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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(2)

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● 大学受験失敗
高校に入って突然、勉強する気がなくなったわたしは学校をサボって映画ばかり観ていた。
そのため、成績は下がった。
それでも一応、大学は受験した。
しかし、当然というべきか、結果は不合格だった。
入試に失敗したあと親にいわれるまま予備校に入ったが、浪人してまで大学を受験したいと思う気持ちはなくなっていた。
高校の三年間が死ぬほど退屈だったのに、また大学に入って同じような退屈な学生生活を4年間もおくる気にはなれなかった。


両親は、わたしが良い大学を出て、一流企業に就職することを望んでいたが、わたしはそんな人生に魅力を感じていなかったし、そもそもそんな自分を想像することもできなかった。


父は二言目には、自分は学歴がないばかりに人生で苦労した、お前にはそんな目に遭わせたくない、と私にいっていたが、わたしは心のなかで、
「田中角栄を見てみい! 松下幸之助を見てみい! 小学校しか出てへんけど、成功しとるやないか!」
と毒づいていた。
父が人生で成功できなかったのは、学歴がなかったからではない。単に成功するだけの才覚に欠けていたからだ、とわたしは思っていた。
父は、息子のわたしを不遇だった自分の人生に復讐するための道具として見ているのではないか、という気がしていた。
かといって、自分が将来、何になりたいか、何をしたいか、展望があったわけではない。
とりあえず、大学に行けと煩くいう親元から離れたかった。
それでわたしは、入ったばかりの予備校を辞めて、家出同然の形で東京に飛び出してしまった。
親のいうことをよく聞くおとなしい子供だったのに、反抗期が遅れてやってきたみたいだった。
東京では、知り合いの紹介で、ある中央官庁でアルバイトとして働くことになった。
わたしが働いていた部署は、出世コースから離れたノンキャリアの職員の吹き溜まりのようなところで、みんなちんたら仕事をしていた。
会話といえば「今年の民間のボーナスは良かったそうだねぇ」などとしょぼくれた話題ばかりだった。
職場には、わたしと同い年で夜間大学に通っている若い男性職員がいた。
そういう職員には理解のある職場で、彼は夜間大学の授業を受けるために早退することが許されていた。
同じ職場で仲良くなったハイミスの職員は、わたしも彼のように公務員試験を受けて役所の正規職員になって夜間大学に行ったらどうかと勧めてくれた。
両親も昼間の大学に行く気がないのであれば、次善の策としてそうして欲しいといってきた。
しかし高卒で受験できるのは初級公務員試験だけで、首尾よく合格したとしてもノンキャリアの公務員として一生、下積みで生きていくことになる。
不景気な話ばかりしている職場の中高年のノンキャリア組の職員をみて、こんな風にはなりたくないと思った。
大学に入って勉強する気はなくなった。かといって正式に就職する気にもなれない。
そんな中途半端な状態でいるときに突然、解決策?が頭に浮かんだ。

そうだ、外国に行こう!

元々、子供の頃から外国にたいする憧れが強く、大きくなったら外国に行きたいと思っていた。
漠然と大学を卒業したら留学でもしようかと考えていたが、いったん、海外に行くという考えが頭に浮かぶとすぐにでも日本を飛び出したいと思うようになった。
今、思うと完全な現実逃避だったが、わたしはその現実逃避のアイデアに夢中になった。
当時、若者の間で人気があった週刊誌「平凡パンチ」にモスクワ経由でヨーロッパにいく青年の話を描いた五木寛之の小説「青年は荒野をめざす」が連載されていた。
その影響もあってか、モスクワ経由で北欧まで行って、北欧でレストランの皿洗いなどして金を貯めて旅行を続けることが金のない日本人の若者の間で流行っていた。
北欧で働くと日本の4倍から5倍の収入が得られるので、北欧の物価の高さを考慮しても、日本で働くより北欧で働く方が効率的だったのだ。
わたしも同じように北欧にいって働こうと思った。
それでも北欧までの片道の旅費は日本で稼ぐ必要がある。
東京でバイトをしていても生活していくのにぎりぎりで、貯金などできない。
それでわたしは、家賃と食費を払う必要のない京都の実家に戻り、京都でアルバイトして片道の旅費を稼ぐことに決めた。
続く


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