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Channel: ジャックの談話室
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昨日の旅(20)

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☆ ベナレス
ベナレスはヒンズー教最大の聖地で、毎年、夥しい数のヒンズー教徒が巡礼にやってくる。
わたしがネパール国境の町ラクソールからベナレス行きの汽車に乗ったときに、途中の乗り換え駅でわたしを含む多数の乗客が積み残されて、挙句の果てに貨物列車に放り込まれたのも、
それだけベナレスを目指すインド人の乗客が多かったせいではないかと思う。
ベナレスはガンジス河に面した町で、ガンジスの河岸はカートと呼ばれる階段状の堤ができていて、ヒンズー教徒たちは、その階段を降りて河に入り、河の水に浸かって沐浴する。
わたしはその濁った河の水をみて、とても沐浴する気になどなれなかったが、河岸には人間が寝泊まりできるような大きな船も停泊していて、
その船から河に勢いよくザブンと飛び込んで、汚い河の水を使って歯を磨いている猛者がいて、よくみると金髪碧眼のヒッピーだった。


人々が沐浴しているカートのすぐ傍には火葬場のカートもあった。
薪を井桁に組んで積み上げた上に遺体を置いて火をつけて燃やすのだが、わたしが見たときは、白髪の白い立派な髭を生やした老人の遺体が焼かれていた。
遺体は白い布で包まれ、首のまわりはマリーゴールドの花で飾られていた。
遺体を焼却して残った遺骨と遺灰はそのままガンジスに流すという。
後日、別の火葬場で、女性が竹箒を使って無造作に遺灰を河に掃き捨てている光景を目撃したが、ヒンズー教徒は日本人のように遺骨を拾って骨壺に収める習慣はないそうで、墓もないということだった。
これはなにもヒンズー教徒が死者にたいして冷たいということではなく、ヒンズー教徒にとって遺体は魂が抜けた亡骸でしかなく、そんなに大事に扱うものだとは考えられていないのだという。
それでも、ヒンズー教徒にとっての最大の幸福というのは、ヒンズー教の聖地であるベナレスのカートの火葬場で荼毘に付され、遺骨をガンジス河に流されることだそうで、
そのため、死期が近づいた老人が家族に付き添われてベナレスまでやってきて、「死を待つ者の家」というホスピスのようなところに死ぬまで滞在することも多いという。
また墓は存在しないものの、死者の命日などには家で供養の儀式が執り行われるそうだ。
ただすべての死者が火葬されるわけではなく、赤ん坊などは、そのままガンジスに流されると聞いた。
一度、小舟を借りて、ガンジスをまわったときに、この赤ん坊の水葬を目撃したことがある。
小舟には船頭と白い布に包まれた赤ん坊の遺体を抱いた父親らしい若い男性が乗っていて、赤ん坊の遺体は鉄の鎖で巻かれ、鎖の一方の端には重しの鉄の玉が付いていた。
赤ん坊の遺体を河に沈める父親の姿からは静かな悲しみが伝わってきたが、同時にわが子が赤ん坊のまま死んでしまう運命にあったことを受け入れる諦念のようなものも感じられた。
以前、北インドのラダックに長く滞在したスウェーデン女性がラダックについて書いた本を読んだことがあるが、彼女によると、ラダックの母親は子供を失ってもあまり嘆き悲しむことはないという。
もちろん悲しむことは悲しむのだが、輪廻転生を信じていているので、亡くなった子供の肉体は滅びても、魂はあの世にいって、
しばらくしてまた別の肉体に宿って、この世に生まれ変わってくると考えられているので、極端に嘆き悲しむことはないというのだ。
このチベット仏教の輪廻転生の思想は、ヒンズー教徒にも共有されていて、インド映画には主人公が死んで、また生まれ変わるという話が多いのだが、
こういう死生観は、仏教的な背景をもつ日本人にも受け入れられやすいのではないかと思う。
わたしたちは愛する家族や友人が亡くなると嘆き悲しむが、彼らは完全に消えてなくなったわけではなく、あの世に行っただけで、自分も死ねば彼らとあの世で再会できるし、
来世ではまた、彼らの家族や親友として生まれ変わることができると考えれば、哀しみもだいぶやわらぐのではないだろうか。
これまで日本人の書いたインド旅行記を沢山、読んできたが、多くの作者がベナレスに来て遺体が火葬される光景を目撃して、人生とは何かと考え、哲学的な思索に耽っている。
私はインドを旅するだけでせいいっぱいで、哲学的な思索に耽る余裕などなかったのだが、それでも今から思うと、この初めてのインド旅行で訪ねたカルカッタ、ベナレス、デリー、アグラの4都市の内、
アグラでの滞在が一番、心が落ち着くというか、ほかのインドの都市にいたときほど、心が乱されることが少なかったのは、やはりこのベナレスという町がもつ聖地としての性格ゆえではなかったかという気がする。
インド人には、とても親切な人がいる一方で、とんでもない悪い奴もいて、一口にインド人はどうだ、などと簡単にいえないのだが、
総じていえることは、インド人は物質的な中国人などと比べるととても精神的に深いところがあり、哲学的な思考が似合う国民だということだ。
観光客相手に土産物を売っているような少年でも、ときどき人の心にグサリと突き刺さるようなことをいったりするので、侮れない。
このようなインド人の国民性は、やはり宗教を抜きにしては考えられず、ベナレスにいると、インド人と宗教、すなわち、インド人とヒンズー教の関係がいかに深いものか、否応なく感じられ、
またヒンズー教という宗教がもつ非常に人間的な側面も垣間見ることができて中々、面白かった。
続く

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