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Channel: ジャックの談話室
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意識高い系ゲイリブのグッド・エイジング・エールズが嫌われる理由

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渋谷区同性パートナーシップ条例のグッドデザイン賞の受賞騒動ですが、結局、賞を辞退することになったそうです。

辞退したとの声明はカラフルステーション代表の杉山文野氏から出されていますが、受賞企業はカラフルステーションから渋谷区に変更されたのだから、本来なら渋谷区長の長谷部健氏の名前で辞退すべきでしょう。

長谷部区長は今回の騒動でずっと沈黙を守ったままですが、渋谷区の代わりにカラフルステーションが賞に応募することに渋谷区が同意しなければ、今回のような騒ぎは起こらなかったわけで、

長谷部区長は隠れてないで、ちゃんと出て来て釈明すべきだと思いますね。

今回の騒動では、騒動の元になったNPO法人グッド・エイジング・エールズを擁護する声が殆どなく、批判一色だったのが印象的でした。

たしかに今回、グッドエイジングがやったことは批判されて当然だし、批判されてからの対応もお粗末きわまりなかったのですが、

今回の騒動が起こる前からセレブ気取りで派手なパーティーばかり開いているグッドエイジングのメンバーに対する反感がゲイリブ業界内で高まっていて、それが激しいバッシングにつながったような気がします。

グッドエイジングのような意識高い系というか、エリート意識の強いゲイリブ団体が現れるまでは、

日本のゲイリブは、生活保護の申請に役所に行ったら頭ごなしに断られて腹が立った、というようなビンボー自慢ばかりしている底辺系のゲイリブが主流でした。


これら底辺系ゲイリブは、長谷部区長とグッドエイジングが組んで仕掛けた今回の渋谷区区の同性パートナーシップ条例については最初から批判的でした。

長谷部区長が区議だったときに、渋谷区の宮下公園の命名権をナイキに売ってナイキパークとする政策を推し進め、その結果、宮下公園にたむろしていたホームレスが追い出されるという騒ぎがあったのですが、

底辺系ゲイリブには、このホームレスの支援団体にかかわっていた人間が多く、LGBTの人権を守るといいながら、ホームレスの人権は無視する渋谷区の態度はダブスタもいいとこだと非難していたのです。

これら底辺系ゲイリブは、当然のことながら、長谷部市長と組んだグッドエイジングにも反感をもっていて、

逆にグッドエイジングの連中も、これら底辺系ゲイリブを「ビンボー臭い連中」と馬鹿にしていました。

また地方在住のゲイリブも、渋谷区の条例で渋谷区にばかりスポットライトが当たることが面白くなく、東京中心主義だといって非難していました。

ノンポリの一般ホモは、条例自体には無関心でしたが、グッドエイジングについては、ゲイを利用して金儲けを企んでいる胡散臭い連中とみなしていました。

つまり、グッドエイジングという団体は、ゲイリブとノンポリに関係なく、殆どの当事者から嫌われていたのです。

有名企業に勤めていることや所得が多いことを自慢し、「自分たちは選ばれたゲイだ」というエリート意識を振りかざして、それ以外の当事者を見下し、差別するところが嫌われる理由だと思いますが、

グッドエイジング代表の松中権氏をよく知っている電通の中の人によると、松中氏は有名人とかお金持ちとか、いわゆるセレブが大好きで、自分もまたセレブになりたいと憧れているのだそうです。

ダウン症みたいな顔して何がセレブだといいたいですが、本人は大真面目で、有名タレントをグッドエイジングのイベントに呼ぶために電通のコネを利用しているといいます。

もっともこれまで彼が引っ張りだすことに成功した「有名人」は、はるな愛くらいで大したことはないのですが。。。

私の場合、グッドエイジングの何が嫌いかというと、彼らの幼稚なところです。

そもそも有名企業で働いていることや収入の多いことを自慢したり、セレブを気取ることは人として恥ずかしいことだという感性が欠如しているところがとてもマトモな常識を備えた大人だと思えないし、

自分たちの活動が世の中の役に立っていると単純に思い込んでいるところも幼児性丸出しで、

彼らのドヤ顔をみていると、昔、東京府中の家裁判で法廷に入っていくときにアカーの連中が見せていたドヤ顔を思い出します。

前述の電通社員によると、松中氏は「テイラースイフトの真似をする幼稚園児」なんだそうです。

テイラースウィフトというのは、アメリカの高校生に大人気のPOPミュージシャンで、歌詞とメロディは幼稚で、高校を卒業したら聴かなくなるような類の音楽だそうですが、

それを、いい歳こいて頭の中味が幼稚園児並みの大人が真似して、高校生の文化祭みたいなノリでお祭り騒ぎをやっているのが松中氏と彼の仲間だというのです。

現在、グッドエイジングがやっているOUT IN JAPANというイベントも中味がなにもない、仲間内だけで盛り上がっているくだらないイベントで、

見たくもない他人のマスターベーションを無理やり見せつけられるような不快感を覚えますが、

不愉快に感じるのも当然、組んでいるのがあの下品で薄汚い男の裸ばかり撮っている評判の悪い写真家、レスリーキーなのです。

レスリーキーは、多くの日本人モデルの裸を撮っているのですが、モデル本人が公開しないで欲しいと懇願した写真まで本人の許可なく無断で公表するというルール違反を繰り返して、東京のゲイコミュニティーから事実上、追放された人物で、

2013年2月にわいせつな写真集を販売したとして、わいせつ図画頒布容疑で逮捕されたときも、「今まで逮捕されなかったのが不思議だ」という声は聞かれても、同情の声はまったく上がらなかったのです。

そういう札付きの「有名人」と組んでイベントを行うところにグッド・エイジング・エールというNPO法人のセンスの悪さを感じますが、

いずれにせよ、「LGBTは高所得者が多い」とか「LGBTはクリエイティブな才能に恵まれている」と主張するのも、「LGBTはノンケ社会で差別されているマイノリティーの弱者である」と主張するのも、

同性愛者を特別視して特別扱いを要求している点では同じで、同性愛者といっても金持ちもいるし、ビンボー人もいる、才能に恵まれている人間もいるし、そうでない人間もいる、

SEXの相手が同性であることを除けばノンケと変わりない、というあたり前の現実を無視している限り、寄って来るのは、特別扱いされて甘い汁を吸いたいという卑しい心根の人間ばかりでしょう。


本日のつぶやき

現在、底辺系のゲイリブは続々とシールズに参加しているそうです。

つぶやき2

サンテレビ宮崎産業経営 ‏@kazuotoo · 2時間2時間前
日本軍は戦時中アジアで赤ちゃんを投げ飛ばし、落ちてきたところを銃剣で刺すなど無茶苦茶なことをやっていた。

こういうことをいまだにいう人間がいるのが驚き。

そういえば、昔、ちょっと付き合ってたマレーシアの華僑もケンカするとすぐにこの話を持ち出してきたのを覚えてますw

情報源はどこかと訊いたら、教科書に載ってたといってましたが、常識で考えてこんなことをできるわけない。

赤ん坊といっても生まれたばかりの未熟児ならともかく、ある程度、母親のお乳を吸って大きくなった赤ん坊は少なくとも体重は4キロ以上はあるはず。そんな赤ん坊を空から落ちてくるのを銃剣で刺せるほどの高さまで片手で放り投げようっと思ったら、砲丸投げの室伏選手並みの腕力が必要ですよ。

つぶやき3

ベトナム戦争時「韓国軍兵士が性的暴行」 女性ら訴え
朝日新聞デジタル 10月16日(金)15時29分配信

ベトナム戦争に参加した韓国軍兵士に性的暴行を受けたなどと訴えているベトナム人女性やその家族らが15日、訪米中の朴槿恵・韓国大統領らに対し、韓国政府による謝罪と賠償などを求める請願書を提出した。

因果はめぐる小車の。。。というやつですね。

つぶやき4

アメリカン航空、CAが女性客を理不尽に降機させる。
2015年10月17日 12時55分
http://news.livedoor.com/article/detail/10718133/

アメリカン航空に限らず、米系エアラインのCAにはムカつくのが多いですね。米系エアラインは二度と利用しません。

つぶやき5

SEALDs10 月18日渋谷街宣
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安保法案は通ったし、TPPは決まったし、安倍さんの支持率は上昇してるし、サヨクが集まっていくら騒いでも、大勢に影響ありません。








男たちのタンゴ

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タンゴは、1880年頃、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれたダンスです。

当時、アルゼンチンにはヨーロッパから新天地を求めてやって来た多数の移民が住んでいたそうですが、移民は圧倒的に男性が多く、女性が少なかったことから、

ブエノスアイレスの下町のボカ地区の酒場で男同士がタンゴを踊ったのが、アルゼンチン・タンゴの始まりだといわれています。

このような生い立ちのせいか、タンゴは男同士で踊っても違和感がなく、むしろ巧いダンサーが踊ると非常にカッコよく見えます。

私が男同士で踊るタンゴのカッコよさを初めて知ったのは、ケン・ラッセル監督の映画『ヴァレンティノ』(1977)で、

この映画はサイレント時代のハリウッドの大スター、ルドルフ・ヴァレンティノの伝記映画なのですが、

大スターになる前の下積み時代にダンスホールで女性客の相手をしてチップを稼ぐボールルームダンサーをしていたヴァレンティノが昼間、客のいないダンスホールで同僚のダンサーとタンゴを踊るシーンが素晴らしかったです。


ヴァレンティノを演じていたのは、ニジンスキーの再来といわれた20世紀を代表するバレエダンサーのルドルフ・ヌレエフで、タンゴを踊るシーンで彼の相手役をつとめたのは、

当時のイギリス・ロイヤル・ バレエのプリンシパル・ダンサーだったアンソニー・ダウエルです。

このイギリスを代表する二人の男性ダンサーが組んで踊るのだから、カッコよくない筈がない。

バレエ劇場では絶対に観られないこの男同士のタンゴ・シーンをスクリーンで実現してくれたケン・ラッセル監督には感謝感激、雨あられといったところです。

ケン・ラッセルは、2011年年に84歳で亡くなるまで女性と4回、結婚しているので、ホモではないと思うのですが、

この『ヴァレンティノ』のタンゴ・シーン以外にも、『恋する女たち』(1969)では、アラン・ベイツとオリバー・リードの全裸のレスリング・シーンをみせてくれるなど、ホモの観客に対するサービス精神が旺盛でした。



ブエノスアイレスのミロンガと呼ばれるタンゴを踊る場所の多くは一週間の特定の曜日をゲイ・ミロンガと名付けて、男性ペアに開放しているそうですが、

最近では、いつでも男性ペアを受け入れるゲイフレンドリーなミロンガも出来ているそうで、そういうところではダンス自慢の男性ペアが多数来て踊っているそうです。

パッとしない中年のオッサン同士のタンゴ、滋味あふれる踊りですね



これもオッサン同士のペア、渋いです!



これはストリート系?



これはかなりショーアップされたプロの踊り



タンゴといえば、イタリア映画の名匠、ベルナルド・ベルトリッチ監督も作品にタンゴを踊るシーンを挿入することで知られています。

『ラストタンゴ・イン・パリ』というそのものズバリのタイトルの作品もありますが、個人的には『暗殺の森』(1970)で、ドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリが女同士でタンゴを踊るシーンが良かったです。



最後にご存じ『ブエノス・アイレス』(1997)のレスリー・チャンとトニー・レオンのタンゴ・シーンです。




本日のつぶやき

グットデザイン賞にカラフルステーションが応募した際の渋谷区の同意書に関する情報の開示請求に対する渋谷区の回答
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すずやの娘は渋谷区の同意書があったと明言してるのに、渋谷区はそんなものは存在しないという。どっちが嘘をついているんだろう。
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グローバルなコネクションというより電通と博報堂のコネなんじゃないの?
すずやの娘は髭を生やしている暇があったら、もっと一般社会常識を身に付けるべきでしょう。

つぶやき2

世田谷区のクソの役にも立たない「同性カップル公的書類」
区営住宅の入居くらい認めなさいヨ!
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つぶやき3

すずやの娘の言い訳

⑴グッドデザイン賞の件について補足させて頂きます。私が10月1日付のFacebook及びTwitterにて「渋谷区の同意書と共に応募するという形をとりました。」と記載したことについて、渋谷区に情報公開請求が行われ、実際には「同意書」が存在しない事についてご指摘を頂戴しました。

⑵この記載については、「渋谷区の同意書と共に提出しました」ではなく、「渋谷区の同意書と共に応募するという方式を選択しました」という意味で説明させて頂いておりました。 申請時点では同意書は存在しておらず、私が後日同意書を頂ける認識でおりましたため、申請を行った次第となります。

言ってることが支離滅裂なんだけど、申請=応募ではないの?
なんで同意書が出るのを待ってから申請しなかったの?
なんでそんなに急いでたの?

男とか、女とかいう以前に人間としての基本的な常識が欠けてます。

こんなのが渋谷区長と癒着して渋谷区から金もらってるんだ。


ドイツ帝国の勃興(1)

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先日、フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッドがここ数年にわたってフランスのメディアから受けたインタビューを収録した『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文芸春秋)というタイトルの本を読みました。

最近、大量のシリア難民のドイツへの移動やフォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正問題など、ドイツが何かと話題に上ることが多いのですが、

エマニュエル・トッドはこのインタビュー集で、ドイツがアメリカに匹敵するほどの規模の帝国を築きつつあり、その存在が世界に対する脅威になっていると警告しています。

トッドによると、冷戦の終結と欧州の単一通貨ユーロの導入で一番得をしたのはドイツなんだそうです。

冷戦の終結によって共産圏に属していた東欧諸国は続々とEUに加盟しましたが、その結果、ドイツ企業はこれら東欧諸国に進出して工場を建設し、

これら地域の教育レベルは高いけれど賃金は安い豊富な労働力を使って、競争力を高めたといいます。

元々、ドイツとロシアに挟まれたこれらの地域は、歴史的にみて、ドイツの勢力圏になるか、ロシアの勢力圏になるかのどちらかで、

第二次大戦前はドイツの勢力圏だったのが、第二次大戦の結果、戦勝国になったソ連の支配下に入り、それが冷戦の終結により、ソ連からドイツに支配権が再び移ったのだそうです。

EUにおける統一通貨ユーロの導入もドイツの一人勝ちを招いたといいます。


ドイツのような産業競争力が強い国と取引すると、必然的に周辺の国々は貿易赤字になるのですが、もしこれらの国々が独自の通貨を持っていたならば、その通貨を切り下げることで貿易赤字を削減することができます。

ところが統一通貨ユーロの導入のお蔭で、通貨の切り下げができず、ギリシャやイタリア、スペイン、ポルトガルのような産業競争力の弱い国は、

貿易赤字が増える一方で、失業率も高止まり、税収が増えないから財政収支が悪化し、

その赤字を埋めるために実質的にドイツの支配下にあるフランクフルトに拠点を置く欧州中央銀行から借金をし、

ギリシャなどはその借金を返せなくてデフォルトの危機に陥って、最大の貸し手であるドイツから緊縮財政を強いられているのですが、

これは、ドイツがヨーロッパの債務危機を利用してヨーロッパ大陸全体を牛耳るようになっていることを意味するとトッドはいいます。
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トッドによるとヨーロッパ諸国は現在、上の地図で見るように、ドイツを頂点にした階層序列化が進んでいるそうです。

