマウマ、ダチョウなどがフツーに見られたのですが、今は道路の両側には工場などの建物が建ち並び、
道路には信号やロータリー、歩道橋などが作られていて、車の渋滞が酷く、排気ガスの臭いも充満していて、キリンやシマウマはとっくの昔に逃げ出したのでしょう、まったく姿を見かけませんでした。
渋滞でしょちゅう車を停めるので、昔はいなかった物売りが寄ってきます。バナナを売っているオバサン、花束を売っている少年、ケニアの地図を大きく引き伸ばしたものや壁に掛けるような大きな鏡を売っている若者もいます。
空港からダウンタウンまで距離にして17キロくらいですが、渋滞のお陰でたっぷり一時間かかりました。
目指すホテルのある下町のリバーロードまで行くと渋滞はますます酷くなり、車がびっしり詰まって身動きとれなくなっている信号のない交差点にウチの運転手が無理やり突っ込んでいくと、
横からきた車のドライバーが大声で抗議し、それに運転手が言い返し、交通整理の女警官まで寄ってきて運転手に注意する始末。
多いのは車だけではありません。人間もうじゃうじゃいて、歩道から車道に溢れて、車の間を縫って歩いてます。
わたしが前回、ナイロビにいたときの70年代初めのナイロビの人口は70万人ほどで、現在は441万人! およそ半世紀の間に6倍に増えた勘定で、アフリカの人口爆発の凄さを目のあたりにする思いです。
リバーロード界隈は、治安が悪い物騒なところなので近づいてはいけないと某地球の歩き方に書いてありましたが、安宿が集中しているのがこの地区なので、宿泊費を安くあげたいと思うならここに行くしかありません。
わたしが目指すホテルはNawas Hotelという安宿で、日本人バックパッカーの若者が集まるというNewKenya Lodgeという安宿の向かいにあります。
NewKenya Lodgeにはドミトリー(大部屋)しかないけど、Nawas Hotelには個室があると聞いて行ったのですが、入り口のところで警備員に止められて荷物のチェックをされました。
さらに1階(日本式の2階)のホテルのフロントまで階段を上って行くと、鉄格子のドアがあって、その奥のやはり窓に鉄格子のはまった受付の女性がロックを解除しないと開かない仕組みになっていました。
ロックを解除してもらってフロアに入り、フロントの女性に泊まりたいというと、別の女性が現れて部屋まで案内してくれましたが、まるで独房のような酷い部屋で、
一泊1300シリングと安いのですが、いくら安くてもこんなところで寝る気にはなれないのでフロントの女性にほかのホテルを探すと断って外に出ました。
ホテルを出ると警備員の制服を着た知らない男が待ち構えていて、「良いホテルに案内する」といってわたしの承諾も得ず、勝手にわたしのキャリーバッグを手にとって歩きだします。
彼に案内されたホテルは、この界隈の安宿の中ではましな感じでしたが、フロントの女性に部屋代を訊くと一泊4000シリングとのこと。
「ちょっと高い」と案内役の警備員にいうと、「じゃあ、別のホテルを案内する」といってまたキャリーバッグをもって歩きだしました。
次に連れて行かれたのは、INKS HOTELという安宿。建物の1階(日本式の2階)にバー、2階にホテルのフロントとレストランがあって、3階と4階が客室フロアになっています。
案内されたのは狭いけれど小奇麗な部屋で、ホットシャワー、セーフティボックス、テレビが付いていて一泊2000シリング。
リーズナブルな価格だったのでここに泊まることにしました。
あとでわかったのですが、この宿はスタッフがとてもフレンドリーで、ザンジバルからナイロビに戻って一泊したときもこのホテルにとまりました。
夕食は下の階のレストランで取りました。この辺の安宿は表にBar & Restaurnt & Accomodationという表示が出ているバーとレストランが同じ建物にあることが多く、夜は危険な町に出ることなしに食事を取ることができるので安心です。
レストランではまずTuskerビールを注文。このビールは昔からありました。
料理はフライドチキンにビリヤニを注文して食べたけど、チキンはブロイラーではなく地鶏というやつらしく、意外と旨かった。
その後、Tuskerを二本空けて部屋に戻って、旅の疲れもあって爆睡したのでした。
続く