Quantcast
Channel: ジャックの談話室
Viewing all 194 articles
Browse latest View live

エチオピア周遊(13)

$
0
0

☆アルバミンチからカイ・アファールへ

アルバミンチに1泊したあと、バスでカイ・アファールへ。

この日は木曜日で、カイ・アファールではバンナ族などの少数民族が集まる市場が開かれるのです。

朝まだ暗い6時にホテルを出ると、ホテルの前にオートバイに乗った若い男がいたので、20ブル払ってバス乗り場まで送ってもらいました。

バス乗り場に着いてカイ・アファール行きのバスを探して乗り込むとまだ6時をちょっと過ぎたばかりなのに殆ど満員で、私が最後の客でした。

一番後ろの席に座ったのですが、若い男と太ったおばちゃんに挟まれて身動きできない状態です。
f0107398_2353942.jpg
バスの車内。手前に写っている丸い物体は前の座席の乗客の頭です。


車内はエチオピアン・ポップスが大音量で流れ、エチオピア人乗客の体臭(ワキガ)が充満しています。

私が乗りこむとすぐに出発しましたが、悪路で振動が激しく、縦に横に大きく揺れます。

2時間ちょっと走って、コンソの休憩所に到着。
f0107398_23181646.jpg
コンソの休憩所

30分の休憩後、再び出発。コンソからは道の状態がよくなって、バスはかなりのスピードで飛ばしていましたが、

しばらくすると上がり坂になってきて、ぜいぜいと息を切らすような感じで登り始めました。

2時間ほど走って、カイ・アファール村に到着。バスが真ん前に停まったNASAホテルにチェックインしました。

このホテルには200ブルと300ブルの部屋があって、お湯が出るといわれて300ブルの部屋にしたのですが、ぬるいお湯がちょろちょろ出るだけで、そのうちお湯どころか、水そのものが止まってしまいました。

部屋に案内したボーイは、ブルジャンプを見に行かないかと誘います。

ブルジャンプというのはハマル族という少数民族のイニシエーション(通過儀礼)だそうですが、ネットの旅行記などでは殆どの観光客がこのブルジャンプを見ていて、現在では観光客向けの見世物になっているみたいです。

料金もかっては一人あたり300ブルほどでみられたのが、最近読んだ旅行ブログでは一人あたり1000バーツも払っています。

ハマル族のブルジャンプ
https://www.youtube.com/watch?v=tLwscFwz8og

儀式そのものは、上のYoutubeの動画を視ればわかるように、フリチンの若い男が数頭の横に並んだ牛の背中の上を伝いながら地面にジャンプするといういたって簡単なもので、

わざわざ金を払って見るような代物ではないという気がしますが、ボーイは一人あたり90ドル払えば見られるといいます。

90ドル!!

ということは1800ブルか。


ふざけんな!


あとでジンカで会ったガイドに訊いたら、ブルジャンプ見物の現在の相場は一人あたり400ブルから500ブルだといってましたが、

エチオピアの物価を考えると400ブルだって相当なボッタクリ料金に思えます。

教師の初任給が月1200ブルなのです。


☆ カイ・アファールの木曜市

私がブルジャンプに関心を示さないので、ボーイは今度は自分をマーケット見物のガイドに雇えと言い出しました。

「ガイドなんて必要ない」というと、マーケットにやって来るバンナ族などの少数民族の写真を撮りたいなら通訳する人間が必要だといいます。

「別にバンナ族と会話なんかする気はない。写真を撮るだけなんだから。ジェスチャーで通じるだろう」

「いや、バンナ族は未開人だ。彼らはあなたのジェスチャーを理解できない。だからボクが間に立って彼らにあなたの目的を説明する必要がある」

「でもネットを見るとこれまでたくさんの旅行者が一人でマーケットに行って写真を撮ってるけどね」

「じゃあ、一人で行けば良い」

吐き捨てるようにいいます。

写真代は1回5ブルだって聞いていたので、5ブル紙幣を両替できる場所を知ってるかと訊いたら、ガイドを断られて気を悪くしたのか、

「知ってるけど、教えないヨ」といいます。

それで一人でホテルを出て、ホテルの隣の雑貨屋で100ブル紙幣を出して5ブル紙幣に両替を頼むとすぐに両替してくれました。

ホテルの前の道路を挟んで反対側のマーケットが開かれている広場の方に歩いていくと、広場に着く前の建物の壁にもたれて立っている若いバンナ族の男を発見。

写真を撮りたい旨をジェスチャーで示し、5ブル紙幣を渡すとすぐに承諾し、ポーズを取ります。

全然、問題ないじゃないか!

広場に行くとバンナ族がたくさん集まっています。写真を撮っていると、バンナ族ではないふつーの恰好をした若い男がやってきて、

「ここで写真を撮ることは禁じられている」といいます。

政府公認のガイドを雇わないと写真を撮れないというのです。

「それで君が政府公認のガイドなの?」

「そうだ」

「じゃあ、IDカードを見せてよ」

「・・・・・」


邪魔すんな、バカモン!


エチオピアでは行く先々で、こういう観光客をだまして金を絞り取ろうとする若い男に付きまとわれてうっとおしかったですが、

日本人バックパッカーの間では、エチオピアはインド、エジプト、モロッコと共に「世界四大ウザい国」と呼ばれているそうです。

f0107398_2313045.jpg
写真を撮ると決まったら、腰ひもを結びなおしたり、ミニの腰巻の裾を引っ張ったりして、一所懸命に身づくろいをする姿が可愛かったです。
f0107398_23231229.jpg
f0107398_23242029.jpg
f0107398_23252382.jpg
右から2人目の若い女性を見ればわかるようにバンナ族は女性よりも男性の方がおしゃれです。市場はこの地域の未婚の男女の出会いの場になっているそうで、みんな目いっぱいおしゃれをしてくるといいます。
f0107398_232669.jpg
ツェマイ族(バンナ族とは別の少数民族)の3姉妹
f0107398_23372811.jpg
f0107398_2339149.jpg
f0107398_23403252.jpg
f0107398_2342727.jpg

f0107398_23433939.jpg
f0107398_2346258.jpg
続く

エチオピア周遊(14)

$
0
0

☆カイ・アファールからジンカへ
f0107398_0125955.jpg
ジンカ、GOHホテルの前の道路

カイ・アファールに1泊して、翌日ジンカに向かいました。

ホテルの従業員にジンカ行きのミニバスの乗り場を尋ねると、

「今日はジンカ行きのミニバスは出ないよ」といいます。


出ないわけないだろうが!


本当に最後の最後まで不愉快な連中です。

ホテルを出ると、中年の男性が歩いてきたので尋ねると、「あそこだよ」と親切に教えてくれました。

教えられた場所に行くとミニバスが1台停まっていて、私が最後の客ですぐに出発しました。


ミニバスに乗ってみて、ミニバスでの移動がバスの移動よりもさらに大変なことがわかりました。

バスの座席は5列シートで幅が狭いのですが、少なくとも1つの座席に一人で座れます。

しかしミニバスでは2人掛けのシートに3人、3人掛けのシートに4人、押し込められるのです!

カイ・アファールからジンカまでの所要時間は約1時間で、なんとか我慢できましたが、これに半日も乗ったら、相当こたえるのではないかと思いました。

ジンカに着いたミニバスは、「歩き方」推奨のGOHホテルの真ん前に停まりました。

ホテルのレセプションで訊いたら、トイレ・シャワー付きの部屋で340ブルだといいます。

「歩き方」には230ブルと書いてあったので、かなりの値上がりです。

3連泊するからといって、1泊300ブルに値切りましたが、部屋は300ブルの値打ちはなかったです。

これでもジンカで一番のホテルだそうですが。
f0107398_015788.jpg
GOHホテルのレストラン。エチオピアの唯一の取り柄はどこへ行ってもよく冷えたビールが飲めることです。
f0107398_0161517.jpg
レストランの従業員。写真を撮って欲しいというので撮ってあげました。彼は多分、アリ族


☆ジンカの土曜市

翌日、ジンカで土曜日に開かれる市場を見に行きました。

マーケットにはジンカとその周辺に住むアリ族が集まるそうです。

アリ族はふつーの恰好をしているので被写体としての魅力はないのですが、マーケットにはアリ族だけでなく、女性が下唇に大きな穴を開けてお皿を嵌めていることで知られるムルシ族やバンナ族などの少数民族もやってくるといいます。

「歩き方」には、最近、アリ族とムルシ族の間で戦闘状態が続いているので、ムルシ族はジンカのマーケットにやって来なくなったと書いてありましたが、

なんとマーケットに足を一歩、踏み入れた途端、ムルシ族の女に捕まってしまいました。

私が彼女を見つけたのではなく、彼女の方が私を見つけて私をめがけて突進してきて、私の腕をむんずと掴み、「フォト、フォト!」と写真を撮ることを強要したのです。

その勢いに気押されて写真を一枚撮って5ブル払おうとしたら、腕に抱えている赤ん坊を見せて、赤ん坊と二人で10ブルだといいます。

そのあと、亭主らしき男も連れてきて三人一緒の写真を撮れと迫ります。

その亭主みたいな男は一見してムルシ族ではなく、ふつーのジャージーを来ていて、そんな男の写真など撮る気になれなかったので断ったのですが、どうしても撮れといってききません。

それでしょうがなく家族三人で10ブルということに決めて写真を撮ったのですが、写真を撮り終わって10ブル払おうとしたら、10ブルではない、20ブルだといいます。

亭主が10ブルで、あたしと赤ん坊が10ブルで合わせて20ブルだというのです。

無茶苦茶ですが、断ったら殺されそうな雰囲気だったので仕方なく払いました。

その後も次から次へとムルシ族の女が寄ってきて写真を撮れと迫ります。

みんなお皿は嵌めず、大きな穴の開いた下唇をだらんと垂れ下がった状態にしています。

赤ん坊を抱いた女が多いのは、赤ん坊の分まで写真代を取ろうという魂胆かと思います。

ムルシ族の女性がなぜ唇に穴を開けてお皿をはめるという奇妙な風習を持つにいたったか、奴隷狩りから逃れるためにわざと顔が醜く見えるようにしたとか、諸説あるみたいですが、

現在、エチオピア政府は公衆衛生上の見地からこの風習を禁止しているそうで、そのうち見られなくなるかもしれません。
f0107398_0232213.jpg
この写真で20ブルも取られました。
f0107398_0262053.jpg
f0107398_025057.jpg
f0107398_030694.jpg
ムルシ族の少年
f0107398_0342188.jpg
買い物をしているバンナ族の男性
f0107398_0354823.jpg
子供が倒れていましたが、誰も助けようとしません。
f0107398_0392174.jpg
f0107398_0325811.jpg

続く


本日のつぶやき
石川大我 豊島区議会議員
‏@ishikawataiga
@akiko_peace ほんと、厚顔無恥とはこのこと。それが受け入れられる国民性が情けないです。。。

あんたの存在そのものが厚顔無恥だと思うけど。

つぶやき2
増山れな ‏@renaart · 6 de fev
「テレビに出ているゲイの方などは、本当に才能のあるキラキラした人達。LGBTというとそういう方を想像される方が多いが、ほとんどのLGBT当事者の方は日々を一生懸命働き普通に暮らす人。普通の人達が、暮らしながら感じている生きづらさを、少しでも減らす政策が必要」(Mさん)

この女、夏の参院選に社民党から立候補するそうで、それでLGBTにおもねっているらしい。
どうせ落選するだろうけどw

つぶやき3
毎日新聞 ‏@mainichi · 2月4日
川崎市で昨年2月、中学1年生の上村遼太さんを殺害したとして殺人罪などに問われたリーダー格の少年(19)に対し、検察側は4日、横浜地裁の裁判員裁判で、10年以上15年以下の不定期刑を求刑しました。

死刑にしろ!!




エチオピア周遊(15)

$
0
0

☆ムルシ族の集落訪問
f0107398_20252929.jpg
ムルシの女性たち:写真を拡大してみて判ったのですが、真ん中の女性が手に持っているのはカラシニコフ銃です!警官が護衛に付いてくる筈です

ジンカの土曜マーケットを見物した翌日、その時点でジンカに滞在していた日本人6人で車をチャーターしてムルシ族の集落を訪問しました。

ジンカからムルシ族の集落まで車で約1時間半。道は悪路で、早朝に降った雨のせいでぬかるんでいます。

しばらく走ったら、ガイドが「ここからゴマ国立公園だ」といいました。

ムルシ族は国立公園の中に住んでいるのです。

さらにちょっと行ったところで、銃を持った警官が乗り込んできました。

我々を護衛するためだそうで、そのための費用も徴収されました。

このあたりまで来ると、周囲の植生がはっきりと変化して、完全なサバンナの風景になってきています。

ケニアでよく見かけたアカシア科のソーンツリー(Thorn Tree)(写真でよくキリンと一緒に写っている木です)がそこら中に生えています。

考えてみればここはケニアとスーダンの国境に近いのです。


やがてムルシ族の集落に到着。

集落に入ると、観光客向けに正装(?)した女子供がワーッと寄ってきて大撮影会が始まりました。

バンナ族の若者みたいに恥じらいながらポーズを取ってくれると撮影欲もそそられるのですが、ここの連中は自分の方から「フォト、フォト」と積極的にというかしつこく売り込んで来るのでいい加減、辟易させられます。

それでも言われるままに写真を撮っていたら、30枚ほど用意した5ブル紙幣があっという間になくなってしまいました。

ほかの日本人はまだ喜んで写真を撮ってましたが、私はもう十分といった感じで、集落の前に停めてあった車に戻り、みんなが戻ってくるのを待っていました。

このとき集落内にいたムルシ族は30人ちょっと。護衛のために集落に残っているらしい数名の若者を除いて全員、女か子供でした。

女の場合は、お皿を嵌めた唇、子供の場合はボディペインティングと被写体としての売り物があるのに対して、オトナの男はそのような特徴はないので、家畜を連れて放牧にでかけていたようですが、

個人的にはムルシ族のオトナの男、特に若い男をもっと見たかったです。

ムルシ族は女は不細工ですが、男はカッコいいのです。

ジンカの町で、マーケット以外の日にも何人かムルシ族の若者を見かけましたが、長い木の棒を持ち、一枚の布を身体にまとっただけの高身長の彼らはジンカの町で非常に目立っていました。

ムルシ族は、南スーダンのディンカ族やヌエル族、ウガンダのカラモジョ族、ケニアのトゥルカナ族、サンブル族、マサイ族などと同様に、

民族学的にはナイロート系ハム族に分類される牧畜民で、このナイロート系の黒人の特徴は高身長で、端正な顔立ちをしていることです。

ムルシ族の男は背が高いだけでなく、ケンカの強そうなタイプが多く、どことなく女性的だったバンナ族の若者と比べるとずっと男らしくてとてもセクシーでした。
f0107398_20473267.jpg
集落の入り口でムルシ族の若者が出迎えてくれました。マサイに似てます。
f0107398_20351113.jpg
出た~~~
f0107398_20403389.jpg
可愛い!
f0107398_20374081.jpg
f0107398_20565030.jpg
f0107398_2059326.jpg

f0107398_211329.jpg

続く

本日のつぶやき
NHKのニュースを夢うつつで聞いていて、アナウンサーが「ベラルーシのデカチンコ大統領が。。。」といったので驚いて目が覚めたが、ルカシェンコ大統領の聞き間違いだった。