まず中核となるのはドイツとドイツに対する経済的依存度が絶対的であるベネルクス、オーストリア、チェコ、スロベニア、クロアチアなどのトッドが「ドイツ圏」と呼ぶ国々です。

これらドイツ圏に加えてトッドが「ロシア嫌いの衛星国」と呼ぶ、ポーランド、スウェーデン。フィンランド、バルト三国が存在します。

これらの国々はロシアの支配下よりは、ドイツの支配下にいる方がマシだと考えて積極的にドイツの勢力圏に入ってきてドイツの衛星国になっているのだそうです

そしてギリシャなどで構成される南欧は、ドイツに借金をしているために実質的にドイツの被支配地域になっているといいます。

トッドの祖国でドイツの隣国であるフランスについては、トッドはドイツに自主的に隷属しているとみています。

フランスの政治家や銀行家はドイツが台頭したという事実とフランスがドイツを制御できないという事実を素直に認めることができなくて、

みずからドイツに協力することであたかもフランスとドイツが対等の関係であるかのように振る舞っているだけで、

実際は、フランスの政治家と銀行家はドイツのいいなりで、フランスのオランド大統領はドイツ副首相と呼ぶべきだとトッドはこきおろしています。

あとイギリスは近いうちに確実にEUから離脱するとトッドは予言しています。

イギリスはアメリカやカナダや旧イギリス植民地などの「英語圏」との結びつきが強く、ドイツの覇権かアメリカの覇権かどちらかを選ぶことを迫られた場合、当然、アメリカの覇権を選ぶというのです。

実際、イギリス人はよく「英国とヨーロッパ大陸」という言葉を口にしますが、イギリスは島国で、ドーヴァーを渡ると、

気候風土から建物、食べ物から言葉、人間の顔つきまで、ヨーロッパ大陸とはあきらかに異質な世界が広がっているのです。

最後にトッドはウクライナをドイツによる「併合途上の国」に分類しています。

トッドにいわせると、ウクライナ問題はアメリカとロシアの間の問題ではなく、ドイツとロシアの間の問題なのだそうです。

ウクライナはアメリカから遠すぎて、アメリカにとって重要な国ではない、むしろドイツにとって重要な国だとトッドはいいます。

ドイツは冷戦終了後、ポーランド、チェコ、ハンガリー等の東欧諸国の安価な労働力を用いてみずからの産業システムを再編したそうですが、

ウクライナをドイツ圏に併合することで、あらたに4500万人の教育レベルの高い安価な労働力を獲得し、ドイツによるヨーロッパ支配を一層、堅固なものにすることを狙っているというのです。

すでにして欧州連合の人口は5億人に達していて、そのGNPの総額はアメリカに匹敵するといいます。

NATOは実質的にドイツ圏を守っているにもかかわらず、ドイツはみずからは一文も負担することなく、ドイツ圏=ヨーロッパの防衛をアメリカにやらせているとトッドはいいますが、

それにも関わらず、ドイツは最近、アメリカに反抗するようになってきているのだそうです。

2013年にアメリカのCIAがメルケルドイツ首相の電話を盗聴したことが発覚して以来、米独関係はぎくしゃくしていますが、トッドはドイツみたいな危険な国は常時、監視するのが当然だといいます。

アメリカの政治学者のズビグネフ・ブレジンスキーによると、アメリカは、第二次大戦後、ユーラシア大陸の両端にあるドイツと日本という二つの大きな産業国家を支配下に置くことで世界を支配してきたそうですが、

現在、ドイツはアメリカの支配下から離脱する動きを示しているといいます。

そして今後二十年にドイツとアメリカは対立し、二つの国の間で紛争が起こるだろうとトッドは予言しています。

ドイツは20世紀に二つの大戦を引き起こしてヨーロッパを戦火に巻き込んだのですが、21世紀半ばに三回目のヨーロッパの破壊を引き起こすというのです。

続く


本日のつぶやき

リテラもたまには良い記事を書く
http://lite-ra.com/2015/05/post-1103.html

ドイツ帝国の勃興(2)

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エマニュエル・トッドがこれほどまでにドイツという国家を毛嫌いし、ドイツがヨーロッパの覇権を握ったときの危険性について警告するのは、彼がユダヤ系であることと無関係ではないでしょう。

我々日本人は、ドイツに対して、非常に規律の取れた合理的な文化を持つ国であるというイメージを抱いていますが、

トッドは、「ドイツというのは計り知れないほどに巨大な文化だが、人間存在の複雑さを視野から失いがちで、アンバランスであるがゆえに恐ろしい文化でもある」と語っています。

また「ドイツの権威主義的文化は、ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を生み出す」と述べ、

「悲しいことに、ドイツの行方は私にとって完全に未知数というわけではない」と付け加えています。

このように語るとき、トッドの頭にあるのは当然のことながら、ナチスドイツによるユダヤ人の大量殺戮「ホロコースト」でしょう。

考えてみれば、一つの民族を地上から完全に抹殺しようという企て自体、常人には到底、思いつかない、途方もない発想なのですが、

ドイツ人の恐ろしいところは、単にそのようなトンデモナイことを思いつくだけでなく、信じられないような効率の良さでそれを実行してしまうことなのです。


昔、アウシュビッツ収容所におけるユダヤ人虐殺を描いた『夜と霧』(1955)というドキュメンタリー映画を観たことがありますが、

ドイツ人たちがガス室で殺したユダヤ人の死体を、髪の毛をかつらの材料に使い、身体の脂肪分を固めて石鹸を作り、死体の皮膚は引きはがしてランプシェードにするなど、徹底的して再利用しているのに驚きました。

こういう死体をモノとして扱って再利用するという発想は牧畜民特有のもので、農耕民族である日本民族からは絶対に生まれません。

ホロコーストのようにドイツ人が非合理的な衝動に駆られて、それをドイツ人特有の卓越した組織力と規律正しさで着々と実行に移していくときの恐ろしさを一番骨身に沁みて知っているのはユダヤ人しかいないわけで、

トッドがフランスが完全にドイツの支配下に入った暁には、アメリカに亡命すると明言しているのは決して誇張ではなく、真剣にその選択肢を考慮しているのではないかという気がします。

実際、アメリカにはナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した彼の身内が沢山、住んでいるのです。

ドイツ人と結婚してドイツに30年住んでいる評論家の川口マーン恵美さんは、ドイツ人の持つ非合理性が遺憾なく発揮された例として2011年に福島原発事故が起きたときにドイツ国民がパニックに陥ったことを挙げています。

川口さんによると、当事国の日本以外で福島原発事故で一番大騒ぎした国はドイツで、日本に住んでいた外国人で事故を受けて真っ先に日本から逃げ出したのが中国人とドイツ人だったといいます。

ドイツのテレビでは事故が起こってから連日、放射能のお蔭で東京も含めて東日本は住めなくなるなどと大げさな報道を行い、

その結果、ドイツでは、放射能を吸引したときの甲状腺異常を予防するヨウ素剤や放射線測定器が大量に売れたそうです。

またドイツは元々、反原発運動の歴史が長いそうですが、福島原発事故を受けて脱原発の声が国民の間で高まり、ついに6月30日に連邦議会は脱原発法を可決してしまいます。

原子力エネルギーを使わないことに決めたドイツは、再生可能エネルギー、すなわち、太陽光発電や風力発電に頼るようになったのですが、

政府が再生エネルギーで生成された電力を全量、高価格で買い取ることを決めたために、そのしわ寄せが消費者に行き、電気代が18パーセントも上昇したそうです。

また太陽光も風力もお天気次第で電力生産が一定しないことから、不足分を補うために石炭を使った火力発電を増やすようになり、その結果、ドイツ国内の空気汚染が進んだといます。

私にはドイツの脱原発政策はまったく意味がないように思われます。

ドイツと国境を接している隣国のフランスは原発大国で、原子炉が59基もあり、万一、フランスで原発事故が発生した場合、放射能は風に乗ってドイツに飛んで来るのです。

もうひとつドイツ人の非合理的な精神が露呈したのは今年、起こったドイツへの難民の大量移動だったと思います。

ドイツのメルケル首相が「ドイツは難民を歓迎する」と宣言したお蔭で、大量の難民がドイツを目指して移動するようになり、

ドイツへの通り道にあたる旧ユーゴ連邦諸国やハンガリーは突然押し寄せてきた難民たちの対応をめぐって大混乱に陥り、

さらにドイツ国内でもミュンヘン市などが大量の難民を受け入れる準備が出来ていないとして難民受け入れを決めた連邦政府を非難する事態に立ち至ったのです。

ドイツの労働力不足を難民で解決したいという思惑はあったにせよ、私はメルケル首相の難民歓迎メッセージは基本的に「善意」で出されたものだと思っています。

前述の川口マーン恵美さんによると、ドイツ人は自分たちは善いことをするのが好きな国民であると考えたがる傾向があるそうで、メルケル首相の難民受け入れ宣言もそのような国民性に従ったものだと思われます。

ただたとえ善意から出たものであっても、結果的に大混乱を引き起こし、周辺諸国にも大きな迷惑をかけたわけで、やはりドイツはヨーロッパの困ったちゃんではないかという気がします。

あとトッドは、ドイツはウクライナ紛争を巡ってロシアと冷戦状態になる一方で、中国に接近しているといいます。

そして1930年代のドイツが長い間、中国との同盟か、日本との同盟かで迷い、ヒトラーが蒋介石に軍備を与えて彼の軍隊を育成し始めたことがあったという過去の歴史を喚起しています。

実際、現在でもドイツと中国は経済的に非常に密接な関係にあり、メルケル首相は日本にはめったに来ないけど、中国は頻繁に訪問しています。

2012年に中国各地で反日デモが吹き荒れ、日本企業の工場や日系デパートが暴徒に襲撃され、日本車に乗っていた中国人が群集から暴行を受けたとき、

中国のアウディ販売店が「華夏がすべて墓になろうとも、日本人は皆殺しだ! たとえ中国に草木がなくなろうとも魚釣島を取り戻せ!」と中国語で書かれた横断幕を掲げた写真がネットで広まり、日本人にショックを与えました。
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アウディ本社は現地の販売店の中国人社員が勝手にやったことだと弁解しましたが、ドイツの自動車メーカーが中国各地で日本車が壊されているのを見て、

ドイツ車の中国での販売を伸ばすチャンスだと考えたことは想像に難くありません。

実際、VWの2014年の世界販売台数1014万台の内、中国での販売台数が36パーセントの367万台を占めているのです。

この調子で行くと2015年のVWの世界販売台数はトヨタを抜いて世界一になると予想されたのですが、

VWの排ガス不正問題があかるみに出て、また中国経済が停滞期に入ったことで、トヨタを抜いて世界一になるというVWの野望は挫折してしまいました。

なにはともあれ、ヨーロッパとアジアの嫌われ者同士が仲良く沈んでいくのを見るのは気持ちの良いものです。


本日のつぶやき

日本 核保有国の賛同得られず
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6179719

だったら、日本も核武装しますって言えばいいじゃないw


つぶやき2

f0107398_15491710.jpg渋谷区「同性パートナーシップ証明書」発行第1号カップル

この渋谷区お抱え芸人以外に申請したカップルはいるのかしら?





つぶやき3

同性パートナーも受取人に=死亡保険金でライフネット生命

保険金目当ての殺人事件が増えるでしょうね。


つぶやき4
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つぶやき5

法的拘束力のまったくない渋谷区のパートナーシップ証明書を取得するために法的拘束力のある公正証書の提出を求めるなんておかしくない?



LGBTアクティビストが同性愛者を特別扱いする理由

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先日、ノンケのブログの読者からメールをもらいました。

彼は地方に住んでいるそうですが、地方は働き口がないそうで、やっと見つけた会社の仕事は月給わずか6万5000円、サービス残業のやり過ぎで身体を壊してしまい会社を辞めてしまったといいます。

「ホモの人はよくノンケ社会ではゲイは生き辛いといいますが、ノンケだって大変なんですヨ」

と彼は書いていましたが、まったくそのとおりで、今の世の中、ホモであろうが、ノンケであろうが、生きていくのに大変なことに変わりありません。

ところがホモはノンケよりも生き辛い、不幸だと主張してやまない連中がいます。

ご存じゲイリブです。

先日も、LGBTアクティビストを自称するリブ釜が「LGBTの自殺率は一般人よりも6倍も高い」などと根拠も示さずに嘘八百を並べ立てていました。

実際のところ、日本のホモの99パーセントがカミングアウトしていない状況で、ホモの正確な自殺率を知るのは不可能でしょう。

ホモが自殺するときは「私はホモです」と遺書に書いて自殺するわけではないのです。


日高某という研究者のグループが行っているReach Onlineというゲイとバイセクシュアルの男性を対象にしたインターネット上のアンケート調査によると、

「日本の同性愛者の7割から8割が自殺願望を持っていて、3割が自殺未遂を経験している」とのことですが、

このアンケート調査の結果がいかに出鱈目であるかは、レスビアンの尾辻かな子が参院選に出馬した2007年にこのグループが実施したアンケート調査で、

「日本に同性婚の制度があればいいと思う」という設問と「日本にLGBT当事者の政治家がいた方がよいと思う」という設問に対して、「そう思う」と答えた回答者の割合がそれぞれ58.9%、59.8 % に上ったにも関わらず、

尾辻かな子が同性愛者の票をまったく得られずに惨敗した結果をみれば明らかです(「日本のゲイリブが起こした10のでっちあげ事件(6)」を参照)。

最近では、昨年暮れの衆院選にゲイリブ活動家の石川大我が社民党から東京比例区に立候補したときに、2 chopoというリブ釜ご用達ウェブサイトがアンケート調査を実施して、

「ゲイの50パーセントは社民党に投票する」というトンデモ回答結果を発表しましたが、現実には石川大我は同性愛者の支持をまったく得られず、落選しています。

なぜこれほど現実とアンケート結果がかい離しているかというと、この種のアンケート調査に答えるのがリブ釜という日本の同性愛者全体の1パーセントくらいしか占めない非常に特殊な人間しかいないからです。

現在、NHKがLGBTを対象にアンケート調査を行っているそうですが、LGBTという言葉を使う限り、

回答するのは自分をLGBTと認識している日本の同性愛者全体の1パーセントしか占めないこの特殊な連中だけで、

調査結果は前記のReach Onlineや2 chopoの調査結果と似たりよったりの日本の同性愛者の実態をまったく反映しないものになるのは今から目に見えています。

日本の自殺者数は、バブルが弾けてから不況が続き、自殺者が年間3万人を上回る年が続いていましたが、安倍さんが首相に復帰してからアベノミクスのお蔭で徐々に減ってきて、現在は年間2万5000人くらいだそうです。

それでもまだ自殺者が多いことに変わりはありませんが、男性人口に占める同性愛者の割合が5パーセント程度であることを考えると自殺者の大半は異性愛者の筈です。

ところがゲイリブ達は、客観的な根拠がまったくない同性愛者の自殺率の高さばかり強調して、異性愛者の自殺の多さには目をつむっているのです。

もうひとつゲイリブたちが盛んに言い立てていることに「同性愛者の子供は学校でイジメに遭いやすい」というものがあります。

たしかにホモの子供は女性的な子供が多いので、イジメの対象にはなりやすいでしょうが、学校でイジメの対象になっているのはホモの子供だけではありません。

ノンケでもイジメに遭っている子供は沢山いるのです。

もし本当にイジメをなくしたいと思うのであれば、ホモの子供もノンケの子供も区別なく、すべての子供を対象にしたイジメ対策を実施すべきだと思うのですが、

ゲイリブたちは、ホモの子供のいじめの問題しか取り上げようとしません。

なぜでしょうか?

