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Channel: ジャックの談話室
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イスタンブールの休日(6)

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☆ トプカピ宮殿
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イスタンブール6日目は、前日、行きそこなったトプカピ宮殿の見物。

前日、ラマダンのせいで午後からしか入場できないと聞いたので、入場開始時間の午後一時半にタクシーで宮殿前に着いたら、なんと切符売り場の前は長蛇の列。

列に並んでいるのは殆どがトルコ人で、ラマダンで入場時間が短縮されていることに加えてその日は土曜日だったので、行列が長くなったみたいです。

イスタンブールはまだ6月なのに暑い日が続いていて、その日も30度を超える暑さで、炎天下に長時間、並ぶのはシンドイなと思いましたが、折角、来たのだからと列に並ぶことに。
結局、切符売り場の窓口までたどり着くのに50分きっかりかかりました。

切符売り場の窓口は6箇所あって、両端の窓口では行列に並んでいない人々がチケットを買っています。
宮殿の運営側とコネがあるらしい旅行会社のガイドが自分が連れてきた客を優先的に窓口に案内して切符を買わせているようなのです。
列に並んでいる人間の間から「なんで列に並ばないでチケットが買えるんだ!」と抗議の声があがり、ガイドらしい男がそれに言い返し、激しい言い争いになりました。
トルコ語で言い争っていたので、何を言っているのかわたしには理解できませんでしたが。
わたしのもっている古いバージョンのガイドブックには、入場料は25リラと書いてありましたが、40リラに値上げされてました。
さらにハーレムを見ようと思ったら別料金で、別途20リラを払わなければなりません。
ハーレムというのは、名前のとおり、宮殿の内邸の女性たちが住む一画で、以前、来たときは特別料金は取られなかったので見たおぼえがあるのですが、
あまり印象に残ってないところをみると、大したところではないだろうと判断して、今回は入りませんでした。
で、久しぶりに見たトプカピ宮殿、入場料が高くなっているわりには、陳列物が貧相で、かって見た中国の膨大な陶磁器のコレクションや映画『トプカピ』に出てきた柄に大きなルビーが嵌っている有名な短剣などは見当たりませんでした。

単にわたしが見つけられなかっただけかも知れませんが、以前は嫌でも目に付くところに陳列してあったのです。

というわけで、消化不良のまま宮殿を出て、後方のアヤソフィアにいってみたら、ここもチケット売り場の前に長い列ができています。

アヤソフィアは、ビザンチン時代はギリシャ正教の大聖堂だったのが、1453年のメフメット二世のコンスタンチン攻落でモスクに変えられました。

その後、ずっとモスクとして使われていたと思っていたのですが、現在は博物館になっていて20リラの入場料を払わないと入れなくなっているのです。

モスクは入場は無料なので、博物館に改造して入場料を取れるようにしたのかもしれませんが、また炎天下に小一時間も行列に並ぶ気にはなれなかったので、アヤソフィアはパスしてホテルに戻ったのでした。


☆ ジハンギール・サウナ(Cihangir Sauna)

今日はこのサウナに行きました。

これ以前に行ったヌール・ハマムもフィルザガ・ハマムもゲイハマムとはいいながら、基本、伝統的なトルコ風呂で、ゲイ向きに作られているわけではないので、ヤルとことろはトイレしかなかったりするのですが、

このジハンギール・サウナは、ハマムではなくサウナと名乗っているところからもわかるように、最初からゲイの客向けに作られている本物のゲイサウナでした。

入場料はロッカーが40リラで、個室が50リラ。個室にはベッドが置いてあって、気に入ったタイプの客を連れ込んで、施錠して楽しめるようになっています。

設備には、西洋式のサウナ室に加えて、スチーム室にダークルームまであり、あちこちに男性の裸のトルソーの像が置かれてあったりして、日本や欧米のゲイサウナと変わりありません。

ここはいわゆるデブ専&老け専サウナみたいで、大砂嵐みたいなのが、通路の壁に沿ってズラっと並んで立っているのは壮観でした。

人がいっぱい入っているダークルームは、それほど暗くなはなく、やっていることはちゃんと見えるのですが、トルコ人は行為を人に見られることは気にならないようで、派手に盛っていました。

奥の方ではデブのオッサンが4人繋がって、いっせいに腰を振っていました。

経験者によると、デブは尻の肉が分厚いので、バックをやる場合、中々入りにくく、入ってもすぐに抜けてしまうそうですが、トルコ人はデカマラなのでデブでもちゃんと届くみたいです。

パン、パンと派手な音を立てて相手を掘っている男。大理石の台の上に仰向けに寝転んだデブに跨って腰を振る毛深いオッサン、二人だけの世界に浸ってキスし続けるカップル、そんな連中の横で世間話に興じるジイサンたち、

若い頃に行ったカイロのゲイハンマームでは、若い男(大半は兵士)が多かったこともあって、どっちが先にヤルかで喧嘩したりして、殺気立った雰囲気でしたが、

ここは客の年齢層が高いせいか和気藹々で、ヤッてることはけっこうハードなんだけど、全体にリラックスした雰囲気でした。

というわけでトルコ人の好色ぶりをたっぷりと拝見させてもらったのですが、今回、行った3軒のゲイハマム(サウナ)の中ではここが一番、面白かったです。

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続く

イスタンブールの休日(7)

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☆ イスティクラ-ル通り

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イスティクラール通り

イスタンブール最終日は、新市街の目抜き通りであるイスティクラール通りを散歩しました。 わたしが滞在していたベイオウルのホテルは、イスティクラール通りの裏の通りにあって、

その通りからイスティクラール通りに抜ける路地には、洒落たレストランやカフェ、土産物店が集まっていて、

毎日、そこのお気に入りのレストランで食事をしていましたが、路地に面して壁がないオープンな造りになっていて、食事をしながら道行く人を眺めることができました。

この新市街のベイオウル地区は、19世紀から20世紀にかけてのオスマン朝末期に多くの外国公館が置かれた外国人居住区として栄えたところで、

非イスラム教徒や外国人が数多く住み、キリスト教の教会やシナゴーグが散在し、外国人が経営するカフェやレストランも沢山あって、コスモポリタンな街として知られていたそうです。

以前はペラ地区と呼ばれていて、ペラパレスホテルの名前もそれから由来しているそうですが、現在でもこの地区には、わたしが泊まっていたホテルも含めて、

19世紀末に建てられたアールヌーヴォー風のレトロな建物がまだ残っていて、散策するには楽しいところです。

特に素晴らしいのが、イスティクラール通りから入ったチチェキ・パサージュ(花小路) と呼ばれる小路。

ここは、歴史のありそうな立派な建物に囲まれたアーケードで、このアーケードに面したレストランがアーケードの両側にテーブルを並べているのですが、

こんな豪華でシックなレストランはヨーロッパにもそうないのではないかという気がします。

この地区をぶらついていると、中東にいるというよりは、南欧、特にイタリアにいるような気分になってくるのですが、

それもその筈、ここはビザンチン時代にはジェノヴァ人の居住区だったところで、この地区に建っているガラタ塔もジェノヴァ人が監視塔として建てたものだそうです。

ビザンチン時代は、ジェノヴァとベネチアが地中海貿易の覇を競っていて、オスマントルコによるコンスタンチノープル攻落に際しては、ベネチア艦隊とジェノヴァ艦隊がオスマントルコの軍隊を迎え撃ったのですが、

そのような歴史的経緯があってトルコとイタリアは昔から縁が深く、そのせいか、トルコはイタリアとよく似ているような気がします。

トルコもイタリアも世界的に人気のある観光国で、観光客にたかるタチの悪い人間がいるところも共通していますし、外見もトルコ人はどことなくイタリア人に似ています。

なにより、イスタンブールの前身であるコンスタンチノープルは千年の長きにわたって東ローマ帝国の首都だったところで、イスタンブールは東のローマともいうべき都市なのです。

このベイオウル地区の目抜き通りがイスタンブール銀座とも呼ぶべきイスティクラール通りで、最先端を行くファッションの店や映画館が並ぶこの通りは、歩行者天国になっていて、いつも人で賑わっています。

この通りを歩いていて気がついたのは、けっこうゲイのカップルが歩いていること。 男同士、手をつないだり、腕を組んで歩いている人をよくみかけますが、これは中東の習慣であって、ゲイであるとは限りません。

ただ手をつないで歩いていなくとも、ゲイのカップルは目立ちます。

ヘアスタイル、着ているもの、全身から発散しているオーラですぐに彼らがゲイのカップルであることがわかるのです。

あと空港では完璧なオネエのトルコ人男性をみかけました。

完璧なオネエというのは、歩き方や仕草が絵に描いたようなオネエで、オネエのサンプルとしてうってつけという感じだったからです。

彼は年の頃、30歳くらい、背が高く細身で、頬には薄っすらと髭を生やしていましたが、その髭が非常に丁寧に手入れされていて、身に付けている黒いシャツもジャケットもオシャレで洗練されていて、

「ええ、あたしはオネエよ。それのどこが悪いのよ!」といわんばかりに堂々と身体をくねらせて歩くその姿をみて思わず「ご立派!」と快哉を叫びたくなりました。

イスタンブールでゲイのカップルやオネエの男性が堂々と通りを闊歩しているのは、やはりかってトルコに存在した男同士の性愛文化や伝統と無関係ではないと思います。

かってオスマン帝国では、サルタンや高官が美少年を小姓として召し抱え、寵愛した歴史があり、そのへんは将軍や大名が美少年の小姓を愛玩した日本とよく似ています。

近代以降、西欧化されたトルコには、欧米キリスト教圏に特有のホモフォビア思想も流入してきたでしょうが、日本と同様、それは表面的なものに留まっているような気がします。

ちなみにイスタンブールの主だったゲイハマム(サウナ)は、すべてこのベイオウル地区にあります。

この日は、イスティクラール通りを北の終点のタキシム広場まで歩いていったのですが、 タクシム広場の裏の公園はホモの発展場になっているそうで、

その公園に行って芝生に寝転んでいたら、ポツリ、ポツリと雨が降り出し、しばらくすると激しい降りになってきて、慌てて公園の前の土産物を売る露店のビニール製の庇の下に逃げ込みました。

雨は小一時間は降り続き、小雨になったときを見計らって表に出て、広場に面した小さな茶店に入って、そこで雨が完全に止むのを待ちました。

タクシム広場は、現在、大きなモスクが建設中で、これはエルドアン大統領の肝いりで建設されているそうで、完成した暁にはエルドアン大統領の名前が付けられるといわれています。

このヨーロッパ的な新市街に大きなモスクが建つことの政治的な意味合いはよくわかりませんが、観光的にはタクシム広場の景観がよりエキゾチックになって、魅力が増すのではないかという気がしました。

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チチェキ・パサージュ(花小路) のレストラン

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タキシム広場



続く

イスタンブールの休日(8)

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☆ 近代化で同性愛者が生まれたトルコと日本

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スレイマン大帝と小姓たち

トルコはイスラム教徒が優勢な国であるにも関わらず、ゲイバーやゲイクラブ、ゲイサウナなど同性愛者向けの娯楽施設があります。
同じイスラム圏でもエジプトやイランにはこのような施設は存在しません。
なぜこのような違いが生まれたかというと、トルコでは、建国の父、ケマル・アタチュルクがイスラム教が国の近代化の妨げになると考えて、
政教分離の世俗主義を国是として掲げ、国民の日常生活に与えるイスラム教の影響を抑え、西欧列強と闘うために積極的に西欧に見習って国の近代化を推し進めたからです。
このへんはやはり、西洋列強と伍していくために積極的に西洋化を推し進めた日本に似ています。

その結果、日本にもトルコにも同性愛者を特別視する西洋的価値観が流入し、西洋的な「同性愛者」の概念が根をおろすようなったのではないかという気がします。
フランスの哲学者、ミシェル・フーコーによると、ホモセクシュアル(同性愛者)という言葉は、1890年頃、ヨーロッパのある医学者が医学雑誌ではじめて使った言葉だそうで、
元々、同性愛者という概念は日本やトルコなどの非西欧圏には存在しませんでした。
日本の江戸時代では、男色や女色などの行為を表す言葉は存在しても、同性愛者を意味する言葉はなかったのです。

井原西鶴の『男色大鏡』に「若衆好き」という言葉がでてきますが、これは現代の「若専」に相当する性的嗜好を表す言葉で、性的指向を表す欧米的な同性愛者とは意味合いが異なります。

