☆ 横浜
船は神戸港を出てそのまま香港に向かうと思っていたのだが、そうではなく横浜に向かい、翌日7日の昼過ぎに横浜港に着いた。
船は横浜港に2泊、停泊すると聞いたので、到着した翌日の日曜日、横浜に住む中学時代の級友、M君の家にカルロッテを誘って遊びに行った。
M君のお父さんは銀行員で、M君が中学に入るときに東京から転勤になって一家で京都に引っ越してきた。
わたしはM君が話す東京弁がカッコよく思えて、彼と仲良くなったのだが、彼が中学を卒業すると同時にお父さんはまた横浜に転勤になり、彼は東京の高校に入学することになったのだ。
彼はわたしと違って真面目だったので、ちゃんと大学に入学していて、そのときはもう2回生になっていたと思う。
彼の家は横浜の郊外の希望ヶ丘というところにあった。
現在では高級住宅地になっているそうだが、その頃はまだかなり不便な新興住宅地で駅から遠く、M君の妹さんが車で迎えにきてくれた。
M君の家庭は東京辺りの典型的な中流家庭といった感じで、M君のほかに大学生の妹さんと高校生の弟さんがいて、お母さんがご馳走を作ってわたしとカルロッテを歓待してくれた。
途中でM君の家の遊びにきたフェリス女学院に通っているというM君の従姉妹も加わったのだが、彼女とは翌日、再会することになる。
船は、翌日の月曜日の夕方6時に横浜港を出港したのだが、彼女がわざわざ横浜港まで見送りにきてくれたのだ。
今もまだやっているかどうか知らないが、当時は客船で港を出港するときに、船上の乗客が岸壁の見送りの人々に五色のテープを投げて、
乗客と見送りの人間がテープの両端を手にもってテープがちぎれるまで別れを惜しむという習慣があった。
神戸港では、このテープ投げは行われなかったのだが、横浜港では行われた。
わたしもカルロッテも誰か見送りにくるとは予想していなかったので、テープ投げをすることはないと思っていたのだが、
岸壁からわたしの名前を呼ぶ声が聞こえ、そちらの方向を見るとM君の従姉妹がいたのだ。
予期せぬ見送り人の出現に喜んでほかの乗客がやっているように、彼女に向かってテープを投げ、テープを振りながら「元気でね」「ありがとう」と大声で呼び合って別れたのだが、
あとで船室に戻ると、彼女からのはげましの言葉を書いたカードと菊の花が届いていた。
二年半後に帰国して横浜のM君を訪ねていったとき、彼女の消息を尋ねたら、もう結婚していて子供までいるといわれて驚いたことを覚えている。
続く