多分、「ホモの自殺率は高い」とか「ホモの子供はイジメられている」と言い立てることで、ゲイリブが金銭的な利益が得られる構造ができあがっているからでしょう。

LGBTアクティビストを自称するゲイリブはNPOを作ってその代表になっているケースが多いのですが、

彼らのウェブサイトを見ると大抵、「講演・講師のご依頼は下記宛てにお願いします」と連絡先の住所や電話番号が書かれてあります。

つまりLGBTアクティビストは「イジメ」や「サベツ」の専門家を気取って、講演やセミナーの講師をして稼いでいるのです。

それまでプー太郎をやっていても、売れない女優をやっていても、いったんLGBTアクティビストを名乗ると「先生」と呼ばれ、

講演の依頼が飛び込んでくるんだから、アクティビストと乞食は三日やったら止められないのでしょう。

最近、流行りの意識高い系ゲイリブは、同性愛者についてあまりネガティブなことは言わず、

「LGBTは高所得者が多い」とか「LGBTにはクリエイティブな才能のある人間が多い」とか同性愛者を持ち上げることが多いのですが、

同性愛者を特別扱いする点は、同性愛者を弱者扱いする旧来のゲイリブと変わりありません。

これら意識高い系ゲイリブは、主として企業をターゲットにして金儲けを企んでいます。

先日、会社員をしている知人から聞いた話ですが、彼の会社にあるゲイリブ団体の人間が訪れ、「LGBTフレンドリー宣言」なるものをしないかと勧めてきたそうです。

私の知人はゲイであることを会社で公表しているので、話しを聞いた人事部長が彼に意見を求めてきたそうですが、彼は人事部長に次のように答えたといいます。

「私はこの会社で働いていてこれまでゲイであることで差別されたり、悪口を言われたことは一度もありません。

そのため、この会社で働けて感謝していますが、会社がそのような宣言をしてゲイやレスビアンの社員を特別扱いすることには反対です。

私に限らず、殆どのゲイやレスビアンの社員は性的指向に関係なく、仕事の実力で評価されたいと考えています。

同性愛者の社員を特別扱いすれば、異性愛者の社員から嫉妬を買い、両者の対立を作ることになるので会社の得にもならないでしょう」

人事部長は彼が宣言に賛成するとばかり思っていたようで、彼の口から反対意見を聞いて驚いた様子だったそうですが、

気になったのは、そのゲイリブ団体の人間が人事部長に自分の団体が長谷部渋谷区長と懇意にしていると語ったということです。

私の知人の会社は渋谷区にあるのですが、ご存じのように渋谷区長の長谷部健氏は「同性パートナーシップ証明書」を発行するなどLGBT問題に熱心です。

渋谷区が「同性パートナーシップ証明書」を発行することを決めた理由として長谷部区長は、同性カップルはパートナーが病気で入院したときに面会ができないことや、同性カップルで部屋を借りるのが難しいことなどを挙げ、

証明書には法的拘束力はないものの、同性カップルのパートナーの面会を拒絶した病院や同性カップルの住宅斡旋を断った不動産業者があれば、その名前を公表すると明言していました。

それで思ったのですが、渋谷区長である長谷部氏が彼が懇意にしているというこのゲイリブ団体が推し進める「LGBTフレンドリー宣言」を行った企業名を公表すると言いだしたらどうなるでしょう。

その場合、宣言しない企業は「LGBTに理解がない会社」というレッテルを貼られ、無言の圧力に晒され、宣言することを強いられるようになるのではないでしょうか。

この「LGBTフレンドリー宣言」は当然、無料ではなく、宣言をした企業はこのゲイリブ団体に何らかの名目で金を払うことになる筈です。

ヤクザにみかじめ料を払うようなものです。

さらにいったんこの宣言をすると社内で社員を対象にLGBT啓蒙開発セミナーや研修を行うように勧められ、そのゲイリブ団体のメンバーが講師として会社に乗り込んで来るのだそうです。

当事者であるホモやレズの社員がなんの不満もなく働いている会社に押しかけてきて、「LGBTフレンドリー宣言」を行ったり、LGBTに関するセミナーや研修を行うことを強要するのは総会屋の手口と変わりませんが、

彼らこそが新種の総会屋なのかもしれません。


本日のつぶやき

長谷部渋谷区長発言
「次の街づくりのキーワードはダイバーシティで、パラリンピックが日本に来たら、それが普通になるかもしれないですね。LGBTの人なども、うまく活用できないかということも考えています」

ホームレスは活用できないから捨てたんだ。

つぶやき2

福生市で起こった被害者の顔の皮膚をはがすという猟奇的殺人事件の犯人と被害者が共にセクマイだったことで、ゲイリブが二人がセクマイであったことを報道するのは、セクマイに対する偏見を助長すると抗議しています。

在日朝鮮・韓国人が犯罪を犯した時に通名でなく、本名を報道するのは在日に対する偏見を助長するという主張と同じです。

もしセクマイに対する理解を本当に深めたいのであれば、セクマイにも頭のおかしい人間はいるし、犯罪を犯す人間もいるというあたり前の事実を隠ぺいすべきではないでしょう。







尾辻かな子の離婚妻、村木真紀がやってるLGBTビジネス

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東京都新宿区西早稲田2-3-18に住所を置く一般財団法人ダイバーシティ研究所という団体があります。

人種・性別その他の理由による不当な差別または偏見の防止および根絶を目的とする活動を行っている団体だそうですが、

勘の良い人は、西早稲田2-3-18という住所をみただけで、この団体がどのような団体であるか理解できるでしょう。

そう、この西早稲田2-3-18のビルは、在日団体と反日サヨク団体の事務所が集まっている反日組織の巣窟として有名なところなのです。

この西早稲田2-3-18に事務所を置くダイバーシティ研究所の理事に村木真紀という女性が名前を連ねています。

http://www.diversityjapan.jp/sosiki/member.html

彼女はこの研究所の大阪事務所の代表を勤めると同時に特定非営利活動法人虹色ダイバーシティの代表を勤めているようです。

ダイバーシティ研究所の大阪事務所の住所と虹色ダイバーシティの住所が同じ大阪市淀川区十三東2-6-7なのです。

この村木真紀という女性、実はあの尾辻かな子が2007年に参院選に出馬したときに選挙キャンペーンでマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げて、落選した途端、離婚した相方の女性なのです。

尾辻かな子と結婚したとき、彼女は木村真紀と名乗っていました。

その後、なぜか改名して現在は村木真紀と名乗っています。

もしかして彼女にとっては尾辻との結婚・離婚は黒歴史なので、その過去を隠すために改名したのかもしれません。

実際、上記のダイバーシティ研究所や虹色ダイバーシティのウェブサイト上の彼女のプロフィール欄には、尾辻と結婚・離婚した事実は一切、触れられていません。


しかし、この村木真紀と尾辻かな子がやったことはもっと非難されてしかるべきだと思いますね。

本人たちは最初から選挙用のパフォーマンスと割り切ってやったのかもしれませんが、彼女たちの結婚式に列席した人間の中には彼女たちが本当に愛し合って結婚したと思って心から祝福した人間もいた筈で、

落選した途端、離婚することで、そういう純粋に彼女たちを応援した人間の信頼をこの二人は土足で踏みにじったのです。

しかもあれだけ大騒ぎして結婚式を挙げておきながら、離婚したときは、支援者に対して何の連絡もなかったといいます。

彼女たちの同性結婚式とそれに続く離婚の茶番劇はゲイリブ運動の観点からも褒められたものではありません。

同性パートナーシップ制度の実現を公約に掲げて選挙に出馬したレスビアン候補が落選した途端、離婚したことで、

日本のゲイリブ活動家を自称する人間が同性婚というものを単なる売名手段としてしかみていなかったことが浮き彫りになったからです。

本来ならば、尾辻かな子は、選挙に惨敗したことに加えて、この同性婚に対する裏切り行為の責任を取ってゲイリブ活動から身を引くべきだったと思うのですが、彼女は相変わらず、図々しく活動家をやっています。

そしてその相方だった木村真紀もいつの間にか、村木真紀と名前を変えてしれっと活動しているのです。

先日、渋谷区の同性パートナーシップ証明書のグッドデザイン賞の受賞騒動で醜態を晒したヒゲ女もそうですが、LGBT活動家を自称する連中は言っていることは立派でも、

やっていることは本当にいい加減というか、無責任というか、幼稚というか、とても一人前の人間とは思えません。

そもそも、まともな人間であれば、最初からゲイリブの運動なんかに関わらないでしょうが。。。

尾辻かな子と木村真紀の同性結婚式
https://www.youtube.com/watch?v=PA4q4URTHQA

さて、村木真紀ですが、彼女は大阪でどのような活動をしているのでしょうか。

彼女が代表を勤める虹色ダイバーシティのウェブサイトhttp://www.nijiirodiversity.jpを覗くと、

「虹色ダイバーシティ」は、LGBT等の性的マイノリティがいきいきと働ける職場づくりをめざして、調査・講演活動、コンサルティング事業等を行っているNPO法人です。

と記載されていて、

最近、活発に活動している意識高い系ゲイリブのグッド・エイジング・エールズと同様、企業にたかって金を儲けることを主たる活動にしているようです。

さらにこの虹色ダイバーシティという団体は、日本中を虹色に! を合言葉に全国のLGBTフレンドリーな店舗、施設を募集しているといいます。

この間、訊いたLGBTフレンドリー宣言とよく似ていますが、LGBTフレンドリーを名乗るとLTBTの顧客が増えますよ、とかなんとか嘘八百を企業や店舗に吹き込んで、フレンドリー会員を増やして金を儲けようという魂胆なのでしょう。

また先日、覗いた虹色ダイバーシティのツイッターでは、「LGBTの子供がイジメに遭っている情報があれば教えてください」と書き込んでましたが、

企業相手のLGBTビジネスに加えて、旧来型のゲイリブがやっている「弱者ビジネス」にも手を広げているみたいです。

この大阪のオバハンのがめつさがひしひしと伝わって来ますが、彼女が代表を勤める虹色ダイバーシティが住所を置く大阪市淀川区は「LGBT支援宣言」を行っているLGBT業界では有名な地方自治体なんだそうです。

淀川区の榊正文区長は元々、人権について関心が深く、かっては同和部落の問題に取り組んでいたのが、LGBT業界の人間と知り合って、LGBTの人権問題に関心を持つようになったといいます。

同和利権からLGBT利権に乗り換えたということらしいですが、この区長が知り合って話を聞いたLGBT業界の人間というのは、状況からみて、この虹色ダイバーシティの村木真紀である可能性が強いです。

つまり、東京の渋谷区の長谷部区長がグッド・エイジング・グループなどのゲイリブ団体と組んでLGBT利権を漁っているのと同じ構図がこの大阪の淀川区でも出来上がっているということらしいです。

渋谷区の長谷部市長は、宮下公園をナイキパークに改名したときに公園内にいたホームレスを追い出したことで、LGBTの人権を尊重するといいながらホームレスの人権は無視するのはダブスタだとホームレスの支援団体から非難されていますが、

この淀川区の榊区長もLGBTに対する支援を表面する一方で、淀川区における生活保護の申請の審査を厳しくしているそうです。

私は生活保護については、在日外国人に対する生活保護の支給は止めるべきだと考えていますし、不正な生活保護受給はどしどし取り締まって欲しいと思っていますが、

だからといって、LGBTを生活保護受給者よりも優遇しなければならない理由は思いつきません。

特に最近目立っている意識高い系ゲイリブは、LGBTは高所得者が多く、クリエイティブな才能に恵まれていると主張しているわけで、LGBTがそんなに優秀であれば、行政が支援する必要などないということになります。

彼らが最終的に何を目指しているのか、いまいちはっきりと見えてこないのですが、これから地方自治体の長とゲイリブ団体が癒着してLGBT利権を漁る動きが増えてくるのではないかという気がします。

追記

村木真紀の脳内にどういう妄想が詰まっているか下の図をみるとよくわかります。

虹色ダイバーシティ@nijidiversity 【活動報告】野村證券様の社内イベントでスピーカーを務めました。未来の姿を考える、非常に興味深い会でした。お誘いありがとうございました!
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一番怖いのは「差別的言動を放置した企業が訴えられる」というやつでしょうね。

「LGBTフレンドリー宣言」をしないとこうなりますよと企業を脅かして、みかじめ料を巻き上げるつもりなんでしょう。


本日のつぶやき

石平太郎 ‏@liyonyon · 5時間5時間前
フランスが未曾有のテロ惨劇に襲われた中、「政府がシリア空爆に参加したからテロを招いた」との批判は国内で巻き起こしていないし、それを口実に政権批判する野党もない。国民と政府は一致団結してテロの撲滅に当たるだけ。それが成熟した民主主義国家の健全な姿である。


NHKのLGBTアンケート調査の嘘八百

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NHKが実施したLGBTを対象にしたアンケート調査の結果が発表されました。

http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20151118/3597861.html

これによると、アンケート調査の対象になったのは全国2600人余りのLGBTで、「同性愛者」や「両性愛者」であると答えた2300人余りのうち、「自分が住む自治体に渋谷区のような制度があれば申請したい」と答えた人が79%に上ったとのことです。

しかしそれならば、なぜ渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」を申請した同性カップルは1組しかいなかったのでしょう?

渋谷区の人口はWikipediaによると21万6,823人。この内、ホモやレズが何人を占めているか正確な統計がないのでよくわかりませんが、人口の5パーセントが同性愛者であると仮定すると、渋谷区の同性愛者数は約1万人になります。

NHKのアンケート調査の結果のとおり、同性愛者の約8割が証明書を申請したいと考えているのであれば、約8000人の同性愛者、4000組の同性カップルが申請してもおかしくはないのです。

しかし、実際には申請したカップルはたったの1組だったのです!!(笑)


泰山鳴動してネズミ一匹ならぬレズ一組といったところですが、あれだけ大騒ぎしてたった1組しか申請に来なかったということは、

渋谷区に住む同性愛者の圧倒的大多数は渋谷区が売り出した「同性パートナーシップ証明書」に関心をもたなかったということを意味します。

なぜ彼ら彼女たちは関心を持たなかったのか?