つぶやき2
渡辺謙、グラミー賞、受賞逃す
オリコン 2月16日(火)11時49分配信
原節子世代の私は未だに渡辺謙と松平健の区別がつきません。

つぶやき3
全国3例目の同性パートナー認定へ 三重県伊賀市
朝日新聞デジタル2016年2月17日00時04分
http://www.asahi.com/articles/ASJ2J5G1KJ2JONFB01T.html …
実際問題として人口10万にも満たない地方都市で同性愛者であることをカミングアウトするカップルがどれだけいるか甚だ疑問。人口の多い東京の渋谷区や世田谷区でも数組しか申請しなかったのに。

つぶやき4
杉並区議の小林ゆみさん、いいこといってる。
心にも無いことを叫ぶ人々
http://ameblo.jp/rais-yummy/entry-12096511535.html

つぶやき5
日本人が生きづらいのは“ロリコン文化”のせい フランス人ジャーナリストが指摘する
http://wotopi.jp/archives/34656
このフランス女は二代目フランソワーズ・モレシャンを気取っているのか。この手の上から目線でエラソーに日本人を批判するフランス人のピント外れの論調には毎度ながらうんざりさせられる。

そもそもフランス文化と日本文化という異なる文化の優劣を論じること自体、意味がない。彼女が自慢する「自由、平等、友愛」なんてフランスにちょっとでも住めば完全な嘘っぱちだってすぐにわかるのに。日本を批判する暇があったら、イスラム過激派のテロが吹き荒れる故国フランスの心配をしろと言いたい。


エチオピア周遊(16)

$
0
0

☆ジンカからアルバミンチへ

当初の計画では、ムルシ族の集落を訪問した翌日の月曜日にジンカからトゥルミまで移動して、バンナ族によく似たハマル族が集まるトゥルミの月曜マーケットを見物し、

その翌日の火曜日にトゥルミの近くの村メディカで開かれるやはりハマル族の集まる火曜マーケットを見物したあと、ジンカかコンソに戻るつもりでいました。

しかし問題がありました。ジンカからトゥルミへ行くバスは週に3回、火、木、土曜日に出るだけで、トゥルミでマーケットが開かれる月曜日はバスが無いのです。

そのため、もし月曜日にトゥルミに行こうと思えば、車をチャーターするかヒッチハイクするかの二択しかありません。

エチオピアの場合、ヒッチハイクといってもタダで乗せてくれる車は殆どなく、物資を輸送するトラックの運転手と交渉して金を払って荷台に乗るというのが大半だそうですが、

この齢でヒッチハイクをするのはシンドイし、かといって一人で車をチャーターする金もありません。

結局、考えたすえトゥルミに行くことはあきらめました。

その結果、ジンカにもう1泊することになりましたが、相当、疲労が溜まっていたこともあり、

最後の日は一日、デジカメの充電をしたり、溜まっている洗濯物の洗濯などをして一日のんびり過ごしました。


翌日の朝6時頃、コンソに移動するためにGOHホテルの近くのバス乗り場に行きましたが、コンソ行きのバスが見当たりません。

代わりにアルバミンチ行きのバスが停まっていて、車掌が客の呼び込みをしていました。

最初は体調を考えて、コンソに1泊してからアルバミンチに向かう予定だったのですが、とっさの判断で、その日のうちにアルバミンチまで行くことに決めました。

ところがアルバミンチ行きのバスが中々、出発しません。

私は最初の客だったのですが、エチオピアのバスは満員になるまで出発しないのです。

結局、バスが満員になって出発するまで4時間半も待たされました。

もっともエチオピア慣れしてきたのかそれほどイライラすることもなく、今日中にアルバミンチに着けばいいやと考えていましたが。

やっと出発したバスの乗客の中で外国人は私一人。興味をもったエチオピア人の乗客が話しかけてきたり、食べ物や飲み物、チャットまで勧めてくれたりみんな親切で、楽しい道中になりました。

エチオピアに来てから行く先々の町でホテルを一歩出た途端、ホテルの前で待ち構えている男たちが声をかけてきて、

しつこくつきまとってくるので、しまいには用があるとき以外はホテルから出なくなったのですが、

このときのバスの乗客は観光客にたかって金を巻き上げようなどとはみじんも考えていないごくふつーのの庶民ばかりで、

旅の最後で彼らと交流が持てたことでエチオピア人に対する印象がだいぶ改善されたのは良かったと思います。

このジンカからアルバミンチへのバスでの移動中に面白い出来事がありました。

バスの車掌は小柄だけど筋肉ムキムキの若い男で、彼がバスのドアの横の金属製のフレームに半ケツで腰かけていたので、その写真をつい撮ってしまったのです。

それをほかの客が見ていて車掌に言いつけたのですが、車掌は怒るかと思いきや、全然、怒らず、

アルバミンチに着いてバスを降りたとき、握手を求めるふりをして私の手を握ってきて、人差し指で私の手の平をこちょこちょくすぐったのです。

これは万国共通のサインで「俺はその気になってるぜ!」という意味です。

考えてみたら、この車掌は移動中に何度もシャツを着かえ、上半身裸になっていたのですが、あれは筋肉ムキムキの身体を乗客に見せつけるのが目的だったのではないかという気がします。

半ケツになったのも、若い女性の乗客が座っている目の前で、わざと尻を出して彼女を挑発していたのではないかと思います。

若い女性の乗客はその挑発に乗らず、彼を無視していたのですが、代わりに彼女の後ろの座席に座っていた私が反応して写真を撮ったので、

「えっ、なに? 俺に興味あんの? だったら相手するぜ」

ということになったのだと思います。

彼とは結局、何事もなくアルバミンチのバス乗り場で別れたのですが(ワキガがもの凄くて。。。)
f0107398_2252286.jpg
来るときにも寄ったコンソの休憩所
f0107398_2263620.jpg
このバスに乗ってきました
f0107398_2281643.jpg
若い女性の乗客の前で半ケツになって挑発している車掌。女性は無視して眠ったふりをしています

その後、アルバミンチから飛行機でアディスに戻り、帰国の途に就きました。

今回の旅行では欲張ってエチオピアの北部と南部を一度に回ったのですが、広いエチオピアを一回の旅行で見て回るには無理があって、北部の旅も南部の旅も中途半端なものになってしまいました。

特に南部は想像していた以上にディープなところで、少数民族をじっくり見て回ろうと思ったら、金も時間もかかることがわかりました。

今回はバンナ族とかムルシ族とか初心者向けの少数民族しか見ることができなかったのですが、魅力的な部族ほど交通の不便なところに住んでいるので、

彼らと会おうと思えば、事前にしっかりと計画を立て、4WDをチャーターする必要があるのです。

以下に今回、見ることができなかったエチオピア南部の面白い少数民族をいくつか紹介します。

●ボディ族

ボディ族はムルシ族と同じナイロート系の部族で、ムルシ族の居住地域からもう少し奥地に入ったところに住んでいます。

ボディ族では、男は太っているほど美男とされ、若い男は若い女性の気を引くために家畜の血やミルクを大量に飲み、蜂蜜をたくさん食べて一生懸命太るそうです。

祭りの日には、デブ・コンテストも開かれるそうで、デブ専には理想郷かもしれません。
f0107398_22122788.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=MQne7hYNvR4

●スリ族

スリ族の子供たちは顔にペイントし、頭を草花で飾る非常に奇抜なおしゃれをすることで知られています。
f0107398_2220189.jpg

一方、スリ族の若者たちは、ドンガと呼ばれる2メートルもの長さの木の棒で闘う競技を好み、このトンガはしばしば真剣勝負となって死人が出ることもあるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=q_bT47aoruw

「エチオピア周遊」おわり


本日のつぶやき
CatNA ‏@CatNewsAgency · 13時間13時間前

【必見】アイヌ協会=差別利権団体
・アイヌ利権の一部は文化交流の名目で国内外の反日活動へ
・国民の税金を使い日本の根拠なき加害行為を世界に喧伝
・中国や北朝鮮がアイヌに接近
・アイヌ側が部落や在日を引き入れた
・日教組、労組も加わる
https://www.youtube.com/watch?v=HRUNvHIEzig …

本日のつぶやき2
パナソニック、同性婚認める方針 就業規則、対象拡大へ
朝日新聞デジタル2016年2月18日11時50分
http://www.asahi.com/articles/ASJ2L35G5J2LPLFA001.html

同性カップルを異性の夫婦と同じように扱うとのことだが、法律に基づいて結婚しているわけではない同性カップルを夫婦として認めるのであれば、同棲しているだけの異性カップルも同様に扱わないと整合性が取れないと思うのだが。


2015 エチオピアの旅

$
0
0
f0107398_14214837.jpg
目次

●エチオピア周遊(1)エチオピアを旅行したいと思った理由

●エチオピア周遊(2)旅行の準備

●エチオピア周遊(3)関空からドバイまで

●エチオピア周遊(4)ドバイ観光

●エチオピア周遊(5)ドバイからアディスアベバへ

●エチオピア周遊(6)アディスアベバ観光

●エチオピア周遊(7)アディスアベバからバハルダールへ

●エチオピア周遊(8)タナ湖クルーズ

●エチオピア周遊(9)バハルダールからラリベラへ

●エチオピア周遊(10)ラリベラの岩窟教会

●エチオピア周遊(11)ラリベラからアディスアベバへ

●エチオピア周遊(12)アディスアベバからアルバミンチへ

●エチオピア周遊(13)アルバミンチからカイ・アファールへ

●エチオピア周遊(14))カイ・アファールからジンカへ

●エチオピア周遊(15)ムルシ族の集落訪問

●エチオピア周遊(16)ジンカからアルバミンチへ




本日のつぶやき

那覇市 LGBT支援宣言へ
f0107398_22404170.jpg
大ちゃんママ@yobu_dai
@catbsky @rkayama
最近やっと左翼の生態が分かってきました。
有りもしない差別を作り出しマスコミその他で拡散し、そこに人権団体や人権派弁護士などが被害者の擁護を装い群がる。そして国や行政、自治体に対し脅し、ゆすり、たかりに近い行為を繰り返す。利権が確立。

つぶやき2
エチオピアは旅行しているときは嫌なことが多いんだけど、なぜか帰ってみるとまた行きたくなる不思議な国です。


つぶやき3
細川 隆好 @hosotaka
@SKRBKY1 「ゲイリブやフェミニストには何でブサイクが多いの?」とは、一体、誰が言ってるのですか?
誰が言ってるもなにも一目見りゃわかるでしょうが。

細川 隆好 @hosotaka
@SKRBKY1 ゲイリブの端くれですが、僕はブサイクですか???
ブサイクを通り越してキモイ! 絶対にかかわりあいになりたくないタイプ


つぶやき4
月清 ‏@tsukikiyora · 5時間5時間前
そもそも、LGBT思想原理主義のLGBTが多様性訴えるって事が、そもそも矛盾してるのよ。自分達の思想で他者を支配しようとしてるわけなんだから。そこん所はっきり主張すればいいのよ、誤魔化さずにさ。


つぶやき5
芳林堂が破産 池袋などに書店 Yahooニュース 2016年2月26日(金) 15時24分掲載

店員がもの凄く感じ悪い本屋でした。

高田馬場店は近くだったのでよくいってたけど、立ち読みどころか座って読めるジュンク堂が池袋に開店したおかげで池袋の本店がつぶれるまで立ち読みの客をハタキで追い払ってたんですよね。

店員は男も女もわざと揃えたのかと思うほどブサイクばかり。サヨク系の店員が多かったみたいで保守的な雑誌として知られていた文芸春秋社の「諸君」を買うと、嫌な薄笑いを浮かべて袋に入れていたのを思い出します。





代理母ビジネスに手を出した自称LGBTアクティビストの東小雪が嫌われる理由

$
0
0
f0107398_2251201.jpg
去年の暮れあたりから、元タカラジェンヌが売り物の自称LGBTアクティビスト、東小雪に対するバッシングが続いています。

発端は、彼女がアメリカの代理母出産仲介業者と組んで日本でゲイのための代理出産と卵子提供セミナーなるものを開催すると発表したことです。

日本のゲイリブは昔からアメリカ一辺倒で、アメリカで同性婚が流行し、代理母を利用して子供を持つゲイのカップルが増えているという話を聞くと、

日本の同性愛者もアメリカのように同性婚をして、子供を育てるべきだと単純に考えてしまうのです。

そこには日本とアメリカは文化が違うから、アメリカで同性婚や同性カップルの子育てが流行っても、日本でも同じようになるとは限らない、という発想がすっぽりと抜け落ちています。

それが私には不思議でしょうがないのですが、アメリカのゲイの生き方を真似することが同性愛者の正しい生き方であると信じて疑わないゲイリブカルトの信者たちは聞く耳を持たないのです。


最近、現れた東小雪やグッド・エイジング・エールズなどのいわゆる渋谷系のゲイリブたちの特徴は、従来のように同性婚の権利を叫ぶだけでなく、

実際にこの日本で無理やり同性婚の需要を作り出して、それをビジネスにつなげて儲けようと企むところです。

東小雪とその相方もレスビアンの婚活と称してレスビアンのお見合いパーティーなどを開いていたそうですが、その程度の活動で止めておけば問題はなかったと思います。

しかしゲイの男性の子作りを支援するために代理母の斡旋をすると言い出したことで俄然、批判に晒されるようになったのです。

ご存じのように、子供のいないカップルのための代理母による出産については、医学的・倫理的な観点から批判の声が強く、日本では原則禁止されています。

出産というのは女性にとって精神的にも肉体的にも大きな負担を強いられる極めて重大な出来事で、妊娠中に合併症その他で死亡する事例もあります。

そのようなリスクを伴う出産を発展途上国の貧しい女性や先進国でも貧困層に属する女性に金を払って代替させるのは

金持ちによる貧しい女性の搾取にあたるのではないか、また生まれて来る子供を生みの母から引き離して依頼者に渡すのは人身売買にあたるのではないかという批判が根強いのです。

特に東小雪については、みずからも女性でありながら、同じ女性である代理母の立場にまったく配慮せず、金儲けのことしか考えないその利己的な姿勢が厳しく問われたのです。

このような批判に対して東小雪は「ゲイでも子供を持つことができる可能性を示したかっただけだ」と弁明していますが、当事者の立場から言わせてもらえば余計なお世話です。

そもそも日本のホモで、同性婚して子供を持つことまで考える人間がどれだけいるのか。

渋谷区が鳴り物入りで売り出した「同性パートナー証明書」を申請したのが、渋谷区お抱えのLGBT芸人である東小雪とその相方しかいなかったという事実は、日本における同性婚の需要がいかに小さいかよく示しています。

ましてや、2000万円もの大金を払って代理母を利用して子供を持ちたいと思うホモのカップルなんて現実にこの日本にいるとは思えません。

元々日本には存在しない需要を無理やり作り出してまで金儲けをしたいと考える欲深な女がLGBTアクティビストを名乗ることに多くの当事者が違和感を覚えているのです。

代理母出産ビジネスで物議を醸したあと、東小雪はある地方新聞のインタビューで宝塚在籍時代に先輩たちから激しいイジメに遭ったと発言して宝塚ファンから猛反発を受けます。

