今回の杉田水脈議員の「生産性」発言にたいするパヨク陣営の常軌を逸した騒ぎようを見て、以前、同じものを目撃したという“既視感”のようなものを覚えました。
2010年に当時の東京都知事だった石原慎太郎が同性愛者について、
「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」
と語ったことを同性愛者に対する差別発言であると一部のゲイリブ活動家やサヨク活動家が騒いだのを思い出したのです。
私自身は、この石原慎太郎の発言を特別、差別的とは感じませんでした。
遺伝云々はともかくとして、ゲイパレードに参加している連中を見て「どこか足りない感じがする」というのは私も常々、感じていたことで、「さすが、小説家、鋭い感性をもってるな」と感心したものです。
いずれにせよ「マイノリティで気の毒ですよ」と同情してくれてるんだから、けっこうじゃないかと思ったわけです。
石原慎太郎が都知事として同性愛者を差別するような施策をとっていたというならともかく、そんな事実はないし、むしろ石原都政下の東京都はHIV/AIDS予防啓蒙のために随分と予算を割いています。
また小説家としても1996年上半期の芥川賞の選考委員として、三島由紀夫の恋人だった福島次郎の候補作『バスタオル』を強く推したと聞いています。
つまり石原慎太郎はそんな単純なホモフォビアではないということですが、彼に「ゲイの敵」のレッテルを貼って非難する連中は、実際に石原がホモフォビアであるかどうかはどうでもよく、
日頃から中韓に対して強硬な姿勢を示すタカ派の保守政治家、石原慎太郎を蛇蝎の如く嫌っていて、何とかして彼を潰したいと考えているので、
常に石原慎太郎の“失言”を待ち望んでいて、それが三国人発言であろうがなんであろうが、彼が“失言”をすると待ってましたとばかり、それを取り上げて彼を「差別主義者」と呼んで騒ぎ立てるのです。
三国人発言というのは、2000年に陸上自衛隊の式典で、石原都知事が現在の東京では、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返していると述べたことを、
反日朝鮮人活動家の「のりこえねっと」の辛淑玉たちが三国人という呼称は「在日にたいする差別ニダ!」と大騒ぎしてデモまでやった事件で、終戦後に在日朝鮮人たちが自分たちは準戦勝国の国民である三国人であると称して、
日本国民にたいして横暴の限りを尽くした過去の歴史をケロッと忘れたふりをして、戦後、あたかも在日が三国人と呼ばれて差別されたかのように主張するその鉄面皮ぶりに呆れたものです。
この三国人発言をきっかけに、パヨクたちは「石原やめろネットワーク」なるものを作って、石原叩きを始めるのですが、
特に2007年の石原が4選目を目指した都知事選における主としてネットを通した石原にたいする中傷誹謗、ネガキャンには凄まじいものがあり、
基本的にノンポリで選挙に興味がなかった私が義憤を感じて、数十年ぶりに投票場に足を運んで石原に一票を投じたくらいでした。
このときの選挙で、反石原陣営は前宮城県知事の浅野史郎を担ぎ出し、この浅野という男は、「自分が当選したら、辛淑玉を副知事にする」などと明言し、パヨクの喝采を浴びたのですが、
ゲイリブたちもこの浅野候補を応援して、彼を二丁目にまで連れ出して演説させ、「政治家が初めて二丁目にやってきた」とはしゃいでいました。
本来、政治的に中立であるべき飲み屋街に政治を持ち込むことの愚かさにまったく気が付いていないそのノー天気ぶりにはウンザリさせられましたが、
結局、選挙では、浅野は石原に大差をつけられて落選しました。
この2007年という年は、ゲイリブが政治づいた年で、この年、レスビアンであることを広言して民主党から参院選に出馬した尾辻かな子をゲイリブたちは気違いのように応援しました。
ところがこの年の参院選は民主党に風が吹いていたにも関わらず、いざ蓋を開けてみると、尾辻かな子は、同性愛者の有権者からまったく支持を得られず、ビリから数えた方が早いほどの票しか得られずに惨敗してしまったのです。
