☆ ドバイからアディスアベバへ
ドバイからアディスアベバはガルフ・エアーで移動しました。
ガルフ・エアーは、バーレーンのナショナルフラグだそうで、そのため、いったんドバイからバーレーンの首都マナマに飛んで、そこから飛行機を乗り換えてアディスアベバに向かいます。
ドバイからマナマへのフライトは1時間ちょっと。
機内に入ると、私が座る筈の通路側の座席にインド人の爺さんが座っていて、その隣に女房らしい婆さんが座っています。
インド人の爺さんに「そこは私の席だ」と立つようにいうと、傍にいた金髪の白人スチュワーデスが、
「彼は足が悪いのよ」
などと意味不明なことを呟き、
「窓際の席が空いてるから、あなたは窓際の席に座ればいいじゃない」
などといいます。
「冗談じゃない。こっちはチェックインのときにわざわざ通路側の席を指定してるんだ。もしこの席に座れないなら、ほかの通路側の座席を見つけてこい!」
金髪女に抗議していると、男性のパーサーが寄ってきて、
「どうかなさいましたか?」
と訊くので、かくかくしかじかと説明すると、すぐにインド人の爺さんと婆さんに席を立つようにいい、隣りの席に移動させて、私が通路側の席に座れるようにしてくれました。
金髪女は不満そうな顔をしていましたが、本来は彼女がそうすべきなのです。
ガルフ・エアーには帰路のアディスアベバからマナマのフライトでも、髪を金髪に染めた白人女のCAが乗っていて、エチオピア人乗客に対してエラソーに振る舞っていましたが、
白人の乗客が殆どいない路線に人種差別意識丸出しの白人乗務員をわざわざ乗せているガルフ・エアーの真意を質したいです。
マナマに着いて、アディス行きのフライトの搭乗口まで行くと、バーレーンかどこかに出稼ぎに来ていたらしいエチオピア女性が大量にいて、もう気分はアフリカでした。
マナマからアディスまでの飛行時間は4時間半。朝の4時20分という中途半端な時間にアディスのボレ空港に着きました。
日本から3日がかりで着いたことになります。
飛行機が着陸すると、機内後方に固まって座っていたエチオピア女性たちの間から拍手が沸き起こり、ついでにアラブ女が景気づけによくやるレロ、レロ、レロ♪という歓声が挙がり、しまいには歌までうたいだしました。
空港でアライバルビザを取ったのですが、ビザ代は20ドルの筈だったのにいつの間にか50ドルに値上がりしています。
同じフライトで着いた6人ほどの外国人がビザの窓口に行列して、一人ずつ金を払ってビザを取得し、その後、パスポート審査を受けて、荷物のチェックも受けていたら、朝の6時になっていました。
外はまだ暗く一時間ほど空港で明るくなるのを待って外に出たら、タクシーの運転手が寄ってきて口々に「市内まで100ブル!」と相場よりも安い料金を叫ぶのですが、
見るからに胡散臭い連中ばかりで信用する気になれず、空港ターミナルを出てしばらく行ったところに、
安宿が集中しているピアッツァ地区に行くミニバスの乗り合いタクシーの乗り場があるという話を思い出して、
警備中の兵士(そこら中にいました)に場所を聞いてそこまでキャリーバッグを引きずりながら歩いて行きました。
ピアッツァ行きのミニバス料金は5ブル(1ブル=6円で約30円)。
30分ほど走ってピアッツァに着いてミニバスを降りると、ミニバスで隣りの席に座っていたエチオピア人の男性も一緒に降りて、
「ピアッツァのどこに行くんだい?」
と訊くので、控えていた安宿の名前をいくつかいったのですが、どこも知りません。
それで「タイトゥ・ホテル」といったら、「ああ、タイトゥ・ホテルか」といって、タイトゥ・ホテルに通じる道の前まで連れて行ってくれました。
タイトゥ・ホテルは今は安ホテルに落ちぶれていますが、アディスアベバで最初に建てられた西洋人向けのホテルで、エチオピア人はみんなこのホテルの名前を知っているのです。
ちなみにタイトゥというのは、この地に遷都したメネリク2世の皇后の名前だそうです。
教えられた道を通ってタイトゥ・ホテルまで行って「部屋はあるか?」と訊くと、「あるけどチェックインタイムは12時だ」といいます。
まだ朝の8時で、前夜は機内で殆ど寝ていないのにあと4時間も待たされるのはしんどいと思って、別のホテルをあたることにしてタイトゥ・ホテルから遠くないウトゥマ・ホテルに行ってみました。
ここは1階がレストラン、2階がホテルになっています。
2階のレセプションに行って訊くと、チェックインタイムは10時とのこと。
部屋代もシャワートイレ付きの部屋が260ブルとタイトゥ・ホテルでいわれた20ドルよりも安かったのでここに決め、
1階のレストランに行って朝食をゆっくり食べながら時間を潰し、10時になってようやくベッドにありついたのでした。
続く
本日のつぶやき
2007年の尾辻選挙のときに選挙キャンペーンでマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げ、尾辻が落選した途端、離婚した尾辻かな子の離婚妻、木村真紀こと村木真紀がエラソーに講釈をたれています。
虹色ダイバーシティでは職場に関するアンケート調査を継続していますが,職場での差別的言動は7割の人が経験しており,勤続意欲やメンタルヘルスに悪影響がでています。一方で,企業が経営課題として同性パートナーを持つ従業員に対応しようとする動きもありますが,そこで法制度がないことが問題になります。グローバル企業では、海外の同性婚制度がある国を基準に,同性パートナーに対応するのはすでに当たり前です。それが日本では,できない。これは,グローバルな人材獲得競争において不利だと思います。経済の面からも人権の面からも,私は同性婚を求める動きに賛同します。
【プロフィール】特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ代表、日本初の同性離婚経験者
引用元:http://lgbt.sakura.ne.jp/lgbt/petitioner
参考記事:尾辻かな子の離婚妻、村木真紀がやってるLGBTビジネス
つぶやき2
LGBT当事者、かつ、プロのコンサルタントである虹色ダイバーシティ代表の村木真紀が、ビジネスパーソンが知っておくべきLGBTニュースを厳選して、解説を加えたうえでお届けします。海外情報は特派員カイザー雪から現地の実感も加えてレポートします。
http://www.mag2.com/m/0001663572.html
おばちゃん、そんなに稼いでどうすんの