以前、イランの大統領が国連に行って、記者会見で欧米のジャーナリストにイランでの同性愛者弾圧に関して質問されたときに「イランには同性愛者は存在しない」と答えて失笑を買ったことがありますが、

わたしはこの回答は必ずしも間違っていたとは思いません。

イラン大統領の発言が、「同性愛者」という概念は西欧発祥のもので、非西欧の国であるイランにはそのような概念は存在しないという意味であれば、そのとおりだと思うからです。
実際、トルコのような西欧化された国を除けば、アラブ・イスラム圏では、ホモセックスでタチ役をやる男は同性愛者とはみなされません。
アラビア語には、「受け身のオカマ」を意味する言葉はありますが、同性愛者を意味する言葉は存在しないのです。
ペルシャ語では、「稚児」を意味するベルダーシュという言葉はありますが、アラビア語と同様、同性愛者を意味する言葉は存在しないのではないかという気がします。
わたしはペルシャ語に詳しくないので断言はできないのですが。
それでは西欧的な意味での同性愛者が存在しないエジプトなどのアラブ圏やイランでは、男同士のセックスは存在しないのかというとそんなことはありません。
むしろ欧米や日本などと較べるとホモセックスはずっと盛んで、男たちの間で日常的に行われています。
イランを旅行した日本人のバックパッカーのブログなどをみると、イランで男に誘われたという話はしょっちゅうでてきます。
これらの国でホモセックスを行っている男の大半は、男女両方いける両刀使いで、敢えてカテゴリ分けするならばバイセクシュアルに相当するでしょうが、
そもそも同性愛者と異性愛者の区別が存在しないので、西欧のようにそのどちらにも分類できない人間のためにわざわざ「両性愛者」というカテゴリを作る必要はなかったし、
この地域の男たちにとってバイセクシュアルであることはあたり前なので、それをことさら意識することもないのです。
これらの国で、ゲイバーやゲイサウナなどの男性同性愛者向けの施設が存在しないのは、
イスラム教が表向きに同性愛を嫌っているということもありますが、同性愛者と異性愛者の区別がなされていないために、わざわざ同性愛者向けの施設を作る必要がないからです。
たとえば、中東の町にはどこでもカフェがありますが、これらのカフェでは女性客は少なく、殆ど男性客ばかりです。
このような男性客しかいないカフェは、男性客の大半がホモセックスに抵抗がないというか、むしろ好むのことから自動的に欧米や日本のゲイバーの役割を果たし、

カフェの中に気に入った客がいれば、目くばせしてハッテンすることができるのです。
最近ではこれらの地域でも、西欧的な意味での同性愛者を自認する人間が出てきていますが、まだまだ少数派です。
欧米のゲイ団体はエジプトやイランで「同性愛者が迫害されている」と非難していますが、エジプトンでもイランでも自分を同性愛者だと思っていない男たちは昔と変わらず、男同士のセックスを楽しんでいるのです。
これらイスラム圏と異なり、トルコや日本では、男たちは両刀使いが普通だったにも関わらず、西洋化=近代化の過程で西洋的な同性愛者の概念を受け入れ

その結果、人間を異性愛者と同性愛者に分類し、同性愛者を特別扱いするようになり、同性愛者向けのゲイバーやゲイサウナが登場したのですが、

近代化(西欧化)にまい進したお陰で日本が目覚ましく発展したことや、トルコも日本ほどではないにせよ、その発展ぶりが周辺のアラブ・イスラム諸国を大きく抜き去っていることを考えると、

日本やトルコが近代化(西洋化)路線をとったことは基本的に間違っていなかったと思います。

しかしその代償として、トルコも日本もかって風靡していた男色文化を失ってしまったのです。

それでも男色が栄えた過去があるお陰で、トルコも日本も同性愛には寛容です。

同性婚制度の有無とかLGBT差別禁止法の有無とか、欧米的な物差しで測れば日本やトルコはゲイ後進国になるかもしれませんが、社会の基層に昔と変わらぬ男同士の性愛に寛容な文化風土が残っているような気がするのです。

2018 イスタンブールの休日

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イスタンブールの休日(1):出発
イスタンブールの休日(2):ウシュクダラ&シルケジ

イスタンブールの休日(3):ボスフォラス海峡クルーズ
イスタンブールの休日(4):スレイマニエ・モスク

イスタンブールの休日(5):ブルーモスク
イスタンブールの休日(6):トプカピ宮殿

イスタンブールの休日(7):イスティクラ-ル通り

イスタンブールの休日(8):近代化で同性愛者が生まれたトルコと日本

杉田水脈議員発言の炎上騒動

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「新潮45」に杉田水脈議員が寄稿した『LGBT支援の度が過ぎる』という記事を巡ってパヨクたちが大騒ぎして、杉田議員の辞職を求めるデモまでおこっているそうです。
私はこの新潮45の杉田議員の記事を読みましたが、この記事のどこに問題があるのかさっぱりわかりません。
むしろ杉田議員の発言は、「よくいってくれた」と膝を打ちたくなるものが多かったです。
たとえば、杉田議員は、次のように述べています。

しかし、LGBTだからといって、実際そんなに差別されるものなのでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレスビアンだったりしても、私自身は気にせずに付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人たちにとっても同じではないでしょうか。
これはまったくそのとおり。私が日頃からいっているように、日本の会社では、ホモであっても仕事さえできれば、職場の上司も同僚も受け入れてくれ、認めてくれます。


風俗産業を除けば、大半の仕事はセクシュアリティーと関係ないので、当然といえば当然のことなのですが。
ゲイリブ活動家の中には、会社の同僚の女の話に付き合わされるのは辛いという人間もいますが、ホモであることをカミングアウトして、「それでエッチのときは男役、女役?」などと不躾な質問をされるよりもずっとマシです。
いずれにせよ、その程度の「辛さ」に耐えられないような人間は最初からサラリーマンなど目指すべきではないでしょう。会社勤めでは人間関係でもっと辛いことをいくらでも経験しますから。
杉田議員は、また次のように述べています。

そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わることもありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ寛容な社会だったことが窺えます。 どうしても日本のマスメディアは、欧米からこうしているから日本もこうすべきだと、という論調が目立つのですが、欧米と日本とはそもそも社会構造が違うのです。
これも私がこれまで口を酸っぱくしていってることですが、同性愛者差別が激しい欧米のゲイリブ運動を差別の少ない日本で真似しても日本の風土に根付く筈がないのです。
LGBTという言葉自体、欧米のゲイリブ運動からの直輸入で、当事者でさえ、その意味を理解している人間は少ないのです。
杉田議員はまた、次のように述べています。
LGBTの当事者の方たちから聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かるとすごいショックを受ける。これは制度を変えることで、どうかなるものではありません。
これも核心をついた言葉です。カミングアウトの最大の障壁は社会の無理解ではなく、親の無理解です。
世界中どこでも、自分の子供が同性愛者になって欲しいと願う親はいません。世界中どこでも、親は自分の子供が異性と結婚して孫の顔を見せてくれることを期待するものなのです。
しかし、同性愛者に生まれるとその期待に答えることができない。それで親に対して申し訳ないと罪の意識を感じてしまうのです。
それでも子供を愛している親であれば、子供からゲイあるいはレスビアンであることを打ち明けられた場合、大きなショックを受けながらも、同性愛者である子供を理解し、子供をありのままの姿で受け入れようと努力する筈です。
しかし中には同性愛者である子供を受け入れることを拒否する親もいます。
こういう無理解な親の態度は、元々、親子関係がうまくいっていない家族によく見られます。

ゲイリブに走るのはこういう親に受け入れられなかった同性愛者が多いのですが、彼らは同性愛者である自分が親に拒絶されたことで、社会全体が自分を拒絶していると短絡的に思い込んでしまうのです。

しかし実際はそうでありません。その点については、親よりも社会の方がずっと寛容です。
同性愛者の息子を受け入れようとしない親でも、他人の子供が同性愛者であることには無関心です。彼は自分の子供だからこそ、受け入れられないのです。
そしてこのような親の感情や行動には、親子関係がうまくいっていないという事実が根底にあり、親子関係が改善されると、親は子供の同性愛指向についても寛大になることが多いのです。
煎じ詰めると、これは親子関係の問題であって、杉田議員のいうとおり、制度を変えることで、どうにかなるものではないのです。
杉田議員の記事で一番議論を生んだのは、次の文章でしょう。  
 例えば、子育て支援や子供のできないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない。つまり生産性がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
ゲイリブや彼らを擁護するサヨクたちは、この杉田議員の「生産性がない」という発言だけを切り取って、杉田議員が「LGBTは生産性がない、だから社会に不必要な人間だ」と決めつけていると非難しているのですが、
前後の文脈からみれば、杉田議員は同性カップルは生殖の面では生産性がないといっているだけで、LGBTの存在そのものまで否定していないことは明らかです。
たしかに企業や自治体の助成金や補助金に寄生して生きることを望んでいる利権狙いの自称LGBT活動家や彼らと一緒になって騒いでいるサヨク連中は生産性に欠けていることは明らかで、
彼ら自身、そのことに薄々感づいていて、杉田議員にその痛いところを突かれて逆上したのかもしれません。
一方、一般当事者は、杉田議員の言葉を極めて冷静に受け止めました。
活動家ではないフツーのホモから見て、同性カップルが異性カップルと異なり子供が作れないことは自明の事実であって、それを杉田議員に指摘されたからといって、自尊心が傷つくようなことはありません。
一般当事者は、活動家たちとは異なり、ちゃんとした正業に就いて自立している人間が多く、子供は作らなくとも働いて金を稼ぎ、税金を払うことで社会に貢献しているし、
プライベートな面でもきょうだいを助けて、甥っ子や姪っ子の面倒をみたりして、間接的に子育てに関与している人間も多いです。
むしろ一般当事者は、活動家たちがLGBTが生きづらさを抱えていて不幸であると喧伝することに反発を覚えています。
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これはツイッターでみかけたTWですが、このようなTWをする当事者は彼だけでなく、ほかにも多くいて、これこそが日本の当事者の平均的な意見であると私は考えています。
杉田議員はそのほかにもLGBとTは分離すべきだとか、LGBTトイレなど作るべきではないと主張していますが、これらの意見にも私は完全に同意します。
杉田議員のいっていることは、日本の一般国民の平均的な考えであって、杉田議員を批判することは、日本の世論を敵に回すことになるのですが、杉田議員を批判しているLGBT活動家やサヨクたちはそのことにあまりにも無頓着な気がします。
今度の騒動で明らかになったことは、LGBTが完全にサヨクの社会運動になっているということです。
杉田議員の記事が新潮45に発表された途端、待ってましたとばかりサヨク陣営からいっせいに攻撃が開始され、あっという間にデモの開催を発表して、数千人の動員をかけるそのやり方は、これまで反原発、反戦争法、反アベなどのデモで見慣れた光景です。

私はサヨクがLGBTにすり寄ってLGBTを政治運動化したのは、サヨクが追い詰められている証拠だと思っています。

安倍自民一強政権が続く中、安倍さんを政権から引きずり降ろすために利用できるものは何でも利用するといった感じで見苦しく足掻いている野党やサヨク陣営は、

モリカケ問題など安倍追及の手段が行き詰りを見せる中、今度はLGBTを利用して安倍自民を攻撃しようと目論んでいるみたいですが、

以前、北朝鮮による日本人拉致事件が発覚して、急速に支持を失った社会党が社民党と党名を変えて、溺れる者は藁をも掴むといった感じでLGBT活動家と組んでLGBTフレンドリーな政党であると宣伝した結果、

政党として再浮揚するどころか活動家と一緒にずぶずぶと沈んでいき、政党要件も満たせないほど議席を減らしてしまったことを思い出します。

現在、LGBT活動家は立憲民主党と組んでいるようですが、立憲民主は野党第一党といっても支持率は8パーセントくらいで、

LGBT活動家という疫病神を抱え込んだことで、社民と同様、これから衰退の一途を辿るでしょう。

今回の騒動のお陰で、LGBT活動家や彼らと組んだサヨク陣営がLGBTを政治利用しようとしていることが明らかになり、

これにより、一般当事者はますますLGBT活動家や団体から距離を置くようになるだろうし、一般国民もLGBTがどうのこうのと騒いでいる連中が、反アベで騒いでいるのと同じ連中であることに気づき始めるでしょう。

その結果、日本のLGBT運動は当事者を含む一般国民の支持を失って衰退していくでしょうが、このような運動は、一般の支持を失うと過激化することが多く、

杉田議員の元にはすでにゲイを名乗る男から「お前を殺す」という脅迫状が舞い込んでいるそうです。

日頃、人権、人権とうるさいサヨクたちがこの脅迫主を非難するどころか、自分たちの運動を批判する人間は攻撃されて当然、という態度でいるのが彼らの正体をよく現しているような気がします。