この2007年には、中野区の区議会選挙にも石坂わたるというゲイリブ活動家がわざわざゲイが多数住むことで知られる中野区を選んで出馬して、
ゲイであることを前面に押し出して選挙戦を戦ったのですが、やはり中野区在住の同性愛者の支持をまったく得られずに落選しました。
この2007年には、ゲイリブが応援した浅野史郎、尾辻かな子、石坂わたるの三人の候補者全員が落選したのですが、ゲイリブにとって特にショックだったのは、尾辻かな子と石坂わたるが落選したことでしょう。
この二人のようなゲイリブ活動家が一般当事者からまったく支持されていない事実が選挙結果によって白日の下に晒されてしまったのです。
そしてこの2007年の政治化路線の失敗がゲイリブ界の分裂を招くことになるのです。
ゲイリブ界隈ではゲイリブ運動の「政治運動化」は常に論争の的になり、分裂のきっかけになったきました。
ゲイリブ運動というのは、性的少数者の権利の獲得を目指す運動なのだから、政治運動化するのは当然ではないかといわれるかもしれませんが、日本の場合は政治運動化=サヨク運動化になるという特殊な事情が存在するのです。
日本のゲイリブ活動家は、サヨク活動家がゲイリブ活動家をやっているといってもおかしくないようなバリバリのサヨクと、左右関係なく利権のありそうなところにすり寄る無節操な日和見主義の活動家の2種類いて、
この両者はなにかにつけて対立していたのですが、2007年に前者のサヨク活動家が主導したゲイリブ運動のサヨク運動化がゲイリブが押した三人の候補者全員が落選することで完全な失敗に終わり、
当然のことながら後者の日和見主義者たちが異議を唱え、翌年のゲイパレードで主催者の間で内紛が起こり、結局、この年からゲイパレードは数年にわたって開催されず、ゲイリブ運動は冬の時代を迎えるのです。
2015年頃にゲイリブ運動は久しぶりにLGBT運動に名前を変えて復活します。
ゲイリブからLGBTに名前を変えたのは、前回の内紛で「ゲイリブ」という呼称のイメージが悪くなったからだと思いますが、
このときのLGBTごり押しは、大手宣伝広告会社の電通が仕掛けたもので、「LGBTにはクリエイティブな人間が多い」とか、
「LGBTは高所得者が多いので可処分所得が大きい」とかもっぱらLGBTが持つ潜在的な消費パワーを喧伝し、日本のLGBT市場は年間5.9兆円とぶち上げてみせたのですが、結局、このゴリ押しも不発に終わりました。
なぜ不発に終わったかというと、まず日本にはLGBT市場なるものが存在しなかったことにあります。
同性愛者差別が激しくて同性愛者がゲイコミュニティーというゲットーに固まって住んでいるアメリカではLGBT市場なるものが存在するかもしれませんが、
同性愛者差別が少ない日本では、同性愛者は異性愛者と混住していて、その消費行動も一般の異性愛者のそれと大して変わらないのです。
またことさらLGBT向けを謳った商品やサービスは、それらの商品を購入したり、利用することがカミングアウトにつながる可能性があり、カミングアウトを嫌う日本の同性愛者からはむしろ忌避されるという事情もありました。
さらに「高所得者のエリートゲイ」を自称してメディアに登場してきたホモが、外資系の金融会社に勤める不細工な男ばかりで、
なによりも容姿を尊ぶ日本のホモの世界では「これがエリートゲイなの?w」と嘲笑しか買わなかったこともあります。
一般ゲイの嘲笑を浴びたポルノ写真家、レスリー・キーが撮った「エリートゲイ」の集合写真
というような状態で結局、ゲイリブからLGBTへと名前を変えて出てきたゲイリブ運動も元の反差別の運動に戻ってしまったのです。
反差別に関しては、早い時期から同和団体がLGBT団体に接近して、アイヌに続くLGBTの被差別民化を企んでいました。
これに協力したのが各自治体の男女共同参画センターや人権啓発センターなどの人権部署で、これらの部署は主としてこれまで同和や在日に関係する人権事業に金をばら撒いてきたのが、
ばら撒きすぎて、ばら撒き先がなくなり、予算を消化できなくて困っていたといいます。
予算が消化できなければ翌年分の予算からその未消化分は必要なかったとして減額されるわけで、そのため予算の未消化は組織の存続にかかわる重大問題で、