まず第一に日本の同性愛者の圧倒的大多数は同性婚に関心を持っていないという現実があります。

ゲイリブがいくら騒ぎ立てても、笛吹けど踊らずで、大多数の日本の同性愛者は現状に満足していて、同性婚など望んでいないのです。

さらに渋谷区の発行する「同性パートナーシップ証明書」は正式の結婚証明書ではないという事実があります。

渋谷区のパートナーシップ証明書は、「二人が結婚に準ずる関係」であると渋谷区が認めているだけで、法的な拘束力はまったくないのです。

つまり、結婚証明書が本物の証明書であるとすると、渋谷区のそれは偽物の証明書、あるいは子供だましのおもちゃの証明書でしかないのです。

そんな偽物の証明書を8万円も出して買いたいと考える酔狂な人間は、渋谷区のLGBT関連のイベントに必ず顔を出す、渋谷区お抱えのLGBT芸人というべき元宝塚のレズカップルくらいしかいなかったということでしょう。

大抵のカップルはそんな金があれば二人で美味しいものを食べにいった方がマシと考える筈です。

なんで渋谷区の偽結婚証明書に8万円もかかるかというと、渋谷区の場合は、証明書発行の条件として「任意後見契約に係る公正証書」 と「合意契約に係る公正証書」の2種類の公正書の提出を義務づけているからです。

中味がまったくない偽の結婚証明書を少しでも権威付けするために公正証書の提出を義務付けることにしたのだと思いますが、

その結果、法的拘束力のないパートナーシップ証明書を取得するために法的拘束力のある公正証書を提出しなければならないというおかしなことになったのです。

さらに「任意後見契約に係る公正証書」なるものを取得すれば、ある程度のパートナー関係が認められるのであれば、わざわざ渋谷区の証明書を取得しなくとも、この公正証書だけを取得すればよいのではないかという意見まで出て来たのです。

渋谷区の同性パートナーシップ証明書の発行と時を同じくして、世田谷区でも「パートナーシップ宣誓書」なるものを発行しています。

こちらの方は11月5日の時点で7組が登録に訪れたそうですが、世田谷区の人口が90万人に達し、8万円かかる渋谷区のパートナーシップ証明書と異なり、こちらの方は費用が無料であることを考えると、この数は非常に少ないといわざるを得ません。

世田谷区にどれだけの同性愛者が住んでいるかこれも正確な統計がないので判りませんが、人口の5パーセントが同性愛者であると仮定すると、世田谷区には4万5000人の同性愛者が住んでいると推定され、

上記のNHKのアンケート調査の結果を当てはめると4万5000人の80パーセントに相当する3万6000人=1万8000組の同性カップルが登録に来てもおかしくないのです。

ところが実際は、7組14人しか来なかったわけで、世田谷区在住の圧倒的大多数の同性愛者は、世田谷区発行の「パートナーシップ宣誓書」にまったく関心を示さず、タダでも欲しくないと考えたということになります。

そもそもこの世田谷区の「パートナーシップ宣誓書」は、渋谷区の「パートナーシップ証明書」同様、法的拘束力はまったくなく、

渋谷区の場合は、同性パートナーの面会を断った病院や同性パートナーに対するアパートの斡旋を断った不動産屋の名前を公表するといっているのに、世田谷区はそれさえしないそうで、

こんなクソの役にも立たないモノをなぜ発行することに決めたのか不思議でしょうがないのですが、

おそらく渋谷区が「パートナーシップ証明書」を出すことになったと聞いて、世田谷区も負けずに出そうという単純かつ幼稚なライバル意識から決めたのではないかと思われます。

そもそも、わざわざ役所に出向いていって、自分がホモあるいはレズであることを申告して証明書をもらうという行為になんの意味があるのか、私にはさっぱり理解できないのですが、

いずれにせよ、この2つの区のパートナーシップ書類を申請した人間がこれだけ少なかったということは、日本の同性愛者の圧倒的大多数が同性婚にも同性パートナーシップにも関心を持っていないという事実をあらためて証明したことになると思います。

それにも関わらず、NHKのアンケート調査では、回答者の79パーセントが「自分が住む自治体に渋谷区のような制度があれば申請したい」と答えているのです。

実際には、渋谷区と世田谷区で申請した同性愛者の数を基に申請率を計算してみると、渋谷区は2÷10,000人で0.0002パーセント、世田谷区は14÷45,000人で0.0003パーセントにしかなりません。

なぜこれほどまでに実態とアンケート調査の結果がかい離するかというと、これまでこのブログで何度も指摘してきたように、この種のアンケート調査に回答するのは、日本のホモ社会の超少数派でしかないLGBTを自称するリブ釜だけだからです。

今回のNHKのアンケート調査はLGBTを対象にしたといいますが、日本では自分をLGBTであると考える同性愛者は同性愛者全体の1パーセントくらいしか存在しません。

つまり、NHKはLGBTという言葉を使うことで、自分がLGBTだと思わない残りの99パーセントの同性愛者を完全に無視して、彼らに回答の機会を与えなかったのです。

その結果、アンケート結果は、日本のホモ社会の超少数派であるLGBTを自称するリブ釜たちの非常に偏った意識を反映するものになったのですが、

問題は、公共放送である筈のNHKがこのような少数派でしかないリブ釜たちの意見をあたかも同性愛者全体の意見であるかのように報道したことです。

不偏不党を標榜すべき公共放送であるNHKがこのような示威的なアンケート結果を公表し、同性愛者に対する誤ったイメージを国民の間に広め、意図的な世論のミスリードを図ったことは厳しく非難されるべきでしょう。

NHKに限らず、今年になってからのマスコミのLGBTゴリ押しは異常なほどで、かっての韓流ゴリ押しを彷彿とさせますが、このようなゴリ押しが突然、起こった背景についてはよくわからないものの、

このようなゴリ押しが当事者である一般同性愛者を完全に無視した形で行われていることと、ゴリ押しを行っているのがサヨクマスコミやサヨク政党などのサヨク勢力で、

しばき隊などの在日系の勢力が積極的に応援している事実を考えると、このような事態は見過ごすべきではないと考えます。



本日のつぶやき

今、日本のサヨク陣営が音を立てて崩壊している。

彼らの醜悪な断末魔の叫びが耳に心地よい。

壇宿六(闇のキャンディーズ)(新潟日報社上越支局・坂本秀樹報道部長)
@orchid0730 想像しろ。お前が本能に任せて性行為した、クズみたいな男と娼婦のお前の間に生まれた薄汚いガキ!
明らかに人種差別主義者の子どもであり、生きてる価値はない!最大限の尊厳を与えてやる。それは、豚のエサになることだ!

つぶやき2
LGBTを理解しろ、というけど、一般ピープルに自分のことを理解して欲しいと思ったことは一度もない。
理解なんかしてくれなくていいから、ほっといて欲しいと思ってた。
実際、ほっとかれたので、自由に楽しくホモ人生を謳歌することができた。

つぶやき3
劇作家・演出家平田オリザ氏「安倍さんが海外ではレイシストだと思われていることをひしひしと感じる」

どこの海外や (笑)

つぶやき4
新進気鋭のゲイライター、英司さんのLGBT市場に関する考察
http://allabout.co.jp/newsdig/w/90306

ホモはケチでコスパに敏感だから、ホモの友人から紹介される店とかハズレはないけれど、店の方はたいして儲かっているように見えないのも事実。

つぶやき5
同性愛は異常だとどこかの市議が発言して問題になっているそうですが、
そんな発言はサベツ大好きのゲイリブを喜ばせるだけでしょう。

私個人としては同性愛は異常だと考える人間がいても別にかまわないと
考えていますが、ゲイリブに餌を与えるのはよくないかもしれません。

つぶやき6
昔から軍の慰安婦の存在は秘密でもなんでもなかったのに、
戦後、何十年も断ってから急に問題視されるようになった。

同性愛者の存在も昔から知られていて問題視されることも
なかったのに最近になって急にLGBTがどうのこうのと
うるさくいうようになった。

どちらも騒ぎ出したのはサヨクです。

追悼 原節子

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往年の日本映画の大スタア、原節子さんの訃報が飛び込んできました。

享年95歳、大往生といえるかもしれませんが、100歳を超えた長姉、100歳近い次姉がまだ存命だそうで、それを考えるともっと長生きをしてもよかったのではないかという気がします。

亡くなったのは9月5日だったそうで、一か月ほど前に病院に入院したというニュースが流れたのですが、そのときはもう亡くなっていたことになります。

死亡の発表が遅れたのは「騒がれたくない」という本人の遺志を尊重した結果だそうで、最後まで自分の生き方を貫いたといえるでしょう。

彼女のことは以前、このブログで取り上げたことがあるのですが、今回の追悼記事では、もう語り尽くされた感がある小津監督の作品ではなく、

小津作品以外で彼女が演じた役を回想して日本映画史上最大のスタア女優を偲んでみたいと思います。


小津作品以外で彼女がよく出演していたのは、成瀬巳喜男の作品です。

『めし』(1951)、『山の音』 (1954)、『驟雨』 (1956)、『娘・妻・母』 (1960)の4本の作品に出演していますが、個人的には『めし』と『驟雨』が好きです。

二本とも安サラリーマンの夫をもつ生活に疲れた妻の役ですが、一見すると華やかな美貌を持つ彼女には似つかわしくない役どころのように思えるのですが、両方の役ともごく自然体で演じていてまったく違和感がありません。

『驟雨』では、家の近所を通りかかった焼き芋屋を呼びとめて、「おじさん、焼き芋、二十円ちょうだい」といって焼き芋を買うシーンがあって、原節子に焼き芋を買わせるなんて、成瀬巳喜男はひどいことすると思ったのですが、

やはり美人女優の高峰三枝子が主演した『妻』(1953)では、妻役の高峰三枝子が下宿人の若い男の三国廉太郎を前にして、食後、つまようじで歯の間を掃除して、

お茶を口に含んでぐちゅぐちゅと音を立てて口の中をすすぎ、そのままごっくんと飲みほすという行儀の悪いことをさせていますから(これを堂々とやってのけた高峰三枝子は大した女優です!)、

焼き芋を買わせるくらい成瀬監督にしてみたら朝飯前だったのかもしれません。

成瀬巳喜男は、元々は小津安二郎のいる松竹で監督をしていたのですが、小津と作風が似ていたことから、松竹の城戸四郎社長に「小津は二人はいらない」といわれて、松竹を追い出されて東宝に移ったという経緯があります。

小津と成瀬は市井に生きる庶民の哀歓を好んで描いたところは似ていますが、小津は女性を男の視線で視ていたのに対し、成瀬は男でありながら女性を女の視線で視ていたという違いがあります。

つまり、小津映画では女性は客体だけれど、成瀬映画では女性は主体だったわけで、だからこそ成瀬は「女性映画の巨匠」と呼ばれたのです。

小津も名監督の誉れが高いけれど、女性映画の巨匠とは言われませんからね。

小津作品では俳優は小津好みの「形」にはめられることが多いのですが(それはそれで悪くはないのですが)、

成瀬作品では原節子は小津作品のときよりも肩の力を抜いて自然に演技している印象があって、それが新鮮でかつ好ましく感じられました。

この二本の成瀬作品の原節子は、本来の彼女のイメージとは異なる役でしたが、それでは彼女のイメージに合った役はなにかというと、華族の令嬢あるいは奥方といったところでしょう。

実際、彼女は戦後、『安城家の舞踏会』(1947)、『お嬢さん乾杯!』(1949)で華族の令嬢を演じ、『大番シリーズ』(1957~1958)では華族の夫人を演じています。

ただし、すべて戦後、没落した華族の令嬢あるいは夫人の役で、この中では『大番』で彼女が演じた華族夫人の役が一番、印象に残っています。

『大番』は、兜町で勇名を馳せた実在の相場師をモデルに描いた獅子文六の小説を映画化したもので、主人公の株屋の「ギューちゃん」の役を加東大介が演じ、

『大番』(1957)、『続大番 風雲篇』(1957)、『続々大番 怒涛篇』(1957)、『大番 完結篇』(1958)の4本が製作された人気シリーズだったのですが、原節子は4本すべてに出演しています。

あらすじは四国の宇和島の水飲み百姓の倅のギューちゃんが何を血迷ったのか、島一番の名家のお嬢様(原節子)にラブレターを出すというトンデモない事件を起こし、

それが原因でギューちゃんは、追われるようにして島を離れて東京に出て、ある株屋の給仕として雇われます。

偶然、株の世界に飛び込んだギューちゃんでしたが、やがて相場師としてめきめき頭角を現すようになります。

一方、原節子のお嬢さまは、華族の軍人と結婚して、やはり東京に住むようになります。

ギューちゃんは、一度、故郷の宇和島に帰ったとき、今は華族の奥様になっているかってのお嬢様の父親に頼まれて、東京のお嬢様のところに物を届けに行きます。

広壮な邸宅に住むお嬢さまは届け物をしにきたギューちゃんに「ご苦労様」といって「粗品」と書かれた小さな紙箱を渡します。

紙箱には靴下が入っていて、ギューちゃんは、その安物の靴下を宝物のように大切にして同棲相手のおまきさん(淡島千景)に焼きもちを焼かれます。

ただギューちゃんがいくらお嬢様に憧れていても、華族の奥方になっているお嬢様は、身分の低いギューちゃんを出入りの商人くらいにしか思っていません。

ギューちゃんは株で稼いでいたのですが、昔の日本では株屋はやくさと同じ賤業とみられていて、まともな家では娘を株屋とは絶対、結婚させなかったといわれるくらいで、ギューちゃんの片思いはまったく通じなかったのです。

しかし、戦後、二人の立場は逆転します。お嬢様の軍人の夫は戦死し、未亡人になったお嬢様は生活に困窮し、東京の邸宅を売り払って、

かって別荘として使っていた葉山の別宅に古くからいる女中と二人だけで逼塞して暮らすようになります。

一方、戦後、株で大儲けしたギューちゃんは、食料や生活用品を次から次へと買って、現在は未亡人になっているお嬢様の葉山の別荘に運びます。

かっては目もくれなかった卑しい身分の男の善意に甘えて生きていかなければならない境遇に陥った屈辱をぐっと堪えて、ギューちゃんに礼をいう場面の原節子の演技は素晴らしかったです。

その後、ギューちゃんはますます調子に乗り、未亡人のお嬢様に結婚を申し込むのですが、お嬢様は明確な返事をせず、そのまま寝込んでしまいます。

お嬢様は軽い結核を患っていて、きちんと療養すれば治ると医者がいっていたにもかかわらず、彼女はわざと病状が悪化するように不摂生して、最後は死んでしまうのです。

「株屋風情と結婚するくらいなら、死んだ方がマシ!」

という彼女の強烈な拒絶を前にしてギューちゃんは「この世には金で買えないものがある」という人生の真実を学ぶのですが、ホリエモンあたりに見せてやりたい映画です(笑)

ほかにも紹介したい作品は多いのですが、長くなりますのでこのへんでやめておきます。

ただひとつ言えるのは、もし原節子がいなかったら、日本映画は随分とツマらなくなっていただろうということです。

彼女は全盛期の日本映画を支え、映画がテレビとの競争に負けて急速に衰退し始めた1962年にひっそりと映画界から去っていったのです。

話は変わりますが、原節子は白人の血が混じっているかどうかという論争が長く続いていました。

私は、あのバタ臭い顔からみて、彼女には白人の血が混じっていたと思います。

彼女が出演した『青い山脈』(1949)を監督した今井正は、まじかに見る彼女はとても白人っぽかったと語っていますし、彼女のお姉さんは彼女よりももっと白人っぽい顔立ちをしていたという話もあります。

彼女のお父さんは伊豆の下田の出だそうで、唐人お吉ではないけれど、日本で初めて外国船の寄港を受け入れた下田の港には西洋人が沢山住んでいたそうですから、お父さんが白人との混血であっても不思議はないと思います。

いずれにせよ、たとえ彼女に白人の血が混じっていたとしても、彼女がある時代の理想の日本女性像を体現していた事実に変わりありませんし、

引退後、公の席に一切、姿を見せなかった潔い生き方は非常に日本的というか、サムライ的なものを感じます。

彼女と晩年まで交際があったという女優の司葉子によると、彼女は亡くなる5年くらい前まで小津監督の墓参りをしていたそうで、

今頃は天国で小津監督と再会して、お互い照れくさそうに笑いながら挨拶してるんじゃないでしょうか。


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『めし』(1951)
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『驟雨』 (1956)
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  『大番』


本日のつぶやき

近衛太呂丸 ‏@tarotwo · 6月14日
旧日本軍の慰安婦だったキム・ウェハンさんが11日夜、京畿道広州市内の病院で亡くなった。80歳だった。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-8387.html …

80歳?
終戦時 10歳以下だぞー!! バカ者っ!

