☆ カンダハール
カブールに一週間ほど滞在したあと、カブールから500キロほど離れたアフガニスタン第二の都市、カンダハールにバスで移動した。
アフガニスタンに入ってからは、一人ではなく、ほかの旅行者と一緒にグループで旅行するようになっていた。
旅行者同士、話し合って一緒に旅行することに決めたわけでなく、行き先が同じ人間が自然とグループになって一緒に移動するようになったのだが、
インド、パキスタンと一人で旅して散々、怖い目に遭ったあとだったので、仲間がいるのは心強かった。
一緒に旅行していた仲間には、ペシャワール=カブール間のバスで知り合ったオーストラリア人のジムにもうひとりのオーストラリア人のネッド、ドイツ人のカップルなどがいた。
この地域を旅する旅行者がグループで移動することが多かったのは、ひとつには貧乏旅行者の移動ルートが大体、決まっていたからだ。
当時は、東京は新宿の風月堂からイスタンブールのジャムショップまでヒッピーロードともいうべき移動ルートができていて、
アフガニスタンから西は、この移動ルート上にあるアジアンハイウェイと呼ばれる幹線道路をバスで移動し、500キロくらいの間隔で存在する宿場町とも呼ぶべき町に着いたら、
その町にあるバックパッカーご用達の安宿に泊まって旅行するというのが大半のバックパッカーの旅のスタイルで、同じルートを移動する旅行者が自然とグループになったのだ。
この標準ルートを外れない限り、移動は非常に簡単で、若い女性でも一人で旅をすることができた。
ヘラートの安宿でプラチナブロンドの長い髪が美しいフィンランドから来た女の子に出会ったことがある。
彼女は、ちょっと大きめの手提げ鞄だけをもって旅行していて、そのあまりに身軽な装いに驚いたが、
話を聞いてみると、彼女は最初はギリシャを旅行したいと思って故郷のヘルシンキを出たという。
そしてギリシャのアテネまで行って、そこで知り合った旅仲間についでにイスタンブールに行かないかと誘われてトルコまで行き、そのままズルズルとアフガニスタンまで来てしまったというのだ。
当時はトルコ、イラン、アフガニスタンを旅行するのは、それほど簡単で容易なことだった。
このアジアとヨーロッパを結ぶ移動ルートは、ヨーロッパから南回りで日本に帰国する日本人旅行者とわたしのような日本から南回りでヨーロッパに行く旅行者の出会いの場にもなっていた。
当時はまだ日本人の旅行者が少なかったので、現在のように日本人宿と呼ばれる日本人ばかりが宿泊する安宿は存在しなかったが、それでも大抵の安宿には少なくとも一人は日本人旅行者が泊まっていて、
その日本人旅行者がヨーロッパから南下してきた場合は、ヨーロッパ、特にわたしがこれから行って働くつもりにしていたスウェーデンの情報を入手することができた。
しかし彼らから聞くスウェーデンの状況は芳しくなかった。彼らは異口同音に現在、スウェーデンは不景気で、仕事を見つけるのは難しいというのだ。
中には、スウェーデンで働くつもりでスウェーデンに行ったにも関わらず、仕事を見つけることができず、諦めてそのまま日本に帰ることにしたという日本人もいた。
わたしは日本を出るときに、スウェーデンで働くことを前提にして片道の旅費しか持って出なかった。
もしスウェーデンまで行って仕事が見つからなければ、一文無しで路頭に迷うことになる。
そのため、スウェーデンで仕事を見つけるのは難しいという情報に接して、かなり悩んでしまった。
そんな悩みを抱えながらも、カンダハールでは楽しく過ごした。
カンダハールは、アフガニスタン第二の都会だが、その名前はアレキサンダー大王の中東読みであるイスカンダールから来ているらしかった。
実際、アレキサンダー大王は、東西の交易路をつなぐ要衝であるこの町を通過して、インドに向かったのだ。
アフガニスタン第二の都会といっても、カンダハールで電気が供給されるのは週に三日だけ、それ以外の夜は人々はランプを使って生活していた。
通りに面した工房の中で、靴職人がランプの灯の下で靴を修理している姿を目にしたことがあるが、おそらくそれは何百年も変わらぬ中世そのままの光景だっただろう。
カンダハールでは、オーストラリア人のジムと一緒にモスクに入ったことがある。
アフガニスタンでは、異教徒はモスクに入れなかったのだが、ジムもわたしもアフガンコートと呼ばれる刺繍の入った民族衣装を着ていたので、もしかしてアフガン人で通るのではないかと思ったのだ。
ちなみに当時の貧乏旅行者の間では、ネパールのカトマンズで赤い縞模様の布のずた袋、アフガニスタンでアフガンコート、イスタンブールで知恵の輪みたいな三連リングを買うのが約束事だった。
モスクに忍び込んだジムとわたしは、座ってお祈りをしている現地の男性たちの列の後ろに神妙に座っていたが、そのうち「外国人がいる」と囁きがさざ波のように広がり、これはヤバいと思ってすぐに逃げ出した。
そんな失敗もあったけど、カンダハールは本当に平和で穏やかなところだった。
続く