自民党はLGBT活動家に利権という名の餌を与えてはならない

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ネットのLGBT関連記事といえば、ハフィントンポストやバズフィードのLGBTマンセーの糞記事しか思いつかない方もいるかもしれませんが、鋭い切り口でLGBT問題に迫っているライターがいます。
示現舎という主として同和問題を扱うサイトに寄稿している三品純氏というライターです。
LGBT当事者ではない彼がなぜLGBTに関心を持つようになったのか。多分、同和問題とLGBT問題の類似性あるいは関連性に気づいたからではないかと思います。
たとえば『保守派からのLGBT施策が持つ意味と課題』の前編&後編は、平成30年6月13日に一般社団法人LGBT理解増進会(繁内幸治代表理事)が主催して開かれた「LGBT理解増進記念講演会と説明会」を取材した記事です。
このフォーラムは、スピーカーに宮川典子、古谷圭司、稲田明美など自民党議員が顔を並べていることから分かるように、自民党のLGBTに対する取り組みをアピールする目的で開かれたものです。

三品氏が注目したのは、このフォーラムのスピーカーの一人を務めた保守系同和団体である自由同和会中央本部の平河秀樹事務局長の「同和がたどった歴史をLGBTが繰り返してはいけない」という発言です。
「寛容と忍耐、これがなかったために部落解放は達成されなかった。(理由は)同和問題をタブーにしてしまったこと。あれも差別、これも差別、差別をあげつらい差別的な言動があればすぐに糾弾する。いつの間にか同和問題が遠ざかったということだ。差別した相手にも人権があるが、それをないがしろにして追い込んでしまう。それを繰り返してきた。確かに差別されると怒るのは簡単だが、本当の意味での理解は得られないと思っている。人間全て完璧ではない。それを考えれば同和団体が人間失格みたいな抗議活動はやめるべきだという認識に至り、昭和61年に新しい団体を作った」
平河氏はこのように語って、LGBTが第二の同和になる怖れがあると警告したのですが、実際、同和団体はかなり早い段階からLGBT団体に接近していて、被差別利権獲得のノウハウをLGBT団体に伝授している可能性があります。
2015年に兵庫県宝塚市議会でLGBTの支援施策を検討している際に、ある自民党市議が「宝塚に同性愛者が集まり、HIV(エイズウイルス)感染の中心になったらどうするのか」と発言して問題になったことがあります。
この発言にたいしては当然、LGBT団体が非難の声を上げたそうですが、LGBT団体以外に地元の同和団体が強硬に抗議し、この議員を糾弾する動きを見せたそうです。
これは同和団体が部落民とLGBTを同一視している証拠でしょう。
実は、このとき仲裁に乗り出したのが、今回のフォーラムを主催した一般社団法人LGBT理解増進会代表の繁内幸治氏なんだそうです。
この繁内氏は地元神戸でHIVの予防啓蒙を目的としたNPOを運営していたそうですが、現在はLGBTを支援するNPOを運営しているといいます。
HIV予防啓蒙は一時期、ゲイリブのシノギになっていて、厚労省からの助成金目当てにHIV関連のNPOが日本各地に雨後の筍のように現れたのですが、
最近はエイズ問題が一段落したせいか、その種の団体への助成金が減らされる傾向にあるそうで、
それで繁内氏は自分の運営するNPOの看板をHIVからLGBTに変えたのでしょう。
そして彼は前記の不適切発言を行った自民党の市議に近づき、その自民党市議を改心させ、彼の伝手で自民党の政調会長だった稲田朋美政調会長と会い、
当時、自民党独自のLGBTに対する取り組みを行う必要性を感じていた古谷圭司議員に紹介され、古谷議員たちが立ち上げた自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」のアドバイザーに就任するのです。
この経緯をみれば、繁内氏がかなりのやり手であることが分かりますが、結局のところ、彼も利権狙いのLGBT活動家の一人ではないかと私は疑っています。
彼は、Letibee Lifeというゲイ情報サイトの対談で、自民党が提案しているLGBT理解増進法は罰則がないと批判する人がいるけど、この法案が通過すれば全国の公立学校でLGBT教育が義務化されることになると断言しています。

つまりゲイ活動家にとって大きな利権になるといっているのです。
実際、最近、活動家の間ではこの自民党の理解増進案にすり寄る動きが見られます。
野党が提案しているLGBT差別禁止法案や差別解消法案は通りっこないし、もっと現実的になって自民党案を利用すべきだと考える活動家が増えているようなのです。
ある活動家は「自民党案でも法案さえ通ればこっちのものだ。あとはなんとでもできる」と豪語しています。
上記のフォーラムの司会をしたのは、元民主党議員の松浦大吾で、前回2017年の衆院選挙では希望の党から出馬したものの落選。
落選後、ゲイであることを表明して選挙戦を戦いたかったのに党が許してくれなかったと泣き言をいったアホな男です。
ゲイであることを売り物にするのは、ほかに何の取り柄ないもないこと告白するのと同じことで(そもそもゲイであること自体になんらかの取り柄があるとも思えませんが)、
本人はLGBTブームに便乗してゲイと名乗ることで注目されたかったのかもしれませんが、
過去、尾辻かな子を始めゲイやレスビアンを前面に押し出して選挙戦を戦った候補者たちが同性愛者の有権者の支持を得られずに悉く落選したことを知らなかったのでしょうか。
こんなカスみたいな落ちこぼれホモがすでにして自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」にすり寄ってきていることに自民党の先生方は警戒すべきだと思いますね。
三品純氏によると、これまで同和事業に投じられた税金は16兆円。その結果、金にまつわる数々の不祥事が発生したそうですが、
同和不祥事の根源を辿れば同和対策事業特別措置法に行き着き、この法律を制定したのほかでもない自民党だといいます。
「声が大きい勢力」は金や制度で黙らせるという自民党的な体質が金にまつわる不祥事を起こした元凶で、もともと自民党が何もしなければ起きなかったというのです。
そしてLGBTについても自民党が法律を作り、左派がそれに相乗りするのではないかと三品氏は危惧しています。
実際、前述したようにそのような動きはすでに現れています。
自民党のLGBTに関する法律というのは、前記のLGBT理解増進案のことで、一般当事者はこのような法律の制定を望んでいず、望んでいるのはその大半がサヨク運動家を兼ねているLGBT活動家です。

この自民党のLGBT理解増進法が成立し、LGBT活動家が利権を得られるようになれば、彼らは生き延び、その利権を守るために同和団体化するのは間違いありません。

そしてこのような法律を望んでいない一般当事者は、同和部落民に続く被差別民として扱われるようになるのです。

あと公立小中高校におけるLGBT教育は絶対に認めてはなりません。

もし公立学校でLGBT教育が認められたら講師になるのは、LGBT活動家でしょうが、これら活動家の本質はフェミニストです。

フェミニストたちの悲願は、男女の性差の解消で、かってジェンフリ教育の名の下に男女混合名簿、男女混合生着替え、男女混合騎馬合戦のような馬鹿々々しいことを繰り返し、過激な性教育を行って総スカンを喰らい、

バックラッシュという名の保守派の反撃に遭って潰されていったのですが、もし公立学校でのLGBT教育を認めたら、フェミニスト=LGBT活動家がこのジェンフリ教育を再開することになるのは目に見えています。

結論として、私は自民党がLGBT理解増進法を制定することに反対です。

自民党は平成28年5月4日にすでに「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」を発表しています。

この中で自民党は、カムアウトできる社会ではなくカムアウトする必要のない社会の実現を目指すといっています。

しかし日本ではこのような社会がすでに実現しています。大多数のLGB当事者はカミングアウトする必要を感じることなく、幸せに暮らしています。

そのためLGB当事者にはいかなる施策も必要ありません。
必要があるとしたらホルモン療法の保険適用化などの問題を抱えているGID(性同一性障害)を含む一部のTだけです。

自民党の先生にはサヨクに媚びを売ることだけは止めて頂きたいです。


私を批判するtogetterへの反論

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兵頭サンという人がtogetterで私を批判をしているので反論させて頂きます。
彼のいうことには嘘がかなり混じってます。
まず彼は私から突然ブロックされたと主張していますが、何度も何度もしつこくクソリプを私に送りつけてきたので、ウンザリしてブロックしたのです。
私は彼に「これ以上、あなたの相手をする気がないので、もうリプしないでください」とTWしたのですが、それに対してすぐにまたクソリプを送ってきたのです!
それでブロックしたら逆恨みしてtogetterで攻撃してきたわけで、ストーカーとしか思えません。

彼は私が日本のホモはすべて幸せだと主張しているといってますが、私はそんなことはいっていません。
LGBT界隈に「セクマイは日本社会で生きづらい」と主張する連中がいることは知っていますが、その「生きづらさ」は親子関係など個人的な事情に起因しているのではないかといっているのです。
もし日本社会がセクマイにとって生きづらいのであれば、日本に住んでいるセクマイ全員が生きづらさを感じなければならない筈ですが、生きづらさを感じずに楽しく生きているホモは沢山います。
生きづらいという連中は個人の問題を社会に転嫁しているのです。
こういう連中はホモに生まれなくとも日本社会は生きづらいと言い出すに決まっています。
あとこの人はなぜかこれまでも当時者から様々な異議を唱えられてきた宝塚大学の日高グループのインチキアンケート調査の結果を信用しているみたいですが、
過去、セクマイの自殺率が高いと主張するLGBT活動家に対して「それを証明する客観的で検証可能なデータはありますか」と何度も何度も訊きましたが、一度も返事を受け取ったことはありません。
「これまで同性愛者として生きてきて具体的に差別されたことがあるという設問に「はい」と答えたのはゼロだったというのは、京大大学院でGay Studiesを専攻している院生が行ったアンケート結果ですが、
日高グループのそれと大きく異なるのは、前者が一般のゲイ、後者がいわゆるリブ釜を対象にしたからでしょう。
もっとも「差別がある」と主張するリブ釜に対しても、「これまで同性愛者として生きてきて具体的に差別されたことが本当にあるの?」と訊くと答えられないケースが多いのですが。
いずれにせよ。「生きづらい。差別されている」と主張するのであれば、そう主張する側がその証拠を提示すべきです。
これまでみるところLGBT活動家が差別の事例として挙げるものは殆どTのトランスセクシュアルに集中しています。
Gのゲイについては、「会社で同僚が女の話をするのを聞いているのが辛い」
とかどうでもよいことばかりです。
日本でLGBT運動やLGBT運動家が一般当事者から支持されていない傍証として選挙結果を挙げることができます。
2007年にレスビアンの尾辻かな子は、「同性パートナーシップの制定を公約に挙げて参院選に出馬しましたが、当事者からの支持をまったく得られずに惨敗しました。
2015年末の衆院選では活動家の石川大我が「セクマイが生きやすい社会を作る」をスローガンに掲げて比例東京ブロックに出馬したものの、セクマイ当事者の支持を得られずに落選しています。
あと渋谷区などの自治体が発行している「同性パートナーシップ証明書」の申請がきわめて低調で申請者数が少ないことも、間接的に日本におけるLGBT運動の人気の無さを示していると思います。
私はこの兵頭サンみたいな「日本ではホモは不幸でなければならないと固く信じているらしい人間のいることが理解できません。
先日もあるゲイの青年が「ボクはゲイだけど日本で幸せに暮らしています」とツイートしたらLGBT界隈からいっせいに攻撃され、ツイートを削除する羽目に追いやられたという騒動がありましたが、
日本に幸せに暮らしているホモがいれば、それほど都合が悪いのでしょうか。
私はこういう連中こそ日本のセクマイを不幸にする元凶だと思いますけどね。

一橋ロースクール学生転落死事件-私はこう見る

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『新潮45』9月号に掲載された筑波大学准教授、星野豊氏の『一橋大学院生「同性愛自殺」裁判をどう見るか』という記事を読みました。

