杉田水脈議員の「生産性」に関する論争について、日本文学者のロバート・キャンベル氏が意見を述べているブログの記事「ここにいるよといえない社会」を読みました。
キャンベル氏はまずある衆議院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と言うのを聞いて笑ってしまった、と書いています。
この人、本当に日本文学の研究者なのでしょうか?
LGBTという言葉もそうだけど、「性的指向」とか「性自認」という言葉は、最近になって活動家がアメリカから直輸入した言葉で日本社会には浸透していません。
日本人は昔から男色や女色を趣味あるいは性癖としてみなしてきましたが、それでまったく問題は生じませんでした。
日本では男色が趣味であってもアメリカやイギリスなどの欧米キリスト教圏みたいに宗教的な理由から罪に問われることはなかったし、男同士でセックスしたからといっても迫害、弾圧されることはなかったからです。
日本で同性愛行為がタブー視されるようになったのは、明治以降、来日したキャンベルさんのご先祖様であるアメリカ人宣教師が「同性愛は罪である」と吹聴し回ったからです。
現在、キャンベルさんは「同性愛は罪ではない」とご先祖様とは真逆のことを日本人に説教してますが、言ってることは正反対でも、
我々アメリカ人は、文明が遅れた日本人に文明を教えてやる義務があると上から目線で日本人に接している点では変わりません。
日本文学を研究している学者でも、ここまで白人中心主義にかぶれているわけで、アメリカの白人を初めとする欧米白人種の白人至上主義の根深さには驚かされます。
「ここにいるよ」と言えない社会
キャンベルさんは、日本は同性愛者が「ここにいるよ」といえない社会、つまりカミングアウトできない社会であると批判しています。
しかし日本人も含めて世界中どこでも性に関する事柄は秘め事であって、究極のプライバシーである性癖をみだりに他人に漏らす習慣はありません。
唯一、アメリカとイギリスだけが同性愛行為を禁止して厳しく弾圧したビクトリア朝時代の極端に禁欲的な性道徳の反動もあって、カミングアウトが奨励されているようですが、
英米でもすべての同性愛者がカミングアウトしているわけではないことはキャンベルさんもご存じの筈です。
日本で大多数の同性愛者が親しい友人や家族にはカミングアウトしても、職場の同僚にはカミングアウトしないのは、仕事とセクシュアリティーは無関係だと考えているからで、
自分が同性愛者であることがバレるのを恐れて口をつぐんでいるわけではなく、実際、なんかの拍子で職場でホモバレしたとしても、
日本企業では仕事さえ真面目にやっていれば、同性愛者であることが社内で不利に働くことがないことは、多くの当事者が経験しているところです。
同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて、反論する気持ちも起きません。
キャンベルさんは、杉田水脈議員の新潮45の記事を読まれたのでしょうか。杉田議員は、同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないなどとはいっていません。
杉田議員は、同性カップルは異性カップルと較べて子供を作らないので、生殖面では生産性がない。同性カップルに支援する金があれば、不妊治療を受けている異性カップルに支援した方が良いといっただけです。
この彼女の意見については多くの同性愛者当事者も賛成しているのですが、日頃から彼女の慰安婦問題等に関する保守的な立場を苦々しく思っている連中が、
「性的少数者全体が生産性がないから支援する必要はない」といったと意図的にその発言を曲解して攻撃しているわけで、
キャンベルさんがそのように歪められた発言を検証もせずに、そのまま鵜呑みにしているのは理解できません。少なくとも学者を自称するのであれば、その発言が事実かどうか確認すべきでしょう。
確認するのはそんな難しくありません。新潮45の彼女の記事を読めばよいのですから。
それにしてもキャンベルさんのブログの日本における性的少数者に関する記述は日本の活動家が日頃、吹聴している嘘八百をオウム返しに繰り返しているだけのようにしかみえません。
「男(女)の子らしくないぞ」と教室でいじめられ、社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗し、いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。
>社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗する?
