☆ イスタンブールへ
アナトリア高原から黒海沿岸の町、トラブゾンに抜けて、そのままトラブゾンからサムソンまで黒海沿岸の道路を走ったが、
黒海沿岸は、雪に埋もれていたアナトリア山地とは打って変わって気候が温暖で、風光明媚なところだった。
黒海は、実際は黒い色でなく紺碧で、明るい陽光が降り注ぐ中、ドライブするのは快適だった。
もっともわたしの仲間たちは相変わらず、トルコ人と喧嘩ばかりしていた。
あるドライブインの駐車場では、駐車スペースをめぐってトルコ人のトラック運転手とイギリス人のクライブが言い争いになった。
トルコ人の運転手は身長190センチくらいの大男で、いかにも強そうに見えたが、クライブに向かって、
「お前、俺とやる気か?」
といわんばかりに肩をそびやかして近づいてきたとき、なんとクライブはその大男の運転手を一発でノックアウトしてしまったのだ。
クライブはイギリス人としては小柄で身長も170センチそこそこしかなかったが、いかにもジョンブルといった感じの向こう意気の強そうな顔をしていた。
彼は、ビンボー旅行者のわたし達の中でも特別、金がなかったみたいで、ほかの仲間たちがシープスキンのコートやアフガンコートを着ている中、厚手のセーターしか着ていなかった。
食堂でもスープだけを注文し、無料でついてくるパンをスープに浸して食べていた。
それでも金に困っていることに関して、一言も愚痴をいわなかったのは流石だった。
そんなクライブが大男のトルコ人運転手を一発でノックアウトしたのを見て、わたしはイギリス人の“野蛮さ”を見せつけられた気がした。
そしてイギリス人が七つの海を支配することができたのは、もしかして喧嘩に強かったからではないかと思った。
その5年後、わたしはアフリカに行くことになったのだが、アフリカに行ってみて、白人がアフリカで威張っているのは、黒人と較べて体力が優れていることが一因ではないかと考えるようになった。
黒人だって白人に劣らない大柄な体力のある人間はいる。
しかし黒人は“野蛮さ”で白人に劣るのだ。
黒人がなぜアラブ人や白人の奴隷にされたのか?
彼らは獰猛なアラブ人や白人と較べて大人しすぎたからだ。
だからアラブ人や白人の奴隷にされても文句をいわずに黙々と働いたのだ。
サムソンから先の黒海沿岸には、ちゃんとした自動車道路が通っていなかったので、わたしたち一行は再びアナトリア山地に入り、アンカラを目指した。
アンカラには夜中に着いたが、一行はアンカラには泊まらず、そのまま夜を徹してイスタンブールまで夜道をひた走った。
昼間はイギリス人のジョンとジョージが車を運転していたが、夜になるとオーストラリア人のネッドが代わって運転した。
仲間たちがそれほど急いだのは、クリスマスまでに故国に帰りたいと願っていたからだ。 カトマンズでカルロッテと別れたのは、彼女がクリスマスまでにスウェーデンに帰りたがったからで、
特に急いでいなかったわたしは、もっと時間をかけてゆっくりとヨーロッパまで行きたいという理由で、カルロッテと別行動をとることにしたのだが、
テヘランでジョンとジョージの運転するランドローバーに乗ったお陰で、予定よりも早くヨーロッパに入ることになり、結局、ストックホルムには、クリスマスの翌日に着くことになったのだ。
ランドローバーでの移動中、どの道を通るか、どこに泊まるかについて、わたしは一切、相談されることはなかった。
わたしが十分に英語ができなかったからで、そういう細かいことは、わたしと関係ないところで、ほかの仲間が相談して決めていたようだった。
今思うと、わたしは彼らにとって一緒に連れているペットの子犬のような存在ではなかったかと思う。
そのようなわけで、イスタンブールには自分が考えていたより早く着いた。
それでも飛行機だと十数時間しかかからないところを2ヶ月以上かけてやってきたわけで、着いたときはさすがに感無量だった。
イスタンブールのアジア側の埠頭のウシュクダラからフェリーに乗って対岸のヨーロッパ側に渡ったが、フェリーの中で「とうとうヨーロッパに来たか。。。」と感慨に耽っていたら、
オーストラリア人のネッドがわたしを見て、からかうように、
「お前、ヨーロッパに着いたじゃないか」
といった。
彼はテヘランでわたしが日本に帰るといいだしたことを覚えていたのだ。
フェリーには30代半ばのギリシャ女優のメリナ・メルクーリによく似た赤毛の女性が乗っていた。
彼女はレインコートを着ていて、頭にはなにも被らず、海から吹き付ける風に髪の毛が乱れるにまかせていたが、そんな彼女を見てヨーロッパに着いた実感が湧いてきた。
パキスタンから西、イランの首都のテヘランを除いて、女性たちはベールやネッカチーフで頭を覆い、髪の毛を見せることはなかった。
それがここでは女性が自由に髪の毛を風になぶらせている。
それがわたしにヨーロッパに着いたという実感をもたらしたのだった。
続く