宝塚ファンから見れば、宝塚に短期間しか在籍せず、ロクに活躍もしなかったくせに「元タカラジェンヌ」という肩書を最大限、利用して自分を売り込んでおきながら、

宝塚の内部事情を暴いて批判するのは宝塚に対する裏切り、侮辱以外のなにものでもないのでしょう。

東小雪はこのような宝塚ファンの批判に対して、「宝塚ファンは心を病んでいる人間が多い」というツイートをRTして火に油を注ぐのですが、

公平にみて、心を病んでいるのは東小雪の方でしょう。

彼女はあるニュースサイトのインタビューで次のように発言しています。

「宝塚を退団した後の私は、リストカットや自殺未遂を繰り返したり、境界性人格障害と診断され、ときに閉鎖病棟に入院させられたり……
http://news.livedoor.com/article/detail/8988132

実は、ゲイリブ団体を頼って来る人間の多くは、彼女のように心の問題を抱えたメンヘラと呼ばれる人間なのです。

彼女も現在のパートナーと出会うまでいくつかのゲイリブ団体を渡り歩いているようですが、彼女のようなメンヘラがゲイリブ団体のいい加減な自称カウンセラーと接してかえって病状を悪化させるケースは多いのです。

彼女はブログで、細木数子みたいな見るからに胡散臭い感じのする自称カウンセラーの婆さんを紹介して「私は先生に救われました」とか書いてますが、この婆さんに洗脳されたんじゃないでしょうか。

そのうち霊験あらたかな壺かなんかを売り出すようになったとしても私は驚きませんね。

いずれにせよ、彼女を見ていて驚かされるのは、その自己顕示欲の強さです。

彼女は実の父親にレイプされた体験を書いた本を出版して、自分のブログで宣伝していますが、こういうことができる人間はふつうの神経の持ち主とは思えません。

もちろん本人は「私のような辛い体験をする人がこれ以上でないように勇気を出して告白しました」みたいなことをいって自分の行為を正当化しているでしょうが、

ようするに世間の注目を浴びたいだけで、そのためには、実の父親に犯された体験までも売り物にしてしまうのです。

彼女が宝塚に入ったのもスターになって脚光を浴びたかったからでしょう。

しかし宝塚の厳しい世界にはついていけず、ドロップアウトしてしまいます。

それても、その目立ちたがり屋の性格は治らなかったみたいで、宝塚退団後、レスビアンであることをカミングアウトし、マスコミを呼んでディズニーランドで派手な同性結婚式を挙げます。

そんな彼女に目を付けたのが、渋谷区のイメージアップのためにLGBTを「活用」することを考えていた渋谷区の長谷部区長です。

長谷部座長が率いる渋谷区のLGBT一座には、ダウン症みたいな顔をしたセレブ気取りのブサイクなオッサンとか、髭を生やしたトンカツ屋の娘とかほかにロクな役者がいなかったので、

宝塚出身の彼女を一座の看板女優として迎えたのです。

渋谷区お抱えのLGBT芸人になった彼女は、宝塚では得られなかった主役の座を射止めてさぞかし満足だったに違いありません。

広告会社の宣伝マン出身の長谷部座長のプロデュースの下、渋谷区が売り出した同性パートナーシップ証明書の申請第一号として登場し、

カメラの放列を前に記者会見する彼女の顔にはやっと世間の注目を浴びることができた喜びが溢れていました。

この東小雪を見ていると、尾辻かな子を思い出すという人がいます。

尾辻かな子は、2005年の東京のゲイパレードで現職の政治家として初めてレスビアンであることをカミングアウトして話題を呼びます。

当時は大学のゲイサークルの全盛時代で、大学生のホモの間では、

「周囲の友達に嘘をつきながら生活するのは息苦しい」とか、「彼氏のことを彼女に置き換えて話を合わせるのが大変だ」

といった理由で、カミングアウトを推奨する動きが出ていたといいます。

そこにタイミングよく尾辻かな子がカミングアウトしたので一躍、彼女は若い学生ホモのアイドルになったのだそうです。

しかし大学のゲイサークルで活動していた大学生のホモは政治には無関心だったといいます。

私は尾辻かな子は、学生たち若いホモに推されて参院選に出馬したものとばかり思っていたのですが、実際は彼女は学生たちに黙って水面下で民主党と立候補の話を進めていたのだそうです。

そして彼女の発言が政治的な色合いを帯びるようになるにつれて、学生たちの間で尾辻が自分の政治的野心を実現するために若いホモを利用しているのではないかという疑念が高まっていったといいます。

その結果、彼女が出馬表明の記者会見をしたときには学生たちはすでに彼女の元から潮を引くように去っていたそうで、

その間隙を埋めたのが古手のゲイリブ活動家たちで、彼らの影響を受けた尾辻はますます先鋭化し、

マスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げたり、選挙カーで「レスビアンの尾辻かな子をお願いします~~」と連呼して回るという悪趣味きわまりない選挙戦を繰り広げるのですが、

それにドン引きした一般の同性愛者の間から彼女に対する激しいバッシングが起きて、同性愛者の票をまったく得られずに惨敗してしまうのです。

尾辻かな子と東小雪に共通するのは、二人とも私利私欲を満たすためにLGBTを利用していることです。

また批判や忠告に一切、耳を傾けない点も共通しています。

尾辻かな子は自分に対する批判を完全に無視して暴走し、自滅していきましたが、東小雪も同じ運命を辿ることになるでしょう。



スリ族のナチュラル・ファッション

$
0
0

エチオピア南部のオモ川流域に住む少数民族のひとつ、スリ族の子供たちは顔や身体にペインティングし、頭に草花を飾る非常に奇抜で独創的なおしゃれをすることで知られています。

f0107398_13451454.jpg



f0107398_1343911.jpg



f0107398_13441011.jpg
    

f0107398_13485829.jpg



f0107398_13521345.jpg
   草月流?


f0107398_13531832.jpg



f0107398_13541777.jpg



f0107398_13553857.jpg



f0107398_13563085.jpg



f0107398_13573372.jpg



f0107398_1359274.jpg



f0107398_1411030.jpg



f0107398_1421141.jpg



f0107398_1432060.jpg



f0107398_1442314.jpg



f0107398_1455065.jpg



f0107398_1464495.jpg



f0107398_1474313.jpg



f0107398_1484057.jpg



f0107398_1494548.jpg


次回、エチオピアに行くときは是非、このスリ族の村を訪れたいと思っているのですが、スリ族は特別、交通の不便なところに住んでいて、ガイドブックにも村への交通手段は徒歩なんて書いてあったりして。。。

あと宿泊施設もないのでテントも持っていく必要があるみたいで、いろいろと大変みたいですが、なんとか行きたいと思ってます。

参照文献:ハンス・シルヴェスター (著)
ナチュラル・ファッション 自然を纏うアフリカ民族写真集


本日のつぶやき

気が狂ったのか?
こんな小さな子供をホモ認定するなんて。
https://twitter.com/outinjapan/status/704723336031416320

私がアフリカに行く理由

$
0
0

私は旅行が趣味というか道楽ですが、何のために旅行するかと訊かれたら、「日常から脱出するため」と答えます。

日常生活というのは毎日が同じことの繰り返しで、退屈でうんざりさせられることが多いのですが、

そこから一時的に脱出して非日常的な時空に身を置いて日常生活で溜まったストレスを発散するのが私の旅行の目的なのです。

旅行好きには一年も二年もかけて世界を一周する人もいますが、私はそういう長期間の旅行には興味がありません。

そんなに長く旅行を続けていたら旅が日常になってしまって、そこからまた脱出する方法を見つけなければならなくなるんじゃないかと思うからです。

旅行の目的が日常からの脱出にあるので、旅行先はなるたけ日本とはかけ離れた環境のところがいいです。

具体的にいうと、砂漠のオアシスなんか理想的です。

砂漠のオアシスは住民が少なくてのんびりしたところが多く、空気は清浄で澄み切っていて、砂漠に沈む夕陽をぼんやり眺めていると心が癒されます。

反対に日本に似た環境のところはあんまり行きたいと思いません。

例えば、台湾は過去何回か飛行機の乗り継ぎの都合で台北に一泊しましたが、正直いって魅力を感じませんでした。

日本に似すぎていて、外国にいる感じがしないのです。

タイもバンコク辺りは東京と大して変わりない大都会なので、外国に来た感じはあまりしないんだけど、パタヤまで行くと異国情緒が感じられるので、パタヤは嫌いじゃないです。


かって日本人バックパッカーの間でよくいわれていた言葉に「金の北米、女の南米、歴史のアジア、冒険のアフリカ、何もないのがヨーロッパ」というのがあります。

ヨーロッパ好きな人は、「なんでヨーロッパは何にもないんだヨ!」と怒るかもしれませんが、これはヨーロッパではカルチャーショックを味わえないという意味だと思います。

ヨーロッパは日本と同じような小さい国が沢山あって、そこで人がチマチマ生活しているところが日本に似ていて、生活レベルの高い先進地域である点も共通しています。

そういうところは、ある程度、旅慣れてくると、旅行していても刺激がなくて物足りなく思えてくるのです。

「旅行好きの人間が最後に行き着く先はアフリカとインド」といわれるのも、これらの地域では、先進国では絶対に味わえない強烈なカルチャーショックを体験できるからだと思います。

旅先で自分が属する文化とはまったく異なる文化と接するのは非常に刺激的で興奮させられる体験で、私にとって旅のだいご味はそこにあります。

もちろん、このようなカルチャーショックは楽しいことばかりとは限らないし、不愉快な体験をしたお陰でその国が嫌いになってしまうこともあります。

しかし長期間、滞在するならともかく、短期の旅行の場合は、その国に長居する必要がないので、その体験が不愉快だったとしてもある程度、我慢できるし、

本当にその国が嫌いになったら、二度とその国に行かなければよいだけの話です。

去年の暮のエチオピア旅行のときは関空からドバイまで往復、中国東方航空を利用したのですが、乗り継ぎの関係で上海に一泊しなければならなくてはなりませんでした。

そして上海に一泊しただけで、中国という国が大嫌いになりました(笑)

そのため、中国には二度と行く気にはなれないのですが、だからといって中国に行ったことを後悔はしていません。

この地球上にあんな酷い国が存在するということを知ったのはやはり貴重な体験だったと思うし、

非常に感じの悪い中国人に出会って大変不愉快な思いをしたのは事実ですが、親切な中国人にも出会うことができましたから。

話がだいぶ逸れてしまいましたが、私がアフリカが好きなのは、日本では見られない雄大な自然や多くの野生動物を見ることができるだけでなく、

日本では絶対にお目にかかれない風変わりな恰好をした多くの少数民族に出会えるからです。

旅行好きの人間は「景色派」と「人間派」に大別できると思いますが、私は「人間派」で、今回、エチオピア南部にハマってしまったのも、この地域に民俗学の宝庫と呼ばれるほど多くの少数民族が居住していて、

その各々の少数民族が非常に個性的かつ奇抜なファッション(裸を含む)に身を包んでいることを知ったからです。

あとエチオピア南部は南スーダンと国境を接しているので、南スーダンに住む部族と同じ系統の部族をエチオピアで見ることができます。

以前、スーダンのハルトゥームに行ったとき、スーダン南部から来たびっくりするほど背が高い黒人を見て驚いたのですが、彼らの仲間がエチオピアにも住んでいるのです。

南スーダンは2011年に独立したのですが、すぐに内戦が始まり、現在は観光客が行ける状態ではないので、

南スーダンの黒人が好きな私としてはエチオピア南部でスーダン南部と同じ黒人の部族が見られるのを知ったのは嬉しい驚きでした。

これらナイロート系ハム族と呼ばれる高身長の牧畜民は、ケニアでも見られるのですが、ケニアの部族はかなり近代化しています。

かってケニア北部のトゥルカナ湖周辺に住むトゥルカナ族は、男も女も全裸で生活していましたが、

ケニア政府が「トゥルカナにパンツを穿かせる運動」などという余計な運動をやったお陰で現在は男女とも布を身体に巻いています。

マサイ族も私がマサイ族の村を訪れた1970年代初めは、モラン(戦士)と呼ばれる若いマサイは、一枚の赤い布を肩から前にたらしているだけで、

後ろから見るとふんわりと高く盛り上がった形の良い尻が丸見えで、横から覗くと股間に鎮座ましましている立派なイチモツを拝むことができました。

しかし、現在は腰に布を幾重にも巻き付けてしっかりとガードしているのです!

ドイツ人の女流カメラマン、レニ・リーフェンシュタールが1960年代から70年代にかけて撮ったスーダンの裸族、ヌバも現在は服を着ているそうで、アフリカの裸族は殆ど絶滅寸前なのですが、

かろうじてエチオピア南部で少数の部族が裸で暮らしているのです。

というわけでこれから暫くはエチオピアにリピートすることになると思いますが、体力、資金がいつまでもつか、それが問題です。
f0107398_21472035.jpg
  全裸で暮らしていた頃のトゥルカナ族の写真
f0107398_21492497.jpg
    マサイの戦士が尻を丸出しにしていた頃の写真
f0107398_21502031.jpg
ヌバのレスラー
f0107398_2151796.jpg
エチオピア南部の裸族
f0107398_21534963.jpg
おまけ:日本の裸族


本日のつぶやき
崔碩栄 ‏@Che_SYoung · 3月7日
「マイノリティ」という<子供用>飴を未だに握り締めて、手放そうとしない<大人>がいる。

つぶやき2
月清@tsukikiyora ゲイは同棲して同性婚して子供も持たねばならない。そうしないと社会から人間として認めてもらえないって神話があるけど、それ西方キリスト教圏の話しだから日本じゃないわよ。。。と。
しかもその神話は90年代以降に誕生したもので、それ以前は西方キリスト教圏にもそんな神話は存在しなかった。







中国人の常識は世界の非常識(1)

$
0
0

近藤大介著『中国人の常識は世界の非常識』という本を読みました。

著者の近藤大介氏は1965年生まれ。1995年から1996年まで北京大学に留学。2009年から2011年まで北京の日本企業(講談社)の駐在員を務めたという経歴の持ち主です。

中国関連の書籍には、中国経済のバブルがいつ弾けるか予測した経済関連の本とか、中国の軍事力増強の脅威のような軍事的な問題を扱った本は多いのですが、

一般の中国人が中国という日本人にとっては近いようで遠いよくわからない国で、日々、何を考え、何を目的にして生きているかという情報はあんまり入ってきません。

本書は主として2009年から2011年までの3年間の著者の駐在員生活の経験を基にして書かれた中国人論で、

過去35年間に急激な経済成長を遂げて日本を追い越し、世界第二の経済大国の国民になった現代中国人の生態が生き生きと活写されていて、非常に面白い読み物になっています。

また中国に駐在する日本人駐在員が日々の生活で遭遇する信じられないような出来事の数々も紹介されていて、中国という国がいかに日本やその他の世界の常識からかけ離れた特異な国であるかが詳しく述べられています。

まず驚かされるのは著者が2009年に駐在員として北京に赴任したときに入居したマンションの話です。

著者が入居したマンションはその4年前の2005年にできたばかりの新築物件で、中国有数の不動産会社が建てた中国人向けの35階建てマンションだったそうですが、日本のマンションとは「似て非なるものだった」といいます。