そんな話、聞いたことないけど。
そもそも会社の就職の面接試験で面接官は就職希望の学生のセクシュアリティーを訊いたりしません。そんなことをしたらそれこそセクハラになってしまうでしょう。
>いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。
一緒に部屋を借りて住んだり、ローンを組んで家を建てて一緒に暮らしている同性カップルはこの国にはごまんといます。キャンベルさんご自身もパートナーとご一緒に暮らしておられるのではないですか?
その先、倒れても杖となるべきパートナーを病室に呼べず、彼(彼女)の健康保険に入ることが叶わず、老いては介護管理に関わらせることすらできません。先立たれれば相続はおろか、血縁者の反対にあえば葬儀にも出させてもらえません。
これも活動家の言葉を検証もせずにオウム返しに繰り返しているだけです。
まず病院の面会ですが、家族でなくても友人でもできます。また家族でなくても手術の同意書にサインできるし、保証人にもなれます。
相続の問題については、現行の養子縁組制度でクリアできます。
家族でないと病院で面会が認められないというデマを広めたのは、日本で初めて同性パートナー証明書なるものを発行した渋谷区の長谷部区長とその一味ですが、そのお陰で、渋谷区内の病院や医院は大きな迷惑を被ったといいます。
これまでどの病院でも同性愛者差別なんてしていなかったのに、病院ではパートナーは面会できないという渋谷区長の嘘を信じて、
受診にやってきた患者が渋谷区発行の同性パートナー証明書を提示するので、病院側は困惑し、保険証だけ持参してくださればちゃんと診察しますといちいち説明しなければならなかったのだそうです。
本当にアホな話です。
私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです。 しかし同時に、国レベルでのLGBT差別解消法もパートナーシップ法も、ましてや同性婚もまかりならぬ日本では誰もがそうなるのか、というと、ふたたび「もしも」の点呼が始まります。もしも病院が違い、日本人同士であったり、患者に若干の知名度がなかった場合、どうなったのだろうかと考えずにはいられません。もしも私が先に逝ったら、残された伴侶に不自由を掛けずにおけるのでしょうか。
キャンベルさん自身は、病気で入院したときに性指向のために不自由を感じることはまったくなかったそうですが、
彼は自分が優遇されたのは、外国人で、テレビに出ている有名人だからであって、もしこれが普通の日本人であったら、そうはいかないのではないかといってます。
こういう物言いにこの人の日本人にたいする人種差別的な偏見や選民意識が垣間見えて興味深いのですが、
これはどのような患者であっても分け隔てなく日夜、献身的に治療にあたっている日本の医療関係者にたいする侮辱だと思いますね。
キャンベルさんの故国のアメリカでは、金がないと医者に診てもらえず、入院しても入院費が払えないと治療途中でも病院を追い出されると聞いたことがありますが、
日本は国民皆保険のお陰で、誰でも低料金で一流の病院で診察を受け、最先端の治療を受けることができます。
キャンベルさんと違って無名のおかまである私も過去に入院したときに、医師や看護師からいたれりつくせりの治療や介護を受け、
それにも関わらず、国民健康保険のお陰で病院への支払いがびっくりするほど安かったことを覚えています。
日本の医療業界は、金持ちであるか、ビンボー人であるかによって患者を差別することはないし、ましてやセクシュアリティーで差別するなんてあり得ません。
アメリカと一緒にするな!といいたいですね。
LGBTの青年に自傷行為も自殺も発生率が高いのは、「自分たちの親が理解してくれない」ためで、「そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会」だと主張するのはあまりにも浅はかではないでしょうか。