星野豊准教授は、信託を中心とする金融分野のほか、学校トラブル、個人情報保護などの法律関係を研究されているそうですが、

この事件を「性的少数者の人権問題」として扱うことには無理があるのではないかとの感想を述べておられています。

ここで一橋ロースクール事件の経緯を簡単に振り返ってみましょう。

平成27年に一橋ロースクール在学中のホモの学生Aは、クラスメートであるノンケ学生のZにたいして好意を持ち、「恋人として付き合って欲しい」と告白します。

AはZがノンケであることを知っていたにも関わらず、このような非常識な告白をおこなったのです。

通常、ホモはノンケにたいして愛の告白など行いません。

そのような申し出が相手に受け入れられる可能性は低いし、告白をきっかけに相手との人間関係がぎくしゃくしてしまうことが多いからです。

それではなぜAはノンケ相手にこんな図々しい告白を行ったのでしょうか。

私はその背景に同性愛者を含む性的少数者は特別扱いされるべきだと主張するLGBT活動家の影響があったのではないかと想像します。

自分は同性愛者だから特別扱いされて当然、だから自分の告白も無下に断れない筈だ、という甘ったれた気持ちが根底にあって、だからこそ、こんな厚かましい告白ができたのではないでしょうか。

このAの告白を聞いて、告白された学生Dは、「お前と恋人になるのは無理だけど、これからも友人として付き合おう」と答えたといいます。

ホモから告白されたノンケの返答としては、きわめて模範的ですが、その後の展開を考えると、

「え~ッ、お前、ホモなの? 悪いけど俺、ホモって生理的に受け付けないんだよね。今後は半径10メートル以内に近づかないでくれる」

くらいのことをいってやった方がAのためになっただろうと思うのですが、Zもロースクールで学ぶ学生だからそんなあからさまなホンネがいえる筈もなく、

「このままの友達で行こう」とポリコレ的な返答をしてしまったのではないでしょうか。

ところがAはZがAを傷つけないように気を遣っていった「このまま友達として付き合おう」という言葉を「Zは自分を嫌っていない」と自分に都合よく解釈して、

Zにプレゼントを贈ったり、Zが知りたがっていた情報を頼みもしないのにインターネットで検索して教えたり、2人だけでいるときには身体を接触してきたりして、まるで恋人同士であるかのように振舞うようになったといいます。

このようなAの振舞いがZにとってどれだけ不愉快なことだったが、Zを女子学生に置き換えて考えてみたらよく理解できるでしょう。

クラスメートのキモい男が「君が好きだ。ボクと付き合って欲しい」と告白してきたので、

「なんでアタシがアンタみたいなタコと付き合わなきゃなんないの?冗談もいい加減にして欲しいわ」

といいたいところを我慢して、

「悪いけどあなたとは恋人にはなれないわ。これまでどおり、クラスメートでいましょう」
と答えたら、なにを勘違いしたのか、急にベタベタしてきて、恋人然として振舞ってきたわけで、
これはどうみても立派なセクハラ&ストーカー行為でしょう。
ZがAの度重なるストーカー行為に耐えられなくなって、Aもメンバーであるライン仲間にAがゲイであることを暴露したのは、
自分が抱えてる「ゲイの友人にしつこく絡まれている」という状況を仲間たちにも理解して欲しいといういう気持ちがあったからでしょう。
本来ならば、AはZがこのような行為に出たのをみて、自分の身勝手な行動がZをここまで追い詰めてしまったのかと反省し、Zに謝罪すべきだったと思うのですが、
Aはそうせずに、「Zの行ったことは憲法上の同性愛者の人権にかかわる問題だ」 とピント外れなことを言い出したのです。
日本国憲法ではすべての国民の基本的人権は保障されているものの、特に同性愛者の人権については言及されていないし、愛を告白されたら、告白された側に守秘義務が生じるという話を聞いたこともありません。

ロースクールの学生にしては、随分とお粗末な法律に関する知識ですが、いきなり人権云々を口走るところを見ると、被害妄想だけは強かったようです。

その後、Aは強い精神的な不安状態に陥り、医師から抗不安薬の処方を受けたり、ロースクールの担当教授にロースクールを辞めたいなどといったり、大學の設置するハラスメント相談室に行って相談したり忙しく動きまわりますが、

夏休み明けの8月下旬に大学の建物から転落死してしまうのです。

Aの遺族である原告は、被告ZがAがホモであうことをアウティングしたせいでAを死に追いやったと主張したそうですが、

そもそもZにゲイであることを告白したのはA自身であって、AがZにカミングアウトをしなければ、このような事件は起きなかった筈で、アウティングされたくないのなら、最初から黙っていれば済んだ話です。

Aの妹は「生前、兄が被告学生を訴えたいと言っていたので、本人の無念を晴らすために提訴した」と語ったそうですが、

度重なるAのセクハラ&ストーカー行為に耐えかねてラインの仲間に助けを求めたZの気持ちに配慮することなく、

一方的に自分をアウティングの犠牲者に仕立て上げて、Zを逆恨みしたAの身勝手かつ精神的な未熟さがよく現われている話です。

そもそもホモとして生きている限り、ホモバレすることはよくあることで、それでいちいち死んでいたら切りがありません。

Aの家族によると、Aは生前、家族に同性愛者であることをカミングアウトしていて、「Aは同性愛者であることを苦にしていなかった」そうですが、

もしそれが本当であれば、たかがホモバレしたくらいでパニックに陥って、ビルから転落死するようなことにはならなかったでしょう。

Aは今回の件に関しては、家族に「親しい友人にひどいことをされた」というだけで、詳しいことは話さなかったといいます。

家族に心配をかけたくなかったのかも知れませんが、大学のハラスメント相談室まで相談しに行く暇があったのであれば、カミングアウト済みの家族に相談した方がより現実的なアドバイスが得られたのはないのではないでしょうか。

そもそもAが家族にカミングアウトしていたという証言は家族からしか得られておらず、信ぴょう性にかけます。

私は、Aが家族にカミングアウトしていたかどうかに関わらず、Aは家族(特に父親)との関係がうまくいっていなかったのではないかという気がします。

Aのような被害妄想の強いホモはゲイリブ界隈によく見かけられますが、話をよく聞くと、親子関係に問題を抱えているケースが多いのです。

Zと遺族との間では、今年1月に和解が成立し、裁判の争点は、大学側の対応が適切であったかどうかに移っているそうですが、

この点に関しては専門家である星野豊氏が記事の中で論評されているので、そちらを見ていただくとして、

私はこの事件で最も批判されるべきは、若いゲイにたいしてLGBTは弱者で被差別者であるから、特別扱いを要求して当然であると洗脳しているLGBT活動家であると思います。

もっとも若くても大抵のゲイは、こんなLGBT活動家に洗脳にされるほど愚かではないのですが、Aのような精神的に幼稚なゲイはそれを真に受けて行動に移してしまうのです。

またカミングアウトには様々なリスクがつきものなのに、そのようなリスクについて一切、触れることなく、カミングアウトを煽った活動家の罪も深いと思います。

いずれにせよ、この事件のお陰でホモは簡単にノンケにたいしてカミングアウトできなくなったし、ノンケの方も下手にカミングアウトされて、

その事実を第三者に漏らしたら、アウティング行為を犯したとして訴えられる恐れが出てきたわけで、ホモには関わらない方がよいと考えるようになったに違いません。

結局、この事件は、同性愛者含む性的少数者への社会の理解を深めるというLGBTが掲げる目標の実現にマイナスの影響しか与えなかったわけで、この程度のことでいちいち裁判を起こした遺族と弁護士のセンスを疑いますね。



ロバート・キャンベル氏のブログへの反論

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杉田水脈議員の「生産性」に関する論争について、日本文学者のロバート・キャンベル氏が意見を述べているブログの記事「ここにいるよといえない社会」を読みました。

キャンベル氏はまずある衆議院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と言うのを聞いて笑ってしまった、と書いています。

この人、本当に日本文学の研究者なのでしょうか?

LGBTという言葉もそうだけど、「性的指向」とか「性自認」という言葉は、最近になって活動家がアメリカから直輸入した言葉で日本社会には浸透していません。

日本人は昔から男色や女色を趣味あるいは性癖としてみなしてきましたが、それでまったく問題は生じませんでした。
日本では男色が趣味であってもアメリカやイギリスなどの欧米キリスト教圏みたいに宗教的な理由から罪に問われることはなかったし、男同士でセックスしたからといっても迫害、弾圧されることはなかったからです。
日本で同性愛行為がタブー視されるようになったのは、明治以降、来日したキャンベルさんのご先祖様であるアメリカ人宣教師が「同性愛は罪である」と吹聴し回ったからです。



現在、キャンベルさんは「同性愛は罪ではない」とご先祖様とは真逆のことを日本人に説教してますが、言ってることは正反対でも、

我々アメリカ人は、文明が遅れた日本人に文明を教えてやる義務があると上から目線で日本人に接している点では変わりません。

日本文学を研究している学者でも、ここまで白人中心主義にかぶれているわけで、アメリカの白人を初めとする欧米白人種の白人至上主義の根深さには驚かされます。


「ここにいるよ」と言えない社会

キャンベルさんは、日本は同性愛者が「ここにいるよ」といえない社会、つまりカミングアウトできない社会であると批判しています。

しかし日本人も含めて世界中どこでも性に関する事柄は秘め事であって、究極のプライバシーである性癖をみだりに他人に漏らす習慣はありません。

唯一、アメリカとイギリスだけが同性愛行為を禁止して厳しく弾圧したビクトリア朝時代の極端に禁欲的な性道徳の反動もあって、カミングアウトが奨励されているようですが、

英米でもすべての同性愛者がカミングアウトしているわけではないことはキャンベルさんもご存じの筈です。

日本で大多数の同性愛者が親しい友人や家族にはカミングアウトしても、職場の同僚にはカミングアウトしないのは、仕事とセクシュアリティーは無関係だと考えているからで、

自分が同性愛者であることがバレるのを恐れて口をつぐんでいるわけではなく、実際、なんかの拍子で職場でホモバレしたとしても、

日本企業では仕事さえ真面目にやっていれば、同性愛者であることが社内で不利に働くことがないことは、多くの当事者が経験しているところです。

同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて、反論する気持ちも起きません。
キャンベルさんは、杉田水脈議員の新潮45の記事を読まれたのでしょうか。杉田議員は、同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないなどとはいっていません。

杉田議員は、同性カップルは異性カップルと較べて子供を作らないので、生殖面では生産性がない。同性カップルに支援する金があれば、不妊治療を受けている異性カップルに支援した方が良いといっただけです。

この彼女の意見については多くの同性愛者当事者も賛成しているのですが、日頃から彼女の慰安婦問題等に関する保守的な立場を苦々しく思っている連中が、

「性的少数者全体が生産性がないから支援する必要はない」といったと意図的にその発言を曲解して攻撃しているわけで、

キャンベルさんがそのように歪められた発言を検証もせずに、そのまま鵜呑みにしているのは理解できません。少なくとも学者を自称するのであれば、その発言が事実かどうか確認すべきでしょう。

確認するのはそんな難しくありません。新潮45の彼女の記事を読めばよいのですから。

それにしてもキャンベルさんのブログの日本における性的少数者に関する記述は日本の活動家が日頃、吹聴している嘘八百をオウム返しに繰り返しているだけのようにしかみえません。

「男(女)の子らしくないぞ」と教室でいじめられ、社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗し、いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。
>社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗する?

そんな話、聞いたことないけど。

そもそも会社の就職の面接試験で面接官は就職希望の学生のセクシュアリティーを訊いたりしません。そんなことをしたらそれこそセクハラになってしまうでしょう。

>いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。

一緒に部屋を借りて住んだり、ローンを組んで家を建てて一緒に暮らしている同性カップルはこの国にはごまんといます。キャンベルさんご自身もパートナーとご一緒に暮らしておられるのではないですか?