ある時、居間のシャンデリアが突然、崩れ落ちた。部屋のドアを開けたら、ドアが崩れ落ちてきたり、カーテンを開けたら、カーテンが崩れ落ちてきたこともあった。窓の取っ手は固くて、すぐに壊れたり窓が開かなくなったりする。
風呂のシャワーは、突然お湯が出なくなったり、お湯がシャワーの穴から周囲に広く飛び散ったりした。2010年の盛夏には丸々1カ月間にわたって、お湯がストップした。
騒音も容赦なかった。向かいの隣人が見ているであろうTVドラマのけたたましい音声や、上階でガラガラ卓を囲んでいる麻雀の音などが、生で伝わってくる。どこかの部屋でやっている内装工事のドリルの音は、深夜も休日も止まらない。
(中略)
マンション内では、全館が突然、停電したり、意味もなく警報装置が作動し、鳴り止まなかったりということもあった。3基あるエレベータも、よく1台が故障して止まった。
ある時など、3日間にわたって3基すべてが止まった。私の部屋は25階だったが、朝下まで降りるだけでヘトヘトになってしまった。これが帰宅時には上がりの階段になるのだ。

中国にこのような欠陥マンションが多いのは、業者が手抜き工事をするからだそうですが、

その底にあるのは、中国人に特有のコスト削減のためならば平気で手抜き工事を行う金儲け第一主義と、

手抜き工事によってマンションの住民がどれだけ迷惑を被ろうが自分の知ったことではないと考える徹底した自己中心主義だといいます。

中国でサービス業に従事する人間にサービス精神のかけらも見られないのも、このような中国人特有の利己主義とそれに伴う他人に対する思いやりの欠如が原因だと著者は指摘しています。

著者の住むマンションの手前1キロで渋滞にはまったから、ここまで荷物を取りに来いとケータイ電話をかけてくる宅急便の配達員、

マンションの設備の修理にやってきて、いきなり汚い作業服のままソファにどっかりと腰をおろし、仕事そっちのけで自分の好きなテレビ番組を見はじめた修理工、

メーター料金の何倍もの金を払うから乗せてくださいと懇願しない限り、断固として乗車拒否するタクシーの運転手、

マンションの1階にあるセブンイレブンの女の店員に「もう少し愛想よくしたらどうだ」といったら、「あたしの時給がいくらだと思ってるの?」と逆切れされた話、等々、

著者は、いかに中国人にサービス精神が欠けているかを具体的な例を挙げながら縷々、述べているのですが、いくらサービスが悪くともそれで死ぬわけではありません。

しかし「毒食品」となると話は別です。

中国には毒食品が広範囲に出回っているので、スーパーやコンビニでの商品選びには苦労するといいます。

下水油の味がする紙パック入りの牛乳とか、膨張剤の入れ過ぎで冷蔵庫に入れておくと5センチも膨張して先っぽに花が咲くキュウリとか、成長促進剤の入れ過ぎで破裂してしまう「爆発スイカ」とか、

無農薬野菜が売り物だったニンニク産地の河北省永年県のニンニクにリン酸硫黄などの劇薬が振りかけられていることがわかった話とか、

ショウガの産地として有名な山東省安丘市のショウガが50ミリグラム摂取したら死亡するといわれる猛毒殺虫剤を大量に使用して生産されていたことが暴露された話とか、

「中国のエビアン」という触れ込みで北京のコンビニの人気商品だったミネラルウォーターが、ごみ処理場の地下水をくみ上げたものだったことが判明した話とか、

毒食品にまつわる話は枚挙に暇がないそうですが、中国から日本に大量に輸出されている養殖ウナギにも使用が禁止されている成長促進剤や発がん性物質である病気予防剤が使用されているといいます。

ショウガの生産に猛毒殺虫剤を使用していることが発覚して当局に検挙された農家の男性は、テレビ局のレポーターに「あなたもこのショウガを食べるか?」と訊かれて、「そんなもの食べるわけないだろ!」と言い放ったそうです。

さらに毒食品と同じかそれ以上に深刻な問題が大気汚染です。

著者が北京で暮らしていた3年間で、最悪だったのは2012年1月だったそうで、著者はその頃の日記に、次のように記しています。

「あまりのスモッグに、目も口も開けられない。喉が痛み、顔中がチクチクと痛む。頭痛もしてきて、最後は背中まで痛くなった。日中というのに、視界は10メートルくらいしかない。いよいよ歩行も困難になり、社員たちを早退させた。」

日本では「PM 2.5が35以上で危険」と定められているそうですが、このとき北京市内27ヶ所で観測されたPM 2.5の値は、

過半数の14ヶ所で最悪の「重度汚染」(指数300以上)、5ヶ所で「中度重汚染(指数201~300)を記録したそうです。

大気汚染は、翌年の2013年にはさらに悪化し、北京、ハルピン、成都などで1000の大台を突破し、「このままでは2000万北京市民全員がガンに犯されしまう」と医者たちが警鐘を鳴らしているといいます。

このような過酷な環境に身を置いていることに加えて、愛社精神のかけらもない超利己的な中国人社員の自分勝手な振る舞いに日々、神経をすり減らし、ノイローゼになったり、ストレスで身体を壊す日本人駐在員が多いそうです。

著者の周囲だけでも突然死した駐在員が1名、ノイローゼになって帰国した駐在員が6名、ノイローゼになりかかっている人間まで含めると数え切れないといいます。

北京の日系保険会社の駐在員から著者が聞いた話では、ここ数年、中国国内で毎年100人以上の日本人が亡くなっていて、中国人との軋轢に悩む駐在員の死亡が急増しているそうです。

100人というのはあくまでもこの会社が扱った件数であるため、実際には数百人規模で死んでいるのではないかといいます。

この本が出版された2014年1月の時点で、中国に進出している日本企業は2万3000社、相当数の日本人駐在員が中国で働いているものと思われますが、

日本企業はこれら駐在員の心身のケアを十分に行っているのだろうか、と他人事ながら心配になってきます。

続く


本日のつぶやき

震災体験LGBT「避難所でトイレやお風呂が、男性と女性でしか分かれていなかったため、困った」 NHKニュース

164:名無しさん@1周年:2016/03/21(月) 17:02:27.12 ID:rFlYlIwB0.net
何言ってんだコイツってレベルwwwwwwww

16:名無しさん@1周年:2016/03/21(月) 16:32:16.24 ID:e67eciPu0.net
生きるか死ぬかというときに
自分の権利ばかり主張するんじゃねーよ。
マイノリティーな俺かっこいい!?とか自己陶酔でもしてんの?

大阪のおばちゃんなんかな、
高速SAのトイレが込んでたら、涼しい顔して男子トイレに入るんだよ

LGBTが可視化するにつれて、LGBT=キチガイという認識が世間で広まるに違いない


中国人の常識は世界の非常識 (2)

$
0
0

昨年暮れのエチオピア旅行では、関空⇔ドバイ間は中国東方航空を利用したのですが、往路は乗り継ぎの関係で上海に一泊することになりました。

上海というか、中国本土に行くのはこれが初めてでした。

中国に関しては大気汚染とかあまり良いイメージをもっていなかったこともあって、これまで積極的に行きたいとは思わなかったのです。

しかし、もし上海に行く機会があれば、一ケ所だけ立ち寄ってみたいところがありました。

上海の虹口地区にある「来来歌舞庁」というダンスホールです。

ここは上海の中高年のホモ社交場で、男同士で社交ダンスを楽しむ場所なのだそうです。

世界にはゲイ向けのディスコやクラブは沢山ありますが、中高年ホモ向けのダンスホールなんて聞いたことがありません。

私は老け専ではありませんが、上海の老人ホモがどのような生活をおくっているのか興味があったので、

上海に一泊するついでにこのダンスホールに行ってみたいと思い、ホテルも上海の虹口地区にあるこのダンスホールに近いホテルを予約したのでした。

上海の浦東空港に到着したのは午後6時20分、イミグレを通って空港に乗り入れている地下鉄の入り口に着いたのは7時20分で、

地下鉄でホテルの最寄りの駅まで行って、そこからタクシーでホテルまで行く予定でした。


空港から直接、ホテルまでタクシーで行かなかったのは、タクシー代を節約するためと渋滞に巻き込まれないようにするためで、

ホテルに着いたらすぐにタクシーを拾ってホテル近くのダンスホールに行くつもりだったのですが、地下鉄に乗ってみてこの計画が甘かったことに気づきました。

ホテルの最寄りの地下鉄の駅は大連駅でしたが、空港から大連駅まで地下テルの路線を2回、乗り継いで1時間半もかかったのです。

さらに大連駅から予約したホテルまでタクシーで行くのも簡単ではありませんでした。

上海のタクシーの運転手は、初乗り運賃で行けるような近場は乗車拒否することがわかったからです。

続けさまに3台のタクシーに乗車拒否されて、4台目のタクシー運転手に初乗り運賃15元の倍の30元を払ってやっとホテルまで行ったのですが、

その時点ですでに9時20分になっていて、9時半に閉まるというダンスホールに行くのは無理だとわかりました。

時間的に余裕があっても、ダンスホールはホテルから初乗り運賃で行ける距離だったので、タクシーの運転手に乗車拒否されていただろうし、

上海もこの辺りになると夜の9時を過ぎると暗くて人通りも少なく、人に尋ねながらダンスホールまで歩いていくのも難しかっただろうと思います。

タクシーでホテルに着いて、中に入っていくとフロントにいた若い女と中年男が「何しに来た?」というような迷惑そうな目で私を睨みつけました。

部屋を予約してある旨を告げると、不愛想に「部屋はない、ほかのホテルへ行け」といいます。

ネットの予約サイトでこのホテルを予約してデポジットも払っているといっても聞かず、「部屋はない。よそに行け」の一点張りです。

しかし、もう夜遅い時間だし、私は上海は初めてで土地勘はないし、ホテルの周辺は薄暗くて人通りも少なく、そんなところで簡単に別のホテルが見つかるとは思えません。

いずれにせよ、私はデポジットまで払っているんだから、彼らは私にホテルの部屋を用意する義務がある筈です。

もしこのホテルに部屋がないのであれば、別のホテルを紹介してくれといったのですが、「そんなことはできない。自分で探せ」といいます。

頭に来た私は、「もしあんた方が部屋を用意できないのなら、しょうがないから今晩はここで寝るヨ」といってロビーのソファに寝ころびました。

お前らが部屋を用意するまではテコでもここを動かないぞ、と意思表示をしたわけですが、それを見たフロントの中年男がフロントから飛び出してきて、怒りの形相で、

「出て行け!」

と怒鳴りながらソファに寝転がっている私の足を蹴ってきました。

ホテルの従業員に暴力を振るわれたのは生まれて初めての経験です。

私は「絶対に出て行かない!」と言い返しました。

そのうち、若い女がどこかに消えていき、だいぶ経ってから戻ってきて、

「あなたの予約したシングルの部屋は現在、改装中で泊まれない。ツインの部屋は空いているが、ツインの部屋に泊まりたいのであれば、あなたはシングル料金の倍の料金を払わなければならない」

といいました。

「冗談じゃない! そっちの都合でシングルの部屋を用意できないのだから、当然、代替の部屋はシングルの料金で提供すべきだ」

と私はいい、また言い合いになったのですが、しばらくやりあったあと、女はまた奥の方に消えて行きました。

多分、奥には彼女の上司か、ホテルのオーナーがいて、意見を聞きにいったのではないかと思います。

そしてだいぶ経ってから戻ってきて、「あなたにシングルの料金で、ツインの部屋を提供する」といいました。

やれやれ、これで一件、落着かと思いきや、そうは問屋が卸しませんでした。

料金を支払う段になって、VISAカードで払おうとしたら、現金でないと受け付けないというのです。

ネットの予約サイトのこのホテルの紹介ページには、クレジットカードでの支払いを受け付けると書いてあったので、私は日本を出るとき、中国の通貨は150元しか両替して来ませんでした。

夜、上海に着いて、翌朝、上海を出るのだから、往復の地下鉄代に最寄り駅からホテルまでのタクシー代、ダンスホールの入場料10元にホテル=ダンスホールの往復のタクシー代、

ぜんぶひっくるめて150元もあれば十分だろうと思ったのです。

そのとき手元には、空港から大連駅までの地下鉄代と大連駅からホテルまでのタクシー代30元を払った残りの100元ちょっとしかなく、これではホテル代には届きません。

ドルで払えないかと訊くと、うちは両替はしていないといいます。

それでまたまた言い合いになって、またまた女は奥の方に消えて行き、しばらく経って戻ってきました。

手にはビザカードの決済端末機をもっています。

なんだ、ちゃんとあるじゃないか!

最終的に、部屋代はビザカードで支払い、それとは別に100元のデポジットを現金で支払うことで決着しましたが(100元のデポジットは翌朝チェックアウトするときに返してくれました)、

部屋に入ったときはもう11時を過ぎていて、この一件で私の上海=中国に対する第一印象は最悪になったのでした。

続く

中国人の常識は世界の非常識 (3)

$
0
0

前回のエントリで、上海でホテルを予約していったにも関わらず、宿泊を拒否された体験談を書きましたが、こういうことは中国ではよく起こるみたいで、

「中国人の常識は世界の非常識」の著者である近藤大介氏も同様の経験をしていて、上海のホテルを予約していたのに宿泊を断られた話を書いています。

彼が予約したのは、私が予約したような安ホテルではなく、上海の高級ホテルだったそうですが、それでも予約していったにも関わらず、ホテルの従業員は満室だからと平然と断ったといいます。

多分、自分よりも高い部屋代を支払う別の客が現れたから自分の予約を勝手に取り消したのではないかと、著者は推測していますが、

こういう話を聞くと、中国人は約束とかルールを破って恬として恥じない人種であることがよくわかります。

実際、私のケースでも、ホテルの従業員は、予約を受け取っていながら宿泊を断ることは悪いことだと思っている様子はみじんも感じられなかったし、謝罪の言葉ももちろんありませんでした。

近藤氏によると、自分の都合を常に優先させて、他人の都合を一切顧みない、このような中国人の自己中心的な性格は、上は習近平から下は一介の庶民にいたるまで、すべての中国人に共通していて、

そのような利己的な個人の集合である中国人社会は、必然的に自分以外の人間はたとえ自分の妻であっても潜在的な敵あるいはライバルとみなす人間不信の厳しい弱肉強食の競争社会となり、

他人にたいする思いやりなどもっていたら、とても生き抜いて行けないのだそうです。


近藤氏は、日本人は基本的に性善説で人と接するので、日本社会には「信頼関係のインフラ」というべきものが存在するといいます。

ビジネスマンであれば、名刺交換したあとは、信頼関係の上に立って話ができるし、同じマンションに住む住民であれば、互いに名前や素性を知らなくとも、廊下やエレベータで会えば、自然と挨拶を交わす。

ところが中国人は性悪説で物を考えるので、初対面の人間と接するときは「もしかしたらこの人間は悪人ではないか」と疑ってかかるといいます。

著者が3年間、暮らした北京のマンションの隣室には中国人の老夫婦が住んでいたそうですが、

この老夫婦はエレベーターホールで出くわすたびに著者のことを猜疑心に満ちた目で睨み、何度か挨拶したものの完全に無視されたそうです。

老夫婦は隣人である著者が自分たちの財産を奪ったりする悪人ではないかと警戒して、決して打ち解けようとしなかったというのです。

日本人と中国人は、肌の色が同じ黄色人種で、同じ漢字文化圏で、同じ儒教文化圏で、同じ農耕民族だが、似ているのはそれくらいまでで、あとはほとんど共通点がない。

「一衣帯水」などといって変な同族意識を持つのではなく、「完全な異邦人」として接した方がうまくいくと著者はいいます。

ここ数年、大量の中国人観光客が日本に押し寄せるようになってきていますが、彼らが一様に感心するのが日本の商店やレストランのサービスの良さだそうです。

そりゃまぁ、サービスのサの字もない中国から来たら、日本人の「おもてなし」精神に感動するだろうけど、だからといって他人にたいする思いやりが完全に欠如している中国人が日本式サービスを真似するのは容易ではないでしょう。