つぶやき2
県職員「同性愛は異常でしょ」と投稿…処分検討

昨今のLGBTゴリ押しに対する反発でこういう意見が出てくると
ゲイリブは待ってましたとばかり騒ぎ立てる。

石川大我は、早速、同性愛を批判した市議のところにいって
辞職を迫ったとか。

これって一種のマッチポンプでしょう。



エチオピア周遊(1)

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3週間ほどかけてエチオピアを旅行してきました。

エチオピアは今回が初めてでしたが、以前から行きたいと思っていた国でした。

エチオピアは一応、ブラックアフリカに分類されていますが、ほかのブラックアフリカ諸国とは大きく異なる国です。

まずエチオピアは長い歴史を持つ国です。

伝説によると、紀元前10世紀頃、当時、現在のエチオピアとイエメンを治めていたシバ王国の女王が大勢の随員を伴ってエルサレムのソロモン王を訪れて、帰国後、ソロモン王の子供を産みます。

その子供が初代エチオピア国王のメネリク1世になったといわれています。

メネリク1世の血を引くといいわれる最後の皇帝、ハイレ・セラシエが1974年に軍事政権によって廃位させられるまで、エチオピアの皇室は日本の皇室よりも歴史が長い世界一古い皇室だったのです。


またエチオピアは周辺をイスラム国に囲まれているにもかかわらず、キリスト教が優勢です。

サハラ以南のブラックアフリカのキリスト教徒は19世紀の西洋列強による植民地化の結果、宣教師によって改宗させられた人間が多いのですが、

エチオピアの場合は、キリスト教は直接、エルサレムから伝わり、キリスト教が国教となったのもアルメニアに次いで世界で二番目で、ローマよりも早いのです。

エチオピア正教会と呼ばれるこのエチオピアのキリスト教は、エチオピアを中心に3600万人の信者がいるといわれ、現在でもエチオピアでは多くの人々が信仰しています。

さらに人種の上でもエチオピアは独特です。

エチオピア人の多くは、セム族(アラブ)とハム族(黒人)の混血で、端正な顔立ちをしていて、肌の色はサハラ以南の黒人ほど黒くはなく、髪の毛もそれほど縮れていません。

そのため、エチオピア女性には美人が多く、かって奴隷貿易華やかなりし頃はエチオピア女は一番高値で取引きされたそうです。

現在でも、エチオピア出身や隣国の人種が同じソマリア出身のスーパーモデルは多いです。

エチオピア国内には80以上の民族がいるといわれ、特に南部には伝統的な衣装(裸を含む)に身を包んだ少数民族が多数、住んでいます。

またエチオピアは世界から長らく孤立してきたせいか、独自の習慣が残っています。、

たとえば、エチオピア暦では一年は13か月あり、今年は2015年ではなく、2007年です。

またエチオピア時間は、西洋時間より6時間ずれています。

つまり、西洋時間の午前0時はエチオピア時間では午前6時になります。

アルバミンチの空港では、ボーディングパスに記載されている時間は西洋時間なのに、壁にかかっている時計がぜんぶエチオピア時間になっていたので戸惑いました

そのほか、エチオピアでは、エチオピア料理もエチオピアン・ポップスもエチオピアン・ダンスもすべて独特です。

好き嫌いは人によって分かれると思いますが。

またエチオピアはコーヒー産地で、茶道ならぬコーヒーセレモニーがあります。

☆観光
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エチオピアの観光地は、大きく北部と南部に分かれます。

北部は1世紀から7世紀にかけて栄えたアクスム帝国の首都であったアクスム、中世の王国時代のお城や宮殿が多数残っているゴンダール、

青ナイルの水源のタナ湖畔の町、バハル・ダール、岩窟教会で有名なラリベラの4か所を結ぶルートが歴史巡回ルート(Historical Circuit)としてエチオピア観光局によって宣伝されています。

私は今回は、南部を重点に回ったので、北部ではアクスムとゴンダールはスキップして、バハル・ダールとラリベラだけを訪れました。

南部は様々な伝統衣装に身を包む少数民族の村々をめぐるのが主要な観光なります。

そのほか、特異な景観や塩のキャラバンが見られるダナキル砂漠など観光的見所は多いです。

続く


本日のつぶやき

去年の6月、青山の某結婚式場で派手で悪趣味な結婚式を挙げた男同士のカップル。半年で離婚して、現在はからかわれるのが嫌で二丁目にも出られず、引きこもり状態だとか。
まぁ、ホモの結婚なんてこんなもんでしょう。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/29/lgbtwedding_n_5632337.html

この結婚式の二人をみて号泣したリブ釜がいたそうだけど、今、どんな気持ちか訊いてみたいです。


つぶやき2

ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー、ぞくぞくと反響をいただいています!by 東小雪(渋谷区同性パートナーシップ証明書受領第1号のレズ、2号以下はいない)

儲ける気、満々ですな。

つぶやき3

帰路のドバイ→上海の中国東方航空のフライト、途中、昆明で機体変更で、飛行機を降りたんだけど、中国人の乗客はすぐに新しい機体に移れたのに、われわれ15人の外国人乗客だけがしばらく昆明空港で足止めされた。
外国人乗客は私を除けば全員、中東系。多分、テロ防止のために身元のチェックをしていたんだろうと思う。
中に一人、きれいな女性がいたので話しかけてみたら、アフガニスタンから来たんだって。
「最近のアフガンはどう?」
「まあまあよ、大統領は二人いるけど(笑)」
最近、大統領選挙があって、負けた方の候補者が負けを認めず大統領を名乗ってるんだって。
彼女は上海からサンフランシスコに向かうとか。
みんなたくましく生きてます。


エチオピア周遊(2)

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☆エチオピア旅行に持って行ったもの

エチオピアは地理学的には一応、ブラックアフリカに分類されるので、いつもの旅行ではもっていかないものももっていきました。

エチオピア旅行備品リスト
1.イエローカード
2.マラリア予防薬メフロキン
3.Cタイプの変換プラグ 
4.サーバイバルシート
5.虫刺され用塗り薬
6.虫よけスプレー
7.蚊取り線香
8.小型ビニール袋50枚
9.粘着テープ
10.ローソク

1.イエローカード

イエローカードは黄熱病の予防接種証明書のことで、黄熱病の汚染地域に入国するときは携帯が義務付けられています。

エチオピアは汚染地域であるにもかかわらず、イエローカードの提示は義務付けられないと聞いていましたが、来年、東アフリカを旅行する計画なので一応、予防接種をしておきました。

イエローカードの有効期間は10年です。つまり、1回、黄熱病の予防接種をすると10年間はしなくともよいわけです。私は若い頃、1回したことがあって、今回で2回目ですが、さすがに3回目はないでしょうね(笑)

ちなみにイギリスのゲイのスラングでは、東洋人好きのゲイのことをYellow Feverと呼びます。


2.マラリア予防薬

マラリアの予防薬は日本で買うと、医者の処方箋とか必要で一万円くらいかかるといわれたので、現地で購入することにしました。

本当はマラリア汚染国入国一週間前から飲みはじめないといけないそうですが、私は忘れていてエチオピアに入国してから3日目にやっと購入しました。

Mefloquineという錠剤で、価格は6錠で日本円で約800円。一週間に1錠服用する決まりで、3錠余ったので次回のアフリカ旅行に持っていくつもり。

実際にはこの時期、エチオピアは乾季だったせいか、蚊はほとんどいず、蚊に刺されることは一度もありませんでした。

3.Cタイプの変換プラグ

デジカメの充電のために持っていきました。プラグだけでなく変圧器も持っていく必要があるのではないかと思ったのですが、プラグは200Vまで対応可能で、私の持っているデジカメも海外対応型というやつで変圧器は必要ないことがわかりました。

デジカメの充電は旅の終わり近く、ジンカのホテルでやりました。

4.サーバイバルシート

エチオピアの地方の安ホテルのベッドにはダニや南京虫がいるといわれてもっていきました。

シーツタイプと寝袋タイプの2種類もっていって、まずベッド一面にシーツタイプのサーバイバルシートを広げ、その上で寝袋タイプのサーバイバルシートにくるまって寝るつもりでしたが、実際には使用しませんでした。

いかにも大げさに思えたこともありますが、エチオピアのホテルのベッドはどんな安ホテルでも意外と清潔で、ダニも南京虫もいなかったのです。

5.  虫刺され用塗り薬

バハルダールでなんかの虫に腹を刺されたときに塗りました。使ったのはそのときだけです。

6.虫よけスプレー

何度か蚊の気配を感じたときに自分の身体の露出している部分に噴霧しました。そうしてから蚊帳に入ったので実際に蚊に刺されることはなかったです。

7 蚊取り線香

蚊がほとんどいなかったので使いませんでした。せっかく買ったのに使わないのはもったいないので次回、東アフリカ旅行にもっていくつもり。

8.小型ビニール袋50枚

ラリベラの岩窟教会の内部には靴を脱いで入らなければならないのですが、教会の床はダニや南京虫の巣窟だといわれたので、ネットに出ていた予防法を参考にして100円ショップで購入しました。

靴下をこのビニール袋で包み、さらにその上から捨ててもよい古靴下を穿くというもので、実際に最初の教会と2番目の教会でやったものの、いかにも大げさでビニール袋はやめて靴下の上から古靴下を穿くだけにしました。

靴を脱いだままの靴下姿で入っている人もけっこういて、それでもダニに食われることはないみたいで、「歩き方」の記述はちょっと大げさでした。

9. 粘着テープ

エチオピアの安宿のベッドの上に掛かっている蚊帳は穴が開いていることが多いので、このテープを使って塞げばよいとのことでしたが、よく考えたら私は蚊帳に穴が開いているか丹念に調べて、穴を見つけたらテープで補修するというようなマメな人間ではないことに気がつきました。

実際には、穴の開いている蚊帳はなかったので使いませんでしたが、ジンカのホテルで洗面台の配管から水漏れしていたのをこのテープを巻いて補修したので、一応、役には立ちました。

10. ローソク

これはもちろん停電用です。ジンカとアルバミンチのホテルで停電したので使いました。

あとローソクとは別にいつも小型の懐中電灯を持っていくのですが、これはエチオピアでは必需品でした。

エチオピアは夜になるとホテルの敷地内でも真っ暗になって、懐中電灯なしには、自分の部屋からホテルのレストランにも行けないのです。

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いつも旅行にもっていく機内持ち込みサイズのキャリーバッグとショルダーバッグ。重量は中味を詰めた状態でキャリーバッグが約8キロ、ショルダーバッグが2キロくらいです。

これ以上、重たい荷物をもって旅行する気にはなれません。

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30年以上、使ってボロボロになった貴重品入れ。パスポート、カード類、現金を収めることができます。eチケットが出回る前は、現金と一緒に航空券も入れていました。

続く


本日のつぶやき

吉永小百合がアグネス・チャン化してきている。






エチオピア周遊(3)

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☆ 関空からドバイまで

今回のエチオピア旅行で利用したエアラインは、関空→上海→ドバイ往復が中国東方航空、ドバイ→アディスアベバ往復がガルフエアーという組み合わせでした。

これが一番安かったからですが、中国東方航空は3年ほど前、バンコクに行くのに使ったことがあって、意外と悪くないという印象を持ちました。

機材は新しいし、CAは長身の美女を揃え、愛想も悪くありません。機内食もまあまあです(但しアルコール飲料はなし)。

中国のエアラインというと、中国人の乗客がうるさく騒ぐというイメージがありますが、中国東方航空のフライトでは、なぜか中国人の乗客はおとなしいのです。

唯一のネックは往きで乗り継ぎのために上海で1泊しなければならないことでしょうか。

私は上海はこれまで行ったことがなかったので、乗継ぎで一泊するついでに上海の観光でもしようかと呑気に考えていたのですが、

実際には夕方上海の浦東空港について、市内に予約していたホテルに行くのに片道2時間以上かかり、

翌朝は、朝早く起きて地下鉄で空港に向かったので、観光している暇はまったくありませんでした。

それでも上海に一泊しただけで、中国がいかに出鱈目で、いい加減な国であるかはよくわかりました。


予約していたホテルに行ったら、フロントの人間に「部屋はない。ほかのホテルに行け」といわれたのです。

ちゃんと予約サイトを通じて予約し、デポジットまで払っているにもかかわらずです。

また態度も横柄で、スミマセンのスの字もいいません。

すったもんだの挙句、なんとか部屋を用意させて、泊まることができたのですが、「中国の常識は世界の非常識」という格言を身をもって味わったのでした。

上海は一面、灰色のスモッグに覆われていました。

日本ではよく北京の大気汚染がニュースで取り上げられますが、上海の大気汚染も相当のものです。

これらスモッグは風に乗って日本まで流れてくるのでしょう。

本当にはた迷惑な国です。

翌日、上海からドバイへ飛んだのですが、途中、昆明で機体の変更があり、昆明の空港で飛行機を降りたら、空港から青空が見えて感動しました。

大気汚染はまだ昆明までは及んでいないようです。

以前、日本にやってきた中国人観光客が「日本は青空があるので良い」といっていたのを聞いて、「なにをオーバーなことをいってる」と思ったのですが、中国にいると青空がいかに貴重であるかよくわかります。

上海から10時間以上かかってドバイに着いたのは現地時間の午後7時過ぎ。パスポートコントロールは長蛇の列です。

やっと自分の番になって、ブースのところまで行くと白い長衣をきて、白い頭巾を被ってわっかをはめている髭面の入国審査官がいました。

彼がチェックを終えたパスポートを私に返して、私がそれを受け取ってブースを離れようとするとき、彼がにやにや笑いながら私に向かって、「バイバイ、ジャパン」と呟きました。

最初なんのことかわからなかったのですが、思い出しました。

去年の1月、サッカーアジア杯で日本とUAE(アラブ首長国連邦)が準準決勝を戦ってPK戦の末、UAEに敗れたのですが、そのとき、ドバイのサポーターが「バイバイ、ジャパン」と合唱していたのです。

髭面の入国審査官はそのことを知っていて、わざとその言葉を使って私をからかったのです。

悪い冗談だと思いますが、この親父は日本人にはみんなこの言葉をかけているのでしょうか。

この親父だけでなく、ドバイの空港のパスポートコントロールの審査官のレベルの低さには驚きました。

帰途にやはりパスポートコントロールの列に並んでいたとき、私の列だけが遅々として進まず、いったいどんな人間が審査官をやっているのだろうと思っていたら、

志村けんのバカ殿様のような太い長方形の眉を描いて、3センチもあるようなつけ睫をした黒人のオバハンで、隣りに座っている女とのおしゃべりに夢中で、ちっとも仕事が捗らないのです。