このLGBTの青年の自殺率が高いというのも活動家がよく口にする言葉ですが、私はこれまで活動家が日本の同性愛者の自殺率が高いことを証明する信頼できる検証可能な客観的データを示すのをみたことが一度もありませんし、
どのようなデータを根拠にそういっているのかと訊いても返答があった試しがありません。
LGBTのTであるトランスジェンダーに自殺する人間が多いという話を聞いたことはあります。
男性から女性に性転換するときに睾丸を除去するのでホルモンのバランスが崩れて極端に鬱になり自殺を図る人間が多いというのです。
しかしLGBに関しては、そのような手術を受けることはないし、アメリカのような同性愛者差別が激しい国と違って、日本のLGBの自殺率がそれほど高いと思えません。
いずれにせよ、こういう問題でLGBTと一括りにするのはあまりに乱暴で、調査をするのであれば、L、G、B、Tを分けて別々に調査すべきで、
特にTのトランスジェンダーに関してはその特殊性に鑑み、別途に研究を行うべきで、そうしないと有効な対策など出てこないでしょう。
キャンベルさんも学者であれば、きちんとしたデータに基づいて発言すべきで、どのようなデータ(アメリカではなく日本のデータ)に基づいて「LGBTの青年に自傷行為も自殺も発生率が高い」と発言しているのかはっきりすべきだと思いますね。
>しかし同時に、国レベルでのLGBT差別解消法もパートナーシップ法も、ましてや同性婚もまかりならぬ日本では誰もがそうなるのか、というと、ふたたび「もしも」の点呼が始まります。
この方は、日本の同性愛者の圧倒的大多数がLGBT差別解消法も同性パートナーシップ法にも同性婚にも関心を抱いていないという事実を知らないのでしょうか。
地方自治体で初めて同性パートナーシップ条例を制定して同性パートナーシップ証明書を発行した東京都渋谷区では、発行開始から3年も経つのに証明書を申請したカップルはたったの20数組しかいないそうです。
渋谷区の人口は約20万人、その5パーセントが同性愛者であると想定すると、渋谷区の同性愛者数は約一万人、潜在的には5000組の同性カップルが存在する計算になりますが、それが僅か20数組しか申請していないのです。
渋谷区以外でもいくつかの自治体が同様の証明書を発行していますが、どこの自治体も申請は低調です。
レズの聖地ともいうべき宝塚市でさえ、条例を制定して3年も経つのに申請者がゼロなのです!
日本の同性愛者の間では、同性パートナーシップだけでなく、同性婚に対する関心も非常に低いです。
少子高齢化で利用者の減少に悩むブライダル産業が必死で同性結婚式を誘致しているにも関わらず、実際にこれらの式場を利用して同性結婚式を挙げる同性カップルは少数です。
また過去に売名目的でマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げたレスビアン・カップルは、例外なく短期間で別れています。
代表的な例は、2007年にレスビアンを前面に押し出して参院選に出馬した尾辻かな子で、
選挙期間中に選挙キャンペーンの一環としてマスコミを呼んで派手な同性結婚式を挙げたものの、落選した途端、離婚しています。
2015年にマスコミを呼んでディズニーランドで派手な同性結婚式を挙げ、渋谷区の同性パートナーシップ証明書の申請第一組として脚光を浴びた東小雪と増原裕子のレズカップルも三年ほどで破局しています。
そのほか売名目的でレスビアンであることをカミングアウトし、マスコミを呼んで同性結婚式を挙げた三流タレントたちも全員、例外なく別れています。
2015年に青山の有名結婚式場で派手な同性結婚式を挙げた実業家と学生のゲイカップルもわずか半年で別れ、学生の方はからかわれるのが嫌で、二丁目に顔を出さずに引きこもり、一時期、自殺説が流れたそうです。
もちろん、長続きしている同性カップルもいます。しかしそういうカップルは身内だけで結婚式を挙げて、自分たちが結婚式を挙げたことを周囲に宣伝したりしません。
そんなことをしたらLGBT活動家が寄ってきて彼らの運動に利用されることがわかっているからです。