日本人がよく使う言い方で、外国ではめったに聞くことのないものに、「あんたに○○されたら、わしが困る」というのがあります。

たとえば、日本では会社を辞めるという部下に上司が「君に辞められたら私が困る」とかいいます。

しかしこのような物言いは中国人にはもちろんのこと、欧米人にも通じないと思いますね。

「あなたが困ろうが困るまいが、私には関係のないことです」で終わってしまうからです。

上の言い方のバリエーションに「あんたに死なれるとわしが困る」というのもあります。

実の親ならともかく他人にこんなこと言われても、中国人も欧米人も「はぁ?」となるだけでしょう。

しかしこのような言い方は日本人にはある程度、効き目があります。

日本人の間ではなにか行動するとき、自分の都合だけでなく、自分の行動によって影響を受ける周囲の人間の都合にも配慮するのが当然であるという共通の理解が存在するからです。

もし自分の都合だけで行動して、周囲に配慮しなかったら、その人間は利己的で自分勝手な人間であると非難されて、村八分にあってしまうでしょう。

このような日本人の他人を思いやる性格は、ときとして行き過ぎてしまい、上司に命じられるまま我慢して長時間労働して過労死してしまうという悲劇が起こったりするのですが、

それでも他人にたいする思いやりのこころは、日本人の美徳であり、強味でもあると思います。

日本人が比較的格差の少ない豊かな社会を築くことができたのも、日本製品が使いやすくて壊れにくいのも、日本の空が青くて空気が綺麗なのも、

街中にゴミが落ちていないのも、公衆トイレが綺麗なのも、水道水を浄水せずにそのまま飲めることも、毒食品が出回っていないのも、すべて根底に日本人の他人に対する配慮や思いやりがあるわけで、

そのような他人にたいする思いやりがなかったらどうなるか、中国の現状を見れば明らかです。

フランスで観た日本映画

$
0
0

フランスのパリには、昔の映画を低料金で上映するシネマテークという文化施設があります。

私がパリにいたときは、16区のシャイヨー宮と5区のウルム通りの2ヶ所にあって、世界各国の映画を安く観られるので、毎日のように通ってました。

日本映画もけっこう上映していて、小津や溝口などの名匠の作品だけでなく、藤純子の『緋牡丹お竜』など娯楽映画もかかっていました。

シネマテークで上映される日本映画をこまめに観ていたら、わざわざ日本に行かなくとも、いっぱしの日本映画通になれるのではないかと思ったほどです。

シネマテークで日本映画を観ていて面白かったのはフランス人の観客の反応です。

学生など若い観客が多かったのですが、日本人であればなにげなく見過ごしてしまうシーンに敏感に反応するのです。

たとえば、成瀬巳喜男の監督作品『浮雲』(1955)を観たときのフランス人の反応はよく覚えています。

『浮雲』は林芙美子原作の小説を成瀬己喜男が映画化したもので、フランス領インドシナで恋に落ちた若い女と妻子持ちの男が、

終戦後、日本に引き揚げてから再会し、別れようと何度も思いながらも、ずるずると関係を続けていくという話なのですが、

高峰秀子扮するヒロインのゆき子が闇市で久しぶりに従兄と再会して二人で食堂に入り、うどんを食べるシーンで、フランス人の観客が居心地の悪さのようなものを感じている様子が伝わってきました。


その場面では高峰秀子は普通の日本人がやるようにうどんをずるずると音を立ててすすっていたのですが、フランスを含む欧米では、音を立ててモノを食べるのは行儀が悪いこととされているのですね。

下品な登場人物がうどんを音を立ててすすっても、そういう設定だと考えて気にならなかったかもしれませんが、

ヒロインである高峰秀子がそういう行儀の悪いことをやったので、観ているフランス人は困ってしまったのです。

ヒロインのゆき子は外地から引き揚げてからゆくあてがなく、生活に困窮して、当時、オンリーと呼ばれたアメリカ兵の愛人になります。

アメリカ兵の役はロイ・ジェームスがやっていましたが、彼が制服姿で高峰秀子の住むブラックに訪れるシーンでも、観客が気まずさというか居心地の悪さを感じているのが分かりました。

シネマテークの観客は若い人が多かったので、自分たちと同じ白人であるアメリカ兵が貧しいアジアの女性を金で買う場面を見て恥ずかしさというか、罪の意識みたいなものを感じていたのではないかと思います。

あと『浮雲』で印象に残っているのは、伊香保温泉の食堂のおかみの岡田茉莉子が登場するシーンでのフランス人観客が示した反応です。

初めて登場する場面で、彼女は食堂の暖簾かなにかを手でかきわけて、ひょいと顔をのぞかせるのですが、

そのとき観客がいっせいに「は~~~」と大きなため息をもらしたのです。

この映画の岡田茉莉子は本当に綺麗で、フランス人はその美しさに感嘆したのです。

私はこのときのことをよく覚えていたので、『マルサの女』(1987)で監督の伊丹十三が岡田茉莉子の目の下の袋をわざと目立つように撮って、その美貌の衰えを強調したのが許せなかったです。

大体、伊丹十三という監督は女優を汚く撮るのが趣味みたいなところがあって、そのため、私は彼の作品がどうしても好きになれませんでした。
f0107398_2220860.jpg
『浮雲』の岡田茉莉子

次にフランス人の観客の反応が面白かったのは熊井啓監督の『日本列島』(1965)です。

これは1959年に東京で実際に起こった国際線スチュワーデス殺人事件を題材にした映画なのですが、

スチュワーデスの死体が発見されたことを聞きつけた新聞記者が捜査中の刑事のところにやってきて、

「事件は痴情関係のもつれですか」と訊くと、

刑事は「違うよ、彼女は敬虔なカトリック信者だ」と答えます。

そこで観客はドッと笑います。

フランス人の大半はカトリックなのです。

最初は笑っていたフランス人の観客ですが、その後、映画が進むにつれて、殺されたスチュワーデスが通っていた教会の白人神父と肉体関係を持っていたこと、

その神父は麻薬の密輸組織に関係していて、愛人であるスチュワーデスの彼女を麻薬の運び屋として利用していたことが判ってきて、観客がだんだんと深刻な気持ちになっていくのがわかりました。

警察はスチュワーデス殺しの犯人として、この白人神父を疑いはじめるのですが、神父は警察の捜査の手が自分に迫ってきているのに気がついて、

教会の外の公衆電話から麻薬組織のボスに電話して、「私はどうすればよいのでしょうか」とおろおろした口調で相談します。

そのとき神父が電話で話していた言葉がフランス語だったのです!

実際の神父はベルギー人だったのですが、神父がフランス語を話したことで、フランス人の観客はスチュワーデス殺しの犯人はフランス人神父だと思いこんだみたいで、

みんな可哀想なほどしょげこんでしまい、館内は重苦しい雰囲気に包まれました。

麻薬組織のボスは、神父にすぐに日本を離れるように指示し、神父は帰国の準備を始めるのですが、神父が海外逃亡を計っていることに気付いた警察は大急ぎで逮捕令状を取ります。

ちょうどそのとき神父が羽田空港に向かっているという情報が入り、逮捕令状を手にした刑事と新聞記者は大急ぎで空港にかけつけます。

しかし刑事と新聞記者が空港に着いたとき、間一髪の差で神父を乗せた飛行機は飛び立ってしまうのです。

飛び立っていく飛行機を地団太踏んで悔しがりながら見送る刑事と新聞記者。

そのとき飛び去って行く飛行機の機体が大うつしになるのですが、そこにはくっきりとAIR FRANCEの文字。

それを見たフランス人たちは、ピーピー口笛を吹いたり、床をドンドン踏み鳴らしたりして、大変な騒ぎになりました。

彼らは口笛を吹いたり、床を踏み鳴らすことで、逃亡したカトリック神父に対してせいいっぱいの抗議の意を示してくれたのです。
f0107398_22382949.jpg



戦争と日本映画

$
0
0

先日、映画監督の吉村公三郎の自伝『キネマの時代』(共同通信社)を読んでいて、次のような文章に出くわしました。

映画人の社会的地位の最も高かったのは、太平洋戦争の最中であったと私は思う。どの映画会社も巨万の富を作り、駆け出しのニュース・カメラマンも巷を肩で風を切って歩いていた。

えーッ うっそー、軍部の命令で作りたくもない戦意高揚の国策映画を嫌々、作ってたんじゃなかったの?

それがそうではなかったというのです。

映画界にも厳しい統制の波が吹き荒れたが、それでも他の産業に比べると大事にされた。それは、ドイツ・ナチスにならって軍部が映画を軍国主義の宣伝に利用しようとした政治的な条件も無論あったが、国民の娯楽も乏しくなり、映画だけがその要求を満たしたのと、多くの軍人たちが熱心な映画ファンであることにもよっていた。
(中略)
私たち若い映画監督は、ひとかどの社会啓蒙の指導者づらをしており、一様に国策病にとりつかれていた。

つまり、著者のような若い映画人は軍部に積極的に協力し、使命感をもって戦意高揚の国策映画を撮っていたというのです。

今日、テレビ・ドラマなどで戦争中の風俗が扱われると、決まって二人や三人の厭戦思想の持ち主が現れるが、ああいうのは全くの嘘で、あんな連中はいなかった。

NHKのドラマなんかによくそういう話が出てきますよね。

戦時中、ヒロインが想いを寄せる青年が特高警察に追われる反戦思想の左翼活動家だったとか。ああいうのはまったくの嘘っぱちの作り事だというのです。

松竹で著者の後輩にあたる木下恵介は、自身が監督した国策映画『陸軍』(1944)で、ラストシーンでト書きに「母、息子の出征を見送る」とだけ書いて、

延々、十数分にわたって、出征する息子のいる隊列を必死に追いかける母親の姿を映し出して反戦の意思表示をしたのですが、これは例外的なケースだったといいます。

著者によると、木下恵介の厭戦思想は、短期間、徴兵されて中国大陸にわたって中国軍と戦った経験から来ていて、

「日本軍が中国軍を攻撃すると、中国軍は退却して逃げてしまい、日本軍が作戦が終わったとみなして引き上げるとまた戻ってきて元の木阿弥になってしまう。

農民たちも兵士と一緒に米、豚、鶏などを持って逃げてしまうので、日本軍が着いたときは村はもぬけの殻で、それで腹立ちまぎれに村に火を付けるといったことの繰り返しで、戦争とはまったくくだらないものだと思った」

と述懐していたそうです。

つまり、木下恵介の厭戦思想はイデオロギーによるものではなく、個人的な体験に基づくもので、そこには左翼思想の影響はなかったというのです。

実際、木下恵介という人は、その作品の傾向を見る限り、徒党を組んで何かをするというのが嫌いな人だったと思うし、

戦後、初めて学園闘争を描いた映画といわれる『女の園』(1954)でも、共産党系の学生が背後から学園闘争を煽る様子をしっかり描いていて、左翼に対してもかなり批判的な立場だったのではないかという気がします。

著者の吉村公三郎も軍部の要請を受けて『西住戦車長伝』(1940)という国策映画を撮っています。

主役は当時の二枚目スターの上原謙で、助監督には木下恵介と中村登が付き、上海と南京でロケしたそうですが、著者はこの映画を戦意高揚映画ではなく、戦場のホームドラマとして撮ったといいます。

この映画はそれでも戦後、戦意高揚映画としてGHQに没収されたそうですが、昭和57年にフィルムが返還されたときに改めて観てみたら、

トップタイトルの前に「この映画はいわゆる戦意高揚のためのものではなく、機械化部隊の活動を描いただけのものである」という著者の署名入りの文章が出てきたそうで、

なぜこんな文章を書いたのか自分でもよく覚えていないが、軍部がよく黙っていたものだと感心しています。

この件といい、前述した木下恵介監督の『陸軍』のラストシーンといい、当時の軍部の検閲はかなり甘かったのではないかという気がします。

そもそも、著者を含めた松竹の監督は女性向けのメロドラマやホームドラマを専門に撮ってきた監督ばかりで、戦意高揚映画には向いていなかったようです。

日本軍の緒戦の華々しい戦果を描いた山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)や陸軍飛行戦隊の活躍を描いた同じ山本嘉次郎監督の『加藤隼戦闘隊』(1944)など、これぞ国威発揚映画というべき勇ましい映画を製作して興業的にもヒットを飛ばした東宝や、

戦意高揚映画といいながらも、映画作品として見ても非常に質の高い、田坂具隆監督の『五人の斥候兵』(1938)や『土と兵隊』(1939)を制作した日活と比べると松竹はロクな国策映画を製作していないのです。

松竹の看板監督ともいうべき小津安二郎監督も軍部の要請でインパール作戦を題材にした国策映画を撮るためにシンガポールに赴いて準備をしていましたが、撮影を開始する前に戦争が終わってしまい、映画は完成しませんでした。

この未完の映画のシナリオは残っていて、それを読む限り、やはり戦場を舞台にしたホームドラマといった感じで、戦意高揚に役立つとはとても思えない代物です。

いずれにせよ、吉村公三郎がいうように、戦時中、映画会社も監督も積極的に軍部に協力して国策映画を作っていたのであれば

当然のことながら、それらの国策映画に出演していた俳優たちも積極的に軍部に協力していたものと推察されます。

一昨年、94歳の高齢で亡くなった女優の山口淑子も戦時中は満州国の国策映画会社である満映で、李香蘭という中国名の看板スターとして活躍していました。

彼女は戦後、中国人を騙って日本の国策映画に出演したことを深く反省し、中国に行って謝罪したということで、サヨク映画人の間では評判が良いみたいですが、

見方を変えると戦時中は軍国主義、戦後は自虐史観に乗っかってうまく立ち回ったともいえるわけで、そんなに持ち上げる必要はないんじゃないかという気がします。

山口淑子は日本人ですが、中国に生まれて少女時代に中国人の有力者の養女になって中国人として育てられたという経歴の持ち主で、右とか左とか関係なく権力に対する嗅覚は鋭かった筈で、

事実、女優を引退後、政界に進出したときも、社会党ではなく自民党から出馬しています。

お断りしておきますが、私はなにも山口淑子を批判しているのではありません。

そうではなくて、彼女を自分たちの仲間だと勝手に思い込んでいるサヨク映画人のおめでたさ加減にウンザリしているのです。

山口淑子と同じ1920年生まれで、昨年95歳で亡くなった原節子は、山口淑子と比較されることが多いのですが、なぜかサヨク映画人は山口淑子とは異なり、原節子に対しては厳しい見方をしています。

原節子の義兄である映画監督の熊谷久虎が戦時中、国粋主義にかぶれていて、彼女がその影響を受けていたといわれていることや、戦時中に多くの国策映画に出演したことが彼女に対して批判的な理由のようですが、

戦時中は国粋主義者は沢山いたし、国策映画に出演したのも彼女だけではなく、殆どの映画俳優が出演しています。

当時、大東亜戦争と呼ばれた戦争は、日本国民が一丸となって戦った戦争で、当時の日本人にとっては戦争に協力することは国民としての義務だったわけで、

それを戦後になって後出しジャンケンで批判するのはおかしいと思いますね。

戦争中は戦意高揚の国策映画に出ていた原節子も戦後になると一転してGHQが奨励する「民主主義映画」に出演するようになります。

その代表作が黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』(1946)です。

この作品で原節子は、自由主義思想ゆえに弾圧を受ける大学教授の娘で、父の教え子の反戦活動家で警察に逮捕され、獄死してしまう青年と恋に落ちる女性を演じているのですが、