その先、倒れても杖となるべきパートナーを病室に呼べず、彼(彼女)の健康保険に入ることが叶わず、老いては介護管理に関わらせることすらできません。先立たれれば相続はおろか、血縁者の反対にあえば葬儀にも出させてもらえません。
これも活動家の言葉を検証もせずにオウム返しに繰り返しているだけです。

まず病院の面会ですが、家族でなくても友人でもできます。また家族でなくても手術の同意書にサインできるし、保証人にもなれます。

相続の問題については、現行の養子縁組制度でクリアできます。

家族でないと病院で面会が認められないというデマを広めたのは、日本で初めて同性パートナー証明書なるものを発行した渋谷区の長谷部区長とその一味ですが、そのお陰で、渋谷区内の病院や医院は大きな迷惑を被ったといいます。

これまでどの病院でも同性愛者差別なんてしていなかったのに、病院ではパートナーは面会できないという渋谷区長の嘘を信じて、

受診にやってきた患者が渋谷区発行の同性パートナー証明書を提示するので、病院側は困惑し、保険証だけ持参してくださればちゃんと診察しますといちいち説明しなければならなかったのだそうです。

本当にアホな話です。

私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです。 しかし同時に、国レベルでのLGBT差別解消法もパートナーシップ法も、ましてや同性婚もまかりならぬ日本では誰もがそうなるのか、というと、ふたたび「もしも」の点呼が始まります。もしも病院が違い、日本人同士であったり、患者に若干の知名度がなかった場合、どうなったのだろうかと考えずにはいられません。もしも私が先に逝ったら、残された伴侶に不自由を掛けずにおけるのでしょうか。
キャンベルさん自身は、病気で入院したときに性指向のために不自由を感じることはまったくなかったそうですが、

彼は自分が優遇されたのは、外国人で、テレビに出ている有名人だからであって、もしこれが普通の日本人であったら、そうはいかないのではないかといってます。

こういう物言いにこの人の日本人にたいする人種差別的な偏見や選民意識が垣間見えて興味深いのですが、

これはどのような患者であっても分け隔てなく日夜、献身的に治療にあたっている日本の医療関係者にたいする侮辱だと思いますね。

キャンベルさんの故国のアメリカでは、金がないと医者に診てもらえず、入院しても入院費が払えないと治療途中でも病院を追い出されると聞いたことがありますが、

日本は国民皆保険のお陰で、誰でも低料金で一流の病院で診察を受け、最先端の治療を受けることができます。

キャンベルさんと違って無名のおかまである私も過去に入院したときに、医師や看護師からいたれりつくせりの治療や介護を受け、

それにも関わらず、国民健康保険のお陰で病院への支払いがびっくりするほど安かったことを覚えています。

日本の医療業界は、金持ちであるか、ビンボー人であるかによって患者を差別することはないし、ましてやセクシュアリティーで差別するなんてあり得ません。

アメリカと一緒にするな!といいたいですね。

LGBTの青年に自傷行為も自殺も発生率が高いのは、「自分たちの親が理解してくれない」ためで、「そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会」だと主張するのはあまりにも浅はかではないでしょうか。
このLGBTの青年の自殺率が高いというのも活動家がよく口にする言葉ですが、私はこれまで活動家が日本の同性愛者の自殺率が高いことを証明する信頼できる検証可能な客観的データを示すのをみたことが一度もありませんし、

どのようなデータを根拠にそういっているのかと訊いても返答があった試しがありません。
LGBTのTであるトランスジェンダーに自殺する人間が多いという話を聞いたことはあります。
男性から女性に性転換するときに睾丸を除去するのでホルモンのバランスが崩れて極端に鬱になり自殺を図る人間が多いというのです。
しかしLGBに関しては、そのような手術を受けることはないし、アメリカのような同性愛者差別が激しい国と違って、日本のLGBの自殺率がそれほど高いと思えません。
いずれにせよ、こういう問題でLGBTと一括りにするのはあまりに乱暴で、調査をするのであれば、L、G、B、Tを分けて別々に調査すべきで、
特にTのトランスジェンダーに関してはその特殊性に鑑み、別途に研究を行うべきで、そうしないと有効な対策など出てこないでしょう。
キャンベルさんも学者であれば、きちんとしたデータに基づいて発言すべきで、どのようなデータ(アメリカではなく日本のデータ)に基づいて「LGBTの青年に自傷行為も自殺も発生率が高い」と発言しているのかはっきりすべきだと思いますね。

>しかし同時に、国レベルでのLGBT差別解消法もパートナーシップ法も、ましてや同性婚もまかりならぬ日本では誰もがそうなるのか、というと、ふたたび「もしも」の点呼が始まります。

この方は、日本の同性愛者の圧倒的大多数がLGBT差別解消法も同性パートナーシップ法にも同性婚にも関心を抱いていないという事実を知らないのでしょうか。
地方自治体で初めて同性パートナーシップ条例を制定して同性パートナーシップ証明書を発行した東京都渋谷区では、発行開始から3年も経つのに証明書を申請したカップルはたったの20数組しかいないそうです。
渋谷区の人口は約20万人、その5パーセントが同性愛者であると想定すると、渋谷区の同性愛者数は約一万人、潜在的には5000組の同性カップルが存在する計算になりますが、それが僅か20数組しか申請していないのです。
渋谷区以外でもいくつかの自治体が同様の証明書を発行していますが、どこの自治体も申請は低調です。
レズの聖地ともいうべき宝塚市でさえ、条例を制定して3年も経つのに申請者がゼロなのです!
日本の同性愛者の間では、同性パートナーシップだけでなく、同性婚に対する関心も非常に低いです。
少子高齢化で利用者の減少に悩むブライダル産業が必死で同性結婚式を誘致しているにも関わらず、実際にこれらの式場を利用して同性結婚式を挙げる同性カップルは少数です。
また過去に売名目的でマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げたレスビアン・カップルは、例外なく短期間で別れています。
代表的な例は、2007年にレスビアンを前面に押し出して参院選に出馬した尾辻かな子で、
選挙期間中に選挙キャンペーンの一環としてマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げたものの、落選した途端、離婚しています。
2015年にマスコミを呼んでディズニーランドで派手な同性結婚式を挙げ、渋谷区の同性パートナーシップ証明書の申請第一組として脚光を浴びた東小雪と増原裕子のレズカップルも三年ほどで破局しています。
そのほか売名目的でレスビアンであることをカミングアウトし、マスコミを呼んで同性結婚式を挙げた三流タレントたちも全員、例外なく別れています。
2015年に青山の有名結婚式場で派手な同性結婚式を挙げた実業家と学生のゲイカップルもわずか半年で別れ、学生の方はからかわれるのが嫌で、二丁目に顔を出さずに引きこもり、一時期、自殺説が流れたそうです。
もちろん、長続きしている同性カップルもいます。しかしそういうカップルは身内だけで結婚式を挙げて、自分たちが結婚式を挙げたことを周囲に宣伝したりしません。
そんなことをしたらLGBT活動家が寄ってきて彼らの運動に利用されることがわかっているからです。
またこのような長期的な関係を維持しているカップルの多くは、養子縁組を結んでいます。
いつ実現するかわからない同性婚よりも、すでに存在していて比較的容易に利用できる養子縁組制度を利用するのは現実的な選択ですし、
LGBT活動家が同性婚ができないことにより生じると主張する不利や不便はすべてこの養子縁組でクリアできるのです。
しかし不思議なことにLGBT活動家たちは、この養子縁組制度に非常に冷淡で、養子縁組をしているカップルを偽物の夫婦などといって非難しています。
なぜLGBT活動家たちが養子縁組制度を敵視するのか?それは養子縁組制度が現行の家族制度にすっぽり収まってしまうからです。
LGBT活動家の本質はフェミニストで、彼女たちが同性婚の法制化を推進する真の目的は、日本の家族制度と戸籍制度を破壊することで、フェミたちはそのために同性愛者を利用しているだけなのです。
最近では、LGBT団体や在日外国人団体が、長年一緒に暮らした日本人の同性パートナーがいることを根拠に不法滞在の外国人に滞在許可を与えるように主張し始めていますが、
将来、日本で同性婚の法制化が実現することになっても、利用するのは滞在許可狙いの外国人ばかりということになりかねません。
さて今回のロバート・キャンベルさんがゲイであることをカミングアウトしたことそれ自体は、私はまったく驚きませんでした。
テレビでそのお姿を一目みたとき、オネエ丸出しの仕草、歩くカミングアウトともいうべき物腰の柔らかさからお仲間であることがすぐにわかったからです。
だから今回カミングアウトしたと聞いて、まだカミングアウトしていなかったのかと驚いたくらいです。

そもそもドナルド・キーンやエドワード・サイデンスデッカーなどアメリカの日本文学研究家はホモばかりです。

それで日本文学研究家を名乗るキャンベルさんもその伝統を継いでいるのだと思ったのですが、なぜアメリカ人の日本文学研究家にホモばかり揃っているのか、その理由はよくわかりません。

考えられる理由としては、同性愛者差別が激しいアメリカを逃れる方便として日本文学を研究して同性愛者差別の少ない日本にやってきたことが挙げられます。

アメリカでは、同性愛者というだけで襲われて殺されてしまうような同性愛者にたいするヘイトクライムが頻繁に起こっていますが、日本ではそのような事件は起こらないからです。

そのため、アメリカ人の同性愛者がホモにとって安全な日本に住みたがる気持ちは分からないでもありません。

さらに日本にはハゲのオッサンでも白人でさえあればチヤホヤしてくれる外専と呼ばれるホモの種族がいることも挙げられます。

いずれにせよ、D・キーンもE・サイデンステッカーもロバートさんも長く日本で生活している(していた)のは、それだけ日本という国が同性愛者である彼らにとって居心地がよかったからでしょう。

それでもD・キーンもE・サイデンステッカーもロバートさんみたいにアメリカ人同性愛者にとって居心地の良い日本という国に住みながら、

日本の同性愛者にたいして日本人のゲイの意識は遅れているなどと説教はしませんでした。
日本はアメリカという若い国が建国される1000年も前から男色が栄えてきた国で、日本の男色文化は、野蛮なアメリカのゲイカルチャーなどと較べるとはるかに洗練されています。
D・キーンもE・サイデンステッカーも日本文学研究者としてそのことをよく知悉していたから、たかだか数十年前に生まれたアメリカのゲイカルチャーを見習えなどという暴論は吐かなかったのでしょう。
そういう意味では、このロバート・キャンベルさんという日本文学研究家はかなり特殊な存在で、日本文学研究家を辞めて日本でLGBT真理教の宣教師にでもなった方が向いているのではないかという気がします。

まあ東京の盛り場で煩いスピーカーを使って「あなた方は罪を犯している。悔い改めなさい」と説教していた宣教師(いまだにやってるかどうか知らないけど)と同様、完全に無視されるでしょうが。

アメリカで発生したLGBT真理教はキリスト教の一派で、キリスト教を受け入れる土台がない日本では、LGBTにたいしても誰も関心を持たないのです。

LGBTの終わりの始まり

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今回の杉田水脈議員の「生産性」発言にたいするパヨク陣営の常軌を逸した騒ぎようを見て、以前、同じものを目撃したという“既視感”のようなものを覚えました。
2010年に当時の東京都知事だった石原慎太郎が同性愛者について、
「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」

と語ったことを同性愛者に対する差別発言であると一部のゲイリブ活動家やサヨク活動家が騒いだのを思い出したのです。

私自身は、この石原慎太郎の発言を特別、差別的とは感じませんでした。

遺伝云々はともかくとして、ゲイパレードに参加している連中を見て「どこか足りない感じがする」というのは私も常々、感じていたことで、「さすが、小説家、鋭い感性をもってるな」と感心したものです。

いずれにせよ「マイノリティで気の毒ですよ」と同情してくれてるんだから、けっこうじゃないかと思ったわけです。

石原慎太郎が都知事として同性愛者を差別するような施策をとっていたというならともかく、そんな事実はないし、むしろ石原都政下の東京都はHIV/AIDS予防啓蒙のために随分と予算を割いています。

また小説家としても1996年上半期の芥川賞の選考委員として、三島由紀夫の恋人だった福島次郎の候補作『バスタオル』を強く推したと聞いています。

つまり石原慎太郎はそんな単純なホモフォビアではないということですが、彼に「ゲイの敵」のレッテルを貼って非難する連中は、実際に石原がホモフォビアであるかどうかはどうでもよく、

日頃から中韓に対して強硬な姿勢を示すタカ派の保守政治家、石原慎太郎を蛇蝎の如く嫌っていて、何とかして彼を潰したいと考えているので、

常に石原慎太郎の“失言”を待ち望んでいて、それが三国人発言であろうがなんであろうが、彼が“失言”をすると待ってましたとばかり、それを取り上げて彼を「差別主義者」と呼んで騒ぎ立てるのです。

三国人発言というのは、2000年に陸上自衛隊の式典で、石原都知事が現在の東京では、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返していると述べたことを、

反日朝鮮人活動家の「のりこえねっと」の辛淑玉たちが三国人という呼称は「在日にたいする差別ニダ!」と大騒ぎしてデモまでやった事件で、終戦後に在日朝鮮人たちが自分たちは準戦勝国の国民である三国人であると称して、

日本国民にたいして横暴の限りを尽くした過去の歴史をケロッと忘れたふりをして、戦後、あたかも在日が三国人と呼ばれて差別されたかのように主張するその鉄面皮ぶりに呆れたものです。

