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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(24)

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☆ ペシャワールへ

デリーからアグラへ行って、タージマハールを見物したあと、そのまま鉄道でパキスタンのラホールに向かった。

たしかフェロスポールというインド側の鉄道の駅を通って国境を越えたと覚えている。

ラホールは、ムガール帝国の古都として栄えたところだが、私の記憶に残っているラホールは、舗装されていない泥んこ道に馬糞が散らばっている汚い町だった。

馬糞が目立ったのは馬車が多いせいで、パキスタンでは、自動車も走っていたが、馬車もまだ現役の輸送手段として活躍していたのだ。

ラホールには泊まらずに、そのままアフガニスタンとの国境の町、ペシャワール行きの夜行列車に乗り継いだ。

列車は、ラッシュアワーの日本の通勤電車並みの混みようで、一晩中、立ちっぱなしだった。


わたしの前に田舎の伊達男といった感じの三つ揃いのスーツを着た若い男が立っていて、わたしの身体に触ってくる。

Don’t touch me ! と叫んだが効き目がない。

You arebeautiful ! などといいながら平気で触ってくる。

周囲の男たちは、好色そうな目つきで、ニヤニヤ笑いながら見ている。
普通だったら離れた場所に移動するのだが、満員電車並みの混み具合なのでそれもできない。
パキスタンは、日本人バックパッカーの間ではホモの国として知られているそうだが、この国を旅している間中、男たちのセクハラに悩まされた。
朝、ペシャワールに着いて、リュックを駅に預けて身軽になって町に出た。
ペシャワールの町では、大柄で背が高く頭にターバンを巻いて顎鬚を生やした精悍な顔つきのパシュトゥーン人をよく見かけた。
彼らは、ライフルを肩から吊るし、銃弾ベルトをけさ掛けにして通りを歩いていて、まるで西部劇だった。
パシュトゥーン人は、アフガニスタンにも住んでいて、現在、タリバンの主力を構成しているが、銃の名手として知られている。
崖の上から下の道を通るトラックをめがけて撃って、トラックの運転手が咥えているタバコの先端だけを撃ち落とすことができるといわれている。
パシュトゥーン人が持っている銃はすべてペシャワールの町の工場で作られている。
町工場で作られているのはすべて欧米製の銃器の模造品で、町には銃器店が何軒もあり、それら模造品が堂々と売られていた。
そんな銃器店の一つを見つけ、めずらしいのでショーウィンドウを覗いていたら、店の中にいた恰幅の良い親父が手招きして中に入って来いという。
親父に日本人かと訊かれ、そうだというと、自分は昔、神戸に行ったことがある。日本は大好きだと歓迎してくれた。
親父は店内に陳列してある様々な銃をみせてくれ、有名なコルト45(これも模造品だったが)を手にとって触らせてくれたりした。
今晩はどこに泊まるのか、と訊くので、ユースホステルに泊まる予定だというと、ユースホステルはやめとけ、汚いし、床に直接、寝なければならない、ユースホステルに泊まるくらいなら、俺の家に泊めてやるから来ないか、という。
親父は親切そうな人間に見えたが、インドを旅行したあとだったので、親切なことをいって近づいてくる人間には注意しなければならないことは知っていた。
それでとりあえずひとりになって考えようと思い、親父に駅に預けたリュックを取りに行くといってその店を離れた。
駅に戻ってリュックを受け取り、待合室のベンチに座ってどうしようかと考えた。
散々、考えたあげく、あの親父に悪意はなく、純粋に親切心から家に泊まれといってくれているのだという結論に達した。
なにより、ユースホステルでは床の上に直接、寝なければならないといわれたのが大きかった。前の晩、夜行列車で一睡もできなかったので、今夜くらいまともなベッドで寝たかったのだ。
しかしあとから考えてみたら、床に直接、寝なければならないというのは親父の言葉であって、それが本当だったかどうかはわからない。わたしを自分の家に泊まる気持ちにさせるためにわざとそう言った可能性もあるのだ。
実際、親父はわたしにたいして悪気はなかったと思うが、別の下心はあったのだ。
だいぶ時間が経ってから銃器店に戻ると、親父が駆け寄ってきて、「どうしたんだ。中々、戻って来ないから心配したよ」といった。
昨夜、寝ていないといったら、夕方、店を閉めるまで二階の部屋で寝ていろといって、ベッドのある部屋に案内してくれた。
そこで夕方まで休んで、店を閉じた親父と一緒に近くの屋台のような食堂に行って、馬糞みたいな大きさの羊肉のハンバーグを食べた。付け合わせはスライスした生の玉ねぎだった。
この野趣溢れる夕食をとったあと、親父と一緒にオートリキシャで、町の郊外にあるという親父の家に向かった。
いつのまにか、親父の弟という中年男も一緒に乗ってきて、わたしは大男二人に挟まれた形で座ることになった。
親父は家はすぐ近くだといったが、中々、着かない。もう夜になっていたが、月は出ていず、あたりは真っ暗闇だ。
行けども行けども車は停まる気配はない。
わたしはだんだんと心細くなってきた。
こんなところで殺されて金品を盗られて死体を捨てられても、絶対にわからないだろう。
親父の甘言につられて付いてきてしまった自分の軽率が悔やまれた。
「まだ着かないの?」と何度も尋ねたが、親父は「もう少しだ」というだけである。
そのうち、You are very cute ! などと言い出して、わたしの身体を抱くので怖くなり、ペシャワールの町に帰りたい!と言い出したら、親父はびっくりして、「大丈夫だよ。心配ないよ」と子供をあやすようにいう。
わたしはベソをかいて、何度もペシャワールの町に戻ってくれと哀願し、そんなわたしを親父が必死でなだめているうちに、車は突然、停まった。
鼻をつままれてもわからないほどの完全な真っ暗闇で、周囲になにがあるかまったくわからない。
「ここで殺される」

とわたしは思った。

続く

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