大河内伝次郎が演じる大学教授は「京大滝川事件」の滝川幸辰教授がモデルで、藤田進が演じる反戦活動家の青年は、ゾルゲ事件に連座して逮捕されて死刑になった朝日新聞記者の尾崎秀実がモデルだといわれています。

しかし大河内伝次郎も藤田進も戦時中は国策映画に出まくっていたんですよね。

特に藤田進は、その男臭い風貌が軍人役に向いていると思われたのか、前述した『ハワイ・マレー沖海戦』や『加藤隼戦闘隊』などでカッコいい軍人の役を演じていて、

熊谷久虎監督の『指導物語』(1941)では、原節子は割烹着に「大日本国防夫人会」のタスキをかけて日の丸の小旗を振って、出征する藤田進を見送っているのです。

三人とも戦後になって戦時中に演じていたのと正反対の役を演じたわけで、そういう意味では、映画スターというのはその時々の世相を映す鏡のような存在ではないかという気がします。

高峰秀子はその自伝的エッセイ『私の渡世日記』で、戦争末期に特攻隊の少年兵の慰問にいって、彼らの前で歌をうたっていたとき、

まだあどけない少年兵の顔を見ているうちに悲しくて堪らなくなって歌い続けることができずに泣き出してしまい、それを見た少年兵たちがつられておいおい泣き出したという哀切なエピソードを紹介していますが、

そのわずか数ヶ月後、彼女はアーニーパイル劇場と名前を変えた日劇の舞台に立ってアメリカ兵を前にしてドレス姿でアメリカのポップソングを歌っていたのです。

もちろん、それは高峰秀子のせいではありません。女優の仕事というのはそういうものなのです。

戦前と戦後で180度転換したのは映画スターだけではありません。天皇陛下もそうです。

戦時中、昭和天皇は陸海空の三軍を統率する大元帥閣下で軍服姿で白い馬にまたがって閲兵していたのが、戦争に負けた途端、軍服から背広に着かえて「平和を愛する学者天皇」になってしまったのです。

君子豹変とはこのことですが、そのあまりといえばあまりの豹変ぶりに国民の誰一人として異議を唱えなかったとしたら、それは国民自身が敗戦を境に豹変していたからでしょう。

実際、戦争中は「天皇陛下バンザーイ!」と叫んでいた連中が、戦後になって続々と共産党に入党していったそうですから、昭和天皇はそういう国民の変化に合わせてみずからも変わっただけなのです。

f0107398_014101.jpg
大河内伝次郎、藤田進、原節子が共演した戦時中の国策映画『ハワイ・マレー沖海戦』
f0107398_23573072.jpg
大河内伝次郎、藤田進、原節子が共演した戦後の民主主義映画『わが青春に悔いなし』

日本を舞台にしたタイのテレビドラマ

$
0
0
f0107398_22373753.jpg

ここ数年、日本を訪れる外国人観光客が急増しています。

昨年2015年の国別の訪日客数のランキングは、1位:中国、2位:韓国、3位:台湾、4位:香港、5位:米国の順ですが、タイが意外と健闘していて6位にランクインしています。

2015年の訪日タイ人数は前年度21.2%増で796,700人、今年に入ってからも増加傾向は続いているそうです。

タイ人観光客が増えたのは2013年にタイ人向けの観光ビザの要件が緩和されたことがきっかけで、安価なLCCの普及も拍車をかけているようですが、

なによりタイ人の所得が増え、日本に旅行できる中産階級のタイ人が増えてきていることが大きな原因でしょう。

そのタイで最近、日本にロケしたテレビドラマが増えているそうです。

今回、紹介する『ライジング・サン』もそのひとつ。マリオ・マウラーとナデート・クギミヤの二大人気スターが共演しているのですが、なんと二人はこのドラマで日本人の役を演じています。


マリオ・マウラーがタケシ、ナデート・クギミヤがリュウという日本人の青年を演じていて、二人はイトコ同士という設定で、

マリオ君もナデート君もそれぞれ好きな女性がいるのですが、いろいろと邪魔が入って中々、思いが遂げられないという基本、恋愛ドラマのようですが、

なぜかマリオ君もナデート君も日本のヤクザ一家の息子という設定になっていて、二人が対立するヤクザの抗争に巻き込まれるというヤクザドラマの要素も加味されているそうで、

日本人が観れば相当、珍妙なドラマになっているのではないかと想像されますが、タイではヒットしたそうです。

(Mario & Taew) The Rising Sun MV
https://www.youtube.com/watch?v=gYRRNweAaX8

主題歌も日本語で歌ってます
https://www.youtube.com/watch?v=cqE24QmfHxk

主役の2人の内、マリオ君はかなり前から私のご贔屓です。

タイの俳優は白人とのハーフが多いのですが、マリオ君はドイツ人とタイ人のハーフです。

2007年に高校生の男の子同士のBL的関係を描いたLove of Siamという映画でデビューして、一躍、人気スターになったのですが、

この映画のお陰でホモではないかと疑われるようになって、本人はそのことをだいぶ気にしていたようで、徴兵検査のときのインタビューで、「ボクは男だ!」ときっぱりと疑惑を否定しています。

Love of Siam(英語字幕付き)
https://www.youtube.com/watch?v=_H3LIUUkXTM

マリオ君の徴兵検査
https://www.youtube.com/watch?v=78EjzYsGgSE

私としては彼がホモであろうがノンケであろうがどっちでもいいのですが(どうせヤレるわけじゃなし)、映画やドラマでもっと積極的に脱いでもらいたいですね。

徴兵検査では上半身裸になってムチムチした美味しそうな身体を見せてくれていますが、お尻とかも見てみたいw

もう一人の主役のナデート・クギミヤは日本人っぽい苗字ですが、オーストラリア人とのハーフで、母親の再婚相手がクギミヤという日本人で、その養父に対するリスペクトを込めてクギミヤ姓を名乗っているそうです。

彼は2013年に制作された、第二次大戦中にタイに駐留していた日本兵とタイ女性の恋愛を描いた『クーカム』という映画で主役の日本兵、コボリ(小堀)を演じています。

2013年版『クーカム』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=eHfaxbW-ors

このドラマの原作は、タイの女流作家トムヤンティーが1963年に発表したタイの国民的小説『クーナム』(「運命の人」)(日本語タイトル『メナムの残照』)で、

これまで何度も映画化、テレビドラマ化されていて、主人公の日本兵コボリ(小堀)役は、その時々の人気ナンバーワンの若手俳優が演じることになっているそうで、

2013年版の映画では「バンコク都民の選ぶ好きな男優第1位」に選ばれたナデート君が演じることになったのだそうです。

日本兵と現地女性の恋愛物語が人気になるなんて、反日国家の中国や韓国では想像できないと思いますが、それだけタイは親日国家だということでしょう。

考えてみたら、タイ人の俳優が日本を舞台にしたドラマで日本人の役を演じて、それが人気になるというのもほかの国では考えられないことかもしれません。

この『ライジング・サン』というドラマは、千葉県香取市佐原というところでロケしているそうですが、なんでそんなド田舎でロケしているかというと、

水郷の町として知られる佐原の観光協会がタイ人観光客の増加を狙って佐原でのロケを誘致したのだそうです。

実際、このドラマがタイで放送されたあと、佐原を訪れるタイ人観光客はいっきに増えたそうで、

それをみたほかの地方自治体も次々とタイドラマのロケ地に名乗りをあげるようになって、その結果、日本を舞台にしたタイのテレビドラマが増えているのだそうです。

まあ、個人的には、反日でマナーの悪い中国人や韓国人よりも、親日的な台湾やタイからの観光客が増えて欲しいし、

そのためにこのようなドラマの制作に協力して日本の魅力をアピールするのは良いことだと思いますね。

タイのテレビでは、日本各地の観光地を紹介するタイ人向けの旅番組も放送されているそうです。案内役のイケメンはタイの人気俳優だとか。
https://www.youtube.com/watch?list=PL0VVVtBqsouronpqosKWvUncglpnRDNQJ&v=CeDkldighxY

『ライジング・サン』のナデート君とマリオ君の入浴シーン。このシーンだけ見てみたい。
f0107398_2221256.jpg



本日のつぶやき

勝部 元気@KTB_genki
禁煙外来のように、「俺、ロリコンのままじゃマズイな…」と自覚している人に対してはしっかりとサポートする「禁ロリ外来」のような仕組みがあっても良いと思う。

ロリコンをホモに変えたらまんま昔の欧米のホモ差別主義者の言葉と重なるけど、自分が正しいと思い込んでいるらしい(そうじゃないと呟かないだろう)ところが怖い。

つぶやき2

LGBT1000万人、同性カップル制で変わること
東洋経済オンライン 4月24日(日)6時0分配信
日本では全人口の8%弱、約1000万人が該当するともいわれる(電通調べ)。

5.2%から7.6%、8%と時が経つにつれてLGBTの数が増えている。そのうち、日本の人口の4分の1、3000万人はLGBTだ!と言い出すんじゃないか、電通はw





グレーデン男爵が撮ったシシリアの少年たち

$
0
0
f0107398_181742.jpg

ヴィルヘルム・フォン・グレーデン男爵(Wilhelm von Gloeden、1856 – 1931年)は、ドイツの貴族出身の写真家、

20歳のときに結核の療養のためにシシリア島のタオルミナに移住して、島の少年のヌード写真を数多く撮ったことで知られています。

写真を見ればわかるように男爵は少年愛者で、少年愛が盛んであった古代ギリシャ世界をイメージして、少年たちにギリシャ風の扮装をさせて、少年愛者のアルカディア(理想郷)を再現して見せたのです。

男爵が撮ったこれらの写真は長らくポルノ扱いされて、発禁処分を受けていたそうですが、アメリカのゲイの写真家、ロバート・メイプルソープが再発見し、紹介したことで、アートとして認められるようになったそうです。

私はこの写真集『Akte in Arkadien』を今は亡き池袋の書店リブロで買いましたが、現在はアマゾンで買えるようです。



f0107398_1851727.jpg




f0107398_1874150.jpg




f0107398_1885031.jpg




f0107398_18305844.jpg




f0107398_18324495.jpg




f0107398_1833539.jpg




f0107398_18363865.jpg




f0107398_18392245.jpg




f0107398_18402975.jpg




f0107398_18443896.jpg




f0107398_18452640.jpg




f0107398_18463648.jpg




f0107398_18474275.jpg




f0107398_18492168.jpg




f0107398_18501789.jpg




f0107398_18522418.jpgグレーデン男爵、いかにもという感じです。














本日のつぶやき

AKB48とAK47ライフルの共通点
http://togetter.com/li/580506

1発明者の想像を超えた流行
2どんな劣悪な環境でも作動
3,スペアパーツの入手が容易
4,分解も容易
5,1発あたりの命中率が安定しない
6.そこらで似たのが濫造されている
7.非常に安価な製品で製造可能
8.後期になるほど見た目が悪い

つぶやき2
「反差別」という差別が暴走する(深田政彦)|ニューズウィーク2014年6月24日号
https://www.facebook.com/notes/563721293745869

つぶやき3
ホモもレズもできれば異性と結婚して子供を沢山作って少子化防止に貢献すべきだと思う。
それが国民としての義務でしょう。
えっ?私ですか? 私は残念ながら齢をとりすぎてるのでこのまま孤独死しますw


















レスビアンを売り物にする三流タレントたち

$
0
0

牧村朝子というレスビアンのタレントがいます(下の写真)
f0107398_2293071.jpg

彼女はなぜかアンチ・ゲイリブ界隈で評判が良いのですが、「私はほかのレスビアン・タレントとはちょっと違うのヨ」という態度が鼻に付いて私は好きになれません。

レスビアンを売り物にして飯を喰っている点で、ほかのレスビアン・タレントとどう違うのか、同じじゃないか、と思うからです。

2007年の参院選挙で尾辻かな子がレスビアンを表面に出して選挙戦を戦い、「レスビアンの尾辻かな子です~~」と連呼して回っていたとき、オーストラリア在住のブログの読者からメールを貰ったことがあります。

彼は「オーストラリアでもゲイであることを公表している政治家はいるが、ゲイであることを売り物にしている政治家はいない」といい、

本来、同性愛者であるという属性と政治家としての能力は別物で、政治家であれば、性的指向に関係なく、政策をアピールすべきなのにそれをせず、

ただひたすらレスビアンであることをアピールする尾辻かな子のような奇妙な政治家は日本にしか存在しないのではないかと不思議がっていました。


欧米でゲイやレスビアンをカミングアウトしている芸能人も、ゲイやレスビアンであることを売り物にしていません。

ハリウッド女優のジョディ・フォスターもテレビのトーク番組の人気司会者であるエレン・デジェネレスも、

女優やコメディアンとしてのキャリアを積んでからレスビアンであることをカミングアウトしていて、性的指向をキャリアにリンクさせていません。

そもそも彼女たちには、レスビアンであることを仕事に利用するという発想自体ないでしょう。

日本のゲイリブは二言目には「欧米では~」と口にして、アメリカのゲイリブのやることを無条件に讃美し、ひたすら模倣しているのですが、不思議なことにこの点だけは真似していないのです。

牧村朝子は元々は撮影会モデルの仕事をしていたといいます。

撮影会モデルというのは、アマチュア・カメラマン向けの撮影会のモデルになって上の写真のようなポーズを取って金を貰う仕事らしいですが、

モデルといってもパリコレに出るようなトップモデルではなく、底辺に近いモデルだそうです。

その底辺モデルである彼女が2012年1月に関西テレビの「千原芸能社」という番組に出演してレスビアンであることを公表し、「日本初のレスビアン・タレント」を自称し始めたといいます。

私はレスビアン・タレントという彼女の肩書をみたとき、レズ役専門のAV女優のことかと思ったのですが、未だにレスビアン・タレントというのが具体的に何を意味するのかよくわかりません。

政治家の場合と同様、本来、ゲイとかレスビアンとかいう属性はタレントしての実力とは無関係の筈で、レスビアンという肩書を取ったら何も残らない彼女のような人間がタレントを名乗って活動していることに違和感を覚えるのです。

日本のテレビではおねえタレントというやはり日本独特のタレント枠がありますが、おねえタレントが持てはやされる理由は理解できます。

おねえには自分を客観視して、戯画化して人を笑わせる才能(タレント性)があるからです。

一方、昨今のLGBTゴリ押しに便乗して登場した牧村朝子のようなレスビアン・タレントは、記者会見して「差別を受けて辛かったですぅ~」と泣く以外の芸はまったくなく、

そのため、長い目で見ると、日本でレスビアン・タレントが生き残る確率は非常に小さいと思います。

牧村朝子のほかにもレスビアンを売り物にしている一ノ瀬文香というタレントがいます。

彼女の画像をググってみると、次のような写真が出てきます。

http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%80%E3%83%8E%E7%80%AC%E6%96%87%E9%A6%99&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

これらの写真を見ればよくわかるように彼女の本職は、グラビアモデルというか、ヌードモデルみたいです。

彼女は、2015年4月19日に同性パートナーと結婚して結婚会見を開き、その後、自叙伝を出版したそうですが、

レスビアンであることをカミングアウト⇒マスコミを呼んで同性結婚式 and/or 記者会見⇒自叙伝出版というのは、日本でレスビアンが売り出すときのお決まりのコースになっているようです。

