写真家のレスリーキーがツイッターで上の写真を公開し、「エリットゲイがカミングアウト」とツイートしたことで、賛否両論(殆どが否定的な意見)が沸き起こってプチ炎上状態になって、レスリーはとうとうこのツイートを削除してしまったそうです。
私の周囲のホモの間では「恥ずかしい!」「気持ち悪い!」「アホかw」と散々の言われようだったのですが、
今頃になって写真を撮られた人間から「レスリーに騙された。あんなコピーをつけられるとは思っていなかった」と恨み節が聞こえているといいます。
スーツ姿でぴしっと決めてドヤ顔でポーズをとっておきながら、今更、騙されたもへったくれもないと思うのですが、そもそもレスリーキーがどういう人物か知らなかったのでしょうか?
シンガポール出身の写真家、レスリーキーは、かって多くの日本人男性モデルの裸写真を撮ったのですが、
モデル本人が公開しないで欲しいと懇願した恥ずかしいポーズの写真まで本人の許可なく無断で公表するというルール違反を繰り返し、東京のゲイコミュニティーから事実上、追放された人物で、
2013年2月にわいせつな写真集を販売したとして、わいせつ図画頒布容疑で逮捕されたときも、「今まで逮捕されなかったのが不思議だ」という声は聞かれても、同情の声はまったく上がらなかったのです。
そんな札付きのカメラマンに写真を撮られるのだから、撮られる方もそれ相応の覚悟をしておくべきだったし、
もしレスリーがそんな悪名高い写真家であることを知らなかったというのであれば、東京で生活しているゲイとしてあまりに無知だし、その軽率な行為は社会人としても失格で、エリートを名乗る資格はありません。
「いや、ボクは自分のことをエリートだなんて思っていない」
というかもしれませんが、写真の一番奥に背後霊のように写っている松中権氏が代表を務めるグッドエイジングエールズというこの写真イベントを企画したゲイリブ団体は、
メンバーが高学歴で高収入であることが自慢の底辺ホモを見下して馬鹿にすることで知られている団体で、
そんな団体の企画するイベントに参加して、このような写真に納まった時点で、エリート気取りの嫌な奴とみられてもしょうがないでしょう。
私の知り合いには、外資系企業の管理職でタワーマンションに住んでいるホモとか、開業医で稼いでいるホモとかエリートと呼べるような連中もいますが、
彼らはそれを鼻にかけるようなところはまったくなく、むしろそういう部分を隠すというか、目立たないように努力しているのが見てとれます。
だからこそ、私のような市井のおかまでも彼らと付き合うことができるのですが、ホモの世界の素晴らしいところは社会的な肩書抜きで付き合えることで、
ゲイバーなどで自分の社会的地位や収入を自慢したら、野暮な客だと馬鹿にされてしまいます。
ゲイサウナなどでは、文字どおり裸で勝負するわけで、そこでものをいうのは外見であって学歴や収入ではないのです。
だからといって、ホモの世界が完全に平等というわけではありません。
学歴や収入などの一般社会の評価基準の代わりに容姿という基準があって、
高学歴で一流企業に勤めるブサイクなオッサンと高卒のセクシーなゴーゴーボーイのどちらをとるかといわれたら、ホモであれば迷うことなく後者を選びます。
この「容姿」という絶対的な価値基準があるお陰で、容姿に難点のあるホモはゲイバーに行っても、ゲイナイトに行っても誰からも相手にされず、悲哀をかこつことになります。
上の写真を見て私が抱いた最初の感想は「エリートかなんか知らんけど、ブサイクな連中ばっかりやなあ」というものでした。
唯一のイケメンは最前列中央に座っている男性で(だからレスリーは彼を一番目立つ席に座らせたのでしょう)あとは全員、見事なまでにブオトコが揃っています。
眼鏡や髭でごまかしているのもいますが、ブサイクであることに変わりはなく、ゲイナイトに行っても鼻もひっかけられないようなタイプばかりです。
中には男ですらなく、男の格好をしたチンケなオンナまで混じってるみたいで、こういうのをFtMとかいうんでしょうか。
私はいい齢こいて学園祭ごっこを続けている松中氏を見ていると、彼は学生時代、あのご面相のお陰でさぞかしモテなかったんだろうなぁと同情する気持ちになります。
彼は自分と同様、ブサイクだけど高学歴で高収入の仲間を集めて派手なパーティーやイベントを開くことで、不遇だった自分の青春時代に復讐しているのではないでしょうか。
学歴や収入しか自慢できるものがない(それも実体はたいしたことなさそうな気がしますが)ブサイクな連中が集まって
「俺たちはブオトコだけど、本当はエリートなんだよねぇ」と互いに慰めあっているのがグッドエイジングという意識高い系ゲイリブで、
彼らはかってのビンボー臭い底辺系ゲイリブと一線を画しているつもりでしょうが、ブオトコばかり集まっている点で昔のゲイリブと変わりありません。
昔も今も「容姿」というホモ社会の絶対的な価値基準から外れたホモにとって唯一、承認欲求を満たせる場はゲイリブ運動しかなく、ゲイリブにブオトコばかり揃っているのはそれなりの理由があるのです。