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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(22)

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☆ デリー(続き)
デリーのユースホステルに宿泊していた中で、ひどく落ち込んでいた人間がいた。
アンドリューというイギリス人の青年で、3週間前に所持していたトラベラーズ・チェックを全額、盗まれたのだという。
トラベラーズ・チェックは盗まれても、番号を控えておけば、再発行を受けることができる。
ただ、再発行を受けるためには、そのトラベラーズ・チェックを発行したイギリスの銀行の支店にまで出向く必要があるという。
アンドリューは、今、インドにいるからイギリスに行くことができない。
それでイギリスにいる両親に手紙を書いて、トラベラーズ・チェックを発行した銀行の支店に行って再発行の手続きをして、再発行されたトラベラーズ・チェックをその銀行のデリーの支店で受け取れるようにして欲しいと頼んだという。

「今朝、お父さんが玄関の郵便受けに郵便物を取りにいったとき、突然、お父さんの大きな叫び声が聞こえました。そのとき、私はすぐにあなたの身になにか起こったのだと直感しました。。。。再発行の手続きはすぐにします。。。」
アンドリューが見せてくれた彼の母親の手紙にはこう書いてあったが、母親から再発行の手続きをしたという手紙が届いたにもかかわらず、新しいトラベラーズ・チェックが中々、デリーの銀行の支店に届かないのだという。
新しいトラベラーズ・チェックが届くまでは、金を遣うことができないので、アンドリューはやることがなく、ユースホステルに閉じこもって、悶々と時を過ごしていたのだが、 彼の母親の手紙を読んで、国籍に関係なく、海外貧乏旅行に出かけた息子を想う母親の気持ちは同じだなと思った。

当時のインドでは、アンドリューのようなイギリス人の若者の旅行者を多数、みかけた。

イギリスの中流の下くらいの階級の人間が多かったように思うが、そのほとんどがヒッピーみたいな汚いなりをした貧乏旅行者であったにも関わらず、

インド人にたいしては非常に横柄な態度で、ちょっとでも気に食わないことがあると怒鳴り散らしていた。 そして不思議なことにインド人たちは、彼らに怒鳴られても反論せず、卑屈な態度で応対していた。

インドがイギリスから独立して20年も経っているにも関わらず、イギリス人の若者がインドでまだ植民地の宗主国の人間であるかのように振舞い、

インド人がそれにたいして反抗的な態度を見せずに受け入れているのが、わたしには不思議でならなかった。

もっとも現地の人間にたいして傲慢な態度を示すのは、イギリス人だけでなく、すべての白人旅行者に共通していたことで、旅行中には白人旅行者による理不尽な行為を目にする機会が多かった。

たとえば、アフガニスタンを白人旅行者のグループと一緒にバスで旅行していたときのことである。

わたしたちのグループは、最後にバスに乗り込んだので、バスは後部座席しか空いていなかった。

それで仕方なく、みんな後部座席に座ったのだが、後部座席は座り心地がよくない。

ところが、途中でトイレ休憩があってバスに戻ってきたとき、わたし以外の白人の旅行者たちは、ほかの乗客への断りなしに、前の方の座り心地のよい座席に移ってしまったのだ。

それらの座席はすでに現地人の乗客が座っていた座席で、当然のことながら、彼らは自分たちの座席を占拠している白人旅行者に文句をいったのだが、

白人旅行者たちはその苦情を無視して、座席に居座り続けたのだった。

わたしはインドからトルコまで陸路で旅している間によく現地人の若者から親しみを込めて話しかけられることがあったが、そういうとき、彼らはわたしと一緒にいる白人旅行者の存在は完全に無視していた。

いまから思うと現地の若者の間には、自分たちの国に来て傍若無人に振舞う白人旅行者にたいする反感があったのかもしれない。

幸いなことに、現在では発展途上国を旅行する白人ツーリストの間で、このような人種差別的な行動を取る人間をみかけることは少なくなった。

まったくいないわけではないが、昔と比べると随分と減ってきている。

それだけ白人旅行者のマナーが向上してきているということだが、逆にいえば、白人たちはほんの50年ほど前までは、平気で人種差別をやっていたのである。

アンドリューの待ちに待ったトラベラーズ・チェックが届き、アンドリューは、そのお祝いだといって、わたしをコンノート・プレースの高級レストランに連れていってくれた。

白いリネンのテーブルクロスのかかったテーブルに、銀の食器が並んでいるレストランで、白い制服を着て頭に白いターバンを巻いて、立派な髭を生やした中年のインド人の給仕がサービスしてくれた。

食事料金は一人頭、5ルピーくらい、アンドリューが気前よく1ルピーのチップをはずむと、インド人の給仕は最敬礼して受け取った。

レストランの帰途、アンドリューが、

「しまった! もう銀行が閉まる時間だ。ブラックマーケットで両替しなければならない」

といいだしたので、何をいってるのか意味がわからず、彼の顔をみてしまった。

インドでは、安い公定レートでしか両替できない銀行を避けて、街中のブラックマーケットで両替するのが旅行者の常識だったので、ブラックマーケットでしか両替できないという彼の言葉が理解できなかったのだ。

実はこの時期、1ポンド=1008円だったイギリスポンドが864円にまで大幅に切り下げられたのだった。

イギリスは昔、七つの海を支配するといわれた帝国だったが、第二次大戦後は、植民地が次々と独立したために、かってのように植民地から富を得られなくなっていた。

その結果、戦後、イギリス経済は急速に衰退していったのだが、その衰退がはっきりと目に見える形で現れたのが、このときのポンド切り下げだった。

この急速かつ大幅なポンドの切り下げによって、ブラックマーケットのポンドの交換レートが銀行の公定レートを下回るという逆転現象が起こってしまったのである。

この後、イギリスは、70年代後半にサッチャー首相が現れるまで、「イギリス病」と呼ばれた長期の経済低迷に悩むことになる。

続く

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