実際、尾辻かな子から、東小雪、牧原朝子、一ノ瀬文香にいたるまですべてこのパターンで、「レスビアンの売り出し方」というマニュアルが存在するのではないかと思うほどです。

記者会見を開いてカミングアウトするのはレスビアンばかりというのも日本特有の現象です。

数からいうと、レスビアンよりもホモの方が圧倒的に多いのですが。

いずれにせよ、彼女たちがカミングアウトをした理由は売名のためであることは明らかです。

レスビアンを公表するまで彼女たちは無名の存在で、カミングアウトすることではじめて世間に名前を知られるようになったからです。

もし彼女たちに実力や才能があれば、レスビアンであることを宣伝しなくともタレントとして売り出すことができた筈で、

逆にいうと、タレントとしては無能で、なんの取り柄もないから、自分を売り出すためにレスビアンを名乗って世間の注目を浴びる必要があったのです。

そもそもレスビアンを売り物にすること自体、私には下品で悪趣味なことに思えるのですが、これは感性の問題であって、

そのような感性が欠如している彼女たちに「恥を知れ!」などといっても、何をいわれているのかさっぱり理解できないでしょう。

それにしても、日本のゲイリブ活動家たちが欧米のゲイリブに倣ってカミングアウトを絶対視し、カミングアウトの重要さを喧伝した結果、

生まれてきたのは、このような欧米のカミングアウトとは似て非なる、カミングアウトのパロディとも呼ぶべき、日本独特のカミングアウト現象だったというのは皮肉なことで、

日本社会とは文化的に相いれない欧米流のゲイリブ運動を無理やり日本人に押し付けようとすると、こんなおかしなことになってしまうというよい見本だと思います。

f0107398_21521767.jpg
尾辻かな子と村木(木村)真紀。2007年に尾辻かな子が参院選に立候補したとき、選挙キャンペーンの一環でマスコミを呼んで派手な結婚式を挙げて、落選した途端、離婚。

同性結婚式を売名行為に利用した日本初のレスビアン・カップルで、それ以降のレスビアンの売名目的の同性結婚式の先例となった。

f0107398_21593079.jpg
東小雪と増原裕子。ディズニーランドで結婚式を挙げたこのカップルは、結婚式を売名行為に利用して一番成功したカップルでしょう。今後、この二人がどうなるかはわかりませんが。

f0107398_2231736.jpg
牧原朝子の結婚相手はフランス人なんだそうです。彼女の「あたしはちょっとほかの人たちとは違うのよ」という鼻につく態度はここらへんから来ているのかもしれません。

f0107398_2244416.jpg
一ノ瀬文香と杉森茜。このカップル、せっかくマスコミ呼んで結婚式を挙げたのにその後、あんまり売れてなさそうなのがお気の毒。

裸になるのは慣れてるみたいだから二人のヌード写真集を出せば売れるんじゃないかしら。AVデビューもありだと思う。


本日のつぶやき

日本で少なくとも今世紀中に同性婚が法制化されることは絶対にないと私が確信するのは、そもそも同性婚を望んでいる当事者が極端に少ないことに加えて、これが日本の戸籍制度に関わってくる問題だから。

夫婦別姓がいわれてから何十年も経つのにいっこうに実現しないのも、これを認めると戸籍制度が破壊されるから(夫婦別姓を主張するサヨクの真の狙いもそこにあると思う)

戸籍制度は世界でも日本と韓国しかないそうで、時代に合わなくなっている面もあるけど、明治以来続いているこの制度を廃止するのは容易でないことは誰にもわかる。

つぶやき2
♪かもめの水兵さん♪@oldsailor01 @MR_DIECOCK
日本に大挙押し寄せる支那人観光客、観光ホテルの大浴場から支那人が出ていった後には浴槽にウンコが浮いている。・・・・・・・・・・ひぇー




日本でLGBT教の伝道をしている駐日アメリカ大使、キャロライン・ケネディ

$
0
0
f0107398_2292424.jpg
去る5月8日に開催されたイベント「東京レインボープライド2016」に、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使がアメリカ大使として初めて参加し、スピーチを行ったそうです。

彼女はそのスピーチで「アメリカや日本で多くのLGBTの生徒がイジメに遭い、痛ましい数のLGBTの10代の若者たちが自殺しています」と述べたそうですが、

これはアメリカと日本のLGBTが置かれている状況の違いを無視した発言です。

実際のところ、日本ではアメリカと違って、同性愛者に対する差別は殆ど見られないし、同性愛者に対するヘイトクライムも発生していません。

「日本ではLGBTに対する深刻な差別がある」と主張して、学校その他でのLGBTに関する人権教育の導入を叫んでいるのは、被差別利権を得ることを目論んでいるLGBTアクティビストを自称する一部の利権屋だけで、

私の知り限り、日本で同性愛者その他のセクマイの自殺率の高さを客観的に証明する信頼できる統計データは存在しません。

上記のケネディ大使の発言と歩調を合わせるかのように、アメリカに本拠を置く人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は2016年 05月 05日付の報告書で、

「日本政府は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LGBT)の子どもを学校でのいじめから保護できていない」と批判し、

5月7日には都内で、「LGBTの子どもに対するいじめと、差別禁止法整備の必要性」と銘打ったイベントを開催しています。



このHRWの動きは前述の東京レインボープライドでのケネディ大使の発言と明らかに連動していますが、HRWという団体はアメリカ政府に協力して活動することが多いそうで、

LGBT問題に関して二人三脚で日本政府に圧力をかける構図が透けてみえます。

このHRWの日本代表を務めるのが土井香苗という弁護士です。

彼女の夫も神原元という弁護士ですが。この神原元はしばき隊の弁護士として在特会に対してスラップ訴訟を連発して在特会をつぶそうと図った人物で、

慰安婦強制連行のねつ造記事を朝日新聞に書き、現在は韓国に亡命している元朝日新聞記者、植村隆の弁護人も務めていて、

植村を批判する人間に対して次から次へと名誉棄損訴訟を起こして、植村に関する言論を封殺しようとしています。

つまり、この神原元はバリバリの反日パヨクの人権屋弁護士なのですが、当然のことながら、その妻であるHRW日本代表の土井香苗も同じような思想の持主であると推察されます。

実際、彼女は日本の女子高生と女子中学生の30パーセントは売春をしているという誤った情報を国連特使に吹き込んだり、

日本のAV女優はAV出演を強要されていると主張し、現役のAV女優から反論されると、彼女たちとの面談を拒否して逃げ回り、

自分を批判した評論家の池田信夫に対してスラップ訴訟を起こしている、あの人権屋弁護士の伊藤和子と「お友達」なんだそうです。

伊藤和子のような反日パヨクの人権屋権護士は、国連の人権委員会や海外の人権団体に日本社会における「差別」を針小棒大に告げ口し、

これら国際機関やNGOから日本に対する非難を引き出すというマッチポンプを長年やってきているのですが、

今回のケネディ大使やHRWの日本のLGBTに関する発言については、日本のLGBT活動家によるマッチポンプではなく、

アメリカ政府の意思が働いているのではないかという気がします(「日本でLGBTをゴリ押しするアメリカ民主党」を参照)。

民主党のオバマ政権は、LGBTの権利の平等、すなわち同性婚の実現に熱心で、オバマ大統領はアメリカ国内だけでなく、海外でも積極的にLGBTの人権に関して発言しています。

例えば、昨年7月、父親の故国であるケニアを訪問したとき、ケニアではLGBTの人権が守られていないと主張してケニヤッタ大統領を怒らせ、「アメリカの価値観をケニアに押し付けるな!」と反発をくらっています。

また、アメリカ国務省は海外のLGBT活動家を対象にInternational Visitor Leadership Program(IVLP)という研修を行っていて、グッド・エイジング・エールズ代表の松中権や虹色ダイバーシティ代表の村木真紀もこのプログラムによってアメリカに招かれて研修を受けています。

私はキャロライン・ケネディはオバマが日本に送り込んだLGBT教の伝道師ではないかと疑っています。

ついでにいうと、アメリカのリベラル寄りのニュースサイトの日本版で朝日新聞が絡んでいる「ハフィントンポスト」はLGBT教の伝道サイトです。

ケネディ大使は、安倍首相の靖国神社参拝を非難する一方で、大使公邸に日本人のLGBT活動家を招いてティーパーティーを開いているそうですが、

日本のLGBT活動家がしばき隊や共産党などの反日パヨク陣営に完全に取り込まれていて、その反日パヨク陣営の背後に北朝鮮や中国が控えていることを知らないのでしょうか?

もっとも彼女はあの辻元清美もティーパーティーに招いているそうで、彼女自身、アメリカのリベラルによくみられる中国好きの日本嫌いなのかもしれません。

いずれにせよ、彼女の任期はあと半年で、共和党のトランプ候補が次期大統領に当選したら、アメリカ政府によるLGBTゴリ押しも終わるでしょう。

民主党のヒラリー・クリントンが次期大統領に選ばれたら、民主党によるLGBTゴリ押しが続く可能性がありますが、それでもLGBT教が日本に根付くことはないと思われます。

このブログで何度もいっていることですが、アメリカの同性愛問題というのは、突き詰めれば宗教問題で、

同性愛は教義に反すると主張するキリスト教右派と、同性愛を認めるべきだと考えるリベラルなキリスト教徒が争っているわけで、

そんなキリスト教の宗派間の争いをキリスト教徒が人口の1パーセントか2パーセントしか占めない日本に持ち込んでも日本の国民が反応する筈がありません。

ケネディ大使が嫌う日本神道は、元々、性に対してはおおらかで、同性愛を禁止していませんし、日本の仏教も仏教寺院が長らく同性愛の温床になっていたという歴史的事実もあって同性愛に対して寛容です。

そのため、日本のホモやレズは、LGBT教などという異教に改宗しなくともこの日本でシアワセに生きていけるのです。


男と女の間で

$
0
0

現在、アメリカでは、性同一性障害を含むトランスジェンダーが自分が望む性別のトイレや更衣室を利用できるようにすべきか、それとも生まれ持った性別のトイレを使用すべきかの論争が起こっているそうです。

そういえば、昨年、日本でも経済産業省に勤務する、心が女性である性同一性障害の職員が女子トイレの使用を認めないのは人権侵害にあたると同省を訴えたケースがありました。

経産省はこの職員の女性用トイレの使用を認めない理由として、この職員が女装しているものの性転換手術を受けておらず、戸籍上は男性のままであることを挙げていましたが、

現実に、男か女かを線引きする公的な基準は戸籍上の性別しかないわけで、自己申告で「私は女です」といわれて女子トイレの使用を認めてしまうと、

痴漢目的の男が女装して女子トイレに入ることも認めなければならなくなってしまいます。

またこの職員が女性用トイレを使用することを嫌がる同僚の女性職員もいるそうで、本人が思うほど職場で女として認められていない可能性もあります。

現在、この職員は身障者用トイレを利用しているそうで、それで十分ではないかと思うのですが、本人はあくまでも女として扱われることを望み、女子トイレを使用する権利を求めているのだそうです。

一口にトランスジェンダーといっても、この男性のように女性あるいは男性であると主張して女装あるいは男装していても、ただの女装した男性あるいは男装した女性にしか見えないケースは多数、存在します。

トランスの間で自分が望む性に見られることを「完パス」というそうですが、このような言葉が存在すること自体、完全な女性や男性に見える当事者が少ないことを示しているのではないでしょうか。


昨年、タヒチを旅行した機会に男として生まれながら女として生きているタヒチの第三の性、マフについて調べたのですが、

現在、タヒチにはこのマフと呼ばれる伝統的な第三の性に加えて、レレと呼ばれる新世代の第三の性がいることを知りました(「マフとレレ:タヒチの第三の性」を参照)。

マフとレレの違いは簡単にいうと、外見を女に見せるための外科手術やホルモン療法を受けているかいないかです。

マフは、女装することはあっても、身体は生まれたままの男です。

反対にレレの方は日本のニューハーフなどと同様、身体をあちこちいじって女らしく見えるように努力しています。

前者のマフを伝統的な第三の性と呼ぶのは、性転換手術やホルモン療法が存在しなかった時代の女性的男性の生き方を現在に受けついているからでしょう。

そういえば、以前、北米大陸の第三の性、ベルダーシュの写真を見たとき、男のベルダーシュは女装はしていても顔や身体つきはいかつい男のままだったことを思い出します。

逆に女のベルダーシュは、男の仕事の象徴である弓矢を手にもち、男と同様、ふんどし姿で上半身は裸でしたが、しっかり乳房は付いていて、身体は女のままでした。

つまり、昔は身体は男(女)で、心は女(男)であっても、身体を心に一致させる方法がなかったのです。

現在は性同一性障害であると診断されると、性別適合手術を受けて戸籍上の性別を変更することが法律で認められていますが、

実際には豊胸手術や乳房切除手術を受けても、下半身まで手術して戸籍の性別を変更する当事者は少ないそうです。

その理由として、性別適合手術やホルモン療法は費用がかかり、副作用が多いことに加えて、

性別適合手術を受けたとしても、本物に形だけ似せた偽物の膣あるいはペニスしか持てないという現実があるからだといいます。

将来、科学が発達して完全な性転換が可能になる日がやって来るかもしれませんが、現時点では、性別適合手術を受けても完全な女あるいは男にはなれないのです。

それでも手術を受けて戸籍上の性別を変更した人間はその変更した性の人間として扱われるべきだと思いますが、

問題は前記の経産省の職員のケースのように、中途半端にしか性転換しておらず、戸籍上は生まれたときの性別になっている人間をその人間が希望する性として扱うべきかどうかということです。

結論からいうと、このような人間を完全な女あるいは男として扱うには無理があるように思えます。

こういう人間は女装(男装)していたとしても、男性(女性)的な身体的特徴を残しているので、女(男)であることが一目でバレてしまうからです。

タヒチのマフや北米のベルダーシュが自分たちを男と女の中間的な存在である第三の性と規定し、男か女かどちらか一方の性であると主張しなかったのは、そういう現実を考慮したせいではないかという気がします。

いずれにせよ、私はトランスジェンダーに対して性別適合試験やホルモン療法を受けることを奨励すべきではないと考えています。

手術やホルモン療法はリスクや副作用が大きすぎるからです。

それでは彼(女)たちはどのように生きていくべきなのか。

マフやベルダーシュを見習って、完全な女性あるいは男性として扱われたいという非現実的なことは望まず、女性的男性あるいは男性的女性として生きていけばよいのではないかと思います。

トイレは身障者用を利用すれば問題ないでしょう。

あと性別適合手術を受けて戸籍上の性別を変更している性転換者についても、自分は完全な男性あるいは女性ではないという自覚は持つべきだと思いますね。

以前、女性から男性に性転換してふつーの女性と結婚して、人工授精で子供を作った性転換者が、法律ではその子が養子扱いになるので、

実子として届けることができるようにして欲しいと裁判を起こしたという話をテレビで見たことがありますが、

子供が自分の実子になるべきであると主張している小柄な髭を生やした「父親」を見て、この人は子供に人口受精で生まれた事実をずっと隠して生きていくつもりなのだろうか?

