●出航
いよいよ、出航のときになってわたしたち乗客はラオス号に乗り込んだ。
タラップを上った船の入口には、若い男と中年男の二人のフランス人船員がいて、中年男は、フランスのギャング映画によく出てくるリノ・ヴァンチュラそっくりだった。
リノ・ヴァンチュラは、わたしにカードのようなものを手渡し、なにやら早口のフランス語でまくしたてたが、なにをいっているのかさっぱり分からない。
渡されたカードは乗船カードで、そこに名前や年齢、国籍などを書き込むようになっていたのだが、すべてフランス語で書かれていた。
船に乗り込んだら、もうそこはフランスで、船員はすべてフランス人、フランス語は話せなかったものの、フランスに憧れていたわたしは嬉しくなった。
割り当てられた3等の客室は、機械室に隣接する船底の二段ベッドが4つ並ぶ8人部屋で、
隣の機関室からは、エンジンの騒音や振動が伝わってきて、部屋にはエンジン油の臭いが漂っていたが、若かったせいか特に気にはならなかった。
小説家の遠藤周作は若き日にフランスに留学する際にフランス郵船の4等客室に乗って行ったそうだが、わたしがラオス号に乗ったときは4等は廃止されていて3等しかなかった。
フランス郵船を紹介するウェブサイト(http://www.messageries-maritimes.org)によると、1962年に船を改造したときに3等と4等の客室を統合して、新しく3等の客室を作ったらしい。
船にはほかに1等と2等の客室があった。
1等の乗客の居住スペースと2&3等のそれははっきりと分かれていて、われわれ3等の乗客は1等乗客の居住スペースに立ち入ることは許されていなかった。
2等の客室は、2等の乗客に見せてもらったが、ベッドが二つ並ぶ寝台列車のコンパートメントのようなところだった。
1等の客室は見なかったが、たぶん個室だったと思う。
2&3等のデッキには、プールというよりは水槽という方が似つかわしい小さなプールがあって、みんなそこで泳いでいた。
1等のプールはもっと立派ではないかと想像していたが、下の写真を見る限り、1等のプールも2&3等のそれとたいして変わりなかったようだ。
ダイニングルームも1等の乗客用と2&3等の乗客用に分かれていた。
わたしたち3等の乗客は、2&3等の乗客用ダイニングルームで食事をしたが、料理は一応、スープから前菜、メインディッシュ、デザートまでフルコースが出て、フランス人のボーイがサービスしてくれた。
料理自体はたいして旨くなかったものの、量はたっぷりあったので特に不満は感じず、乗客仲間とテーブルを囲んでわいわい言いながら食事をするのは楽しかった。
前出のウェブサイトによると、ラオス号は、全長163.6メートル、幅22メートル、総トン数13500トンの客船で、姉妹船である「ベトナム号」と「カンボジア号」と共に1951年に建造されている。
前述したようにフランス郵船の極東航路は1969年に廃止され、ラオス号はその役目を終えたのだが、その後、マレーシアの船会社に売却されて、別の船名で運行していたという。
しかし1976年に起きた火災で大きく損傷し、1977年に廃船になったそうだ。