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イスタンブールの休日(7)

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☆ イスティクラ-ル通り

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イスティクラール通り

イスタンブール最終日は、新市街の目抜き通りであるイスティクラール通りを散歩しました。 わたしが滞在していたベイオウルのホテルは、イスティクラール通りの裏の通りにあって、

その通りからイスティクラール通りに抜ける路地には、洒落たレストランやカフェ、土産物店が集まっていて、

毎日、そこのお気に入りのレストランで食事をしていましたが、路地に面して壁がないオープンな造りになっていて、食事をしながら道行く人を眺めることができました。

この新市街のベイオウル地区は、19世紀から20世紀にかけてのオスマン朝末期に多くの外国公館が置かれた外国人居住区として栄えたところで、

非イスラム教徒や外国人が数多く住み、キリスト教の教会やシナゴーグが散在し、外国人が経営するカフェやレストランも沢山あって、コスモポリタンな街として知られていたそうです。

以前はペラ地区と呼ばれていて、ペラパレスホテルの名前もそれから由来しているそうですが、現在でもこの地区には、わたしが泊まっていたホテルも含めて、

19世紀末に建てられたアールヌーヴォー風のレトロな建物がまだ残っていて、散策するには楽しいところです。

特に素晴らしいのが、イスティクラール通りから入ったチチェキ・パサージュ(花小路) と呼ばれる小路。

ここは、歴史のありそうな立派な建物に囲まれたアーケードで、このアーケードに面したレストランがアーケードの両側にテーブルを並べているのですが、

こんな豪華でシックなレストランはヨーロッパにもそうないのではないかという気がします。

この地区をぶらついていると、中東にいるというよりは、南欧、特にイタリアにいるような気分になってくるのですが、

それもその筈、ここはビザンチン時代にはジェノヴァ人の居住区だったところで、この地区に建っているガラタ塔もジェノヴァ人が監視塔として建てたものだそうです。

ビザンチン時代は、ジェノヴァとベネチアが地中海貿易の覇を競っていて、オスマントルコによるコンスタンチノープル攻落に際しては、ベネチア艦隊とジェノヴァ艦隊がオスマントルコの軍隊を迎え撃ったのですが、

そのような歴史的経緯があってトルコとイタリアは昔から縁が深く、そのせいか、トルコはイタリアとよく似ているような気がします。

トルコもイタリアも世界的に人気のある観光国で、観光客にたかるタチの悪い人間がいるところも共通していますし、外見もトルコ人はどことなくイタリア人に似ています。

なにより、イスタンブールの前身であるコンスタンチノープルは千年の長きにわたって東ローマ帝国の首都だったところで、イスタンブールは東のローマともいうべき都市なのです。

このベイオウル地区の目抜き通りがイスタンブール銀座とも呼ぶべきイスティクラール通りで、最先端を行くファッションの店や映画館が並ぶこの通りは、歩行者天国になっていて、いつも人で賑わっています。

この通りを歩いていて気がついたのは、けっこうゲイのカップルが歩いていること。 男同士、手をつないだり、腕を組んで歩いている人をよくみかけますが、これは中東の習慣であって、ゲイであるとは限りません。

ただ手をつないで歩いていなくとも、ゲイのカップルは目立ちます。

ヘアスタイル、着ているもの、全身から発散しているオーラですぐに彼らがゲイのカップルであることがわかるのです。

あと空港では完璧なオネエのトルコ人男性をみかけました。

完璧なオネエというのは、歩き方や仕草が絵に描いたようなオネエで、オネエのサンプルとしてうってつけという感じだったからです。

彼は年の頃、30歳くらい、背が高く細身で、頬には薄っすらと髭を生やしていましたが、その髭が非常に丁寧に手入れされていて、身に付けている黒いシャツもジャケットもオシャレで洗練されていて、

「ええ、あたしはオネエよ。それのどこが悪いのよ!」といわんばかりに堂々と身体をくねらせて歩くその姿をみて思わず「ご立派!」と快哉を叫びたくなりました。

イスタンブールでゲイのカップルやオネエの男性が堂々と通りを闊歩しているのは、やはりかってトルコに存在した男同士の性愛文化や伝統と無関係ではないと思います。

かってオスマン帝国では、サルタンや高官が美少年を小姓として召し抱え、寵愛した歴史があり、そのへんは将軍や大名が美少年の小姓を愛玩した日本とよく似ています。

近代以降、西欧化されたトルコには、欧米キリスト教圏に特有のホモフォビア思想も流入してきたでしょうが、日本と同様、それは表面的なものに留まっているような気がします。

ちなみにイスタンブールの主だったゲイハマム(サウナ)は、すべてこのベイオウル地区にあります。

この日は、イスティクラール通りを北の終点のタキシム広場まで歩いていったのですが、 タクシム広場の裏の公園はホモの発展場になっているそうで、

その公園に行って芝生に寝転んでいたら、ポツリ、ポツリと雨が降り出し、しばらくすると激しい降りになってきて、慌てて公園の前の土産物を売る露店のビニール製の庇の下に逃げ込みました。

雨は小一時間は降り続き、小雨になったときを見計らって表に出て、広場に面した小さな茶店に入って、そこで雨が完全に止むのを待ちました。

タクシム広場は、現在、大きなモスクが建設中で、これはエルドアン大統領の肝いりで建設されているそうで、完成した暁にはエルドアン大統領の名前が付けられるといわれています。

このヨーロッパ的な新市街に大きなモスクが建つことの政治的な意味合いはよくわかりませんが、観光的にはタクシム広場の景観がよりエキゾチックになって、魅力が増すのではないかという気がしました。

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チチェキ・パサージュ(花小路) のレストラン

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タキシム広場



続く

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