この三国人発言をきっかけに、パヨクたちは「石原やめろネットワーク」なるものを作って、石原叩きを始めるのですが、

特に2007年の石原が4選目を目指した都知事選における主としてネットを通した石原にたいする中傷誹謗、ネガキャンには凄まじいものがあり、

基本的にノンポリで選挙に興味がなかった私が義憤を感じて、数十年ぶりに投票場に足を運んで石原に一票を投じたくらいでした。

このときの選挙で、反石原陣営は前宮城県知事の浅野史郎を担ぎ出し、この浅野という男は、「自分が当選したら、辛淑玉を副知事にする」などと明言し、パヨクの喝采を浴びたのですが、

ゲイリブたちもこの浅野候補を応援して、彼を二丁目にまで連れ出して演説させ、「政治家が初めて二丁目にやってきた」とはしゃいでいました。

本来、政治的に中立であるべき飲み屋街に政治を持ち込むことの愚かさにまったく気が付いていないそのノー天気ぶりにはウンザリさせられましたが、

結局、選挙では、浅野は石原に大差をつけられて落選しました。

この2007年という年は、ゲイリブが政治づいた年で、この年、レスビアンであることを広言して民主党から参院選に出馬した尾辻かな子をゲイリブたちは気違いのように応援しました。

ところがこの年の参院選は民主党に風が吹いていたにも関わらず、いざ蓋を開けてみると、尾辻かな子は、同性愛者の有権者からまったく支持を得られず、ビリから数えた方が早いほどの票しか得られずに惨敗してしまったのです。

この2007年には、中野区の区議会選挙にも石坂わたるというゲイリブ活動家がわざわざゲイが多数住むことで知られる中野区を選んで出馬して、

ゲイであることを前面に押し出して選挙戦を戦ったのですが、やはり中野区在住の同性愛者の支持をまったく得られずに落選しました。

この2007年には、ゲイリブが応援した浅野史郎、尾辻かな子、石坂わたるの三人の候補者全員が落選したのですが、ゲイリブにとって特にショックだったのは、尾辻かな子と石坂わたるが落選したことでしょう。

この二人のようなゲイリブ活動家が一般当事者からまったく支持されていない事実が選挙結果によって白日の下に晒されてしまったのです。

そしてこの2007年の政治化路線の失敗がゲイリブ界の分裂を招くことになるのです。
ゲイリブ界隈ではゲイリブ運動の「政治運動化」は常に論争の的になり、分裂のきっかけになったきました。

ゲイリブ運動というのは、性的少数者の権利の獲得を目指す運動なのだから、政治運動化するのは当然ではないかといわれるかもしれませんが、日本の場合は政治運動化=サヨク運動化になるという特殊な事情が存在するのです。

日本のゲイリブ活動家は、サヨク活動家がゲイリブ活動家をやっているといってもおかしくないようなバリバリのサヨクと、左右関係なく利権のありそうなところにすり寄る無節操な日和見主義の活動家の2種類いて、

この両者はなにかにつけて対立していたのですが、2007年に前者のサヨク活動家が主導したゲイリブ運動のサヨク運動化がゲイリブが押した三人の候補者全員が落選することで完全な失敗に終わり、

当然のことながら後者の日和見主義者たちが異議を唱え、翌年のゲイパレードで主催者の間で内紛が起こり、結局、この年からゲイパレードは数年にわたって開催されず、ゲイリブ運動は冬の時代を迎えるのです。

2015年頃にゲイリブ運動は久しぶりにLGBT運動に名前を変えて復活します。

ゲイリブからLGBTに名前を変えたのは、前回の内紛で「ゲイリブ」という呼称のイメージが悪くなったからだと思いますが、

このときのLGBTごり押しは、大手宣伝広告会社の電通が仕掛けたもので、「LGBTにはクリエイティブな人間が多い」とか、

「LGBTは高所得者が多いので可処分所得が大きい」とかもっぱらLGBTが持つ潜在的な消費パワーを喧伝し、日本のLGBT市場は年間5.9兆円とぶち上げてみせたのですが、結局、このゴリ押しも不発に終わりました。

なぜ不発に終わったかというと、まず日本にはLGBT市場なるものが存在しなかったことにあります。

同性愛者差別が激しくて同性愛者がゲイコミュニティーというゲットーに固まって住んでいるアメリカではLGBT市場なるものが存在するかもしれませんが、

同性愛者差別が少ない日本では、同性愛者は異性愛者と混住していて、その消費行動も一般の異性愛者のそれと大して変わらないのです。

またことさらLGBT向けを謳った商品やサービスは、それらの商品を購入したり、利用することがカミングアウトにつながる可能性があり、カミングアウトを嫌う日本の同性愛者からはむしろ忌避されるという事情もありました。

さらに「高所得者のエリートゲイ」を自称してメディアに登場してきたホモが、外資系の金融会社に勤める不細工な男ばかりで、

なによりも容姿を尊ぶ日本のホモの世界では「これがエリートゲイなの?w」と嘲笑しか買わなかったこともあります。
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一般ゲイの嘲笑を浴びたポルノ写真家、レスリー・キーが撮った「エリートゲイ」の集合写真

というような状態で結局、ゲイリブからLGBTへと名前を変えて出てきたゲイリブ運動も元の反差別の運動に戻ってしまったのです。

反差別に関しては、早い時期から同和団体がLGBT団体に接近して、アイヌに続くLGBTの被差別民化を企んでいました。

これに協力したのが各自治体の男女共同参画センターや人権啓発センターなどの人権部署で、これらの部署は主としてこれまで同和や在日に関係する人権事業に金をばら撒いてきたのが、

ばら撒きすぎて、ばら撒き先がなくなり、予算を消化できなくて困っていたといいます。

予算が消化できなければ翌年分の予算からその未消化分は必要なかったとして減額されるわけで、そのため予算の未消化は組織の存続にかかわる重大問題で、

そこで彼らが次の人権のメシの種として目を付けたのがLGBTだったというのです。

これら人権部署は、予算を消化するためにLGBT活動家と組んで、彼らを講師に招いてLGBT人権セミナーを開くようになるのですが、問題はこれらの活動が一般当事者の意向を完全に無視して行われたことです。

その典型的な例がLGBTトイレです。

自治労の強い自治体の施設や日教組の強い公立学校で、活動家とそれと組んだトイレメーカーに唆されてLGBT専用を謳ったLGBTトイレなるものが次から次へと設置されたのですが、これが一般当事者の猛反発を買ったのです。

なぜ猛反発を買ったかというと、トイレで問題を抱えていたのは、Tのトランスジェンダーの一部だけで、LGBについてはトイレの問題はまったくなく、これまで自分の生まれながらの性別のトイレを何不自由なく利用してきたからです。

それが突然、LGBTトイレなるものができて、ホモやレズやバイもトランスと一緒に全員このトイレを使えといわれたら怒るに決まっています。

そもそも一部のTにしか関係ないトイレをなぜ実体とかけ離れたLGBTトイレと呼ぶようになったのか、私の想像ですが、トイレの設置費用をLGBTの予算枠で取ったので、

どうしてもLGBTという呼称を使う必要があったのではないかという気がします。

いずれにせよ、LGBTトイレは当事者からボイコットされた結果、誰も利用しないトイレに成り果て、

行政側は、トイレの表示からLGBTというロゴを外したり、性的少数者のシンボルであるレインボーマークを消すという対応に迫られることになったのでした。

この頃から「俺はゲイだけどLGBTではない」という若いホモが増えてきたといいます。

LGBTトイレに代表されるようにLGBT活動家が本来、別々の存在であるレスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを無理やり一括りして、

本来、Tのトランスジェンダーしか経験していない「生きづらさ」や不便をゲイやレスビアンまで経験しているかのように喧伝することにゲイの間で反発が高まっていて、

それで自分はゲイだけどLGBTではないと言い出すホモが増えてきたというのです。

これらノンポリの一般ホモのLGBT活動家にたいする反発が頂点に達したのが、今回の杉田水脈議員の発言をめぐってLGBT活動家が引き起こした騒動で、

新潮45の杉田議員の記事を読めばすぐ分かるように彼女は当たり前のことをいっただけで、非難されるようなことはいっていないのに、

LGBT活動家とアライを自称するしばき隊界隈が、彼女の発言を意図的に曲解して、「彼女はLGBTは生産性がない」といったと嘘八百をばら撒いて、彼女を糾弾し始めたのです。

杉田議員が攻撃されたのは、彼女が日頃から慰安婦問題を批判したり、立憲民主党の辻本清美と関西生コンの癒着を追及していた保守派の政治家だったからで、もともと彼女は反日パヨク陣営からみて、目の上のタンコブのような存在で、

そんな彼女を潰す機会を虎視眈々と狙っていたのが、偶々、彼女が新潮の記事で誤解されやすい発言をしたのを捉えて、ここを先途と攻め立てたのです。

つまり、パヨクたちは、前述した石原都知事の片言隻句を取り上げて石原都知事を「差別主義者」「ゲイの敵」と呼んで大騒ぎしたのと同じことを杉田議員にたいしても繰り返したのです。

彼女の発言を左派系メディアがいっせいに取り上げでバッシングを始め、国会前で派手な抗議デモを行い、短期間のうちに何万人という署名を集めて提出するというのはプロ市民の手慣れた手法以外の何ものでもありません。

実際、国会前のデモでは、参加者たちの間で「安倍やめろ!」のシュプレヒコールが沸き起こったといいます。

結局、彼らの目的は安倍政権を攻撃することにあって、杉田発言もLGBTもそのための方便に過ぎなかったのですが、それに反発したのがLGBTの一般当事者です。

ある活動家がツイッターで「(杉田議員の発言に)みんな怒っている」とツイートしたところ、それを読んだ当事者が、

「俺は怒ってなんかいない。選挙で選ばれたわけでもないのに勝手にみんなの代表面をするな!」

というリプライしているのをみたことがありますが、多くの当事者は自分たちが活動家によって政治利用されることにいい加減、頭に来ていたのです。

丁度、その頃、あるゲイの青年が同性結婚式を挙げた動画をツイッターにアップして、ゲイが自由に結婚式を挙げることができる日本に生まれてボクは幸せです、とツイッターしたら、

それに対してLGBT界隈が猛反発し、「お前は自分だけ幸せならばそれでいいのか」などと言いがかりをつけていっせいに攻撃し始めたのです。

彼らから見ると杉田発言に便乗して「ノンケ社会におけるゲイの生きづらさ」をアピールしている最中に「ボカァ幸せだなぁ」などと加山雄三みたいなことを宣うホモが出てきたので慌てたのでしょうが、

本来、LGBT活動家というのは、LGBT当事者の幸せを実現するために活動している筈で、「同性結婚式を挙げて幸せです」といっている当事者がいたら、「おめでとう、お幸せに!」と祝福するのが普通でしょう。

それを反対に攻撃するのはどう考えてもおかしい。

結局、この騒動でLGBT活動家というのは、不幸なゲイしかゲイとして認めない、幸せなリア充ゲイはその存在を認めないどころか、敵として攻撃する集団であることがはっきりしたのです。

元々、LGBT活動家はゲイバーやゲイナイトで遊んでいるリア充ゲイを「なにも考えていない連中」と呼んで無視していたのですが、

今回の杉田議員の発言糾弾騒動にたいする一般当事者の反発が予想以上に大きかったのに逆上したのか、これまで無視してきた「幸せなゲイ」を露骨に攻撃するようになってきたのです。

その結果、前述のツイッターで「幸せアピール」をしたゲイの青年は、本名でツイッターをやっていたことから、

活動家たちに住所や勤務先を突き止められて様々な嫌がらせを受けて、結局、当該ツイートを削除する羽目に追い込まれたといいます。

日本で一般当事者が中々、カミングアウトに踏み切らないのは、本名を名乗ってLGBT活動家の気に入らない発言をすると、

このように活動家たちから寄ってたかって陰湿な嫌がらせや攻撃を受けるからで、カミングアウトをしないのは、LGBT活動家による攻撃から身を守ることが大きいのです。

つまり一般ゲイの間では、「ゲイの敵はLGBT活動家」が常識になっているのです。

今回の杉田議員発言糾弾の国会前のデモを主催したのは、LGBT法連合会という当事者の大半が名前を聞いたこともない、代表が誰かもわからない不思議な団体ですが、

私はしばき隊やのりこえねっとのダミー団体ではないかと疑っています。

このLGBT連合会に誘われて東京のゲイパレードの主催団体である「東京レインボープライド」のメンバーも国会前のデモに参加したそうですが、

前述した2種類のLGBT活動家の分類に従うと、前者の「LGBT法連合会」がバリバリのサヨク活動家、後者の「東京レインボープライド」が左右を問わず利権が得られそうなところにすり寄る日和見主義者になります。