ほかにもやる気なさそうな審査官が多く、それでいつもパスポートコントロールの前には長蛇の列ができているのです。

ドバイ政府は観光客の誘致に熱心だそうですが、まずこういうところをなんとかすべきでしょう。

特にドバイは乗り継ぎ客が多いので、パスポートコントロールで時間を取られると、次の便に乗り遅れる可能性があるのです。

ようやくパスポートコントロールを通過して、空港に乗り入れているメトロへ。

乗り継ぎの関係で、ドバイに一泊するのです。

メトロの切符売り場でチケットを買って、改札を通ろうとしたのですが、うまくいきません。

ICチップの入っているチケットを改札機のパネル部分にタッチさせれば改札のバーが開く筈なのですが、うまく要領が掴めず、中々開かないのです。

困っていたら陽気なフィリピ―ナの二人組がやってきて手伝ってくれました。

そのまま彼女たちと一緒に車両に乗り込んだら、乗客は女性ばかり。

間違って女性専用車両に乗ってしまったようです。

一緒に乗るように手招きしたのはフィリピ―ナなのですが。

あらためて車中の乗客を見ると、フィリピ―ナに加えて派手な化粧をした黒人女性、子供連れのインド人女性、中国系の女性と見事なまでに外国人ばかりです。

地元のアラブ女性はメトロには乗らずに車で移動するのでしょうか。

予約しているサフランホテルの最寄りの駅、アル・リガで下車して、タクシーを捕まえたのですが、ホテルは目と鼻の先にある筈なのに、遠回りして20ディルハムもボッたくられました。

サフランホテルは、典型的なビジネスホテルで、宿泊料金は一泊9000円ちょっと。

ドバイはホテル代が高いので、これでも安い方です。

フロント係はインド人。ほかのホテルのスタッフも全員、ドバイ以外の中東諸国やインドあたりからの出稼ぎのようでした。

部屋のバスルームには小さいけれどバスタブが付いていて、お湯が出ました。

続く

本日のつぶやき

東小雪
‏@koyuki_higashi ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー、多くの方に関心を持っていただいています。急遽予定していた定員を増やしました。人数に限りがありますのでお早めにお申し込みがください。 http://surrogacy-seminar.peatix.com

代理母ビジネスをやりたいのであれば、
東さんが率先して代理母になればいいんじゃないの?
子供の欲しいゲイの方のために私の子宮を貸します。
レンタル料はご相談に応じます、とかいって。

つぶやき2

自分がホモであることを自覚した10代の頃

「やっぱり、自分は選ばれた人間なんだ」と思った。。。(笑)

エチオピア周遊(4)

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☆ドバイ観光
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ドバイのクリーク

ドバイに一泊した翌日、アディスアベバ行きのガルフエアーのフライトは夜9時過ぎに出ることから丸一日空いたので、

正午にホテルをチェックアウトし、キャリーバッグをホテルに預けて、ドバイの観光に出かけました。

高層ビルとかは関心ないので、古いドバイの面影が残っているというデイラ地区へ。

最寄りのメトロの駅、アル・リッガから4つ目のクリークと呼ばれる運河のような細長い入り江の先端のアル・ラスで降りて、クリークを右手に見ながら、オールド・スークを歩き、

昔の豪族の邸宅をミュージアムに改造したヘリテージ・ハウスというところを見物しました。

ここでは人形を使ってかっての住人の生活が再現されています。


ドバイの古い街並み
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ヘリテージハウス
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その後、アブラという渡し船に乗って、クリークの対岸のバール・ドバイ地区へ。
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ドバイで唯一、旅情を味わえるのはこの渡し船に乗っているときです。

ドバイはこのクリークの両岸に沿って発展した町なのです。
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パール・ドバイ地区のオールド・スーク

この対岸のバール・ドバイ地区にもオールド・スークがあるのですが、デイラ地区のオールド・スークもこちら側のオールド・スークも、カイロのハーン・ハリリやアレッポのスークに較べると規模が小さくて物足りなかったです。

その後、ドバイ博物館へ。
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ドバイ博物館
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博物館に陳列してあるダウ船の骨組み

ドバイの見所といえば、実質的にこの博物館しかないのですが、この博物館にしても、凝った陳列のわりには内容が乏しく、ドバイという町の歴史の無さをあらためて感じました。

ドバイにはこれといった歴史的建造物もなく、遺跡もなく、観光客を誘致するためには高層ビルを建てるしかなかったことがよくわかります。

バール・ドバイ地区の船着き場近くを歩いていたら、工事中の建物があって、そこで南インドから来たらしい丸い顔で団子鼻のタミール系の労働者が働いていました。

あのなんとかいう高層ビルも南インドから出稼ぎで来た労働者を使って建てたそうですが、危険な作業が多く、労働者の間にかなりの犠牲者が出たと聞いています。

そんな話を聞くとますますそんな風にして建てた高層ビルなぞみたくないという気持ちになってきますが。

ドバイは「中東のシンガポール」と呼ばれることがあるそうですが、いわれてみれば、シンガポールにも通じる無味乾燥で面白みのない人工的な環境で、

しかも酒が自由に飲めないとか宗教的な制約もあって、生活していくには不便そうなところです。

娯楽とかもあまり無さそうで、基本的に人は親切で、英語もフツーに通じたけれど、ツマラナイ退屈な町という印象を受けました。

続く


本日のつぶやき

ふと思いついて「グッド・エイジング・エールズ」でぐぐったら、なんとグッドエイジングのHPの直ぐ下、上から2番目にこのブログの記事「意識高い系ゲイリブのグッド・エイジング・エールズが嫌われる理由」がランクされていました。

今年も頑張ります!(笑)

つぶやき2

松中権氏をダウン症みたいな顔と評したのは私が最初ではありません。
電通の中の人がそういっていたので、マネしただけです。

つぶやき3

フツーのゲイよりフツーのホモの方が日本語としてずっとこなれてると思う。




エチオピア周遊(5)

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☆ ドバイからアディスアベバへ
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アディス・アベバ、ピアッツア地区

ドバイからアディスアベバはガルフ・エアーで移動しました。

ガルフ・エアーは、バーレーンのナショナルフラグだそうで、そのため、いったんドバイからバーレーンの首都マナマに飛んで、そこから飛行機を乗り換えてアディスアベバに向かいます。

ドバイからマナマへのフライトは1時間ちょっと。

機内に入ると、私が座る筈の通路側の座席にインド人の爺さんが座っていて、その隣に女房らしい婆さんが座っています。

インド人の爺さんに「そこは私の席だ」と立つようにいうと、傍にいた金髪の白人スチュワーデスが、

「彼は足が悪いのよ」

などと意味不明なことを呟き、

「窓際の席が空いてるから、あなたは窓際の席に座ればいいじゃない」

などといいます。



「冗談じゃない。こっちはチェックインのときにわざわざ通路側の席を指定してるんだ。もしこの席に座れないなら、ほかの通路側の座席を見つけてこい!」

金髪女に抗議していると、男性のパーサーが寄ってきて、

「どうかなさいましたか?」

と訊くので、かくかくしかじかと説明すると、すぐにインド人の爺さんと婆さんに席を立つようにいい、隣りの席に移動させて、私が通路側の席に座れるようにしてくれました。

金髪女は不満そうな顔をしていましたが、本来は彼女がそうすべきなのです。

ガルフ・エアーには帰路のアディスアベバからマナマのフライトでも、髪を金髪に染めた白人女のCAが乗っていて、エチオピア人乗客に対してエラソーに振る舞っていましたが、

白人の乗客が殆どいない路線に人種差別意識丸出しの白人乗務員をわざわざ乗せているガルフ・エアーの真意を質したいです。

マナマに着いて、アディス行きのフライトの搭乗口まで行くと、バーレーンかどこかに出稼ぎに来ていたらしいエチオピア女性が大量にいて、もう気分はアフリカでした。

マナマからアディスまでの飛行時間は4時間半。朝の4時20分という中途半端な時間にアディスのボレ空港に着きました。

日本から3日がかりで着いたことになります。

飛行機が着陸すると、機内後方に固まって座っていたエチオピア女性たちの間から拍手が沸き起こり、ついでにアラブ女が景気づけによくやるレロ、レロ、レロ♪という歓声が挙がり、しまいには歌までうたいだしました。

空港でアライバルビザを取ったのですが、ビザ代は20ドルの筈だったのにいつの間にか50ドルに値上がりしています。

同じフライトで着いた6人ほどの外国人がビザの窓口に行列して、一人ずつ金を払ってビザを取得し、その後、パスポート審査を受けて、荷物のチェックも受けていたら、朝の6時になっていました。

外はまだ暗く一時間ほど空港で明るくなるのを待って外に出たら、タクシーの運転手が寄ってきて口々に「市内まで100ブル!」と相場よりも安い料金を叫ぶのですが、

見るからに胡散臭い連中ばかりで信用する気になれず、空港ターミナルを出てしばらく行ったところに、

安宿が集中しているピアッツァ地区に行くミニバスの乗り合いタクシーの乗り場があるという話を思い出して、

警備中の兵士(そこら中にいました)に場所を聞いてそこまでキャリーバッグを引きずりながら歩いて行きました。

ピアッツァ行きのミニバス料金は5ブル(1ブル=6円で約30円)。

30分ほど走ってピアッツァに着いてミニバスを降りると、ミニバスで隣りの席に座っていたエチオピア人の男性も一緒に降りて、

「ピアッツァのどこに行くんだい?」

と訊くので、控えていた安宿の名前をいくつかいったのですが、どこも知りません。

それで「タイトゥ・ホテル」といったら、「ああ、タイトゥ・ホテルか」といって、タイトゥ・ホテルに通じる道の前まで連れて行ってくれました。

タイトゥ・ホテルは今は安ホテルに落ちぶれていますが、アディスアベバで最初に建てられた西洋人向けのホテルで、エチオピア人はみんなこのホテルの名前を知っているのです。

ちなみにタイトゥというのは、この地に遷都したメネリク2世の皇后の名前だそうです。

教えられた道を通ってタイトゥ・ホテルまで行って「部屋はあるか?」と訊くと、「あるけどチェックインタイムは12時だ」といいます。

まだ朝の8時で、前夜は機内で殆ど寝ていないのにあと4時間も待たされるのはしんどいと思って、別のホテルをあたることにしてタイトゥ・ホテルから遠くないウトゥマ・ホテルに行ってみました。

ここは1階がレストラン、2階がホテルになっています。

2階のレセプションに行って訊くと、チェックインタイムは10時とのこと。

部屋代もシャワートイレ付きの部屋が260ブルとタイトゥ・ホテルでいわれた20ドルよりも安かったのでここに決め、

1階のレストランに行って朝食をゆっくり食べながら時間を潰し、10時になってようやくベッドにありついたのでした。

続く


本日のつぶやき

2007年の尾辻選挙のときに選挙キャンペーンでマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げ、尾辻が落選した途端、離婚した尾辻かな子の離婚妻、木村真紀こと村木真紀がエラソーに講釈をたれています。
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村木真紀さんのコメント
虹色ダイバーシティでは職場に関するアンケート調査を継続していますが,職場での差別的言動は7割の人が経験しており,勤続意欲やメンタルヘルスに悪影響がでています。一方で,企業が経営課題として同性パートナーを持つ従業員に対応しようとする動きもありますが,そこで法制度がないことが問題になります。グローバル企業では、海外の同性婚制度がある国を基準に,同性パートナーに対応するのはすでに当たり前です。それが日本では,できない。これは,グローバルな人材獲得競争において不利だと思います。経済の面からも人権の面からも,私は同性婚を求める動きに賛同します。
【プロフィール】特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ代表、日本初の同性離婚経験者

引用元:http://lgbt.sakura.ne.jp/lgbt/petitioner

参考記事:尾辻かな子の離婚妻、村木真紀がやってるLGBTビジネス


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LGBT当事者、かつ、プロのコンサルタントである虹色ダイバーシティ代表の村木真紀が、ビジネスパーソンが知っておくべきLGBTニュースを厳選して、解説を加えたうえでお届けします。海外情報は特派員カイザー雪から現地の実感も加えてレポートします。
http://www.mag2.com/m/0001663572.html

おばちゃん、そんなに稼いでどうすんの






エチオピア周遊(6)

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☆アディスアベバ観光

アディスアベバ2日目、アディスの観光スポットをいくつか訪れました。

全体的に見所の少ないところですが。

●聖ゲオルギウス教会
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聖ゲオルギウスはエチオピア正教会の守護聖人だそうで、エチオピア国内の各都市にはかならず聖ゲオルギウス教会があります。

アディスの聖ゲオルギウス教会はハイレ・セラシエ皇帝が戴冠式を挙げたところだそうで、

私の泊まっていたウトゥマ・ホテルから歩いていけるところにあったのですが、教会に着くまで上り坂を登っていかなければならず、けっこうシンドかったです。

アディスアベバは標高2400メートルのところにあるのです。

この日は教会は閉まっていて、信者は教会の壁に向かって祈っていました。


●国立博物館

聖ゲオルギウス教会を見たあと、国立博物館に向かいました。

ここは1974年にエチオピア北東部で発見された二足歩行をしていたという318万年前の原人、ルーシーの骨のレプリカが陳列されていることで知られています。

聖ゲオルギウス教会から国立博物館には歩いて行くには遠すぎる感じだったので、聖ゲオルギウス教会の下の道路に泊まっていたミニバスの乗り合いタクシーの車掌に博物館行きのミニバスはないかと尋ねると、

通常、2ブルの料金を3ブル払うなら、このミニバスで近くまで連れて行ってやるというので、3ブル払って乗り込みました。

しばらく走って「ここだ」と車掌にいわれて降りたのですが、目の前は病院です。

30歳くらいの男が寄ってきて、「どこに行くんだ?」と訊くので、「博物館に行きたい」と答えると、「連れて行ってやる」といいます。

男は自分は病院の職員で、日本人は大好きで日本人の友人がいるなどと訊かれもしないのにぺらぺらとしゃべります。

しかし、歩いても歩いても博物館には着きません。ミニバスの車掌は博物館の近くで降ろすといったのだから、そんなに遠くはない筈なのですが。

男に「まだ着かないのか?」と訊くと、「歩くのに疲れたのならどこかで休んで行こうか?」といいます。

「いや、休みたくない。早く博物館に行きたい」と答えると「まだ何キロもあるんだぞ」といいます。

こりゃアカン!と思って、その場で彼にバイバイして、向うから歩いてきた中年の男性に博物館の場所を尋ねると、

「自分もこれから博物館の傍を通って行くので一緒に連れて行ってあげよう」

といい、私が歩いてきたのと反対の方向に歩き出しました。

さっきの男は私をどこに連れて行くつもりだったのでしょうか。

中年男性に連れられてようやく博物館に着きましたが、ミニバスから降ろされた場所とはだいぶ離れていて、ミニバスの車掌にも騙されていたことがわかりました。

博物館では地下室に陳列してあるルーシーの骨のレプリカだけを見たのですが、ルーシーは現在の人類とは直接、関係ありません。

現在、世界に生きているすべての人間のミトコンドリアDNAを辿っていくと、今から15万年前にアフリカにいた一人の女性に行きつくそうです。

この女性は「アフリカのイブ」と呼ばれているのですが、彼女もまたエチオピア周辺に住んでいたといわれています。

つまり、エチオピアは人類揺籃の地なのです。
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ルーシーの骨のレプリカ

f0107398_21121324.jpgルーシーの復元図














●トモカ・コーヒーハウス
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博物館でルーシーの骨を見たあと、ミニバスの乗り合いタクシーでピアッツァまで戻り、「歩き方」に載っているトモカ・コーヒーハウスに行きました。