またこのような長期的な関係を維持しているカップルの多くは、養子縁組を結んでいます。
いつ実現するかわからない同性婚よりも、すでに存在していて比較的容易に利用できる養子縁組制度を利用するのは現実的な選択ですし、
LGBT活動家が同性婚ができないことにより生じると主張する不利や不便はすべてこの養子縁組でクリアできるのです。
しかし不思議なことにLGBT活動家たちは、この養子縁組制度に非常に冷淡で、養子縁組をしているカップルを偽物の夫婦などといって非難しています。
なぜLGBT活動家たちが養子縁組制度を敵視するのか?それは養子縁組制度が現行の家族制度にすっぽり収まってしまうからです。
LGBT活動家の本質はフェミニストで、彼女たちが同性婚の法制化を推進する真の目的は、日本の家族制度と戸籍制度を破壊することで、フェミたちはそのために同性愛者を利用しているだけなのです。
最近では、LGBT団体や在日外国人団体が、長年一緒に暮らした日本人の同性パートナーがいることを根拠に不法滞在の外国人に滞在許可を与えるように主張し始めていますが、
将来、日本で同性婚の法制化が実現することになっても、利用するのは滞在許可狙いの外国人ばかりということになりかねません。
さて今回のロバート・キャンベルさんがゲイであることをカミングアウトしたことそれ自体は、私はまったく驚きませんでした。
テレビでそのお姿を一目みたとき、オネエ丸出しの仕草、歩くカミングアウトともいうべき物腰の柔らかさからお仲間であることがすぐにわかったからです。
だから今回カミングアウトしたと聞いて、まだカミングアウトしていなかったのかと驚いたくらいです。
そもそもドナルド・キーンやエドワード・サイデンスデッカーなどアメリカの日本文学研究家はホモばかりです。
それで日本文学研究家を名乗るキャンベルさんもその伝統を継いでいるのだと思ったのですが、なぜアメリカ人の日本文学研究家にホモばかり揃っているのか、その理由はよくわかりません。
考えられる理由としては、同性愛者差別が激しいアメリカを逃れる方便として日本文学を研究して同性愛者差別の少ない日本にやってきたことが挙げられます。
アメリカでは、同性愛者というだけで襲われて殺されてしまうような同性愛者にたいするヘイトクライムが頻繁に起こっていますが、日本ではそのような事件は起こらないからです。
そのため、アメリカ人の同性愛者がホモにとって安全な日本に住みたがる気持ちは分からないでもありません。
さらに日本にはハゲのオッサンでも白人でさえあればチヤホヤしてくれる外専と呼ばれるホモの種族がいることも挙げられます。
いずれにせよ、D・キーンもE・サイデンステッカーもロバートさんも長く日本で生活している(していた)のは、それだけ日本という国が同性愛者である彼らにとって居心地がよかったからでしょう。
それでもD・キーンもE・サイデンステッカーもロバートさんみたいにアメリカ人同性愛者にとって居心地の良い日本という国に住みながら、
日本の同性愛者にたいして日本人のゲイの意識は遅れているなどと説教はしませんでした。
日本はアメリカという若い国が建国される1000年も前から男色が栄えてきた国で、日本の男色文化は、野蛮なアメリカのゲイカルチャーなどと較べるとはるかに洗練されています。
D・キーンもE・サイデンステッカーも日本文学研究者としてそのことをよく知悉していたから、たかだか数十年前に生まれたアメリカのゲイカルチャーを見習えなどという暴論は吐かなかったのでしょう。
そういう意味では、このロバート・キャンベルさんという日本文学研究家はかなり特殊な存在で、日本文学研究家を辞めて日本でLGBT真理教の宣教師にでもなった方が向いているのではないかという気がします。
まあ東京の盛り場で煩いスピーカーを使って「あなた方は罪を犯している。悔い改めなさい」と説教していた宣教師(いまだにやってるかどうか知らないけど)と同様、完全に無視されるでしょうが。
アメリカで発生したLGBT真理教はキリスト教の一派で、キリスト教を受け入れる土台がない日本では、LGBTにたいしても誰も関心を持たないのです。