そもそもゲイリブの運動にしばき隊などの極左集団を引き込んだのは、この日和見主義のゲイパレード主催者で、パレードの参加者の少なさに頭を悩めて動員力のあるサヨク陣営にすり寄り、

それが庇を貸して母屋を取られる形になり、LGBT運動のサヨク運動化を招いてしまったのです。

特に電通が仕掛けたLGBTの商業化が失敗に終わり、相対的にLGBT陣営内部でサヨクの力が強まり、今回の暴走を引き起こしたものと考えられますが、日和見主義のパレード主催者たちは、

今回の一連の騒動にたいする一般当事者の反発の大きさに明らかに動揺していて、一部の活動家はすでにLGBT理解増進法の制定を進める自民党にすり寄りはじめています。

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これはLGBT自治体議員連盟と称するLGBTの区会議員の集まりですが、彼らの実態は区会議員というよりLGBT活動家で、2019年4月に予定されている統一地方選挙でこの内の何人かが落選するようなことがあれば、

2008年に尾辻落選を受けて起こったゲイリブ運動の分裂と内紛、その結果としての運動の衰退、自滅をまた目にすることになるのではないかという気がします。

いずれにせよ、LGBT活動家がLGBT当事者を差別し攻撃するような運動が長続きする筈ありませんよ。

「そんなにおかしいのか杉田水脈論文」を読んで(1)

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先日発売された『新潮45』の10月号では、8月号の杉田水脈議員の記事の反響があまりに大きかったので驚いたのか、「そんなにおかしいのか杉田水脈論文」という反論を特集しています。
執筆者は、2人の当事者を含む全員7人、非当事者の5人の執筆者のテーマは当然のことながら一般的なもので、当事者の私にとっては今更といった内容ばかりだったので、もうひとつ読んでいて面白くなかったです。
ひとりだけちょっと過激なことをいう執筆者がおられましたが、世間のホモやレズにたいする見方なんてあんなもんで、
それでも日本は同性愛行為を犯しても刑務所に入れられることはないし、ホモやレズが集まって楽しむ社交の場はいくらでもあるし、宗教に起因する同性愛に対するタブーも存在しません。
日本における同性愛者にたいする差別や偏見なんて、欧米キリスト教圏と較べると取るに足らないもので、欧米キリスト教圏みたいに同性愛者だと分かっただけで殴る蹴るの暴行を加え、
ときには死にいたらせるヘイトクライムが頻発している欧米諸国と比較すると、あらためて日本のように同性愛者にたいして寛容な国は世界でも稀有だと思います。

今回の10月号で特集された杉田水脈擁護論文で一番面白かったのは、ゲイ関連のブログを運営されているかずとさんという方の『騒動の火付け役「尾辻かな子」の欺瞞』でした。

私は不勉強でかずとさんのことも彼が運営されているブログの存在も知らなかったのですが、1970年代生まれで、若い頃は自分がホモであることを認めたくなくて、ゲイバーなどのホモが集まる世界には近づかなかったといいます。

転機となったのは、2004年頃、尾辻の著書である『カミングアウト』を読んだことだそうで、
尾辻かな子の本を読んで、彼女が同性愛者である苦悩を乗り越えて政治家を目指して生きて行くその前向きな姿勢に感動し、
本を読んだあと、町に一軒しかないゲイバーに出かけて行き、そこで現在のパートナーと出会ったといいます。
つまり当初、かずとさんは尾辻かな子の支持者でファンだったというのです。
しかしかずとさんは次第次第に尾辻のやり方に疑問を感じ始め、それが今回の杉田議員の「LGBT支援の度が過ぎる」という寄稿文にたいして尾辻がとったやり口を見てピークに達したといいます。
かずとさんは、杉田議員のツイッターが発表されたとき、尾辻かな子はなぜ杉田議員に直接会って、あのようなツイッターを公表した真意を質さなかったのかと疑問を呈しています。
二人とも国会議員なんだから、国会で会うのは容易である筈なのに、尾辻はそうしなかった。
その代りに彼女は杉田議員の寄稿文のスクショを撮ってそれに次のような文章を添えてツイッターに投稿したのです。
「杉田水脈自民党衆議院議員の雑誌『新潮45』への記事。LGBTのカップルは生産性がないので税金を投入することの是非があると。LGBTも納税者であることは指摘しておきたい。当たり前のことだがすべての人は生きていること、その事自体に価値がある」
尾辻はこのツイッターで、子育て支援や子供ができないカップルの不妊治療のために税金を投入するなどの少子化対策のために税金を投入るなら大義名分はあるが、
子供を作らない同性カップルについてはその必要はない、という杉田議員の至極当たり前のツイッターの意見を同性カップルの差別の問題に意図的にすり替えて杉田議員を貶めようとしています。

杉田議員はこのツイートにたいしてすぐに次のように返信しています。

「尾辻先生、税金を投入する=福祉を活用する人=社会的弱者です。LGBTの方々は社会的弱者ですか。LGBTの方でも、障害者の方は障害者福祉を低所得者の方は低所得者福祉を高齢者の方は高齢者福祉を受けられます。年金も生活保護も受けられます。当たり前のことです。」

「その点に於いて日本の中で何ら差別されていないし、また差別すべきではないと思います。納税者として当然の権利は行使できます。その上で、何かLGBTの方々にだけに特別に税金を注ぐような施策は必要ですか?」

この「LGBTの方々にだけに特別に税金を注ぐような施策は必要ですか?」という杉田議員の質問に尾辻は答えなかったといいます。

なぜ答えなかったのか?

それは、LGBTに税金を投入する必要がないことを一番よく知っているのが当の尾辻本人だからだとかずとさんは指摘します。

LGBTの中で本当に困っているのはLGBTの中のTの一部だけでしかないことを尾辻とはじめとするLGBT活動家はよく知っています。

更衣室やトイレ、制服といった問題、履歴書や各種書類の性別記載、すべてTに関係するだけでLGBには関係しないのです。

それゆえ、杉田議員の「LGBとTを一緒にすべきではない」という主張は完全な正論で、それが正論であるがゆえに尾辻は何一つ言い返せなかったし、

またそれを認めてしまうとTの問題をLGBT全体の問題であると言い張ってきたこれまでの主張が嘘であることがバレてしまうので何も言えなかったのです。

杉田議員のツイッターが公表されたあと、尾辻をはじめとするLGBT活動家がパヨクを巻き込んであれだけ杉田議員を攻撃したもうひとつの理由は、

LGBTを弱者認定する野党が提案しているLGBT差別禁止法、または与党自民党が準備をしているといわれているLGBT理解増進法の成立を狙っているからだとかずとさんはいいます。

野党案よりも内容が穏健であるといわれている自民党の理解増進案でも、成立すれば、学校や自治体でLGBTに関する講習会が絶えず開かれることになり、

その場合、講習会の主催者や講師はLGBT活動家になる可能性が大きくなり、彼らにとって大きな収入源=利権になるのだそうです。

尾辻かな子自身、「LGBT政策情報センター」なる団体の代表理事を務めているそうで、そのサイトには活動内容が次のように列挙されています。

(1)LGBTに関する政策調査及び研究、情報提供(2)LGBTに関する研修、講座その他の会合等の開催(3)LGBTに関する国内外諸機関、団体及び行政との連携(4)LGBTに関する広報出版事業(5)LGBTに関する教育及び人材育成事業(6)LGBTのための生活相談支援事業、財産形成事業(7)LGBTのための相続、遺言、成年後見に関する相談支援事業(8)上記事業に関連する範囲において行政等から受託する事業

注目すべきは(8) 項の「行政等から受注する事業」で、これは利権以外の何ものでもありません。

そしてこのような法案が成立する前提条件として、LGBT=差別される弱者であるという一般的な理解が必要で、

そのため尾辻をはじめLGBT活動家たちは、これまで社会にたいしてLGBT=弱者のイメージをせっせと積み上げてきたのが、

その努力が杉田議員のツイッターの一撃によって粉々になってしまうのではないかという恐怖を抱いたのではないか。

そうでないとLGBT界隈があそこまで常軌を逸脱した狂乱ぶりを見せなかったのではないでしょうか。

続く

「そんなにおかしいのか杉田水脈論文」を読んで(2)

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『新潮45』の休刊というショックなニュースが飛び込んできました。

たかがあの程度の文章を「差別」に認定するのはいくらなんでもやり過ぎだし、簡単に休刊を決めてしまった新潮側の態度にも疑問を感じますが、
私自身、以前「週刊新潮」にLGBT批判の記事を書かせてもらったこともあって、気持ちは複雑です。
さて前回の記事の続きですが、『新潮45』10月号では、8月号の杉田水脈議員の記事の批判にたいする反論特集、「そんなにおかしいのか杉田水脈論文」が組まれました。
7人の執筆者の二人が当事者で、そのうちの一人であるかずとさんの寄稿文『騒動の日付け役「尾辻かな子」の欺瞞」が、一番、面白くて、前回の記事で紹介したのですが、
もう一人の当事者の執筆者である松浦大吾氏の寄稿文『特権ではなく「フェアな社会」を求む』は、逆にLGBTナントカを自称する人間によくある支離滅裂で意味不明の最悪の駄文でした。
この松浦大吾という人物は、元秋田放送のアナウンサーで、政治家としては、民主・社民推薦の無所属、民主党、民進党、希望の党など野党をあちこち渡り歩いています。
2017年に実施された第48回衆議院選挙では、希望の党から公認候補として立候補したものの落選。
落選後のインタビューでゲイであることをカミングアウトして選挙を戦いたかったのに希望の党の幹部が許してくれなかったと泣き言をいっていました。



私はそのインタビューの言葉を聞いて「アホか!この男は!」と腹が立ちました。

ホモであることと政治家であることがどういう関係があるのか、政治家としてのキャリアをある程度、築いてからカミングアウトをするのであればともかく、

政治家としてわずかなキャリアしか積んでいないのにカミングアウトするというのは、ホモであることを売り物にしたいからに違いありません。

最近のLGBTーブームとやらに乗りかかって、ゲイであることを売り物にする(本来、売り物にするようなことではないと思いますが)というのはよほどほかに売り物ではないということで、

それだけでこの人物がいかに政治家としてレベルが低いかよくわかるというものです。

実際、LGBTなんとかLGBTかんとかという肩書を付けている人間にはロクな奴がいないのは、LGBT界隈に少しでも通じている人間には、よく知られている事実です。

で、彼の寄稿文ですが、期待にたがわぬ糞みたいなくだらない文章で、まさに文は人なりという気持ちを強くしました。

まず彼は日本では、若い世代は同性愛に寛容だけど、高齢者は理解できないという珍論を披露していますが、いかにこの人が日本の同性愛の歴史に疎いかよくわかります。

日本は平安時代の昔から男色が盛行していて、逆に明治以降は、欧米のキリスト教的道徳観の流入によって、男色の慣習は衰退しているのです。

それでも過去の長年にわたる日本の男色の文化と歴史のお陰で、日本では同性愛に寛容な文化がずっと維持されています。

そのため日本ではアメリカのように同性愛の是非自体が論争の的になることはなく、同性愛をめぐる争点が存在するとしたら数十年前にアメリカで生まれたゲイリブの運動を日本に輸入しようとする自称LGBT活動家たちと、

アメリカのゲイリブ運動をそのまま文化風土の異なる日本に移植しようとしても根付くわけがないという懐疑派の対立で、当事者を含めた一般国民は無関心なのがアメリカと違うところです。

