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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(9)

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☆ 香港
神戸港を出港して一週間で香港に着いた。
当時、香港にたいして日本人が抱くイメージはあまりよくなくて、香港は麻薬取引の本場で、日本に密輸される麻薬はすべて香港から運ばれるとか、
日本のヤクザが借金の方に女性を香港に売り飛ばしているとか、香港製のギャング映画に出てくるような話がわりと真面目に信じられていた。
実際に自分の目で見た香港は、現在のような高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市ではなく、イギリス植民地特有のコロニアルな雰囲気が漂うところで、ギャング映画に描かれるような香港特有のいかがわしさもまだ残っていた。
たとえば、街角で白人との混血であることが一目でわかる少女の乞食をみかけたが、彼女は片足がなく義足で、
悪い大人たちが貧しい子供を買って、同情を買うためにわざと子供を不具にして乞食として働かせるという話を思い出した。

香港では、わたしと同じ三等船室にいたリュウ君という中国人の若者が下船したが、荷物が多かったので降ろすのを手伝ってあげた。
港には、彼のお兄さんが迎えにきていて、お兄さんはわたしを見ると「今日は予定がありますか」と訊いてきた。
船は香港に一泊する予定で、その日は香港見物をするつもりでいたが、そういうと、お兄さんは「それなら私が香港の案内をします」といい、そのままリュウ君と一緒にお兄さんの住む九龍のアパートに連れていかれた。
そこで筆談を交えていろいろと話をしたが、リュウ君は私と同い年で、横浜の中華街で中華料理店を営むお父さんを訪ねた帰りだという。
あと一か月ほどしたら、また横浜に戻って日本の大学に入る準備をするといっていたが、将来は日本と香港を股にかけて商売をするつもりらしかった。
お兄さんのアパートに行く途中、乾物屋を営んでいるリュウ君の叔父さんの店に立ち寄って、横浜のお父さんから預かってきたらしい一万円札の札束を手渡しているのをみたが、三等船室で旅行していても、華僑は金があるんだなと思った。
お兄さんのアパートで奥さんが作ってくれた手料理をご馳走になったあと、リュウ君とお兄さんと一緒に香港見物に出かけた。
タイガーバーム・ガーデンやビクトリア・ピークに行ったが、ビクトリアピークから眺める香港の夜景は話に聞いていたとおり、大変、美しかった。
フェリー代やバス代はすべてお兄さんが払ってくれたので、わたしは一円も払わずに香港を見物できたことになる。
船に戻って乗客仲間の日本人にその話をすると、「それが中国人だよ」といった。
その日本人によると、中国人は友人と認めた人間には、とても気前が良いのだそうだ。
実際、荷物を船から降ろすのを手伝っただけなのに、そこまで親切にしてくれるなんて、日本ではちょっと考えられない。
しかし、その後、何度か香港を訪問して、タクシーを停めて乗車しようとしたら、横から別の人間が割り込んできて横取りされるというような経験もして、香港人の別の面も見ることになった。
そして中国人が家族や友人を大切にすることと、赤の他人には傍若無人に振舞い、非常にマナーが悪いことはコインの両面みたいな関係があるのではないかと考えるようになった。
もちろん、だからといってリュウ君とお兄さんにたいする感謝の気持ちは今も変わりないし、二人との出会いは、香港の良い思い出になっている。
リュウ君には旅先からお礼の手紙を出したが、その後の消息は知らない。
元気にしているだろうか。
話は変わるが、香港に着く前に船で仲良くなった李君とは別の中国人に香港で買い物をするときに必要な三つのフレーズというものを教えてもらった。
多少銭(トゥシャオチェン)=幾らか?
太貴了(タイコイラ)=高すぎる
不要(プーヤオ)=いらない
物を買うとき、この三つの言葉を順に繰り返していると段々と言い値が下がってくるというのだ。
香港では李君のお兄さんのお陰で一銭も使わずに済んだので、それを実験する機会がなかったのだが、
その後、タイのパタヤに行ったとき、タイ人の好きな小さな仏像をはめ込んだペンダントを売っている店のショーケースを眺めていたら、
店の奥から華僑らしい店主が出てきて、わたしを台湾人かなにかと勘違いしたのか、中国語で熱心に説明をはじめたことがある。
ショーケースからペンダントを一つ取り出して中国語でなにやら講釈を垂れている店主をみていて、昔、教えてもらったこの言葉を思い出して、
「多少銭?」と訊いたら、店主はすぐに計算機を取り出してパッパッパと数字を打って金額を提示した。
それで「太貴了」というと、またパッパッパと電算機を打って、少し値引きした金額を見せた。
なんども「太貴了」を繰り返しているうちにだいぶ値段は下がったが、最初から冷やかしで買うつもりはなかった。

それで最後は「不要」といって店を出たが、あの店主は最後までわたしのことを台湾人だと思っていたのではないだろうか。

続く


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