そこで彼らが次の人権のメシの種として目を付けたのがLGBTだったというのです。
これら人権部署は、予算を消化するためにLGBT活動家と組んで、彼らを講師に招いてLGBT人権セミナーを開くようになるのですが、問題はこれらの活動が一般当事者の意向を完全に無視して行われたことです。
その典型的な例がLGBTトイレです。
自治労の強い自治体の施設や日教組の強い公立学校で、活動家とそれと組んだトイレメーカーに唆されてLGBT専用を謳ったLGBTトイレなるものが次から次へと設置されたのですが、これが一般当事者の猛反発を買ったのです。
なぜ猛反発を買ったかというと、トイレで問題を抱えていたのは、Tのトランスジェンダーの一部だけで、LGBについてはトイレの問題はまったくなく、これまで自分の生まれながらの性別のトイレを何不自由なく利用してきたからです。
それが突然、LGBTトイレなるものができて、ホモやレズやバイもトランスと一緒に全員このトイレを使えといわれたら怒るに決まっています。
そもそも一部のTにしか関係ないトイレをなぜ実体とかけ離れたLGBTトイレと呼ぶようになったのか、私の想像ですが、トイレの設置費用をLGBTの予算枠で取ったので、
どうしてもLGBTという呼称を使う必要があったのではないかという気がします。
いずれにせよ、LGBTトイレは当事者からボイコットされた結果、誰も利用しないトイレに成り果て、
行政側は、トイレの表示からLGBTというロゴを外したり、性的少数者のシンボルであるレインボーマークを消すという対応に迫られることになったのでした。
この頃から「俺はゲイだけどLGBTではない」という若いホモが増えてきたといいます。
LGBTトイレに代表されるようにLGBT活動家が本来、別々の存在であるレスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを無理やり一括りして、
本来、Tのトランスジェンダーしか経験していない「生きづらさ」や不便をゲイやレスビアンまで経験しているかのように喧伝することにゲイの間で反発が高まっていて、
それで自分はゲイだけどLGBTではないと言い出すホモが増えてきたというのです。
これらノンポリの一般ホモのLGBT活動家にたいする反発が頂点に達したのが、今回の杉田水脈議員の発言をめぐってLGBT活動家が引き起こした騒動で、
新潮45の杉田議員の記事を読めばすぐ分かるように彼女は当たり前のことをいっただけで、非難されるようなことはいっていないのに、
LGBT活動家とアライを自称するしばき隊界隈が、彼女の発言を意図的に曲解して、「彼女はLGBTは生産性がない」といったと嘘八百をばら撒いて、彼女を糾弾し始めたのです。
杉田議員が攻撃されたのは、彼女が日頃から慰安婦問題を批判したり、立憲民主党の辻本清美と関西生コンの癒着を追及していた保守派の政治家だったからで、もともと彼女は反日パヨク陣営からみて、目の上のタンコブのような存在で、
そんな彼女を潰す機会を虎視眈々と狙っていたのが、偶々、彼女が新潮の記事で誤解されやすい発言をしたのを捉えて、ここを先途と攻め立てたのです。
つまり、パヨクたちは、前述した石原都知事の片言隻句を取り上げて石原都知事を「差別主義者」「ゲイの敵」と呼んで大騒ぎしたのと同じことを杉田議員にたいしても繰り返したのです。
彼女の発言を左派系メディアがいっせいに取り上げでバッシングを始め、国会前で派手な抗議デモを行い、短期間のうちに何万人という署名を集めて提出するというのはプロ市民の手慣れた手法以外の何ものでもありません。
実際、国会前のデモでは、参加者たちの間で「安倍やめろ!」のシュプレヒコールが沸き起こったといいます。
結局、彼らの目的は安倍政権を攻撃することにあって、杉田発言もLGBTもそのための方便に過ぎなかったのですが、それに反発したのがLGBTの一般当事者です。
ある活動家がツイッターで「(杉田議員の発言に)みんな怒っている」とツイートしたところ、それを読んだ当事者が、
「俺は怒ってなんかいない。選挙で選ばれたわけでもないのに勝手にみんなの代表面をするな!」
