☆ 出発
一昨年の夏、一週間ほどの日程でタイに遊びにいったとき、滞在の後半に体調を崩し、なんとか自力で飛行機に乗って日本に戻ってきたものの、
帰国後、病院に行って診てもらったら、いろいろ悪いところが見つかり、年齢的にいってもう海外一人旅は無理なんじゃないか、
元々、純粋に個人的な趣味で旅行しているわけで、旅先で倒れて人様の迷惑になるような事態は避けたい、もう海外旅行はやめようと決心したのでした。
そして趣味を海外旅行からもっと年寄りらしい「お寺めぐり」に切り替えて、京都や奈良のお寺めぐりを始めたのですが、これがもうひとつ面白くないんですよね。
お寺の境内の雰囲気は決して嫌いではないし、仏像を拝むのも好きなんだけど、なんというか海外旅行のようなワクワク感がないのです。
それでやっぱり自分の趣味は海外旅行しかないのかと思ったのですが、幸い、ここのところ体調もまあまあなので、股、イッパツ、海外に行ったろか!という気分になったわけです。
ただ海外旅行といっても、ソウルや上海、台北や香港みたいな近場はまったく興味ないし、東南アジアは行き尽くした感があるし、まだ行っていないところで、行きたいところが残ってるのは、中東・アフリカくらい。
それで前から行きたいと思ってたけど、今まで行く機会がなかったザンジバルに行くことに決めました。
ザンジバルは、タンザニアの一部、インド洋沿岸に近い島で、かってはアラビア半島のオマーンの支配下にありました。
オマーンは、現在は小国に成り下がっていますが、18世紀から19世紀にかけてはザンジバル島と現在のソマリアからモザンビークまでの東アフリカのインド洋沿岸地帯を支配する一大海洋国家で、
ザンジバルは、東アフリカとアラビア半島とインドを結ぶインド洋の海上交易の中心地として繁栄し、主要な交易品は、奴隷、香辛料、象牙などで、一時はオマーンの首都がこのザンジバルに移転されています。
東アフリカのインド洋沿岸とザンジバル島を交易のために訪れたアラブ商人と現地の黒人が混血して生まれたのが東アフリカのインド洋沿岸に住むスワヒリ族で、彼らが話すアラビア語と現地の黒人言語がミックスした言葉がスワヒリ語です。
スワヒリ語はアラブの奴隷商人たちが奴隷や象牙を求めてアフリカ大陸の内陸部へ進出するにしたがってこれらの地域にも広がり、現在はケニア、タンザニア、ウガンダ、コンゴ民主共和国東北部などで話される主要言語になっています。
ザンジバルにはアラブ人が作った砦やオマーンのスルタンが住んでいた宮殿、有力な奴隷商人たちの館やイギリス人探検家によるナイル源流発見の探検の基地となった旧英国領事館などの建物が残っていて、
中心の町、ストーンタウンは迷路のような狭い路地が入り組む、アラブ的であると同時にアフリカ的でもある非常にエキゾチックで魅力的な町になっています。
今回のわたしの旅行の一番の目的は、このアラブ文化とアフリカ文化の融合したスワヒリ文化の中心地であるザンジバルを訪れることにあったのですが、
ザンジバルには昔、若いときに仕事で短期間、滞在したナイロビを経由して行くことになっていたので、ナイロビの変貌ぶりを見てみたいという気持ちもありました。
また帰路はザンジバルからケニアのインド洋沿岸の港町であるモンバサに飛んで、最近、中国企業によって建設されたナイロビ・モンバサ間の新しい列車、マダラカ・エクスプレスにも乗りたいと思っていました。
これまで海外旅行に行くときは、自宅マンションから地下鉄・南海電車を乗り継い関空まで行くのが普通で、今回初めてリムジンバスを使ったのですが、バスは高速道路をすいすい走りなんと45分で空港ターミナルに着いてしまいました。
なんでもっと早くリムジンバスを使うことにしなかったのだろう?と自分でも不思議でした。リムジンバスの乗り場が遠いわけではなく、自宅から徒歩5分のところにあるのです。
東京に住んでいた頃は、自宅から成田までドア・ツー・ドアで2時間もかかっていたので、大阪に引っ越してから自宅から関空まで地下鉄と南海電車を乗り継いで1時間15分で行けることに感激し、
それより更に速く行ける方法があることに気づかなかったのです。