また自分が女として生まれて男に性転換した人間であることも隠して生きていくつもりなのだろうか?と疑問に思ったことを覚えています。

子供が大きくなって「パパの子供時代の写真を見たい」と言い出したらどうするつもりなのでしょうか。

こういう性転換者には、自分がかって反対の性であったことを隠す傾向が強く、中には戸籍制度をなくすべきだと主張する当事者もいると聞きます。

戸籍を無くしてしまえば自分が男あるいは女として生まれた記録を消すことができるからというのがその理由だそうですが、そんなことしたら北朝鮮の工作員の思うつぼでしょう。

たとえそれが自分の望むところでなかったとしても、男あるいは女として生まれた事実を消すことはできないし、また消すべきでもない、その運命を一生、背負って生きていくべきだと思いますね。

f0107398_22474497.jpg
実際問題として、こういう人を女とみなすには無理があると思いますね。

「私的男色論」


本日のつぶやき

LGBTアクティビストを自称する連中は、二言目には日本ではLGBTは存在しないことになっているとか、見えないことになっているとかほざくが、

それじゃあ聞くけど、あんたたちはこれまで一度だって一般当事者に目を向けたことがあるか?

あんたたちが目を向けているのは、行政、企業、マスコミ、政治家だけで、一般当事者の存在を完全に無視して、一般当事者の信任も得ていないのに勝手に一般当事者を代表、代弁し、金儲けに狂騒している。

そんな自分たちが一般当事者から嫌われても当然だと思わないか?

つぶやき2
美輪明宏bot ‏@_miwa_akihiro · 9時間9時間前
セックスだけ求めている男は、男ではありません。唯の雄です。

若いセクシーなオスは大好きです w




ケネディ大使はなぜゲイパレードのスピーチで同性婚に触れなかったのか

$
0
0

去る5月8日に開催されたイベント「東京レインボープライド2016」でキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使がスピーチを行ったことはこのブログでも取り上げました。

「日本でLGBT教の伝道をしている駐日アメリカ大使、キャロライン・ケネディ」を参照。

彼女はそのスピーチで「LGBTの子供たちのイジメ問題」に言及したのですが、そのときはなんとも思わなかったものの、時が経つにつれて疑問が沸いてきました。

なぜ彼女はスピーチで「LGBTの子供たちのイジメ問題」にしか言及しなかったのか?

アメリカのサル真似ばかりしている日本のゲイリブ活動家が一番、声高に主張しているのは日本における同性婚の法制化、あるいはその最初の段階としての同性パートナーシップ制度の導入です。

そのため、本来ならばゲイパレードに招待されたケネディ大使は、日本における同性婚の実現を訴えるスピーチを行ってもよかった筈です。

しかし彼女は同性婚についても、同性パートナーシップについても、一言も触れなかったのです。

そしてどちらかというと、ゲイリブのイシューとしては二次的な「LGBTの子供のイジメ問題」を取り上げたのです。

なぜでしょうか?


私は渋谷区と世田谷区が昨年、交付することを決定した「同性パートナーシップ証明書」が渋谷区と世田谷区在住の当事者の大半から無視され、

実際に証明書を申請したカップルが非常に少なかったことが原因ではないかと考えています。

マスコミを使って大々的に宣伝して世間の注目を浴びた渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」ですが、いざ蓋を開けてみると、申請したカップルはたったの1組、

渋谷区のLGBT関連のイベントに必ず顔を出す、渋谷区ご用達LGBT芸人の東小雪と増原裕子のレズカップルだけだったのです。

いくらなんでもたった1組では示しがつかない、と考えた長谷部区長やその取り巻きのLGBT活動家が知り合いに電話をかけまくって、

さらに7組のカップルをかき集め、条例施行後1年でようやく8組になったそうですが、渋谷区の人口が20万人で、その5パーセントが同性愛者と仮定した場合、1万人の当事者がいるわけで、

潜在的には5000組の同性カップルが存在することを考えると、8組というのはいかにも少なすぎます。

長谷部区長は「日本はカミングアウトしているLGBTが少ないから」と言い訳していましたが、そんなこと最初からわかっていたことでしょう。

ようするに長谷部区長が渋谷区のイメージアップのために大々的に宣伝して売り出した「同性パートナーシップ証明書」は、渋谷区在住の当事者から見向きもされなかったのです。

渋谷区と同じ昨年11月5日に交付が開始された世田谷区の同性パートナーシップ証明書についても、受け付け開始日に申請したカップルはたったの7組、

渋谷区の1組よりは多いですが、世田谷区の人口が渋谷区よりもずっと多いことや渋谷区の申請費用が8万円かかるのに対して世田谷区は無料という条件を考えると少ないことに変わりありません。

世田谷区の同性パートナーシップ証明書交付を推進者したトランスジェンダーの上川あや区議が申請カップルの少なさに危機感を持って、あちこち電話をかけまくってかき集めた結果、

現在では申請カップルは28組に増えているそうですが、それでも世田谷区の人口が90万で、その5パーセントが同性愛者であると仮定した場合、

世田谷区には4万5000人の同性愛者がいる計算になり、潜在的な同性カップルは2万2500組に達します。

実際に申請した28組を2万2500組で割るとその比率は0.001パーセントと限りなくゼロに近くなります。

やっとかき集めた28組でさえ、その半数以上は上川議員に懇願されて名前を貸した連中だろうし、世田谷区の当事者の圧倒的大多数は「そんなもん、タダでもいらんわ!」と証明書を拒絶したのです。

先日、上川議員はツイッターで、保坂世田谷区長を激しく非難したそうです。

私はそのツイッターは見ていないのでよくわからないのですが、想像するに保坂区長は上川議員が推し進めるLGBTの運動から距離を置き始めているのではないでしょうか。

そもそも世田谷区の保坂区長は、渋谷区のイメージアップのために自ら進んで同性パートナーシップ証明書の交付を発案した渋谷区の長谷部区長とは異なり、

上川議員にせっつかれる形で同性パートナーシップ証明書の交付を決めたわけで、実際に申請を受け付けてみたら、申請カップルがあまりに少ないことにショックを受け、

本当に日本の同性愛者が同性パートナーシップ制度を望んでいるかどうか確信を持てなくなったのではないかという気がします。

今年の2月15日に「保育園落ちた。日本死ね!」というブログの書き込みが話題になり、保育園の待機児童の問題が一躍クローズアップされましたが、世田谷区の保育園の待機児童数は東京23区の中で一番多いそうです。

それで保坂区長は、当事者を含めた区民の関心が低いLGBT問題よりも、待機児童問題などより喫緊の区民の関心が高い問題に優先的に取り組むようになったのではないでしょうか。

それが上川議員の目には裏切りとして映っているのではないかと思うのですが、保坂区長の姿勢の変化は区長としては当然のことで、文句をいう上川議員の方がおかしいのです。

彼女が世田谷区における同性パートナーシップ証明書交付の実現に躍起になったのは、渋谷区に対するライバル意識からでしょう。

長年にわたってLGBT問題に取り組んできたと自負する彼女にとって、渋谷区に先を越されるのが我慢できなかったのです。

それで慌てて保坂区長をせっついて世田谷区でも同性パートナーシップ証明書を交付することに決めたのですが、二番煎じの感は免れず、

証明書の中身も渋谷区と同様、空っぽだったので、世田谷在住の当事者たちにそっぽを向かれてしまったのです。

私はこの渋谷区と世田谷区の同性パートナーシップ証明書については、終始、冷ややかというか、生温かい目で推移を見守ってきたのですが、

今では、発案者のゲイリブが意図したところとは逆の意味で、やるだけの価値があったのではないかと思っています。

証明書の申請者が少なかったことで、あらためて日本の一般同性愛者が同性婚や同性パートナーシップ制度に無関心であることが証明されたからです。

その意味で、これは2007年の参院選での尾辻かな子の惨敗に匹敵する出来事ではないかという気がします。

2007年の参院選で尾辻かな子が同性パートナーシップ制度の制定を公約に掲げて立候補したとき、日本の同性愛者は彼女に投票しないことで、同性パートナーシップ制度など望んでいないという意思を明確にしました。

同様に、今回の渋谷区と世田谷区の同性パートナーシップ証明書についても、渋谷区と世田谷区の当事者は証明書の交付を申請しないことで、「そんなもんどうでもええわい!」とはっきりと拒絶の意思表示をしたのです。

そしてこの日本の同性愛社会のサイレントマジョリティーともいうべき一般同性愛者の意思は、日本でLGBT教の布教活動を行っているケネディ大使にもしっかりと伝わったのです。

ケネディ大使がLGBTの子供に対するイジメについて語った5月8日のゲイパレードでのスピーチに歩調を合わせるかのように、

アメリカに本拠を置く人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、5月5日に、

「日本政府は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LGBT)の子どもを学校でのいじめから保護できていない」

と日本政府を批判する声明を発表し、5月7日には都内で、「LGBTの子どもに対するいじめと差別禁止法整備の必要性」と銘打ったイベントを開催しています。

もちろんこれは偶然の一致などではなく、あらかじめ示し合わせたものでしょう。

おそらくゲイパレードを前にしてケネディ大使とHRWおよび日本のLGBT団体の関係者の間で作戦会議のようなものが開かれ、渋谷区と世田谷区の同性パートナーシップ証明書の申請の低調さを踏まえて、

現時点では、日本では同性婚はもちろんのこと、同性パートナーシップ制度でさえ受け入れられる状況ではないと判断し、

日本の国民に受け入れられやすいと思われるLGBTの子供のイジメ問題に的を絞って訴えていくという方針が決定されたのでしょう。

彼らが訴えるLGBTの子供のイジメ問題についても、イジメの激しいアメリカとイジメの少ない日本を意図的に混同している点や、

LGBTの子供だけ取り上げて、ほかの理由でイジメに遭っている子供たちを無視しているところなど、かなりのご都合主義がみられるのですが、

いずれにせよ、日本の同性愛社会のサイレントマジョリティーである一般ホモやレズが渋谷区と世田谷区の同性パートナーシップ証明書に興味を示さなかったことで、

アメリカ民主党政権の日本でのLGBTゴリ押し作戦が一時、後退を余儀なくされたことは事実で、ケネディ大使は日本でのLGBT教の布教のむつかしさを痛感しているのではないでしょうか。




自民党はなぜLGBT問題に口を挟むようになったのか(1)

$
0
0

去年あたりから、マスコミがLGBT、LGBTと盛んに囃し立てるようになって、政治家連中もLGBTがどったらこったらと口にするようになりました。

特に熱心なのが野党民主党で、モナ夫こと細野豪志政調会長が音頭をとって、LGBTに対する差別解消を目指す超党派議員連盟を設立し、LGBT差別解消法案の法制化を求めているそうです。

一方、自民党もレズビアンやゲイなどの性的少数者(LGBT)が抱える問題を検討する「性的指向・性自認に関する特命委員会」を開き、

LGBTへの理解促進のための基本的な考え方を定め、近く議員立法として関連法案を国会に提出する方針だといいます。

当初は野党中心で進められてきたLGBT関連法案の法制化が、ここに来て一転、自民党が主導権を握るようになったわけで、しかも自民党のLGBT対策の中心にいるのが、

保守的な政治家として知られる稲田朋美政調会長であるということで、LGBT界隈では戸惑いや反発、驚きの声があがっているそうです。

稲田議員ご本人は界隈の雑音を意に介する風はなく、先月、開催されたゲイパレードにも参加し、愛嬌を振りまいていましたが。

それではなぜ自民党がLGBT関連法案の法制化の主導権を握るようになったのでしょうか。


前述の「性的指向・性自認に関する特命委員会」の委員長である古屋圭司・元国家公安委員長は、次のように語っています。

LGBTについて、一部の運動団体が人権擁護法案と同じようなことをしている、という危機感が非常にある。勧告権をつけたり、罰則規定をつけたり、同性婚を法律で認めようとか、憲法上の問題はさることながら、そういう動きがある。
http://www.asahi.com/articles/ASJ2R6287J2RUTFK017.html

人権擁護法案というのは、部落解放同盟が同和立法の期限切れに伴う代替法として成立を強く推進した実質的な部落差別禁止法案で、

この案に従うと、人権委員会なる組織が差別であると認定すれば、即、罰則が課せられることになるそうで、

恣意的に運用されると言論弾圧の道具になりかねないということで、古屋議員をはじめとする反対派の議員が苦労して廃案に持ち込んだという経緯があるそうです。

現在、民主党など野党が推進しているLGBT差別解消法案は、この人権擁護法案と同様、恣意的に運用される危険があり、

この動きを放置すると大変なことになると危機感を抱いた古屋議員ら自民党議員がこの野党の法案を潰すために自民独自の法案を用意することにしたということらしいです。

実際、野党の差別解消法案の原案となったと思われる「LGBT法連合会」なる組織が発表した原案には、

「ゲイっぽい」「オカマ気持ち悪い」などと発言しただけで罰せられる禁止規定があったり、企業の家族手当の廃止などノンケに喧嘩を売っているとしか思えない規定も盛り込まれていて、

こんな法案が通って、ゲイリブ団体が好き勝手に差別認定を行って誰もそれに逆らうことができなくなったら、言論の自由が侵されることになるのは目に見えています。(「差別禁止法案とはなんぞや?」を参照)

古屋議員のいう一部の運動団体とは反日サヨクや在日団体の巣窟となっている西早稲田2-3-18に本籍のある虹色ダイバーシティーなどのLGBT団体で、

これらLGBT団体はしばき隊のような在日暴力集団や共産党など反日パヨクとズブズブの関係にあり、

自民独自のLGBT法案の策定には、このような胡散臭い団体が利権目当てに介入してくるのを阻止する目的もあるみたいです。

前述した人権擁護法案は部落民の人権保護を謳いながら、実質的には部落利権の保護を目的とした法案ですが、

野党が提案しているLGBT差別解消法案は、これのLGBTバージョンで、LGBTの人権保護を謳うことで、LGBTを被差別民に認定し、

それにより発生する利権をLGBT団体を自称する人権屋が独占する目的で提案されているものです。

あとこれと似た法案に野党が提案していたヘイトスピーチ規制法案があります。

この法案は、在日朝鮮・韓国人に対する批判をすべて「ヘイトスピーチ」に認定し、在日に関する言論の自由を封殺し、在日特権を存続させることを狙ったもので、

前述の人権擁護法案とLGBT差別解消法案と3点セットを構成する被差別利権獲得法案です。

自民党はこの3つの法案の内、人権擁護法案を廃案に追いやり、野党が提案したヘイトスピーチ禁止法案は骨抜きにして禁止や罰則の伴わない理念法にしたのですが、

なぜ人権擁護法案と同様、ヘイトスピーチ規制法案も廃案にしなかったかというと、

人権屋弁護士たちが国連の人権委員会や海外のNGOに安部政権がヘイトスピーチを放置しているとの宣伝を行って、安倍政権の弱体化を図るのを防ぐ意図があったのではないかと想像されます。

LGBT差別解消法案については、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの海外の人権団体に加えて、アメリカ民主党政権からの圧力もあり、(「日本でLGBT教の伝道をしている駐日アメリカ大使、キャロライン・ケネディ」を参照)

安部政権としてもLGBT問題を無視できなくなったことや、野党提案のLGBT差別解消法案を放置しておくと人権擁護法案の二の舞になりかねないという危機感から、自民独自の法案を提出して、

自民党は決してLGBTの方々を無視しているわけではありませんよとアピールする一方で、反日団体とズブズブの関係にある一部LGBT団体を排除することにしたのではないかと思われます。

続く
Viewing all 194 articles
Browse latest View live