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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(13)

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☆ ラングーン
バンコクからはビルマ航空でカルカッタまで飛んだ。
タイからカルカッタまで陸路で移動できれば一番良いのだが、種々の理由によりこの区間は飛行機でしか移動できない。
この区間の飛行便は、ビルマ航空の学割が一番安く、日本円で約2万円だった。
学割の特典を得るためには、日本大使館に行って、学生であるとの証明書を書いてもらう必要があるのだが、わたしは予備校を辞めていたものの東京に住んでいたときに、
御茶ノ水のアテネフランセでフランス語を習っていて、そのときの学生証を大使館員に見せたらすんなりと証明書を発行してくれた。
おかげで学割運賃でビルマ航空に乗ることができたのだが、そのせいであとで酷い目に遭うことになるとは、そのときは想像もしていなかった。

ビルマ航空の便は、ラングーン(現ヤンゴン)でトランジットのために一泊することになっていて、
ラングーンでのホテルの部屋と食事はビルマ航空が負担することになっていたのだが、現地に着いてみると、学割運賃の乗客にはホテルの部屋も食事も提供されないことがわかったのだ。
ビルマ航空には、カルロッテとバンコクのユースホステルで一緒になったドイツ人夫婦と一緒に乗ったのだが、学割運賃で乗っていたのはわたしだけで、
ほかの3人は正規の運賃で乗っていたので、彼らは無事、ホテルの部屋と食事にありつくことができた。
ラングーンの空港では所持金を厳しくチェックされ、所持していた金を通貨別に紙に書かされ、現地では闇レートでは両替しませんという誓約書みたいなものに署名させられた。
当時、ビルマ(現ミャンマー)は社会主義体制をとっていたが、社会主義国家の常としてドルと現地通貨のチャットの正規の交換レートと闇の交換レートに大きな差があり、
ビルマ政府は旅行者が闇レートで交換しないように神経をとがらせていたのだ。
「あなたはトランジットでラングーンで一泊するだけで、ホテルと食事はビルマ航空が提供するんだから、ここではお金を遣う必要がないでしょ。だから闇で両替なんかしたら絶対だめよ」
と太った税関吏のおばちゃんにいわれて、おばちゃんのいうとおり、両替の必要はないな、と思ったのだが、
入国後、ほかの3人と一緒にバスに乗せられて、宿泊先のストランド・ホテルに連れられていかれたとき、ホテルのフロントで、わたしだけ学割で乗っているという理由で、部屋と食事の提供を断られたのだ。
ストランド・ホテルは、シンガポールのラッフルズ・ホテルを建てたことで知られているアルメニア人のサーキーズ兄弟が建てたいわゆるコロニアルホテルで、
現在は改装されて小奇麗なホテルに生まれ変わっているが、この頃はかなり老朽化していて、フロントも旅館の帳場なみの狭さだった。
ホテルに泊まることになったほかの3人と切り離されてわたしが連れていかれたのは、ストランド・ホテルの隣のビルマ航空の事務所で、
そこの板張りのベンチで寝るようにいわれ、結局、ベンチの上に寝袋を敷いて寝ることになった。
部屋と食事にありつけたほかの3人が夕食に出たパンやデザートの果物をとっておいて差し入れてくれたので、一晩中、空腹に悩まされるという事態は避けることができた。
彼らが持ってきてくれたパンと果物で空腹を満たしたあと、カルロッテと一緒に近くにあるスーレーパゴダにお参りした。
パッポンなどの繁華街がネオン煌めく不夜城の呈をなしている大都市のバンコクから来てみるとラングーンの夜は本当に暗く、
暗い夜の街で輝いているのは、このスーレーパゴダともう少し離れたところにあるシェンダゴン・パゴダの二つのパゴダだけだった。
スーレーパゴダでご本尊の仏像の前に立って手を合わせて拝み、隣で突っ立っていたカルロッテにも拝むようにいったのだが、
「あたしは仏教徒ではない。無神論者だ」
といって頑として拝もうとしない。
わたしは、彼女のこういう融通の無さというか、頑固さがどうしても好きになれなかった。
スーレーパゴダにお参りして、カルロッテをストランド・ホテルまで送り、寝場所であるビルマ航空の事務所に戻ると、二人のビルマ人の青年がやってきて散歩に出ないかと誘われた。
それで一緒に外に出たが、当時のラングーンは本当になにもないところで、真っ暗の道を歩く以外することはなにもなかった。
時折、街灯が立っていたが、蛾がびっしりと集っていて、文字通り、誘蛾灯と化していた。
青年の一人は肌の色は褐色だったが、彫りの深い顔立ちをしていて、自分のことをアングレーだといっていた。
アングレーというのはビルマ語で、イギリス人とビルマ人の混血を指す言葉だそうだ。
青年たちと別れてビルマ航空の事務所に戻り、木のベンチに寝袋を敷いて寝たが、夜中に初老のビルマ人の男性が傍によってきて、
戦争中、自分はナントカ部隊のナントカ少佐の下で日本語の通訳をしていたと覚束ない日本語でボソボソと語りはじめ、わたしはその言葉を夢うつつで聞いていた。

続く

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