というリプライしているのをみたことがありますが、多くの当事者は自分たちが活動家によって政治利用されることにいい加減、頭に来ていたのです。
丁度、その頃、あるゲイの青年が同性結婚式を挙げた動画をツイッターにアップして、ゲイが自由に結婚式を挙げることができる日本に生まれてボクは幸せです、とツイッターしたら、
それに対してLGBT界隈が猛反発し、「お前は自分だけ幸せならばそれでいいのか」などと言いがかりをつけていっせいに攻撃し始めたのです。
彼らから見ると杉田発言に便乗して「ノンケ社会におけるゲイの生きづらさ」をアピールしている最中に「ボカァ幸せだなぁ」などと加山雄三みたいなことを宣うホモが出てきたので慌てたのでしょうが、
本来、LGBT活動家というのは、LGBT当事者の幸せを実現するために活動している筈で、「同性結婚式を挙げて幸せです」といっている当事者がいたら、「おめでとう、お幸せに!」と祝福するのが普通でしょう。
それを反対に攻撃するのはどう考えてもおかしい。
結局、この騒動でLGBT活動家というのは、不幸なゲイしかゲイとして認めない、幸せなリア充ゲイはその存在を認めないどころか、敵として攻撃する集団であることがはっきりしたのです。
元々、LGBT活動家はゲイバーやゲイナイトで遊んでいるリア充ゲイを「なにも考えていない連中」と呼んで無視していたのですが、
今回の杉田議員の発言糾弾騒動にたいする一般当事者の反発が予想以上に大きかったのに逆上したのか、これまで無視してきた「幸せなゲイ」を露骨に攻撃するようになってきたのです。
その結果、前述のツイッターで「幸せアピール」をしたゲイの青年は、本名でツイッターをやっていたことから、
活動家たちに住所や勤務先を突き止められて様々な嫌がらせを受けて、結局、当該ツイートを削除する羽目に追い込まれたといいます。
日本で一般当事者が中々、カミングアウトに踏み切らないのは、本名を名乗ってLGBT活動家の気に入らない発言をすると、
このように活動家たちから寄ってたかって陰湿な嫌がらせや攻撃を受けるからで、カミングアウトをしないのは、LGBT活動家による攻撃から身を守ることが大きいのです。
つまり一般ゲイの間では、「ゲイの敵はLGBT活動家」が常識になっているのです。
今回の杉田議員発言糾弾の国会前のデモを主催したのは、LGBT法連合会という当事者の大半が名前を聞いたこともない、代表が誰かもわからない不思議な団体ですが、
私はしばき隊やのりこえねっとのダミー団体ではないかと疑っています。
このLGBT連合会に誘われて東京のゲイパレードの主催団体である「東京レインボープライド」のメンバーも国会前のデモに参加したそうですが、
前述した2種類のLGBT活動家の分類に従うと、前者の「LGBT法連合会」がバリバリのサヨク活動家、後者の「東京レインボープライド」が左右を問わず利権が得られそうなところにすり寄る日和見主義者になります。
そもそもゲイリブの運動にしばき隊などの極左集団を引き込んだのは、この日和見主義のゲイパレード主催者で、パレードの参加者の少なさに頭を悩めて動員力のあるサヨク陣営にすり寄り、
それが庇を貸して母屋を取られる形になり、LGBT運動のサヨク運動化を招いてしまったのです。
特に電通が仕掛けたLGBTの商業化が失敗に終わり、相対的にLGBT陣営内部でサヨクの力が強まり、今回の暴走を引き起こしたものと考えられますが、日和見主義のパレード主催者たちは、
今回の一連の騒動にたいする一般当事者の反発の大きさに明らかに動揺していて、一部の活動家はすでにLGBT理解増進法の制定を進める自民党にすり寄りはじめています。
これはLGBT自治体議員連盟と称するLGBTの区会議員の集まりですが、彼らの実態は区会議員というよりLGBT活動家で、2019年4月に予定されている統一地方選挙でこの内の何人かが落選するようなことがあれば、
2008年に尾辻落選を受けて起こったゲイリブ運動の分裂と内紛、その結果としての運動の衰退、自滅をまた目にすることになるのではないかという気がします。
いずれにせよ、LGBT活動家がLGBT当事者を差別し攻撃するような運動が長続きする筈ありませんよ。