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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(15)

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☆ カルカッタ(続き)

ハウラー駅を出ると、外の状況はもっと凄まじかった。

カルカッタの街には、ありとあらゆる種類の不具の乞食が溢れていた。

片腕が欠損しているとか、片脚がないとか、そういうありふれた不具では稼げないとでも思っているだろうか、

いったい、どのようにして育てたらこのような奇形ができるのか不思議に思えるような、四肢と胴体が複雑にねじれ、折れ曲がっている子供もいた。

中国人が女性の足を締め付けて纏足を作るように、見世物にするために、小さいときから特殊な装置を使って身体を歪めるのではないかと思った。

下半身がまったくない、上半身だけの乞食もいた。

彼は四隅に小さな車輪が付いた四角い板に乗って、両手で地面を押して移動していたが、わたしをみると獲物を見つけたハンターのように全速力で突進してきた。

わたしはこのエネルギーに溢れ、元気一杯な乞食をみて、驚嘆に近い感動を味わった。

もし自分がこのような不具に生まれていたら、人生を悲観して一生、引きこもりの生活をおくることになるだろう。しかし彼は障害を持つことから来る暗さを微塵も感じさせなかった。

むしろ、めずらしい不具者に生まれたことを逆手にとって、乞食として逞しく生きているという印象で、その旺盛な生命力に溢れた彼と一対一で対決したら絶対に負けると直感し、慌ててその場から逃げ出したのだった。

インドを旅していると分かるが、インドでは乞食はひとつの職業として確立している。

そのせいか、インドの乞食は堂々としている。

彼らは、道行く人に哀れみを乞うのではなく、攻撃的ともいえる態度で金銭を要求してくる。

その強圧的な態度からは、自分のような貧しい人間にめぐみを施す機会をお前に与えてやっているのだから有難く思え、といわんばかりの恩着せがましささえ感じる。

インドには乞食のカーストが存在し、その元締めである乞食の親分は、裕福な生活をおくっていると聞いたが、

カルカッタの街に溢れる夥しい数の乞食をみれば、カルカッタで物乞いが重要な生業のひとつになっていることはすぐにわかった。

それでもまだ乞食として働くことができる体力のある人間はましな方で、街中にはあちこちで生きているのか、死んでいるのかよくわからない行き倒れの人間の姿を目にした。

そしてその傍を、倒れている人間の姿が目に入らないかのように、優雅なサリーを着こなしたインド人女性が颯爽と歩いていた。

最初は、行き倒れの人間を無視して歩くインド人が多いことに驚いたものだが、その後、何度もインドを旅するうちに、

インドでは、貧民を完全に無視するか、それともマザーテレサになるか、二つに一つしかないのではないか、と思うようになった。

貧民の数はあまりに多く、個人が対応できる限界をはるかに超えている。そんな状況で、中途半端に貧民にかかわったりすると大怪我をするような気がするのだ。

リキシャワラーと呼ばれる人力車の車夫も恐ろしかった。彼らは目的地に着くと必ず乗る前に合意した料金よりも3倍くらい高い料金を要求してくる。

彼らの要求は、理不尽だったが、その要求に従うほかなかった。

リキシャの車夫は、目的地に到着すると必ず、仲間の車夫たちが屯している場所にリキシャを停め、

彼が要求するぼったくり料金を高いと抗議すると、仲間の車夫たちがぐるりと周りを取り囲んで恫喝してくるのだ。

しかしそんなリキシャの車夫にたいして怒りの気持ちは湧いてこなかった。

彼らの瘦せこけた身体をみれば、彼らもまた必死で生きていることがわかったからだ。

ある日の夕方、ハウラー駅の近くのフーグリー川にかかる巨大な鉄橋であるハウラー橋のたもとに立って、橋を忙しく行きかう無数のトラック、乗用車、荷車、リキシャ、通行人の姿を眺めていて、

このカルカッタという街では、すべての人が生きるために必死で働いているのだ、とあらためて感じた。

この街では、怠け者はすぐに飢え死にしてしまう。貧しい人間は、死にもの狂いで働かないとパンにありつけないのだ。

その理由は、若いわたしにも分かった。

人間が多すぎるのである。

インドは人間が多すぎる。どこにいっても人間がうじゃうじゃいる。

これだけの人間が全員、食べていくのは簡単でないだろうことは、容易に想像がつく。

かって森林に覆われていたというインドの大地は、人々によって樹木が刈り尽くされ、土地が肥沃性を失ったことから、そこで作られる農作物だけでは、インドの全国民を養うのに不足していた。

そのため、インドでは、各地で飢饉が頻繁に発生し、飢えた農民は難民となってカルカッタのような大都市に集まってくる。

その結果、カルカッタのようなインドの大都会は、世界でも類をみない、生きていくための壮絶な闘いが日々、繰り広げられる、熾烈な生存競争の場と化しているのだ。

わたしのこのカルカッタに関する記述は、大袈裟で誇張されていると感じる人もいるかもしれない。

実際、わたしはこれまで日本人が書いた多くのインド旅行記を読んだが、カルカッタの貧困に触れている本は意外と少ない。

たとえば、若い日本人バックパッカーからバイブル視されている沢木耕太郎の『深夜特急』でも、カルカッタの貧民の話はあまり出てこない。

それどころか、作者はカルカッタの街が気に入り、長逗留しているのである。

わたしは三日で逃げ出したというのに!

それで自分のカルカッタ体験は、かなり特殊で、例外的なものだったかもしれないと考えるようになったのだが、

前述したフランス映画『インド夜想曲』を観て、自分以外にもカルカッタでの体験がトラウマとなって心に残り、

「世界には行かないに越した場所がある。それがカルカッタだ」と考える人間がいることを知って、一種の安堵感のようなものを味わったのだった。

註:旅行記ではないが、カルカッタの貧困を描いたノンフィクション作品にドミニク・ラピエール著『歓喜の街カルカッタ』がある。

続く


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