☆ ペシャワールの恐怖の一夜
ペシャワールの町で銃器店の親父と知り合って、彼の家に泊めてもらうことになった。
親父は人の良さそうな人間で、悪い奴には見えなかったので、好意に甘えることにしたのだ。
親父の仕事が終わって店のシャッターを降ろし、近くの食堂で羊肉のハンバーグの夕食をとってから、オートリキシャに乗って親父の家に向かった。
しかし「すぐ近く」にあるという親父の家に走っても走っても着かない。
その夜は、月の出ていない完全な闇夜だった。
こんな人里離れたところで殺されて金品を奪われ、死体を捨てられても誰にも見つからないだろう、と思うと、だんだん怖くなった。
そのうち親父は You are very cute ! などと言い出してわたしの身体に触ってきたので、わたしはパニックに陥った。
「ペシャワールの町に戻る」と言い出したわたしを親父が必死になだめているうちに車は突然、停まった。
鼻をつままれても分からないような真っ暗闇で、周囲に家があるように見えない。
わたしは、てっきりここで「殺される」と思った。
しかし、わたしは殺されなかった。
実際にオートリキシャが停まったところに親父の家があったのだ。
そこはたぶん、母屋から離れた客を泊めるための独立した棟で、中は20畳ほどの広さで、土間の上に質素なベッドが二つ置いてあった。
わたしは片方のベッドで寝て、親父はもう片方のベッドで寝たが、疲れていたわたしはすぐに寝入ってしまった。
夜中に手の指先がなにかぶよぶよしたものに触れる感触で目が覚めた。
見ると親父がわたしの横に添い寝していた。
ぶよぶよした感触は、親父の太鼓腹だったのだ!
なぜ親父がわたしのベッドにいるのか!
咄嗟にわたしが思ったのは、親父がわたしの金を盗みにきたのではないか、ということだった。
わたしはトラベラーズチェックや現金、パスポートなどの貴重品は、貴重品袋に収めて腹巻に入れていた。
慌てて腹巻に手をやると、貴重品袋は腹巻の中にたしかに納まっている。
ホッとすると同時に金目的でないなら、なぜ親父がわたしのベッドにいて、わたしに添い寝しているのだろう?という疑問が湧いてきた。
なんともいえない気味悪さと恐怖が襲ってきた。
わたしは半分、寝ぼけながらも、必死で親父にベッドから出ていくように哀願し、親父は「よしよし、わかった」という感じで、わたしの肩をポンポンと叩いて、そのままベッドを出ていった。
親父がベッドから出ていったことを確認したわたしは安堵し、また寝入ってしまった。
目が覚めたらもう朝だった。
親父がミルクティーとビスケットという簡単な朝食を盆に載せてもってきた。
ベッドの前の小さなテーブルに向かい合って座ってそれを食べたが、親父は前夜の出来事についてなにもいわなかったし、わたしもなにも訊かなかった。
お互い無言のままで一言も口を効かず、黙々と朝食を食べたが、親父はかなり気まずそうな顔をしていた。
朝食を食べ終わって、ペシャワールの町に帰りたいと親父にいうと、家の前を通る乗り合い馬車に乗れば帰れるという。
家を出るとすぐに乗り合い馬車がやってきた。
馬車の荷台には、ペシャワールの町に働きに行くらしい男たちが乗っている。
もう11月も半ばをすぎていて早朝の空気は肌寒く、男たちはみんな身体にショールを巻いていて、吐く息は白かった。
馬車に乗ったわたしは、馬車を牽く馬のポカポカという蹄の音を聴きながら、
「昨夜のアレはいったいなんだったんだろう」
とぼんやり考えていた。
その期に及んで、わたしはまだ親父の意図するところを計りかねていた。
二十歳のわたしはそれだけ純情だったのだ。
続く