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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(21)

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☆ デリー
ベナレスに数日、滞在したあと、また三等列車に乗ってデリーに向かった。
夜行列車に乗ったのだが、いつものように列車は混んでいて席には座すことはできず、一晩中、立ちっぱなしだった。
列車の座席は向かい合わせになっていて、乗客がぎゅうぎゅう詰めに座っていたが、ひとつだけ16、7歳のサリーを着た美少女が独占している座席があった。
詰めれば5、6人は腰かけられるその座席のスペースを彼女はひとりで占領し、座席の上に横たわって優雅にくつろいでいたが、ほかの立っている乗客が文句をいわないのが、不思議だった。
彼女には悪びれたところはまったくなく、艶然と微笑みながら、周囲を睥睨しているその様は、貧乏人しか乗っていない三等列車に間違って乗り合わせたお姫さまのようだった。

列車は24時間かかってデリーに到着し、デリー駅からデリーのユースホステルへタクシーで向かった。
デリーはインドの首都で、妃のためにタージマハールを建てたことで知られるムガール帝国の皇帝シャージャハーンが建設したオールドデリーと、インドがイギリス植民地になってからイギリスが建設したニューデリーから成っている。
ユースホステルはイギリスが建設したそのだだっ広いニューデリーの市街地から少し離れた小高い丘の上の雑木林の中にあった。
ホステルの宿舎は、かなり広い男女共用の大部屋で、木の枠の底板部分に縄で編んだ敷き布が張られている簡易ベッドが並び、宿泊客はその上に寝袋を敷いて寝るようになっていた。
宿舎は建てられてから一度も掃除されたことがないようで、床に溜まった埃は、10センチくらいの厚さになっていた。
朝、このホステルに長逗留しているらしいイギリス人の青年が「チャ~イ!」と叫ぶと、ホステルの管理人兼小遣いの初老のインド人がみんなのためにミルクティーを作ってもってくる。
ミルクティーと一緒にわれわれがモンキーバナナと呼んでいた短小のバナナが一房、付いてきて、それが朝食だった。
朝食の値段は、チャイが25パイサで、バナナが1ルピー、締めて1ルピー25パイサで、ホステルの一日の宿泊料は1ルピーだったので、朝食の料金の方が宿泊費よりも高かったことになる。

当時、公定レートで1ドルは7.5ルピー­、1ドル=360円で計算すると、1ルピーは50円ほどになる。闇レートでは1ドル9ルピーほどで1ルピーは約40円だったので、当然のことながら、両替は闇でおこなっていた。

昨今の1ルピー=1.8円などという為替レートを聞くと、この間の円高、ルピー安の進展の凄まじさに驚かされる。

毎朝、みんなのためにチャイを注文してくれるイギリス人の青年は、ガールフレンドと一緒にホステルに泊まっていたが、夜は全裸で寝袋に入って寝る習慣で、朝、起きると寝袋から全裸ではい出てきて、白いパンツを穿くのだが、
そのパンツはボロボロに破れていて原型をとどめておらず、穿いても腰の周りにボロ切れが垂れ下がっているだけの状態だった。

本来、布地で包まれるべき股間のモノも丸出しで、パンツの役目はまったく果たしていなかったのだが、それでも毎朝、律儀にそのボロ切れと化したパンツを穿く彼の姿にイギリス人の躾の良さのようなものを感じた。

わたしはデリーに着いてから、しばらくこの殺風景なホステルに引きこもってぼーっと過ごしていた。

情けない話だが、一人で外出するのが怖くなったのだ。

カトマンズからこっちずっと一人で旅してきたが、混みあった三等列車での移動に体力と神経をすり減らし、

デリー駅からユースホステルに向かうために乗ったタクシーでは、頭にターバンを巻いたシーク教徒の運転手に料金をボッタくられるという目に遭い、インド人の顔を見るのも嫌になった。

そんなわたしをユースホステルから連れ出してくれたのが、同じホステルに泊まっていたドイツ人のハンスだった。

彼は年の頃、20代半ば、ヤマハの360ccのオートバイを持っていて、そのオートバイに乗ってドイツからインドまでやってきたという。

彼の最終目的地は日本で、1年か2年滞在して茶の湯と柔道を習いたいといっていた。

「君は日本では毎日、家でティーセレモニーをやってるのかい?」

と訊かれて、高校の家庭科の時間に学校の和室で茶の湯の真似事を経験しただけのわたしは答えに窮した。

「日本では茶の湯なんて一部の人間しか嗜まないよ」

といいたかったけど、せっかくの彼の夢を壊すのも気の毒な気がして黙っていた。

ハンスはわたしをオートバイの後部座席に乗せて、デリーのあちこちの観光名所に連れていってくれた。

しかし、どんなところに行ったのか、殆ど覚えていない。

このときだけでなく、その後の旅行の経験からいっても、車をチャーターして何ヶ所かの名所旧跡を短時間に効率よく回ると印象が散漫になり、あとから思い出そうとしてもよく記憶していないことが多いのだ。

このとき行った場所で、今でも覚えているのは、下から見上げるとピサの斜塔みたいに傾いて見えるクトゥブ・ミナールという塔だけである。

それでもわたしをあちこち連れまわしたハンスには感謝している。

彼のお陰で、わたしの引きこもりは重症にならず、比較的早期に治ったからだ。

続く

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