この松浦大吾サンは、2013年に日本人LGBT活動家を養成することを目的としたアメリカ国務省主催の第一回LGBT研修に参加したそうですが、
この研修プログラムはオバマ政権下に日本人のLGBT真理教の布教家を養成するために行われたもので、
日本の著名なLGBT活動家は全員、この研修に参加していて、この松浦サンも含めて、彼らは例外なくサヨク野党とずぶずぶの関係でした。
それが、松浦サンだけがなぜか最近、自民党にすり寄っているのです。
なぜなのか?
野党から見放されてほかに行くところがなくなって、自民に泣きついてLGBT枠としての候補として公認を得て選挙に出馬したいと考えているらしいようです。
彼は現在、秋田県在住で次の選挙は秋田から出馬して「秋田のLGBTが置かれている境遇」を改善したいといってますが、この人が代議士になったからといって秋田県のLGBTの境遇が著しく改善されるとは思えません。
秋田県のような人口の少ない地方の問題は、ゲイバーの数が少なく、いついって同じメンツばかりなのと、世間が狭いので身バレがしやすいことなのですが、
そのような境遇を改善しようと思ったら、人口減少問題や少子化問題、雇用情勢解などもっと基礎になる問題を解決しなければならず、とても一介の新人議員の手におえるような問題ではありません。
ともあれLGBTであることしか売り物がないこんな情けない男を公認するほど自民はバカではないでしょうし、秋田県民もこんな男に投票するほど愚かではないと思いますが、
このような人間が自民党のLGBT関連の委員会にすり寄ってきていることについては一抹の不安を感じます。
私が彼が自民党にすり寄っていることを初めて知ったのは、「自民党はLGBT活動家は利権という名の餌を与えてはならない」で紹介した、
平成30年6月13日に自民党のLGBTへの取り組みをアピールするために一般社団法人LGBT理解増進会(繁内幸治代表理事)が主催して開いた、
「LGBT理解増進記念講演会と説明会」というフォーラムで彼が司会をしていたのを知ったときです。
このフォーラムを主催した一般社団法人LGBT理解増進会代表の繁内幸治氏という人物は、神戸のLGBT関連NPOの代表を務めていた人物で、
当時、自民党独自のLGBTに対する取り組みを行う必要性を感じていた古屋圭司議員に紹介され、古屋議員たちが立ち上げた自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」のアドバイザーに就任するのです。
この繁内氏は元は労組(自治労?)の活動家で、パートナーは日教組の役員だそうです。
松浦サンと同様、本来サヨクであるこういう人物が自民党のLGBT関連の委員会のアドバイザーに就任するのも面妖な話ですが、
ようするに野党が提案しているLGBT差別品詞法案なんて通りっこないし、だったら、内容なはずっと穏健になってもそれなりの利権も見込められる自民党の法案の成立を後押した方がマシだという実際的な見地に立って、
自民党にすり寄っているのではないかと思います。
そもそもなぜ自民党がLGBTに関心を持つようになったのか。
主導権を取ったのは前述の「性的指向・性自認に関する特命委員会」の委員長である古屋圭司・元国家公安委員長で、
野党が準備しているLGBT差別禁止法案が人権擁護法案と同じようなものになるのではないかと危惧を抱いたのがそのきっかけだといいます。
人権擁護法案というのは、部落解放同盟が同和立法の期限切れに伴う代替法として成立を強く推進した実質的な部落差別禁止法案で、
この案に従うと、人権委員会なる組織が差別であると認定すれば、即、罰則が課せられることになるそうで、
恣意的に運用されると言論弾圧の道具になりかねないということで、古屋議員をはじめとする反対派の議員が苦労して廃案に持ち込んだという経緯があるそうです。
現在、民主党など野党が推進しているLGBT差別解消法案は、この人権擁護法案のLGBTバージョンで、人権擁護法案と同様、成立した場合、恣意的に運用される危険があり、
危機感を抱いた古屋議員ら自民党議員がこの野党の法案を潰すために自民独自の法案を用意することにしたということらしいです。
実際、野党の差別解消法案の原案なったと思われる「LGBT法連合会」なる組織が発表したLGBT差別禁止法案には、

「ゲイっぽい」「オカマ気持ち悪い」などと発言しただけで罰せられる禁止規定があったり、企業の家族手当の廃止などノンケに喧嘩を売っているとしか思えない規定も盛り込まれていて、

こんな法案が通って、ゲイリブ団体が好き勝手に差別認定を行って誰もそれに逆らうことができなくなったら、言論の自由が侵されることになるのは目に見えています。

そのため、古屋議員は自民党のLGBTに関する検討委員会「性的指向・性自認に関する特命委員会」を立ち上げ、自民党独自のLGBTに関する考え方をまとめるのです。

私はここまではよかったと思います。

しかし上記の「LGBT理解増進記念講演会と説明会」というフォーラムに繁内氏や松浦サンのようなサヨクくずれが集まってきているのをみて、自民党の上記委員会がLGBT利権を狙う活動家たちの標的になりつつあるのではないかという危惧をもたらざるを得ないのです。

前記のフォーラムに招待された自由同和会中央本部の平河秀樹事務局長がスピーチで「LGBTを第二の同和にするな」と釘を刺してくれたので、大丈夫だとは思うのですが。。。

ともあれ、私は今回の杉田水脈議員の「生産性」発言をパヨクたちが大騒ぎして糾弾し、安倍降ろしのためにLGBTをツールとして使ったことが明らかになって、

自民党内でLGBTにたいする熱意が冷めるのではないかと、希望的観測をしています。


誰がLGBTを操っているのか

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このブログで何度も取り上げている示現舎というサイトによくLGBT関連の記事を寄稿しているライターの三品純さんが、
新潮45の休刊に関して「新潮45杉田論文」を生み出した原因は人権派の「不誠実」という記事を発表されています。(https://jigensha.info/2018/09/26/45)詳しくは原文を読んでいただくとして、私は記事の中の次の文章に注目しました。

よく考えてほしい。LGBTという用語が一般化したのはごく最近のことだ。ところがわずかの間でここまでの社会現象になる。そして普段は腰が重い行政が「はい喜んで!」とばかりにLGBT施策に奔走する。なにしろ必死だ。LGBTの祭典「東京レインボープライド」では自治体の職員たちの参加も見られた。(中略)LGBT対策に向けた行政の異様なスピード感。そんなに普段、即決で柔軟にモノを考えられる人種だったか?
なぜ今、LGBTの対策が必要で、どういう差別や問題があるから法律や条例が必要なのか? そういう説明が一切省略されて進められてきた。政治、行政、運動家の実績作りのためというのが簡単に透けて見えてしまう。

この三品氏が抱く疑問は、私もずっと感じてきました。

私たち当事者の間でも主流ではないLGBTという言葉がなぜ急にメディアに頻繁に登場し始めたのか?
なぜ地方自治体が2015年頃から突然、LGBTに関する施策に積極的に取り組むようになったのか?
いわゆるLGBTブームの仕掛け人が電通であることは確かです。2015年に電通は「日本国民の13人に一人は性的少数者である」という自社がおこなったという盛りに盛ったアンケート調査結果を発表し、
それと同時に日本のLGBT市場の規模は5.9兆円であるとぶち上げ、やれ「LGBTはクリエイティブな才能に恵まれているので企業に貢献できるとか」「LGBTは高給取りの独身貴族が多いので、その可処分所得は大きい」
とかLGBTの潜在的消費パワーの大きさに宣伝これ務めました。
しかしこの電通によるLGBTごり押しは、結局、失敗に終わりました。

ちょっと考えたらわかりそうですが、企業がLGBT向けと銘打っで開発した商品やサービスがまったく売れず、

逆にLGBT向けと銘打った商品やサービスを購入したり、利用することはカミングアウトにつながる、つまりホモバレにつながるという理由で、当事者から忌避されることが判明したのです。

そして一時期、電通から広告枠を貰いたい一心でネットメディアが書きまくっていたLGBTマンセーの糞記事も消えていきました。

この電通が繰り広げたLGBT市場キャンペーンと並行して、地方自治体が需要もないのに同性カップル向けの同性パートナーシップ証明書を発行する現象も相次ぐようになりました。

不思議なことに最初にこの種の証明書を発行した渋谷区を初めとしてどの自治体でも申請カップルがきわめて少なかったにもかかわらず、次から次へと発行を決める自治体が現れたことです。

元地方公務員の知人は、男女共同参画センターや人権啓発センターなどの自治体の人権関連の部署の予算を消費するためではないかといいます。

これら人権関連部署はかってはフェミ団体や同和団体に予算をばら撒いていたのが、もうこれらの業界には十分に金が行き渡って予算の遣い途がないのだそうです。

予算を余らしてしまうと、翌年度からは未消化の分を削りとられてしまう。そうなると組織の存続にかかわるために困っていたところ、

タイミングよくLGBTという新しい人権のメシの種が見つかったので、それに飛びついたのではないかというのです。

そしてこれら自治体の人権関連部署と地元のLGBT団体が癒着し、共謀してその自治体でLGBT関連の施策を推し進めるようになったのではないかというのです。

そして特に意識高い系の政治家が首長を務めている自治体は、首長の方も話題作りで飛びついたのではないか。

その結果、自治労や日教組の強い地方自治体の施設や公立学校にLGBTトイレなるものが必要もないのに作られ、誰も利用しないという税金の無駄遣いが行われているのではないかというのです。

ただ2015年頃から始まったLGBTごり押しは、ただ単に電通と自治体が協力しただけではこれほど大きくはならなかった筈です。

もっと大きな勢力がLGBTの運動に介入し始めたとしか考えられません。

自治労や日教組、同和団体などの諸勢力を含むサヨク大連合ともいうべき大きな勢力が一致団結してゴリ押ししたから、ここまで短期間に成長というか、膨張したのではないか。

転機は2014年から2015年にかけて、LGBT団体がサヨクと組み始めた頃ではないかと私は考えています。

それまでゲイパレードを一年ごとに開催したり、休止したり、開催した年も参加者を10倍くらい水増しして3000人とかだったのが、サヨクと組んだ途端、参加者の実数が10倍くらいに増えました。

電通が企業を誘致したお陰で企業のフロートも増えました。
しばき隊のフロートが出てきて、共産党の国会議員がドヤ顔でパレードを歩くようになったのもこの頃です。
今回の杉田水脈議員の発言炎上騒動のときも、あっという間に国会前デモが組織され、わずかの期間に何万筆もの署名を集めて提出するなど、かってのLGBT運動とは打って変った効率的なものになっています。
しかし、デモの内容も変わり、国会前デモでは「アベやめろ」シュプレヒコールが鳴り響いたといいます。
LGBT運動は日本のサヨク運動に完全に組み込まれてしまったのです。
これらのデモ勢力のバックにいるのは、日本共産党だと私は睨んでいます。

堕ちつぶれたといえども、日本共産党は戦前から反体制をやっている筋金入りの反日政党で、頭の良い党員もまだ残っているのではないかと思うからです。

それでも共産党は最近は党員の高齢化が激しく赤旗の売り上げ高も激減しているといいます。

LGBTだけでなく、沖縄の反米軍基地闘争、反原発運動、一連の安倍降ろし運動の資金をすべて共産党が賄うのは無理でしょう。

そのため、本当の黒幕は中国で、資金を出しているのも中国ではないかと私は疑っています。

あと北朝鮮も財政状況は厳しいそうですが、傘下の朝鮮総連を本拠とする組織を日本中にめぐらせていて、

その工作員の数は数万人に達するといわれるので、当然のことながら、この中国の反日運動には加担している筈です。

中国にとっても北朝鮮にとっても、安倍首相は目の上のたんこぶのような存在です。

2012年に尖閣近海で操業していた中国人の漁船の船長を逮捕したのに関わらず、中国政府の恫喝に屈して船長を釈放してしまった民主党のカンガンスをみて、中国政府は一年もあれば尖閣を奪取できると考えたに違いありません。

しかしぎりぎりの瞬間に政権が民主党から自民党に代わり、首相となった安倍首相は尖閣は断固として守り抜く姿勢を中国に示し、

尖閣近辺に少しでも中国機が近接すると、自衛隊機にスクランブルをかけさせて追い払うようになったのです。

最近では、中国政府は日本政府の高官と会っても尖閣領有のことを口にしなくなっているといいます。

北朝鮮についても、安倍首相には手を焼いている筈です。トランプをけしかけて、経済制裁を強化しているわけですから。

作曲家のすぎやまこういちさんは、今、日本では反日軍と日本軍が戦争をしているといっています。

私は今の日本列島には「反日」という名の悪霊が蝟集しているような印象を受けます。

出自や成り立ちは様々な反日勢力が「打倒安倍」をスローガンに一致団結して活動しているような気がするのです。

そのため、LGBT運動にしても、LGBTいう言葉に執着してしまうと、その正体を見誤ってしまうと思います。
今回、杉田発言で騒いでいる連中もなにもLGBTのことを思って騒いでいるのではなく、モリカケと同様、安倍攻撃に使えると思って騒いでいるだけです。

サヨク勢力に乗っ取られた現在のLGBTは、LGBTのための権利獲得運動などではなく、反日勢力の一派として安倍打倒運動しているサヨク団体とみなすべきなのです。


ジャックさんに関して

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ジャックさんは、平成30年12月28日に膵臓癌のため亡くなられたと彼を担当されていた弁護士さんより報告がありました。管理を引き継ぎましたので、ブログに関してはこのまま置いておくつもりです。
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