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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(3)

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● Kさんとの出会い
東京で一年ほど過ごしたあと、わたしは外国行きの資金を貯めるために京都の実家に戻り、レストランでボーイのアルバイトを始めた。
海外に行くことを決心したものの、当時は旅行ガイドブックの類は少なく、あっても普通の旅行者向けのもので、ビンボー旅行に関する情報は少なかった。
そんなとき、三条河原町の駸々堂書店で偶然、『48ヶ国の青春』という小さな本を見つけた。
著者は、大学を2年休学して、モスクワ経由でスウェーデンに行ってストックホルムで働いて金を貯め、ヨーロッパやアフリカを旅行して、南回りで日本に帰ってきた京大の学生だった。
彼は2年間で48ヶ国を回り、その旅行記を京都の小さな出版社から出版したのだが、この本に前述した6万5000円で日本からヨーロッパに行く方法が紹介されていたのだ。

偶々、バイト仲間の女子大生にこの本のことを話したら、「あたし、この人、知ってるわよ」という。


彼女もこの本を読んで、友達と一緒に京大の学生寮に住む著者のKさんに会いにいったというのだ。
わたしはすぐにKさんを紹介してくれるように彼女に頼み、彼女が連絡をとってくれてKさんと会えることになった。
9月初めの暑い夜、京大の学生寮を訪ねると、ランニングシャツとトランクスという格好の小太りのKさんが迎えてくれた。
彼は海外旅行のため2年留年していて、そのとき24歳だったが、19歳のわたしから見ると随分とオトナに見え、頭も良さそうな人だった。
彼はわたしが一番、訊きたかったこと、本当に6万5000円でヨーロッパまで行けるのかという質問に「大丈夫、行ける」と答えてくれた。
東京から京都に戻って半年、旅行資金はまだ10万ちょっとしか貯まっていなかったが、交通費が6万5000円で収まるのであれば、なんとかストックホルムまで行けるのではないか。
Kさんは、10月6日に神戸港からフランス郵船のラオス号が出航するから、それに乗ったらどうかと勧めてくれた。
わたしは有頂天になった。
憧れの海外旅行がやっと具体的な形になって見えてきたのだ。
家に戻って興奮した口調で10月6日に神戸から出発すると両親に告げると驚いた顔になった。
両親は、わたしの海外行きにずっと反対していたが、わたしの決心が固いのを見てとうとう折れて10万円出してくれることになった。 これでわたしの旅行資金は20万円になった。
当時は、海外旅行するのに500ドルの外貨の持ち出し制限があった。
1ドル=360円の当時のレートで500ドルは18万円。多くの旅行者はそれではとても足りないと日本円を海外に持っていって 1ドル=400円ほどの闇レートでドルに両替していたそうだが、
わたしの場合は、やっと限度額に達する金しかなかったので、20万円の内、18万円で500ドルのトラベラーズチェックを購入し、残りの2万円を日本円の現金でもっていくことにした。
出発日が決まってまず最初にすべきことはパスポートの取得だった。
当時は一回しか使用できない一次旅券しかなかったが、旅券を申請するためには旅行計画書なるものを提出しなければならなかった。
旅行計画書は普通、旅行代理店に頼んで作ってもらうことになっていたのだが、Kさんは、知り合いの女性が三条河原町のJTBの支店で働いているからそこに行けば作ってくれるだろうといった。
それでJTBの支店に行って、カウンターの女性に「6万5000円でヨーロッパに行きたいんですけど」といったら、「ご冗談でしょ。ホホホ」と笑って取り合ってくれなかった。
そのことをKさんにいうと、知り合いの女性に連絡しておくから、もう一度行くようにといわれた。
それでまたJTBの支店に行ったら、今度は別の女性が現れ、「Kさんからお話は伺っております。私が担当させていただきます」といってくれたのでほっとした。
彼女が作ってくれた旅行計画書によると、私は日本からバンコクまで船で行き、その後、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコを経て、ヨーロッパを旅行したあと日本に帰ることになっていた。
当時は旅券を申請するときに自分が旅行する予定の国を申告する必要があり、発行された旅券にはその国名が記載され、それ以外の国には行けなかった。
現在のようにパスポートさえあれば、どこの国でも行けるというのではなかったのである。
私の場合、南回りでアジア諸国を経由してヨーロッパまで行って、ヨーロッパ各地を旅行する計画だったので、旅券には21ヶ国の国名が記載されることになった。
計画書では、日本からバンコクまでは船で行き、あとはすべて航空機で移動することになっていて、旅費の総額は80万円を超えていたが、担当の女性は、
「これは形式的なものなので、お気になさらずともけっこうです」といった。
彼女が作ってくれた旅行計画書をもって府庁にパスポートの申請に行ったが、
未成年のわたしは保護者の同伴が必要で、母親が付き添ってくれた。
そうしてようやくパスポートを取得したのだった。

続く
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