というような訳で空港には早く着きすぎてしまったのですが、それでも、今回、ナイロビまで乗ることになっているエミレーツ航空のチェックインカウンタ―に行ってみるとすでに長蛇の列ができています。
並んでいたのはジジババとハイミスっぽい中年女のグループが大半を占めるパックツアーの客で、こういう連中がシーズンを外して旅行するんだなと思いました。
全員、どデカイスーツケースを持っていて、アフリカ縦断旅行でもするのかと思ったくらいです。
エミレーツ航空については、わりと評判が良いので期待していたのですが(ファーストクラスに乗るとシャワーが浴びられるそうです)、実際に乗ってみるとごくフツーのエアラインでした。
客室乗務員が横柄かつ無礼な態度を取ることで知られる米系エアラインや下品で騒々しい中国人乗客が多い中国系エアラインよりはもちろんマシですが、タイ航空とかマレーシア航空のレベルです。
湾岸系のエアラインでは、以前、シリアに行ったときに利用したカタール航空が全体的にレベルが高かったです。
エミレーツ航空は、ドバイに本拠を置くエアラインで、エミレーツを利用して中東やアフリカに行く場合、ドバイ国際空港で乗り継ぐことになるのですが、実はわたし、この空港があまり好きじゃないんですね。
ドバイ国際空港は、世界有数のハブ空港だそうで、とにかく広い。ターミナルビルの中を電気自動車が走っているくらいです。
今回は、エミレーツからエミレーツへの乗り継ぎだったので入国手続きをする必要はなかったのですが、異なるエアラインへの乗り継ぎの場合は入国手続きをする必要があって、
その場合は「歩く歩道」を延々と歩かされてイミグレのブースまで行かなければならず、イミグレの前には常に長蛇の列ができています。
これはひとえに仕事をちんたらするイミグレ係官のお陰で、こいつらのせいでいつも長時間、待たされるのです。
ドバイは観光宣伝に力を入れているようだけど、まずこの仕事しないイミグレ係官をクビにして、もっとマトモな人間に代えろ!といいたいですね。
今回はイミグレを通過する必要はなかったけれど、それでも乗り継ぎのフライトの登場ゲートにたどりつくためにエレベータに二回乗って、シャトルカーにも一回乗って、更に歩く歩道を延々と歩かされました。
この空港、広いだけでなく、非常に使い辛い。
日本の空港だったら、真ん中に通路が通っていて、両側に飲食店や免税店が整然と並んでいるんだけど、ドバイの空港ビルではスペースの真ん中に飲食店や免税店が設置されていて乗客はその間を縫って歩かなければならない。
トイレの表示なんかもいい加減で探すのに苦労する。免税店のショーケースの後ろの目立たないところにトイレの入り口があったりするのです。
ようするに建物自体は近代的でも、基本コンセプトは中東のスーク(市場)で、アラブ人はこういう迷路のようなところを歩くのが好きなのでしょう。
こんな使い勝手の悪いドバイ空港で乗り継ぎしなければならないエミレーツ空港をわざわざ選んだのは、関空⇔ナイロビの直行便が存在せず、乗り継ぎ便の中では、このエミレーツ航空のフライトが一番、時間的に短かったからです。
それでも関空⇒ドバイの飛行時間が10時間、ドバイ乗り継ぎの待ち時間が5時間、ドバイ⇒ナイロビの飛行時間が5時間、合計20時間もかかったのですが。ほかのフライトはもっと長い。
たとえば、香港エクスプレス + エティハド航空の組み合わせだと30時間、中国南方航空 + ケニア航空の組み合わせだと27時間もかかるのです。
黒人以外に白人や東洋人の乗客もいたけど、東洋人の殆どは中国人、日本人はわたしを含めて数名です。
飛行機に乗り込むと黒人の体臭が充満していてもうアフリカです。
5時間の飛行後、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港に到着。
なんとナイロビは46年ぶり!
飛行機のタラップを降りて、アフリカの灼熱の太陽を肌に感じると、
「ああ、帰ってきた!」
と感動がこみあげてきて、かってのアフリカの日々が一挙に蘇ってきましたが、感傷に浸ったのもつかの間、すぐにアフリカの現実に直面することになったのでした。
続く