エチオピアはコーヒーの産地で、エチオピア産のコーヒーは、かってイエメンの港町のモカから出荷されていたことからモカという名で世界に知られています。

私は原則、紅茶党で、コーヒーはあまり飲まないのですが、せっかくコーヒーの産地に来たのだから、一杯飲んでみようと思ったのです。

トモカ・コーヒーハウスは有名なわりにはとても狭い店で、立ち飲みのスペースしかありません。

コーヒーを注文して出てきたのはエクスプレッソ、エチオピアではコーヒーはエクスプレッソで飲むのが普通みたいです。

非常にコクのあるコーヒーでしたが、私はこの手のミルクを入れない濃いコーヒーを飲むと夜、眠れなくなるので、結局、エチオピアではここ以外ではコーヒーを飲むことはありませんでした。

アディスアベバはそこら中をポンコツ車が走り回って排気ガスを振りまいている雑然とした町で、首都としての風格も美しさもない、町全体が一つのスラムのようなところでした。

アディスと較べると、40年以上前に訪れたセネガルのダカールやケニアのナイロビの方がずっと近代的な都会でした。

続く


本日のつぶやき

デヴィッド・ボウイて、ソマリア出身のスーパーモデルのイマンと結婚してたんだ。

エチオピアからソマリアにかけては美女の産地で、あの辺出身の黒人のスーパーモデルは多い。






エチオピア周遊(7)

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☆ アディスアベバからバハルダールへ
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バハルダールの街並み

アディスに2泊したあと、飛行機でバハルダールへ。

バハルダールへはバスの便もあるのですが、エチオピアにおけるバス移動の過酷さ(早朝出発、オンボロバス、悪路、等)については散々、聞かされていたので、

エチオピア国内で飛行機が飛んでいる区間は、すべて飛行機で移動することに決めたのです。

具体的にいうと、アディス⇒バハルダール、バハルダール⇒ラリベラ、ラリベラ⇒アディス、アディス⇒アルバミンチ、アルバミンチ⇒アディスの5区間です。

かってエチオピア航空の国内線は、外国人も現地人料金で安く乗れたそうですが、現在はしっかり外国人料金を取られるので、5区間の運賃の合計は9万ちょっとになりました。

関空=アディス間は、中国東方航空とガルフエアーの組み合わせで9万円台に抑えることができたのですが、エチオピアの国内線の料金を加えると結局、航空運賃の総額は20万近くになりました。

エチオピア航空は、国内線に5区間、乗った限りでは、欠航や遅延はなく、ほぼ定刻どおりに運行していました。


1回のフライトに女性CAが二人乗っていて、長身の美人が揃っていましたが、特にアディス⇒バハルダール間のフライトのCAの一人は目を瞠るような絶世の美女でした。

国内線の飛行機は小型のプロペラ機で、私の機内持ち込みサイズのキャリーバッグは、座席の上の荷物入れに入らず、預入れ荷物にしてくれといわれました。

それで国内線5区間のフライトではすべてキャリーバッグを預入れ荷物にしたのですが、ショルダーバッグひとつで動き回る快適さを味わってみて、なんでもっと前からこうしなかったんだろうと思いました。

これまで荷物の機内持ち込みにこだわってきたのは、到着地の空港のバゲージクレームでターンテーブルから荷物が出て来るのを待つのが面倒なことと、万一荷物が紛失したら面倒だという理由からでしたが、

キャリーバッグを預けると、手で持ったらけっこう重いキャリーバッグを座席の上の荷物入れに出し入れする手間が省けるし、

最終目的地までスルーでチェックインすると、乗り継ぎの空港でキャリーバッグを引きずってうろちょろする必要もないのです。

というわけで、エチオピア航空の国内線だけでなく、帰路のフライトでもすべてキャリーバッグは預入れ荷物にしました。

アディスからバハルダールのフライトは約1時間。

バハルダールに近づくと、青ナイルの水源であるタナ湖の茶色の湖面が見えてきます。

バハルダールの空港に到着して、ターミナルビルを出ると、前の広場にホテルの送迎用のバンがずらっと並んでいました。

「バハルダール・ホテル」という表示のあるバンの前に立っていた若い男が「どこのホテルに行くんだい?」と訊いてきたので、ネットで下調べをしてきたメネン・ホテルの名前を告げると、

「途中だからタダで乗せて行ってやるヨ」といいます。

それでそのバンに乗り込んだのですが、車は私だけを乗せてすぐに発車し、客引きの若い男は早速、バハルダールの観光ツアーの説明をはじめます。

どうやらこれが目的だったようです。

バハルダールの観光では、青ナイルの滝を見るツアーとタナ湖のクルーズの2つのツアーが定番になっています。

青ナイルの滝ツアーというのは、タナ湖から流れ出した青ナイルにある滝を見物するツアーですが、私はこのツアーには参加しないことに決めていました。

元々、乾期は水量が少ないことに加えて、数年前にエチオピアが青ナイルにダムを建設したことで水量が激減したと聞いていたのと、

滝を見るためには、バハルダールから滝に一番近い町まで小一時間バスで行って、そこから滝まで45分歩かなければならず、道は悪路で水溜まりが多いと聞いたからです。

それで青ナイルの滝のツアーに参加するつもりはないと言ったら、「それじゃあ、タナ湖のクルーズはどうだ、一人30ドルで手配するよ」といいます。

タナ湖のクルーズというのは、タナ湖に浮かぶ小島に散在するコプト教の修道院をボートでめぐるツアーで、

「30ドルは高い」というと、「いくらなら出す?」と訊くので、「15ドルくらいかな」と答えたら、「それじゃあ、修道院は一つも見られないよ」と吐き捨てるようにいい、

これでは見込みがないと思ったのか、車がバハルダールの町に入るとすぐに「運転手があなたをホテルまで送るから」と言い捨てて降りていきました。

運転手が私を連れて行ったのは、当然というか、メネン・ホテルではなく、バハルダール・ホテルで、ボーイが出てきて「350ブル、450ブル、550ブルの3つのカテゴリの部屋がある」と説明します。

「高いからほかのホテルに行く」と歩き出そうとしたら、「朝食込みで300ブルでどうだ」と値下げして来ました。

それで部屋を見ることにしたのですが、エレベータなしの4階にあるショボい部屋で、「やっぱりメネン・ホテルにする」と断ってホテルを出ました。

キャリーバッグを引きずりながらメネン・ホテルの方に歩いていくと、次から次へと若い男が寄ってきて、「ホテル?」、「ペンション?」と訊いてきます。

バハルダールの若者は全員、副業としてホテルの客引きをやっているのではないかと思ったくらいです。

メネン・ホテルに着いてボーイに部屋があるか尋ねると、トイレ・シャワー付きの150ブルの部屋と350ブルの部屋があるといいます。

150ブルの部屋を見せてもらうと、安いわりにちゃんとした部屋で、さっき見たバハルダール・ホテルのショボい部屋やアディスのウトゥマ・ホテルの部屋よりもマシで、テレビもあります。

それでこのホテルに泊まることに決めたのですが、泊まってみると、バーやレストランも併設されているわりとまともなホテルであることがわかりました。

続く





エチオピア周遊(8)

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☆ タナ湖クルーズ
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翌朝、タナ湖クルーズの料金の相場を調べるために「歩き方」の地図に記載されていた町の中心部にあるツーリストインフォーメーションに行ったら、なくなっていました。

そこにいた中年の男性にクルーズの船が出る船着き場に行けば、詳しい情報が得られるというので、船着き場の方に歩いて行ったら、船着き場に到着する前にクルーズの客引きの男に捕まってしまいました。

男に案内されて船着き場に行くと、大きな掲示板にクルーズの種類と料金が記載されています。

一番有名なウラ・キダネ・マハレット修道院に寄るクルーズは、船一艘のチャーター料金が900ブルでした。

客引きの男がいうには、この900ブルをクルーズの参加者で分担することができるそうで、今、2人参加者がいるから、あなたが参加すれば一人300ブルで行けるといいます。

この日は情報だけ集めて、翌日にクルーズに参加する心づもりでいたのですが、男にせかされて気がついたら船に乗り込んでいました。


最終的に乗客の数は8人に増え、一人頭で計算したらもっと安くなるのではないかと思いましたが、

空港で会った客引きがいっていた30ドルの半分の15ドル(300ブル)になったのだから、まぁいいかという気になりました。

船が出航し、茶色の水を湛えた静かな湖を進んでいくと、船頭が向こうに見える小さな船を指さして「タンクワス」といいます。

パピルスで作った小舟で、地元の漁師がこれに乗って漁をしているのだそうです。

さらにしばらく行くと、船頭が「ここが青ナイルの流出口(Outlet)だといいましたが、標識が立っているわけではなく、湖のほかの部分と区別はつきませんでした。

ナイル川には、このタナ湖を水源とする青ナイルとヴィクトリア湖を水源とする白ナイルという二つの大きな支流があるのですが、この二つの大きな支流は、スーダンのハルトゥームで合流し、地中海へと流れて行きます。

合流地点での水量は、青ナイルの方が白ナイルよりも圧倒的に多く、全体の3分の2を青ナイルが占めているそうです。
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ガイドブックによるとタナ湖の面積は約3600km2、37の島があり、合計21ヶ所に13世紀から17世紀に建てられた修道院があるとのことですが、

この修道院の入場料が一ケ所100ブル(600円)という京都の観光寺院も顔負けのボッタクリ料金で、いちいち払ってたらキリがないということで、

3番目に訪れる予定の一番有名なウラ・キダネ・マハレット修道院だけ見物して、ほかの修道院はパスすることにしました。

修道院の建物が建築学的に見る価値があるのであればともかく、掘っ立て小屋に毛が生えたような建物ばかりで、

修道院の内部に描かれているフレスコ画もどこも似たりよったりだと聞いたからです。

そのため、私を含めた外国人の乗客は、ウラ・キダネ・マハレット以外の修道院は入らず、エチオピア人の乗客が見物して帰ってくるのを外で待っていました。

3番目に訪れたウラ・キダネ・マハレットは一番人気だけあって、船着き場から修道院までの約500メートルの登り道の両側にはずらっと土産物屋が並んでいました。

修道院の建物は円筒形の壁に円錐形の屋根が載った簡素な小屋で、内部の壁にはヘタウマ的な宗教画が描かれています。

18世紀にエチオピアを旅行したスコットランド人の探検家、ジェイムズ・ブルースはこれらのフレスコ画を、

「今日の最低の看板書きよりもはるかに下手にぬたくった絵」(アラン・ムーアヘッド著「青ナイル」)

と酷評してますが、下手なりに趣きのある絵です。

この修道院には現在でも20人ほどの修道僧が共同生活しているそうで、彼らの宿舎や食堂も同じ敷地内にありました。

あと博物館もあって、歴代のエチオピア皇帝が戴冠式に使った王冠が陳列してありました。

19世紀にイギリス軍と戦って敗れて自決したテオドール皇帝の王冠もありました。
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14世紀に建てられたというウラ・キダネ・マハレット修道院
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ウラ・キダネ・マハレット修道院を見終わったあと、バハルダールの船着き場に戻るものと思っていたら、船はさらに4つ目の修道院のある小島に寄り、

エチオピア人の乗客は見学に行ったものの、われわれ外国人の乗客は全員、船に残り、「腹が減った!」とか「疲れた!」とかブーたれていました。

船がバハルダールの船着き場に戻ったのは午後3時半。朝9時に出航したので6時間半もクルーズしたことになります。

続く


本日のつぶやき

なんとあの尾辻かな子の離婚妻の村木真紀が「人権尊重の社会づくりに関する事項について市長の諮問に応じ、調査審議を行う」という大阪市人権施策推進審議会の委員(市民代表)になっています!

これからブログでこのおばちゃんを批判したら、ヘイトスピーチのレッテルを貼られて大阪市から言論弾圧を受けることになるのでしょうか。


つぶやき2
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もうなんというか。。。








エチオピア周遊(9)

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☆ バハルダールからラリベラへ
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ラリベラ村のメインストリート

バハルダールに3泊したあと、今回の旅行の一番の目的地であるラリベラへ。

私が初めてラリベラの存在を知ったのは、映画「エクソシスト2」(1977)を観たのがきっかけです。

「エクソシスト2」は、世界中でヒットした映画、悪魔に憑依された女の子を救うためにカトリックの神父が悪魔祓いの儀式を執り行う「エクソシスト」(1973)の後編で、

作品としての質はパート1に劣るものの、この映画にラリベラの岩窟教会が出てくるのです。


リチャード・バートン演じる悪魔祓いの儀式を研究しているカトリックの神父が、アフリカに悪魔祓いができる呪術師がいると聞いてはるばる会いに行き、

その旅の途中で、険しい山岳地帯の断崖絶壁の上に建つコプト教の岩窟教会に迷い込むのですが、

その岩窟教会と険しい山々の特異な景観が強く印象に残り、映画を観終わってから調べてみたら、そこがエチオピアのラリベラというところであることが分かったのです。

それ以来、いつかラリベラに行ってみたいと願いつつ、日々の生活に追われて中々、実現の機会がないままン十年の歳月が流れ、今回、ようやくその願いがかなったわけです。

バハルダールからラリベラへの飛行時間はわずか30分。

空港のターミナルビルを出ると髭面の男が話しかけてきて「どこのホテルに行くのか」と訊くので、ネットで調べてきたAホテルの名前を告げると、

「わかった、そこまで送っていく」と待機していたマイクロバスに乗るようにいいます。

マイクロバスは同じフライトで着いたほかの外国人観光客も一緒に乗せて険しい山道を小一時間走って、ラリベラのAホテルの前に着きました。

空港からラリベラまでの輸送は、バハルダールのときのように無料かと思ったら、そんなことはなくしっかり100ブル取られました。

あとで判ったのですが相場は70ブルで、30ブル、ボラれたことになります。

Aホテルのフロントで部屋の料金を尋ねるとシャワー・トイレ付きのシングルで300ブルとのこと。まぁそんなもんだろうと思い、このホテルに泊まるこ時決めました。


☆ラリベラの土曜市

この日は土曜日でラリベラでは市場が開かれるとのことで、岩窟教会の見物は翌日に回して、まず市場を見物することにしました。

ホテルを出ると若い男が寄ってきて、「日本人か? 俺は日本人が大好きだ」などと話しかけてきます。

無視して、市場が開かれている広場の方に坂道を下って行くと、途中、岩窟教会の入場チケットを販売するオフィスがあったので、とりあえずチケットを買っておこうと思って中に入ったら、昼休みで担当者がいないとのこと。

