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イスタンブールの休日(8)

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☆ 近代化で同性愛者が生まれたトルコと日本

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スレイマン大帝と小姓たち

トルコはイスラム教徒が優勢な国であるにも関わらず、ゲイバーやゲイクラブ、ゲイサウナなど同性愛者向けの娯楽施設があります。
同じイスラム圏でもエジプトやイランにはこのような施設は存在しません。
なぜこのような違いが生まれたかというと、トルコでは、建国の父、ケマル・アタチュルクがイスラム教が国の近代化の妨げになると考えて、
政教分離の世俗主義を国是として掲げ、国民の日常生活に与えるイスラム教の影響を抑え、西欧列強と闘うために積極的に西欧に見習って国の近代化を推し進めたからです。
このへんはやはり、西洋列強と伍していくために積極的に西洋化を推し進めた日本に似ています。

その結果、日本にもトルコにも同性愛者を特別視する西洋的価値観が流入し、西洋的な「同性愛者」の概念が根をおろすようなったのではないかという気がします。
フランスの哲学者、ミシェル・フーコーによると、ホモセクシュアル(同性愛者)という言葉は、1890年頃、ヨーロッパのある医学者が医学雑誌ではじめて使った言葉だそうで、
元々、同性愛者という概念は日本やトルコなどの非西欧圏には存在しませんでした。
日本の江戸時代では、男色や女色などの行為を表す言葉は存在しても、同性愛者を意味する言葉はなかったのです。

井原西鶴の『男色大鏡』に「若衆好き」という言葉がでてきますが、これは現代の「若専」に相当する性的嗜好を表す言葉で、性的指向を表す欧米的な同性愛者とは意味合いが異なります。

以前、イランの大統領が国連に行って、記者会見で欧米のジャーナリストにイランでの同性愛者弾圧に関して質問されたときに「イランには同性愛者は存在しない」と答えて失笑を買ったことがありますが、

わたしはこの回答は必ずしも間違っていたとは思いません。

イラン大統領の発言が、「同性愛者」という概念は西欧発祥のもので、非西欧の国であるイランにはそのような概念は存在しないという意味であれば、そのとおりだと思うからです。
実際、トルコのような西欧化された国を除けば、アラブ・イスラム圏では、ホモセックスでタチ役をやる男は同性愛者とはみなされません。
アラビア語には、「受け身のオカマ」を意味する言葉はありますが、同性愛者を意味する言葉は存在しないのです。
ペルシャ語では、「稚児」を意味するベルダーシュという言葉はありますが、アラビア語と同様、同性愛者を意味する言葉は存在しないのではないかという気がします。
わたしはペルシャ語に詳しくないので断言はできないのですが。
それでは西欧的な意味での同性愛者が存在しないエジプトなどのアラブ圏やイランでは、男同士のセックスは存在しないのかというとそんなことはありません。
むしろ欧米や日本などと較べるとホモセックスはずっと盛んで、男たちの間で日常的に行われています。
イランを旅行した日本人のバックパッカーのブログなどをみると、イランで男に誘われたという話はしょっちゅうでてきます。
これらの国でホモセックスを行っている男の大半は、男女両方いける両刀使いで、敢えてカテゴリ分けするならばバイセクシュアルに相当するでしょうが、
そもそも同性愛者と異性愛者の区別が存在しないので、西欧のようにそのどちらにも分類できない人間のためにわざわざ「両性愛者」というカテゴリを作る必要はなかったし、
この地域の男たちにとってバイセクシュアルであることはあたり前なので、それをことさら意識することもないのです。
これらの国で、ゲイバーやゲイサウナなどの男性同性愛者向けの施設が存在しないのは、
イスラム教が表向きに同性愛を嫌っているということもありますが、同性愛者と異性愛者の区別がなされていないために、わざわざ同性愛者向けの施設を作る必要がないからです。
たとえば、中東の町にはどこでもカフェがありますが、これらのカフェでは女性客は少なく、殆ど男性客ばかりです。
このような男性客しかいないカフェは、男性客の大半がホモセックスに抵抗がないというか、むしろ好むのことから自動的に欧米や日本のゲイバーの役割を果たし、

カフェの中に気に入った客がいれば、目くばせしてハッテンすることができるのです。
最近ではこれらの地域でも、西欧的な意味での同性愛者を自認する人間が出てきていますが、まだまだ少数派です。
欧米のゲイ団体はエジプトやイランで「同性愛者が迫害されている」と非難していますが、エジプトンでもイランでも自分を同性愛者だと思っていない男たちは昔と変わらず、男同士のセックスを楽しんでいるのです。
これらイスラム圏と異なり、トルコや日本では、男たちは両刀使いが普通だったにも関わらず、西洋化=近代化の過程で西洋的な同性愛者の概念を受け入れ

その結果、人間を異性愛者と同性愛者に分類し、同性愛者を特別扱いするようになり、同性愛者向けのゲイバーやゲイサウナが登場したのですが、

近代化(西欧化)にまい進したお陰で日本が目覚ましく発展したことや、トルコも日本ほどではないにせよ、その発展ぶりが周辺のアラブ・イスラム諸国を大きく抜き去っていることを考えると、

日本やトルコが近代化(西洋化)路線をとったことは基本的に間違っていなかったと思います。

しかしその代償として、トルコも日本もかって風靡していた男色文化を失ってしまったのです。

それでも男色が栄えた過去があるお陰で、トルコも日本も同性愛には寛容です。

同性婚制度の有無とかLGBT差別禁止法の有無とか、欧米的な物差しで測れば日本やトルコはゲイ後進国になるかもしれませんが、社会の基層に昔と変わらぬ男同士の性愛に寛容な文化風土が残っているような気がするのです。


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