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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(17)

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☆ カトマンズ

カトマンズでは一泊70円ほどの安宿に泊まった。

大部屋で、板張りの床に畳一枚くらいの大きさの布が間隔を空けてずらーっと並べて敷いてあって、その布の上に自分の寝袋を敷いて寝ることになっていた。

カルカッタからの列車で一緒だったアメリカ人の弁護士もわたしに付き合って、この安宿に泊まったのだが、一泊しただけで根をあげて、もっとましなホテルに泊まるといって出ていった。

わたしが想像していたように、彼は別に金がないわけではなく、貧乏旅行者の気分を味わってみたかっただけのようだった。

カトマンズでは先に来ていたカルロッテとドイツ人夫婦とも再会した。

現在のカトマンズは、交通渋滞が激しく、排気ガスによる大気汚染が問題になっているそうだが、当時は通りを走っている車も少なく、わたしとカルロッテは通りの真ん中を並んでゆっくりと歩いていた。

二人で壁に大きな目玉が描かれているお寺に行ったことを覚えている。このお寺の正式な名前は知らないが、境内にサルが沢山いたので、わたしたちはモンキーテンプルと呼んでいた。

当時はヒッピー文化華やかなりし頃で、カトマンズは欧米人のヒッピーで溢れていた。

ヒッピーたちは、亡命チベット人が経営する「ブルーチベッタン」というレストラン兼コーヒーショップにたむろして、ビートルズの曲がガンガン鳴る中、日がな一日、大麻を吸っていた。

大麻には、大麻の葉を乾燥させたマリファナと樹脂を固めたハッシーシの2種類あるが、カトマンズではみんなハッシーシを吸っていたような気がする。

中には、焦点が定まらない虚ろな目をしている連中もいて、彼らはもっと強い麻薬をやっていたのではないかと思う。

日本ではマリファナが禁止薬物に指定されていて、個人的に所有しているだけで罰せられるが、日本の世論がマリファナ使用にたいして厳しいのは、ひとつには日本がアルコール文化圏に属しているせいではないかという気がする。

世界には、大別してアルコール文化圏とマリファナ文化圏の二つがあり、インド、中東、北アフリカなどのマリファナ文化圏では、日本と反対で、飲酒には厳しいが、マリファナの吸引には寛大である。

欧米は元々は日本と同じアルコール文化圏であるが、最近はマリファナが浸透してきてアルコールとマリファナの混合文化圏になっているが、

そもそも欧米でマリファナが普及し始めたのは、60年代のヒッピー文化のお陰で、当時の欧米の若者の間では、マリファナを吸うことが反体制的でカッコいいとされたのである。

カトマンズに多くの白人のヒッピーたちが集まったのも、大麻が安く手に入るという理由が大きかったと思うが、彼らを見ていて、「ヒッピーごっこ」をして遊んでいるだけではないのか、という印象をもった。

彼らを見ていると、小奇麗な服を着せられて育った子供時代がなんとなく想像できた。

そんな彼らにとって、ヒッピーになって汚い恰好をするのが楽しいのではないかと思ったのだ。

所詮、彼らは豊かな先進国で育った甘やかされた若者たちで、物価の安いネパールのような発展途上国にやってきて、現地の人々の寛容さに甘えて、好き勝手に振舞っているだけに見えた。

それでもヒッピーたちの奇抜な装いは、わたしの目を楽しませてくれた。

カトマンズ郊外のヒマラヤ連峰の見える展望台のあるナガルコットまでトレッキングしたとき、

ウェストを紐で絞っただけの丈の短い簡素な白いドレスを身にまとって裸足で歩いている金髪の妖精のように美しい少女と、
西洋の絵画でよく見るイエス・キリストそっくりの、金髪を長髪にして髭を伸ばし、白い長衣を着て、細長く畳んだ毛布を肩にかけて裸足で歩いている若い男のカップルが山道を下りてくるのに出会ったときは、
まるで絵から抜け出してきたようなその姿に感動を覚えた。
ある夜、泊まっていた安宿にサンタクロースみたいな大きな袋を担いだ中年男がやってきて、自分はチベットからやってきたチベット人だといい、袋の中から小さな仏像を取り出して売りつけようとしたことがあった。
それであらためてネパールがチベットの隣国であることを思い出したのだが、当時、チベットは外国人に開放されていなかった。
それでも日本人なら外見はチベット人と変わりないのだから、こっそり行けばチベットに入れるのではないかと、日本人なら誰でも考えるようなことを思った。

もちろん、思っただけで実行はしなかったが、その後、河口慧海の「チベット旅行記」を読んで、チベット潜入もそんなに楽ではないことがわかった。

チベットといえば、もうひとつ忘れられない本がある。中学生のときに夢中になって読み耽ったロブサン・ランパの「第三の目」である。

チベット貴族の家に生まれたロブサン・ランパは、占いによりある高僧の生まれ変わりであると認定され、7歳で仏教寺院に入って修行を積み、人の心の中が見える第三の目を授かるという話で、

チベットへの憧れを大いに掻き立てられたのだが、後にこのロブサン・ランパがチベット貴族の末裔であるというのは真っ赤な嘘で、その正体はアメリカ人であることが判明した。

わたしがカトマンズにいたときは、まだロブサン・ランパの正体は暴かれていなくて、若い欧米人旅行者の間で彼の人気は高く、誰に訊いても彼の本を読んだことがあるといっていた。

実際、デリーの本屋の店頭では、彼の本が平積みにして売られていた。

続く

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