それで翌日に買うことにしてオフィスを出たのですが、ホテルの前からついてきた若い男がまだいます。それで、

「悪いけど君をガイドに雇う気はないよ。いくらついてきても1ブルも払わないから」といったら、すぐに消えていきました。

若い男を追い払ったものの、市場はかなり規模が大きく、だれかに案内してもらった方が効率よく回れるのは確かです。

それに市場が開かれている広場までたどり着くのに石段を下りて行かなければならず、この石段がかなり歩きにくい。

おぼつかない足取りで降りていったのですが、気がつくといつの間にか12歳くらいの女の子が私にぴったり寄り添っていて、石段でよろめくとさっと手を出して身体を支えてくれます。

その間も、若い男が次から次へと現れて話しかけてくるのですが、その女の子は、「彼らはツーリストにたかる悪い連中だ」といって私の代わりに追い払ってくれます。

それで自然と彼女の案内で市場を見てまわることになったのですが、かなりスケールが大きく、ざっと見たところ、二千人以上は集まっていました。

遠いところでは40キロくらい離れた場所からやってくる人間もいるそうで、この市場がこの地域の人々にとっていかに重要な役割をはたしているかよく分かります。
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女の子の案内で、家畜を取引きしている場所や穀物を売っている場所を見てまわり、また石段を上がって上の坂道に出て、ガイドしてくれたお礼に20ブル渡すと、不満そうな顔をして、

「私はお金なんかほしくない。私は学校に通っているので本が必要だ。これから私と一緒に本屋に行って本を買ってほしい」といいます。

なんか面倒なことになりそうな気がしたので、それを断って、20ブルを彼女の手に押し付けて別れたのですが、

あとで現地で知り合ったエチオピア人女性にこの話をしたら、20ブルは出しすぎだといわれました。そもそも子供には金を渡すべきではないといいます。

「本屋に行って本を買って欲しい」云々はラリベラの子供たちが外国人観光客にたかるときの常套文句だから無視して正解だったといわれました。

女の子と別れたあと、ホテルに戻るために坂道を上がっていったのですが、これが大変な苦行でした。

ラリベラは標高2700メートルある高地で、坂道をちょっと登ると息が切れ、道端の石に座って休まなければなりません。

それで思い出したのが、数年前にラダックのレーに行ったときのことです。

レーでは高台の上にあるゲストハウスに泊まったのですが、下の町に降りた帰路、急な坂道を登るのに息が切れて死ぬ思いをしたのです。

今回もラリベラが標高が高く、あちこち動き回ると疲れる場所であることを忘れていて、坂の上の方のホテルに泊まるという過ちを犯してしまったのです。

レーのときと違ったのは、ラリベラでは一人でなく、心配そうな顔をした子供たちに囲まれていたことです。

さっき20ブルを渡して追い払った筈の女の子もなぜかまだいます。

子供たちに見守られながらちょっと歩いては休憩、ちょっと歩いては休憩を繰り返してなんとかホテルまでたどり着いたのですが、

ホテルの玄関を入るときに、子供たちの一人、10歳くらいのヨハネスと名乗る男の子が、

自分の家は貧しくて学校を続けるのが難しい。勉強するためには本を買わなくてはならないけれど、お金がないから買えない。ボクと一緒に本屋に行って本を買ってくれないかと切々と訴えます。

ラリベラの本屋はこのガキ達のせいで相当、儲かってるんじゃないでしょうか。

子供達にどれだけキックバックが行くのか知りませんが。

続く


エチオピア周遊(10)

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☆ラリベラの岩窟教会

ホテルに戻るたびに毎回、こんなしんどい思いをするのは真っ平だと思い、翌日、朝一番に坂の上のホテルからもっと坂を下ったところにあるゲストハウスに移動しました。

このゲストハウスは前日、ラリベラで会った日本人に教えてもらったのですが、開業してまもない新築のゲストハウスで、建物は新しく、部屋は広くて綺麗、

シャワーは熱いお湯がふんだんに出て、それでいて宿泊料金はAホテルと同じ300ブルと中々コスパの良いところでした。
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ゲストハウスの部屋
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ゲストハウスの前の通り


その後、岩窟教会を見物しに行きました。

ラリベラの岩窟教会群は、12世紀から13世紀にかけてザグウェ朝のラリベラ王によって建造されたといわれています。

かってこの地はロハと呼ばれていましたが、エチオピアの周辺の国々がイスラム化した結果、聖地エルサレムに巡礼できなくなったことから、

ラリベラ王がこの地に新しいエルサレムを建設することに決め、エルサレムの教会を模した岩窟教会を建造し、この地に遷都して、町の名前をロハからラリベラと改めたといわれています。

岩窟教会は、第1グループの6つの教会と第2グループの5つの教会、そしていずれのグループにも属さず、孤立して建っている聖ゲオルギウス教会の合計12の教会があります。

チケットオフィスで12の教会すべてに入場できる共通チケットを購入して見物することになっているのですが、共通チケットの価格は50ドル。

エチオピアの物価を考えると、かなりのボッタクリ料金ですが、最近は世界遺産はどこでもこれくらいの入場料は取るみたいです。

チケットオフィスでチケットを購入したあと、まず最初に一ケ所だけ孤立して建っている聖ゲオルギウス教会を見に行きました。

なぜこの教会だけがほかの教会から離れて建っているかというと、この教会がエチオピア正教会の守護聖人である聖ゲオルギウスに捧げられた教会であることから、特別扱いされているのだと思われます。

聖ゲオルギウス教会の方に歩いていくと特徴のある十字架の形をした教会の上面が見えてきます。

ラリベラの岩窟教会は、岩盤を垂直に掘って地下に建造されているので、教会の上面と周囲の地面の高さが同じなのです。

教会の建物は一つの岩をくり貫いて彫られているのですが、どのような工法を使ったのかいまだに判っていないそうです。

ツルハシとノミだけ使って造ったとしたら、膨大な労力と時間がかかったと思いますが。

いずれにせよ、すべてが完成するのに23年ほどかかったそうです。
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聖ゲオルギウス教会を見物したあと、聖ゲオルギウス教会から少し離れたところに建っている第1グループの6つの教会を見て回りました。
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第1グループの聖マリア教会。教会の建物を風雨から守るために仮設の屋根が設置されていました。
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隣の教会に通じる抜け穴
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岩窟教会に通じる道はどこも狭くて急こう配で、そこら中に岩の塊がゴロゴロ転がっていて歩きにくいことこの上ない。

もたもた歩いていたら、見知らぬ観光客が手を貸してくれたり、励ましてくれたり。。。

去年、マチュピチュ遺跡に行ったときと同じような展開になってしまいました (^^;

ラリベラは、現在もなおエチオピア正教会の聖地になっていて、毎年1月に催されるキリストの洗礼を祝うティムカットの祭りのときは、エチオピア各地から多数の巡礼が集まってくるそうです。
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教会の前に集まっていた信者たち

エチオピア正教会=コプト教会は、カトリックやプロテスタントなどの西欧の教会とは様々な面で異なります。

エチオピアにいた間、毎日夕方と早朝、イスラム教のアザーンのような祈りの声がマイクを通して聞こえてきました。

最初はモスクから聞こえてくるのかと思ったのですが、よくよく聴くとアラビア語ではありません。

エチオピア人に尋ねたら、エチオピア政教会の僧侶がマイクに向かって聖書を朗読している声だそうで、詳しいことは判りませんが、イスラムのアザーンの影響を受けているのは確かでしょう。

しかし、モスクから聞こえてくるアザーンがアラビア語の理解できない人間でも、魂が揺さぶられるような美しい朗読であるのに対して、

エチオピアで聞いたエチオピア正教会のアムハラ語の朗読はアザーンのような美しさはなく、私にはただうるさいだけの騒音にしか感じられませんでした。

続く

エチオピア周遊(11)

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☆ラリベラからアディスアベバへ
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ラリベラ村から空港に行く途中、車窓から見た景色

ラリベラ滞在3日目、朝起きたら身体にまったく力が入りません。

立っているのも覚束ない感じで、またすぐベッドに倒れこんでしました。

日本を出るとき、風邪気味だったのでそれがぶり返したのか、それとも疲労が溜まっていたのか、いろいろと原因を考えたのですが、いま思うと高山病だったのではないかという気がします。

ラダックで高山病になったときと症状がよく似ていたからです。

ラリベラの標高は2700メートルで、ラダックやアンデスのように3000メートルを超えているわけではないので、高山病にはならないだろうとたかをくくっていたのですが、

ラリベラに到着した日から2日間、アップダウンの激しい道を歩き回ったことで、高山病に罹ってしまったらしいのです。

それでこの日に予定していた第2グループの5つの教会の見物を止めにして、一日ホテルで静養することにしました。


翌日もまだ身体がふらふらしてましたが、この日はアディスに戻る日で、前の晩、ゲストハウスのオーナーに頼んで予約したミニバンの乗り合いタクシーが迎えに来たので、それに乗って空港に向かいました。

乗り合いタクシーは途中、ほかの客を拾いながら空港に向かったのですが、空港に着いて運転手の若い男に料金70ブルを渡そうとすると、

「70じゃない、100ブルだ!」

といいます。

相場は70ブルだと知っていたし、乗り合いタクシーの手配を頼んだゲストハウスのオーナーも料金は70ブルだといってたので、

「70ブルが適正な料金だ!」

と言い返して、運転手と口論になったのですが、

「嫌なら、受け取るな!」

と出した金をひっこめるふりをしたら、一瞬、あせった表情になったので、70ブルきっちり彼の手に押し付けてターミナルビルに入りました。

図々しくボッタクリ料金を要求してくるこの運転手には頭に来ましたが、久しぶりに言い合いをして怒鳴ったので気分がスッとしてなんだか元気がでてきました。

飛行機でアディスに着いて、またタクシーの運転手と交渉です。

声をかけてきた運転手に「市内までいくらだ?」と訊くと、「400ブル!」と吹っかけてきたので、「ふざけんな!」といって、そのまま歩いていこうとすると、

「150ブル!」と値下げしてきたので、気を取り直して彼の車に乗りました。

前回、泊まったウトゥマ・ホテルまで行ってタクシーを降りて、細かいのがなくて100ブル紙幣2枚渡して釣りをくれといったら、釣銭がないといって汚い少額紙幣で20ブルしか寄こしません。

150ブルきっちり渡さなかった私の負けで、エチオピアでタクシー代を払うときは、ラリベラでやったように相場の金額を釣りがいらないように渡さなければならないのです。

これはエチオピアに限らず、発展途上国全体にあてはまることですが。

それにしてもエチオピアのブル紙幣の汚いこと!

これまでインドやエジプトなど紙幣の汚い国を旅行してきましたが、エチオピアのブル紙幣が一番ババッチィです。

よくこんな汚い紙幣を平気で使ってるな、と呆れましたが、ブル紙幣に触るたびにばい菌がいっぱい手に付くような気がして手を洗いたくなって困りました。

ラリベラで体調不良でダウンしたときは、まだ旅程の半分も消化していないのにこの有様では、はたして予定どおり南部を旅行できるだろうかと不安になったのですが、

一週間ぶりにウトゥマ・ホテルの1階のレストランで食事をしてビールを飲んでいたら気分が上向きになってきて、やっぱり予定どおり南部を回ろうという気になってきました。

ラリベラより標高の低いアディスアベバに戻って元気が出てきたみたいです。

ラリベラの標高は2700メートルでアディスは2400メートル、この300メートルの標高差はけっこう大きいです。

続く

エチオピア周遊(12)

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☆アディスアベバからアルバミンチへ
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アディスに1泊して翌日、アルバミンチに飛ぶためにボロ空港、もといボレ空港へ。

私は今回の旅でいったい何度この空港を利用することになるのでしょうか(正解:6回)

当初、アディス=アルバミンチ間のフライトは直行便を予約したのですが、日本を出発するぎりぎりになって予約サイトからフライトスケジュールに変更があったという連絡がありました。

その結果、フライトはジンマ経由になり、当初1時間で着く予定だったのが2時間かかることになりました。

アディスからの乗客の大半はジンマで飛行機を降り、ジンマから乗り込んで来た乗客も少なかったので、アルバミンチの空港に降り立ったのは十数人でした。

外国人は私と白人女性の二人きり。彼女とエチオピア人の乗客は出迎えがあったみたいで全員どこかに消えて行き、

あとから私一人がターミナルビルを出たのですが、玄関で待ち構えていた十人以上のトゥクトゥクの運転手がいっせいに私をめがけて突進して来て争奪戦を繰り広げたのでした。

特に強硬な4人の運転手が私のキャリーバッグの取っ手を握って放しません。


見かねた空港職員が割って入ってやっと運転手たちが手を放したのですが、一番必死の形相でキャリーバッグの取っ手を掴んでいた中年のオッサン・ドライバーを指名して彼のトゥクトゥクに乗り込みました。

トゥクトゥクはアルバミンチの町に向かって走り出しましたが、途中、渡った橋の下の川で男たちが裸になって水浴びしていたり、牛飼いの少年に率いられた牛の群れに行く手をい阻まれたり、

エチオピアもここまで来ると愈々「ブラックアフリカ」に来たという感じがします。

アルバミンチの町では北部で優勢なアムハラ族が減って、牧畜民系の精悍な顔つきの黒人が増え、頭をドレッドヘアにしたレゲエ風の兄ちゃんもちらほら見かけます。

レゲエとエチオピアの関係に興味がある方は「ラスタファリズム」でぐぐってみてください。

アルバミンチの町に着いてまず最初に「歩き方」に載っていたツーリストホテルに行ったのですが、フロントで宿泊料金を訊いたら、

このホテルは宿泊料金がエチオピア人向け料金と外国人料金の二本立てになっていて、外国人料金が割高だったので辞めにして、隣のカイロ・ホテルに行きました。

カイロ・ホテルは150ブル、200ブル、300ブルの部屋があって、200ブルの部屋を選びました。

窓に鉄格子が嵌っている陰気な部屋でしたが、どうせ一晩しか泊まらないのだからと、我慢することにしました。

アルバミンチは、エチオピア南部の少数民族の村を巡るツアーの起点になる町で、部屋に入るとすぐにホテルのマネージャーがやって来て、

車をチャーターして南部の村を回らないかと勧めてきましたが、ローカルバスで回ることにしているからと断りました。

この日の夕方、ホテルの近くのローカルレストランで初めてエチオピア料理の主食であるインジェラを食べました。

インジェラというのはテフというイネ科の穀物の粉を水で溶いて発酵させ、クレープ状に焼き上げたもので、日本人旅行者の間では不味いと評判で、嫌う人間が多いといいます。

私はそれほど不味いとは思わなかったけれど、インジェラの生地の上に載っているドロドロした得たいの知れないモノが口に合わず、結局、インジェラを使ったエチオピア料理は、このときしか食べませんでした。
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インジェラ

エチオピアは過去にイタリアに占領されていたことがあって、そのせいかパスタ類やピザは美味しく、エチオピア滞在中はもっぱらスパゲッティを食べていました。

スパゲッティばかりではいい加減、飽きてくるのですが、それ以外の「西洋料理」は「なにこれ?」と言いたいようなものが多く、結局、スパゲッティを注文することが多かったです。

それでもエチオピア人は基本的に料理のセンスはあるような気がします。

ラリベラで泊まったゲストハウスの1階の食堂で食べた卵サンドは、柔らかくてホカホカのパンにオムレツを挟んだだけの簡単なものでしたが、オムレツの塩味がパンとよく合って、とても美味しかったです。

続く



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