☆ ナガルコット
カトマンズに滞在中、カトマンズ郊外のヒマラヤ山脈を眺めることができる展望台のあるナガルコットに行った。
泊まっていた安宿で客引きをやっている若い男と仲良くなって、彼がナガルコットに案内してくれるというので一緒に行ったのだ。
カトマンズからナガルコットまでのルートは、観光客に人気のトレッキング・コースになっていて、ピクニック気分でゆっくりと歩いていった。
途中で案内の若者の実家の農家に立ち寄って、彼に頼まれて、十人以上はいた大家族の写真をたくさん撮ったのだが、残念ながら、その写真は残っていない。
わたしが持っていたカメラは、日本を出るときバイト仲間がタダでくれた、「もしかしたら故障しているかもしれない」カメラで、
カメラに興味のなかったわたしは、わざわざ高い金を出してカメラを買うよりはマシだと考えて、そのカメラを貰って旅行に出たのだが、ヨーロッパに着いてからフィルムを現像に出したら一枚も写真が写っていなかったのだ。
カメラをくれたバイト仲間がいっていたようにカメラが故障していたのか、それともわたしの撮り方が悪かったのか、よくわからないが、
お陰でこのとき撮った若者の家族の写真だけでなく、ヨーロッパまでの道中にちょくちょく撮った写真も一枚も残っていない。
ただわたしは元々、写真に興味がない人間なので、写真が写っていなかったことがわかってもそれほどがっかりはしなかった。
そもそもわたしは旅先で写真をやたらと撮りまくる日本人旅行者に批判的で、なんでもかんでもいちいち写真に撮らなければ気が済まない人間の方がおかしいのではないかと思っている。
観光地に行っても、忙しく写真を撮るのではなく、ゆっくりと自分の肉眼で景色を眺めたいと思う人間なのだ。
ナガルコットの展望台から眺めたびっくりするほど高いところに屏風のように聳え立っていた標高8,000メートル級のヒマラヤの峰々の崇高な姿も写真には残っていないものの、しっかりと目に焼き付いていて、
今でも目を閉じるとはっきりと瞼によみがえってくる。
ナガルコットには夕方に着いて、その夜は山小屋に泊まり、翌朝、日の出の時間に展望台からヒマラヤの山々を眺めたのだが、
登山には関心がないので、どの山がエベレストで、どの山がマナスルなのか、個々の山々の区別まではつかなかった。
それでもヒマラヤの山並みを眺めることができたことに満足して、一泊二日のトレッキングを終えてカトマンズに戻ったのだが、
カトマンズに戻ってから、ナガルコットに案内してくれた若者が、わたしを土産物店に連れていって、
アラジンの魔法のランプのような真鍮製のランプや勇猛で知られるネパールのグルカ族が使う三日月形のグルカ刀など店にあるガラクタを買うようにしつこく迫るのでうんざりして、しまいには彼と喧嘩別れしてしまった。
冷静になって考えると、ネパールの貧しい農家に生まれて、安宿の客引きをやっているような若者が、わざわざ仕事を休んでナガルコットまで連れていってくれたのだから、見返りを期待しない筈はない。
彼としては、わたしを土産物店に連れていってなにか買わせてコミッションを取らなければ、割があわないと思ったのだろう。
しかし彼は最初、わたしと友達になりたいといって近づいてきて、彼の方からナガルコットに案内すると言いだしたのだ。
それで、わたしは彼が純粋な好意でナガルコットに案内してくれると信じてしまったのだが、
実際、ナガルコットに行ったときには、金のことなど一切、口にしなかったし、なんらかの見返りを期待しているようにも見えなかった。
それがカトマンズに戻った途端、態度が一変し、なにかにつけてわたしにたかるようになったのだ。
このような経験はネパールだけでなく、その後に旅行したエジプトやモロッコでもした。
エジプトやモロッコでも、土地の若者が寄ってきて、親切に家に招いてくれて、お茶をご馳走してくれたり、あちこち案内してくれることがあった。
そういうとき、彼らは決まって、「これで俺たちは友達だね」と確認するようにいう。
それでわたしが「ああ友達だよ」と答えると、途端に物をねだってきたり、知り合いの絨毯屋に連れていって高い絨毯を買わそうとするのだ。
彼らにとって「友達」というのは、図々しく物をねだったり、金を稼ぐために利用できる人間のことをいうらしいが、
こちらは友達というものは、そういうものだとは思っていないので、最後はお互い裏切られた気持ちになって喧嘩別れして、後味の悪い思いをすることになる。
彼らがこの「友達作戦」を使うのをやめて、もっとビジネスライクにアプローチしてくれる方がずっと気が楽だと思ったものだ。
たとえばナガルコットに連れていってくれた若者が、最初に「これだけ払ってくれたら、あなたをナガルコットに案内できる」といって、ガイド料金を提示していたら、
それがリーズナブルな価格であれば、その料金を払ってガイドを頼んでいただろうし、後でお互い嫌な思いをしなかっただろう。
しかしネパールでも、エジプトでも、モロッコでも、観光客にたかる若者たちは絶対にそういうアプローチを取らない。
あくまでも最初に「友達」になりたがるのだ。
多分、そういう文化なんだろうが、外国人には中々、理解できない文化で、異文化理解なんて口でいうのは簡単だけど、実際には容易ではないことは、海外を旅して学んだことのひとつだった。
続く